太平洋沿いに自転車道整備

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2018年12月28日 05:50

今朝の某新聞、興味深い記事に目が留まった。

「自転車道 太平洋結べ」とあり、千葉県銚子市から太平洋沿いに和歌山県まで、約1400㎞の自転車道の整備に着手するという趣旨であった。

構想自体は50年前からあったようで、実際、既に6割が完成しており、残り4割を2019年から整備し、2020年の東京オリンピックに合わせ、全線整備完了を目指すとのこと。

近年の健康や環境に優しい自転車による観光(ツーリズム)は、世界的に人気があるようで、日本の観光施策も、増える外国人旅行者の趣向を汲みとっているようだ。

車掌長が本格的なスポーツ自転車を購入したのは、小学6年生になった時。
当時も少年世代では自転車ブームがあり、「ロードマン」と呼ばれる、ドロップハンドルと12段変速ギアを搭載した自転車に憧れを抱いたものだった。

車掌長も一人旅の資金を温存しつつ、憧れの一台を買うために貯金したことを思い出す。
結果、友人達が早々に手に入れた時期よりも1年以上遅れたが、近所の自転車屋で買ったときの喜びは無上だったことを覚えている。

そして、すぐ訪れた夏休み、祖父母が暮らす神奈川県の山あいの地を目指し、甲州街道を走ったものだった。

普段、父の運転する車でよく訪れていたので、ルートは全て頭に入っていたが、いざ、自転車で行くとなると、その昂揚感はたまらなくアドベンチャーに満ちていた。

距離的には60㎞ほどだったが、朝4時に出て7時半頃に到着。
特に知らせずに向かったのだが、いまは亡き祖母が、驚きながら抱き締めてくれたことが忘れられない。

話を戻すと、この自転車道は途中2か所は、フェリーを利用するルートだが、ほぼ忠実に海岸に沿って房総半島、伊豆半島、紀伊半島を経て和歌山市を目指すという。

完成後、すぐに実現できるわけではないが、体力のあるうち(既に衰えも著しいが…)に、完走してみたいな…と思う。

これまで、鉄道や自動車で簡単に通過してきたところを、自分の足で漕ぎながら、景色を楽しみつつ、自身の半生の振り返りも、その景色に重ねながら、ゆっくり走ってみたいと思う。

きっと、若かりし頃に素通りした風景に、新たな発見があるかもしれない…

日本全国を張り巡らせてきた高速道路整備から、このような新たなツーリズムに満ちた道路整備に目が向けられることは、歓迎したいと実感した。


 

思いがけず日光へ

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2018年12月27日 04:25

昨日、思いがけず日光東照宮を参拝した。

車掌長の今年の年末年始休暇は26日からで、車掌見習の幼稚園と同じタイミングであった。
この日はちょうど、園の友達が大勢当車掌区に遊びに来るということで、元々どこかへふらりと出掛けるつもりでいた。

イメージとしては、相模湖でレトロゲームを楽しもう…などと、画策していた。

専務車掌と車掌見習と、車掌区総出で掃除を終えた後にふらりと旅立ち、最寄駅からいざ中央線に乗ろうとしたら、遅延が出ており高尾駅での乗り換えに間に合わないと判断し、行先を変えることにした。

偶然、駅前の金券ショップで、期限切れの近づいた東武鉄道の株主優待券が500円で売っており、突発的に「そうだ京都、行こう」ならぬ、「そうだ日光、行こう!」と相成った。

時計を見ると、浅草11時発の特急に乗れそうであった。

出発5分前に券売機で座席指定特急券を買い、駅弁も調達、発車間際のリバティけごんに乗車。
今日は曇りで気温も上がらない予報だったが、反して小春日和の穏やかな空模様に、心は日光へと一足早く向かっていた。

日光は幾度となく訪問し、東照宮もしかりだが、いつも団体や家族・グループ旅行のため、同行者のコンディションに合わせたり、そもそも時間に余裕がなく、独りで行くのは初めてであった。

今回はかねて訪れたかった、徳川家康公の墓がある奥宮宝塔に参拝することと、平成の大修復を昨年終えた陽明門を見ることに的を絞り、貴重な日光滞在の約2時間を有意義に過ごそうと、頭の中で色々シミュレーションを楽しんだ。

しかしながら、車掌長はスマホを持たないし、今日はそもそも手ぶらだ。
ゆえに、車掌長にとっては貴重な車内での移動時間を、検索という行為に縛られることはない。

それは、頭の中でイメージした予定や行動を現地で確認、調整すれば済むことであり、多少のハプニングも、その旅の大小に関わらず、むしろそれを解決することが愉しみなのであった。

