車掌見習の鉄道デート

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2019年3月11日 04:29

昨日、車掌見習の或る記念日となった。

それは、車掌見習が初めて自分で時刻表を見ながら立てた計画を、実行できたこと。
もちろん、まだ一人旅ではないが、専務車掌とふたりで行き、本人曰く、これは「鉄道デート」とのこと。

なかなか妬ける話だが、それは冗談として純粋にとても嬉しい出来事であった。
旅の目的は、今春のJRダイヤ改正で引退となる、中央本線を走る特急車両257系のお別れ乗車。

車掌見習は、1週間ほど前から時刻表と睨(にら)めっこしながら、お絵かき帳を広げ、絵ならぬ駅名や列車名、時刻を拙いひらがなと数字で書きながら、イメージを膨らませていた。

257系かいじ号の新宿出発時刻を調べ、専務車掌にどの時間がいいか聞きながら、自宅最寄バス停から新宿駅に出て、257系に1区間だけ乗り、立川で降りてランチ。

その後、八王子まで中央線で向かい、帰路は353系「スーパーあずさ」で新宿に戻ってくるというものだが、「スーパーあずさ」という名称も無くなる前に乗っておきたかったようだ。

新宿からは往路と同じく、バスで自宅最寄の停留所まで乗る…そんな計画であったが、1つ1つの乗り物の時刻を調べ、紙に書いた計画書は、なかなか緻密であった。

旅の計画は、その規模にかかわらず、イメージが必須だ。

その全体像や具体像を描けないと、実際の行動を決める計画はなかなか立案できない。
そう思うと、まだ幼いと思っていた車掌見習にも、そのような力が付き始めたと思え、車掌長は無性に嬉しかった。

専務車掌曰く、ちょうど2年前から車掌長が始めた「鉄道ふたり旅」がベースになっているとのこと。
それは、或る鉄道バラエティ番組「鉄道ひとり旅」を真似して始めた、車掌見習とのちいさな旅。

そして、出掛ける前に必ず車掌長が1つ1つ乗る電車やバスの画像を取り込み、PCで紙に印刷し、行程を車掌見習に渡していた。

その小さな旅も直近が昨年12月で、計13回に及んでいた。
そんな体験がベースにあり、今度はボクが専務車掌を連れてゆきたいと思ったようだ。

ちなみに、帰路のスーパーあずさでは、このダイヤ改正を機に廃止・縮小される車内販売もラスト体験したようで、短い乗車時間ながらアイスクリームを食したようだった。

車掌長は意識していたわけではないが、日頃一緒に時刻表を見ながら車内販売が無くなることをボヤいていたことが、車掌見習にも伝わっていたようだ。

車掌長の仕事も超繁忙期となり、ふたり旅にも出られなくなるが、昨日はそんな嬉しい出来事があったことを記憶に留めたく綴ってみた。

 

51歳を迎え

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2019年2月19日 05:01

本日、51歳を迎えた。

これに先立ち、先週金曜から当車掌区でアニバーサリー・ツアーを実施した。
行先は山陰の三朝温泉に泊まり、サンライズ出雲に乗ることを目的とした。

先週末、山陰地方は芳しくない天気予報であったが、いざ朝一番の飛行機で米子空港に降り立つと、薄日が射し寒くもない穏やかな天候であった。

レンタカーで境水道大橋を渡り、島根県入り。
島根半島東端の美保関(みほのせき)を目指した。

美保関灯台の袂(たもと)に立つと、遥か遠方に薄っすらと隠岐の島影を確認できた。

来た道を引き換えし、次は美保神社へ。
ここは全国各地にあるゑびす様の総本宮として知られ、社殿も「美保造」と呼ばれる大社造りのお社が2つ並ぶ独特かつ壮麗な構えで、常々参拝したいと思っていた。

参拝後、神社を出て左側にある「青石畳通り」を散策。
狭い道幅の両脇に老舗が並び、多くの旅人を迎えた宿の趣きに昔の賑わいを眼に浮かべながら、タイムトリップを楽しめた。

とくに、詩人・西條八十(さいじょうやそ)も泊まったという老舗旅館に興味を抱いた。
彼を知ったのは、森村誠一「人間の証明」で引用された”ぼくの帽子”のフレーズだった。

「母さん、僕のあの帽子どうしたでしょうね…」
車掌長が小学校3、4年だった頃、ジョー山中の曲「人間の証明のテーマ」とともに、脳裏に焼き付いたフレーズだった。

あの何か不思議な、別の時空へ誘われるような…そんな気持ちになる詩であった。
余談だが、この曲の出だしは、最近知った「ボヘミアン・ラプソディ」を彷彿させた。

今度はぜひ、この旅館に泊まってみたいと、後ろ髪を引かれる想いで境港へ車を走らせた。

境港からはJR境線の「鬼太郎列車」で米子へ向かうが、少し時間が余ったので、水木しげるロードを散策した。幾つかの店を見ながら、所々に置かれた妖怪のブロンズ像と写真を撮ったりしたが、外国人旅行者の多さにも驚いた。

鬼太郎列車と在来線特急を乗り継ぎ、倉吉駅下車。
ここで再びレンタカーを借り、白壁土蔵群をのんびり歩き、三朝温泉を目指した。

三朝は「みささ」と読み、世界屈指のラドン含有量を誇るラジウム温泉として知られ、「放射能泉」に分類される。
車掌長も好きな温泉地であり、今回で2回目となる。

今回の宿は、徒歩で温泉街散策に便利な立地を考え、三朝橋が目の前のホテルとした。
この橋を渡れば、河原の湯や狭い路地の店が連なる温泉街にすぐ行ける。

15時のチェックイン時間を待てず、14時半に宿に着いたら、快く出迎えてもらえた。

お抹茶を戴きながら宿帳に記帳すると、仲居さんから封筒に入ったメッセージを渡され、見ると今回の旅を手配してもらった旅行会社の担当者から、心温まるメッセージが入っていた。

また、夕食時には、更に嬉しいサプライズもあった。

普段、「サプライズ」というものは、車掌長が誰かにすることがほとんどで、またそれ自体が車掌長自身の悦びでもあるのだが、今回は、想定外に車掌長自身が「される」側となった。

夕食を終え、デザートが運ばれた際、仲居さんが「電気を消してもよろしいでしょうか」と一言あり、すぐにロウソクの火が灯った可愛らしいケーキが運ばれてきた。

最初、もしかして専務車掌がしてくれたのかな!?と、専務車掌の顔を見たら、首と手を横に振り、逆に専務車掌が車掌長を指差すので、「まさか自分で自分のサプライズなんかしないよ!」と、互いに笑ってしまった。

そして、仲居さんに「どなたからでしょうか…」と聞いたところ、旅行会社の○○様からですと。
○○様とは、前述の旅行会社営業所の所長さんであった。

普段、サプライズされることなど思いもしていないので、純粋に嬉しさが込み上げた。
そして、ピンポイントの誕生日ではなかったが、少し早めに車掌見習と専務車掌に祝ってもらった。

翌朝、倉吉駅で車を返却し、観光列車「あめつち」に乗車。
天候はあいにくの小雨であったが、昨夏デビューの新しい車両の乗り心地を楽しみながら、松江を目指した。

松江から3度目のレンタカーを借り、宍道湖の北側を通って出雲大社へ。
この頃が一番雨脚も強かったが、不思議なことに、出雲大社に近づくと青空が広がった。

この好天にはビックリしたが、清々しい思いで参拝をすることができた。

1泊3日の小旅行ではあったが、最後は「サンライズ出雲」で締めくくった。
希少なサンライズツインに3名で一夜を過ごし、車掌見習にとっても、楽しい想い出になれば幸いだと思った。
 

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希望者挙手さんからのコメント(2019年2月19日 23:06投稿)

お誕生日おめでとうございます。

時々、「こんな年齢なってまで誕生日を祝ってもらうなんて」などと言ってる人が居たりしますが、私は幾つになっても、いや、むしろ年齢を重ねるほどに、誕生日を大切に過ごすべきではないかと考えています。

毎年、素敵な誕生日をご家族と過ごされている車掌長は、充実した年齢を重ねてらっしゃいますね。
これまで、お互いに山あり谷ありと、大変な時期もありましたが(笑)

私は大阪在任4年目、次の夏に山陰地方の家族旅行を計画していた矢先に、東京へ戻ることになり、その計画は未だに実行できていないので、いつかは実現したいなと思っています。