次第に近づく日光の山並みを遠望し、下野(しもつけ)の平地から勾配を駆け上るモーター音の高鳴りと車窓を楽しみながら、ビールを飲み駅弁を箸でつつくことを堪能した。

13時前に東武日光着。
改札を抜けた観光案内所で、東照宮方面のバス時刻を確認し、今回の行程に見合うオトクなフリー切符を買った。そして、帰路の列車時刻も念のため確認した。
今日は17時過ぎに車掌区に戻らねばならなかった。

その際、東照宮参拝券も自販機で買えることを知り、平日ではあるものの、現地で参拝券を買う混雑を回避するために、事前購入を済ませ準備完了。まだバスの時間に余裕があったので、徒歩で2~3分のJR日光駅駅舎も眺めに往復し、13:15発の世界遺産巡りバスに乗車した。

東照宮参拝の表参道停留所へは、10分余り。
バス停を降り、いざ杉木立の厳かな参道を上り始めた。

お宮でありながら、仁王様が睨みつける山門をくぐり、まずは神厩舎で「三猿」を観賞。
こちらも修復を終えたばかりの、色鮮やかな彫刻美に見惚れた。

そして、人の一生を猿になぞらえ、小猿が大人になる間の様々な先人の教訓に想いを馳せ、車掌見習の成長にも重ね、参考及び留意しようと思った。

歩を進めると、陽明門が視界に入った。
前回訪れた際、素晴らしい建築物であるが、その色合いはくすんで見えた。
しかしながら、修復後の陽明門はまさに神々しく、絢爛豪華な美しさを目に映らせた。

他の参拝者は一様に、写真に自身を収めることに気をとられているが、車掌長はカメラすらないので、しっかりとこの目に焼き付け、しばし心を奪われるように、その彫刻美に見入ってしまった。

陽明門を潜り、右手へ進むと、家康公の墓がある奥宮へ向かう入口となる、東回廊の坂下門があり、そこに「眠り猫」が彫られ、これより先の神域を守護しているようであった。

いつも、この先に行きたかったが、なかなか来れず、齢(よわい)五十にして、初訪問。

神秘的な木立の中に設(しつら)えた、石畳に歴史を感じながら歩みを進め、最後に急な石段が現れるが、二百段余りの一段一段が、どれも一枚の石で作られているのだから、圧巻であり、登りやすい。

いよいよ、宝塔(墓)に手向け、車掌長の長年の目的を成すことができた。

帰りがけ、本殿を参拝し、鳴き龍が有名な薬師堂も立ち寄れた。
平成3年以降、龍の下で手を叩くことができなくなったそうだが、車掌長は手で叩いた記憶の時期と合致せず、自身の勘違いということで丸く収めた。

天井に描かれた龍の真下でのみ、拍子木で叩くと、澄み渡った音の響きと余韻に浸れた。

駆け足ながらも、充実した東照宮参拝を終え、再びバス停へ戻り、15時前に東武日光駅到着。
帰りは、JR直通のスペーシアきぬがわで、新宿へと向かった。

突発的なショートトリップであったが、車掌長の心は充分に満たされ、新たな年を迎える英気を養えたように思えた。

往路乗車のリバティは軽快な走りであったが、復路乗車のスペーシアは、1990年(平成2年)の営業運転から30年近くが経ち、まさに「平成」を駆け抜けた車両である。

今回、頑張って走るそのモーター音が、車掌長自身に発破をかけてくれているようにも聴こえ、何か不思議な力も授かったような感覚があった。

末筆ながら、東照宮の「平成の大修復」はまだ数か所で進行中であった。
そして、その完了は平成31年3月31日とあった…

着工した当初は、まだ改元のことなど話題にもなっていなかったと思うが、「平成」の終わりとともに、全ての修復も名実ともに完了することは、偶然とはいえ、何か「神業」を感じてしまった。

車掌長も「平成最後」の年の瀬を、このような形で過ごせ、有難く思った次第である。
 

ROSE CHAMPAGNE

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2018年12月21日 04:56

ロゼのシャンパーニュ…

今頃の季節、年末に向けて慌ただしくも、クリスマス商戦で賑わう街の浮かれ華やいだ雰囲気は、それが儚い泡沫であることを、グラスに注がれた液体は教えてくれる。

しかしながら、そうであったとしても、その一瞬の魅惑に満ちたサーモンピンクとも、ローズカラー、ルビー色とも例えられる液体から、無数に立ち上がる微細な気泡の列を目で追うと、何かを期待したり、朧(おぼろ)ながらも心が満たされてゆくのだから、不思議な飲み物だ。