一足先に人生のB面に突入した私からは、クイーンのレコード「オペラ座の夜」のB面に「ボヘミアン・ラプソディー」が、「ジャズ」のB面に「ドント・ストップ・ミー・ナウ」が収録されているように、人生もまた、B面ならではの面白さがあると思うので、これからもお互いに人生のB面をエンジョイしていきましょう!というメッセージを51回目の佳き日に贈らせて頂きます。

車掌長さんからのコメント(2019年2月20日 05:24投稿)

希望者挙手 様

毎度ご乗車ありがとうございます
また、お忙しい時期にお祝いのコメントをいただき、重ねて御礼申し上げます。

希望者挙手さんが仰るとおり、50歳を過ぎても誕生日祝いを喜んだり、重んじたりすることに共感いたします。

年単位の節目には、元日である1月1日や、年度開始の4月1日がポピュラーですが、それは世の中のオフィシャルな区切りであり、共通ルールとして人や物事が動く基準になっています。

一方、自分自身の年単位の節目を「誕生日」を軸に考えると、1年間の流れも位置づけも、パーソナリティ感が高まります。

つまり、自身の新たな歳を迎えた日が、その歳の「元日」「年初」となるわけです。

こうのように位置づけますと、自分の人生の主役はやはり「自分自身」なのだ…と、思えます。

車掌長自身は、子どもの頃や大人になっても或る時期、「自分」が嫌いで仕方ないことがありました。

それは、多分に自分でどうしようもできない外部環境や状況の中で、もがいていた時期、心が病んでいた頃とも符合するように思います。

そんな時、その淵から抜け出る一助となったのは、生涯の中で誰よりも一番長く共にする「自分」との付き合い方であり、「自分を大切にする」生き方でした。

誤解を恐れず申し上げれば、自身が健全である基盤があって、初めて、家族を含む他者を思い、慈しんだり、その人のために…と、ときには、自身を犠牲に出来るような物事に臨めるような気がするのです。

犠牲などと、大袈裟な言い方をしましたが、時間やエネルギー、想いを費やすという意味合いの方が近いかもしれません。

長くなりましたが、そんな「自己肯定感」を援護してくれたのが、時刻表であったり、旅であり、旅の中で知った歴史上の人物が遺した言葉、詩人が紡いだ言の葉でした。

そして、音楽好きな希望者挙手さんには、車掌長自身が最近ハマってしまったクィーンにあやかった、メッセージ性の強い曲々をご紹介いただき、とっても嬉しく思っております。

さらに、希望者挙手さんが中学時代にこうした曲たちに出逢った頃をトレースして、自身の想像を膨らませ楽しんでおります。

ぜひ、これからもお互いに「ドント・ストップ・ミー・ナウ」で、まだ始まったばかりの人生のB面を、楽しみましょう!

末筆ながら、今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げます。

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decide

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2019年1月11日 04:57

「ボクがきめる!」

それは数日前、夕食後の他愛ない会話の中で、車掌見習が発した言葉だった。

会話の内容自体は、ここでご紹介するほどではないので、割愛させていただく。
しかしながら、初めて耳にしたその言葉に、車掌長はとても嬉しい思いが湧き起った。

自身で決める…
これは、車掌長が人生で大切にしてもらいたい…と願う、「生きる力」のひとつだ。

もちろん、いまの車掌見習には、そのような「力」は、まだ微塵もない。

ただ、「ボクが決める」と、その意思を表出したことは、大いに意義がある。

自分がどうしたいのかは、たとえ車掌区内の上司・部下(世間では家庭内の親子)であっても、なかなかわからないことが多いのも事実だからだ。

あとは、その意思の根拠を「言葉」で上司に対し説明したり、理解を得られなければ、それは単なる「我がまま」や「独りよがり」で終わってしまう。

また、その「決める」ための選択肢や判断材料を、日々の生活にある体験や経験から増やしていってほしい。

更に、旅という人生経験の縮図のような時間の中で、問題や課題にぶつかり、考え、選び、実行する一連の行動を繰り返しながら、磨いていってもらいたいと願う…

そして、その一助となるのは、当車掌区においては「時刻表」だ。
車掌見習も、だいぶスジ(各列車のダイヤ)を追えるようになってきたが、それはもちろん机上の話であり、実行に移すにはまだ拙いし、一定の時間を要する。

ある程度の年齢に達するまでは、その援助は惜しまないが、いずれは「見習」という立場から巣立たなければならない。

その時期は、上司が思っているほど、そう遠くない時に突然、訪れるかもしれない。
こちらの心の準備も整わないうちに…

そんなとき、嬉しい反面、寂しい思いをするのも、また上司なのであろう…

【以下、車内放送】
今回の「decide」をもちまして、乗務400回を迎えられましたこと、ご報告いたします。

2年ほど前から、急に車掌長の本来の仕事内容が変わり、なかなかダイヤ復旧に時間を要してしまいましたが、やっと通常運行のリズムを回復しつつあるように感じております。

どうぞ今後とも、当乗務日誌を気晴らしに時折覗いていただければ、幸甚に存じます。
 

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希望者挙手さんからのコメント(2019年1月25日 21:28投稿)

こんばんは。
遅ればせながら400回乗務おめでとうございます。
この記事を拝読し、車掌長にぜひ聴いて欲しい曲を思い出しました。
それは先日、車掌長もご覧になった「ボヘミアン・ラプソディー」で話題沸騰中のQueenの「Father to son」(邦題は父より子へ)という曲です。
曲はYou Tubeで聴けますが、何よりも歌詞が車掌長と車掌見習いのお二人にぴったりだと感じました。歌詞もインターネットで色々と検索できますので、お時間のある時に調べてもらえたらと思います。

この曲は映画でもほとんど触れられていない、クイーンのセカンドアルバム「Queen Ⅱ」に収録されています。
このクイーン・ブームにおいて、あまり注目されていないアルバムです(車掌長が買われたベストアルバムには一曲も入ってないかもです)が、中学生だった私は、友人から借りたこのアルバムに衝撃を受けて、当時、とても高価だったCrO2(クローム)テープ、ソニーのJHFにダビングした程です。
当時、ダビングといえば、ほぼBHF、お気に入りは少し奮発してAHFでしたので、この力の入れようは車掌長ならご理解頂けますでしょうか?(笑)

きっと車掌長にも気に入って頂けると思いますので、お時間のある時に聴いてみて下さい。


車掌長さんからのコメント(2019年1月26日 05:15投稿)

希望者挙手 様

毎度ご乗車ありがとうございます

今朝早速ながら、「Father to son」拝聴いたしました。
曲も歌詞も、何とも荘厳であり、壮大かつ神々しさを覚えました。

「父より子」へ…という粋を超え、「神から人間」へとさえ思えるスケール感でした。

そして、想いを込めた言葉に宿る「命」が、世代を受け継ぎ、継承されてゆく不変的な法則性を教えてくれているように思いました。

更に、人はその伝承という行為において、受ける側は、なかなか素直にそれを持ち得ようとはしませんが、自身がその立場になったとき、結局、同じような境地に立ち、親や前世代から教わったり、無意識に感じ取った「バトン」を、子や次の世代に残そうとするのかもしれません。

このたび、希望者挙手さんからご教示いただいた曲は、車掌長にとりまして、Queenが放つ世界観を遅まきながら享受できたと思います。

また、歌詞は最初、日本語を見てから英語も見ました。

車掌長は、常日頃、日本語は美しい言語だと思っていますが、外国の曲を翻訳したものを目にすると、どうしても、日本語が「表意文字」であることを認識し過ぎてしまいます。

表意文字とは、言葉どおり、ひとつひとつの文字が意味を持つものです。

したがって、或る一文字を見れば、それだけで意味さえ伝わる場合があります。

一方、英語は「表音文字」であり、ひとつひとつの文字が持つ「音」の組み合わせが音節を構成し、意味を成し、人々が理解するものと言われています。

車掌長は、Queenの曲を、作ったアーティストの想いのままに、美しい曲に乗った「表音文字」のままに、世界観を感じ取れるようになりたいなぁ…と、希望者挙手さんのご紹介を機に感じてしまいました。

さきほど、「遅まきながら」という言葉を使いつつも、何か始めることに「遅い」も「早い」も、そもそも無いのかもしれません。

「五十の手習い」という言葉があったか、それは不確かであり我流かもしれませんが、もう一度、英語を勉強してみたくなりました。

末筆ながら、「父より子」へという言葉に触れ、希望者挙手さんのご尊父様には、是非一度お会いしてみたかったです。

数々の伝説をお持ちの父上に、お会いすることは叶いませんでしたが、車掌長が抱く父上のイメージの片鱗は、希望者挙手さんご自身の行動や考えから、お見受けできるように思います。