車掌長もお酒は大好きだ。
晩酌も毎日だ。

そして、何か特別な日はロゼのシャンパンを奮発する。
正確には、シャンパンではなく安価なスパークリングワインだが…

それはさておき、微細な泡が立ち上る飲み物と言えば、思い出すのはソーダ水。

子どもの頃、かき氷のシロップにそのまま炭酸水を混ぜ合わせたような飲み物が、喫茶店で出されていたが、その味わいはいまやノスタルジーを感じる。

また、喫茶店とソーダ水とくれば、ユーミンの曲が頭の中でゆったりと流れ始めてしまう。
「海を見ていた午後」だ。

♪ソーダ水の中を 貨物船がとおる

もう30年以上も前になろうか…
この歌詞と自身を重ね合わせるような、そんな午後の昼下がりを思い出す。

学生時代に過ごしたその土地も、海がきれいに見える喫茶店があり好きだった。
今頃の季節は、海を渡る冷たい西風の頬に吹き付ける痛さが、なんとも懐かしい。

あの頃はまだ「昭和」という元号だった。
そして、いま「平成」という元号の最後の年の瀬を迎えている。

「平成」もさまざまな事があったが、車掌長は「いま」を大切に過ごしたい。

ところで、車掌見習は、スパークリングワインのことを「ポン」と呼ぶ。
それは、開栓時の音であり、華やかに奏でる祝砲にも聴こえるが、車掌見習はいつも、その様子を手で両耳を覆いながら興味津々に見ている。

毎年のクリスマスも、「ポン」を買って食事を楽しむのだが、今年は平成最後もさることながら、車掌見習の幼稚園時代最後のクリスマスでもある。

今年は、ちょっと背伸びをして、スパークリングワインではばく、「シャンパーニュ」にしてみようと思う。

ピンク色の液体に、健やかな成長の願いを込めて…

 

宇宙への距離

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2018年12月15日 04:41

今朝の新聞、宇宙への距離に関する記事が目に留まった。

記事内容は、初の民間宇宙旅行を目指す米企業の旅客船が、「宇宙空間」の飛行に成功した、というものであった。

車掌長は、上空どれほどの距離を超えれば「宇宙空間」となるかを知らず、興味を抱いた。

すると、下記のように2つの定義があるそうだ。
・国際航空連盟:高度100㎞以上
・米連邦航空局:同80㎞以上

このたび、上述の米旅客船は高度82㎞までの飛行を達成し、米連邦航空局の定義に沿い、初の宇宙飛行に成功と発表したのであった。

高度80㎞超で「宇宙」とは、車掌長は短絡的に意外と近いなぁ…と思ってしまった。

何故なら、その距離自体は地上において、殊に時刻表愛読者の感覚だと、東京駅を基準に下記駅までのようになるからだ。

・東海道線:鴨宮(小田原駅の1つ手前)
・中央本線:鳥沢(大月駅の2つ手前)
・高崎線:岡部(熊谷駅から3つ先)
・東北本線(愛称:宇都宮線):小山

もちろん、地面を横に移動するのと、地面を離れて垂直かつ重力に逆らって上空へ飛ぶ距離を、単純に比較することは、技術面しかりコスト面、対価においてもできないが、純粋に「距離」だけでみれば、このような親しみを感じる距離感となる。