そのように、第三者が感じ取れることも、DNAというものの「伝承」なのかもしれません。

追伸
クロームテープ、とっても懐かしいですネ!
HFシリーズのラインナップだった、AHF、BHF、CHFの各色ラベルを思い出しました。
AHFも高価だったと思いますが、更に上位のJHFでダビングとは!
希望者挙手さんの思い入れを、ヒシヒシ感じます。
もしや、INDEXカードもかなり凝ったのでは…?!
なんだか、つい最近のような気もしますが、とても懐かしく、愛しく感じます。




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久々に映画を観る

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2019年1月 3日 15:27

今朝、8時過ぎに某シネマコンプレックスに到着。

久々に映画を観てみたい衝動に駆られたのは、先月中頃の新聞記事であった。
また、ちょうど同じ時期、前職の友人に会ってお茶をした際も、この映画が話題となり、その御方もド・ストライクの世代で、とても素晴らしかったと…

昨日、新幹線で帰省する専務車掌と車掌見習を東京駅まで見送り、決行は明朝と企んだ。
そして、今日、9:00上映の「ボヘミアン・ラプソディ」を観た。

観終わった所感は、感慨無量…

これ以外の言葉は無用に思えた。

 

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希望者挙手さんからのコメント(2019年1月11日 00:10投稿)

久しぶりの乗車です。
車掌長も観られましたか、ボヘミアン・ラプソディー!
もちろん、私も公開後すぐに観ましたよ!

私がクイーンに出会ったのは中1の時、一緒に洋楽を聴き始めた友人が買った6作目のアルバム「世界に捧ぐ」でした。
そこからハマってしまい、クイーン詩集なる本を購入し、英語の教科書以上に読み込んで、手垢で薄汚れてしまったその本は今も時々読み返したりしています。
「ドント・ストップ・ミー・ナウ」が私のカラオケの十八番なのは、その成果だと思います(笑)

そうそう、クイーンと映画といえば、忘れてならないのが「フラッシュ・ゴードン」!
当時、友人と銚子の映画館で観ましたが、ビミョーでした(笑)
でも、クイーンのプロモーションビデオの方はカッコイイですよ。

映画を観て、インターネットなどがなかった時代、雑誌やFMラジオ(と言っても、私の住んでた地域はNHKしか受信できませんでした)などで情報をかき集めて洋楽を聴きまくっていた時代を懐かしく思い出しました。
ベストヒットUSAやMTVなどの音楽番組など無い時代に、千葉テレビでは「テレジオ7」という番組があり、洋楽を映像で聴けたのは幸いでした。(さすが、市川のジャガーさんを生んだ千葉!)

車掌長さんからのコメント(2019年1月11日 04:39投稿)

希望者挙手 様

毎度ご乗車ありがとうございます

クイーンとの出逢い、中1の頃とは、希望者挙手さんの愛聴の年季を実感します。

お恥ずかしながら、洋楽を聴いた経験や知識が乏しい車掌長が、今般、この映画を観た動機は、実は乗務日誌に綴った以外にもありました。

それは、希望者挙手さんの世界観に触れてみたい、近づいてみたい…と、そんな想いがありました。

希望者挙手さんは、この乗務日誌に幾度となくご乗車いただいていますが、時折紹介してくださる洋楽の魅力を綴る、その熱い想いを興味深く拝読しておりました。

そして、洋楽の歌詞を理解するために、英語を勉強したり、その延長線上に豊かな発想や好奇心、外国人にも臆さないコミュニケーション能力の高さがあったと思っていました。

車掌長は、お互いが同僚だった専門学校勤務時代から、そのような希望者挙手さんの魅力にひかれ、影響も受けたと思います。

そして、このたび、遅まきながら「ボヘミアン・ラプソディ」を観て、今さらですが、クイーンの魅力の片鱗をかじれたように思いました。

映画を観た翌日、久能山東照宮へ向かう途中に立ち寄った高速のサービスエリア売店で、たまたま1つだけあったクイーンのCD「GREATEST HITS」を迷わず購入し、以降の道中は聴きっぱなしでした。

希望者挙手さんの十八番、「DON'T STOP ME NOW」、車掌長も一度聴いただけで、大好きになりました。

純粋に、曲から「元気」や「勇気」、「躍動」を授かったような気分になれました。

また、多くの人もそうでしょうが、「WE ARE THE CHAMPIONS」も改めて素晴らしい曲であることを、再認識しました。

そういえば、専門学校時代に地方出張に行った際は、よくカラオケにも行き熱唱しましたネ。

今はもう、随分と長い間カラオケは行ってませんが、久しぶりに希望者挙手さんの熱きステージをご一緒できれば嬉しく存じます!

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三日月と金星と木星と

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2019年1月 3日 05:19

未明の空、三日月のやや右上に金星、やや左下には木星が並んでいた。

金星は殊のほか輝き、木星も東京の空でも綺麗に確認できるほどに存在感があった。
偶然見かけたその並びがなんともチャーミングで、寒かったものの、しばし見入った。

三日月の傾き具合も、魔法使いサリーちゃんが腰掛けられるような、良い塩梅(あんばい)…
また、「クロワッサン」が仏語で三日月を意味することも、頷(うなづ)ける形だった。

ふと、星の輝きを「今」目にしていることの不思議さに想いを馳せる…

星の輝きや瞬(まばた)きは、過去の光が、それぞれの星から長い距離を、○○光年かけて届いた、いわば「見かけ」の姿…

その星と地球との距離にもよるが、いま、宇宙のどこかで光っている星が、やっと地球に届く頃には、もう車掌長はこの世に存在しないものが、沢山あるのだろう…と。

逆の言い方をすれば、車掌長が生まれる前のどこかにあった星の輝きを、「今」目にしているものも、多いのであろう…

気の早い話になってしまうが、地球からおよそ81光年離れた星が、「今」輝いている光を目にできるのは、22世紀になる…

「22世紀」という言葉は、まだ、あまり世の中で耳にしない節目であり、車掌長も当然ながらとっくに、存在しない時代…

19年前、21世紀を体験し「ミレニアム」を謳歌した車掌長であるから、西暦2100年を迎えられるはずもないが、もしも、車掌見習が平均寿命より少し長生きできたとしたら、彼は目にすることができる時代かもしれない…

ただ、心配も尽きない。
「平成」という僅か30年間で、人々の思考や行動、生活様式を、掌(てのひら)を返すようにひっくり返したのであるから、この先の80年余りの時間の長さを考えると、背筋が寒くなる感も否めない…

また、そうした思考や判断の選択も他者へ委ねたり、依存しようとする傾向が、今後ますます拍車がかかりそうで、懸念が膨らんでしまう。

今を生きる人々にとっては、まだまだ「世の中便利になった」と、成長著しい各種技術の進歩に対し、長閑(のどか)なことを言って済むかもしれない。

しかしながら、地球規模で進む環境破壊や気候変動、日本の少子化とは裏腹に爆発的に増える人口、世界各地の紛争etc…

これらの解決に対し、人類が時間をかけた叡智(えいち)ではなく、AI(人工知能)が活用され始めていることも、どのような「解」が待ち受けているのか、全く想像ができない。

庶民感覚では、身の回りの生活における節電や自然エネルギーの活用、不燃物の区分とリサイクルの徹底、子どもを育てやすい環境の整備や、それを補完する働き方改革による少子化の歯止め…そして、各国元首の独りよがりな、切った貼ったの博打のようなパフォーマンス外交ではなく、地道な交渉や対話…

単純ではあるが、これくらいしか、パッと思い浮かばないものの、AIであれば気の遠くなるような複雑な演算を駆使して瞬時に、凡人には想像も及ばないような「解」を導いてしまうのだろう。

果たしてその「解」は、神様なのか、悪魔なのかは、今は知る由もないのだが…

せめて、願わくば、車掌見習の生きる時代が、ひいては、その世代を生きる「今」の子どもたちが生きやすいようなバトンを、車掌長世代が次の世代へ引き継ぎたいと考える。

ふと、東の空に目を移せば空が白みはじめ、さきほど鮮明に輝いていた月と星が、朧(おぼろ)になりつつある。

しかしながら、上述の想いだけは、霞まないように、まずは一年一年を地道に生きなければ…と新年最初の乗務にあたり、想った朝であった。

【以下、車内放送】
皆様、明けましておめでとうございます。
本年も皆様におかれましては、佳き年(歳)となりますよう、お祈り申し上げます。

2019年も色々な節目を迎える年ではありますが、この乗務日誌で皆様とともに、時間旅行を楽しめれば幸いです。

 

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