対価に触れたが、この米旅客船「スペースシップ2」は8名定員であり、費用はおひとり25万ドル(約2800万円)とのこと。

ちなみに、JRの81~90㎞区間の運賃は1490円也。

なんとも、庶民的な感覚や比較でお恥ずかしいが、実際、このスペースシップ2に乗船して宇宙旅行を心待ちにしている人は、600名以上いるそうだ。

なお、同記事には、白黒ながらスペースシップ2から撮影した地球の写真も載っていた。

これはまさしく、銀河鉄道999で旅立った星野鉄郎や、地球帰還前に病死した宇宙戦艦ヤマトの沖田十三艦長が目にした、地球の大きさや近さであった。

子どもの頃は、車掌長もそんな地球をいつの日か、この目で見てみたいと夢見た。

車掌長はそれを肉眼でみることは生涯ないであろうが、年末年始恒例の劇場版「銀河鉄道999」のDVD観賞で楽しもうと思う。

「宇宙への距離」とは、定義もさることながら、車掌長にとっては「憧れ」の高度として、胸に秘めておこうと感じた。
 

生産性と一見「ムダ」と思われるものとの共存

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2018年9月16日 05:05

毎月時刻表を愛読し、近年殊更に痛感することがある…

列車運行ダイヤに面白味がない、遊びがない、余裕もない。
それは、ふと、日常の仕事の忙しさに追われる姿と、重ならなくもない…

斯様に感じてしまうのは、
おそらく、国鉄時代末期の鉄道旅行の醍醐味を味わった世代だからであろうか。

まだ、新幹線も東京~博多間ぐらいしか走っていなかった頃。
鉄道旅行には、その目的や急ぎ具合、予算に合わせて、幾つもの選択肢と選ぶ愉しみがあった。

そして、高速道路も現在のように全国隅々まで整備されていなかった。
夜行高速バスもドリーム号の東京~大阪便や、民間バス会社が東京と仙台や新潟などを細々と結ぶのみであった。

夜中の都市間移動は、寝台設備のブルートレインや、クロスシートの急行・普通列車が夜の鉄路を結び合い、静々と様々な目的や事情のある人々を乗せ、走っていた。

いつしか、人々の移動も物流も、効率化や高速化が優先され、あっという間に、高速道路は大都市から全国の中小都市にまで広がった。

鉄道も新幹線が北海道から九州まで繋がり、長距離は新幹線移動、夜間移動は高速バスを選ばざるを得ない状況になった。

物事の生産性や効率化が図られた結果、自身を含め、今を生きる人々は一体何を得たのだろう…逆に気付かないうちに、大切なものを失っていないか…と、ふと立ち止まりたくなる。

生産性や効率化が図られると、他者や世の中の出来事にかまっていられない状況へと、自身が陥ってしまうことに気付く。

それは、生活も仕事も一見スムーズになったように錯覚する反面、やるべきことが過密となり、それに追われ、自身のことで精一杯になるのは当然であり、大勢に影響のないような些細なイレギュラーが気になったり、他人の粗相(そそう)に苛立ってしまうことも思いあたる…

話しを戻すと、鉄道も本来の役割は、地元の人々の生活を運ぶ足であり、物資を受け送る輸送手段であった。
そして、旅行者にとっては、そんな地元の人々が主役である車内という異空間へ乗り込むことに、車掌長が経験してきた鉄道旅行の醍醐味があったように思う。

しかしながら、いまや親切にも、至れり尽くせりの趣向を凝らした列車を走らせ、その地域社会の生活とは切り離された、自分達だけが快適な車両から、インスタ映えのように、綺麗な部分や瞬間、移ろいやすい話題性でしか、感動を共有し合えない雰囲気を強いられてはいないだろうか…

もちろん、近年のローカル線を活用した鉄道旅行の活性化には賛同している。
しかしながら、一方で、日常の移動体として活躍していた時代の「素顔」のままの列車の旅が、愛しく、懐かしい。

たとえば、1本の列車が名古屋から紀勢本線経由で関西を結んだり、九州の門司を早朝に発ち、山陰本線経由で京都府の福知山に日付が変わる頃到着する、このような鈍行列車に乗った経験が、いまの車掌長の生き方に大きな影響を及ぼしてくれている。

全区間を通しで乗る人は、物好きな旅行者しかいないはずだが、全区間を乗ることによって、その土地その土地の人々の暮らしや生活のリズム、車内で交わされる言葉が変わったこと、道中の中核都市駅での長い停車時間に駅前を散策したり、名物駅弁を買う楽しみなど…

そして、何よりも実感するのは、「考える」ことや「物思いに耽(ふけ)る」という、自分が何者にも縛られることのない「自由な時間」が膨大に存在したことだ。

いまでは、このような列車は、非生産的な象徴として「目の敵」にされるであろうが、一見「ムダ」と思われるモノやそこでしか醸造されない「時間」には、おそらく、生産性の追及のみでは生み出せない財産があるのだと思う。

「生産性の向上」は、誰にも止められない流れだと理解しているが、その反対となる一見「ムダ」と思われる物事との共存を図り、バランスの取れた世の中であることを望む。

車掌長も、こんなことを綴ってしまうこと自体、疲れているのかもしれない。
気を付けよう…

 

前の5件 345678910111213