新聞読者投稿欄掲載

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2020年5月31日 07:05

先日、某新聞の読者投稿欄に車掌長の投稿が掲載された。

お読みくださった方もおられると思うが、「哲×鉄」の中においても、今般のコロナに因んだ話題として備忘録的にここでも紹介しておきたい。
(下記掲載文)

先月、中学入学から毎月欠かさずに購入してきた旅行会社発行時刻表が、四百八十冊目となりました。長いようでまばたきほどの四十年でした。

パソコンが普及する前、多くの会社の経理や総務等の部署では必需品であり、出張計画や列車の手配、費用算出に重宝され、プロ級に時刻表を操れる名物社員もいたようです。
今はスマートフォンで乗り換え検索を使えば、誰でも簡単かつ瞬時に列車の時刻や費用も調べられ、長年の時刻表愛用者からすると隔世の感が否めません。

一方、新型コロナウイルス感染症対策により、人々が長い時間を家で過ごさなければならない事態となり、ふと時刻表の魅力を再認識しました。
それは、旅行も憚(はばか)られる今こそ「机上旅行」が楽しいと。
まだ時刻表を触ったこともない方は、書店で大型時刻表を買えば準備完了です。あとは、索引地図で目的地を探し、そこへ向かうページを開けば列車は出発し、あなたは自由な旅人になれます。
ためらうこなく都道府県の境を越え、任意の駅で降り、憧れの観光地も巡り放題です。

そして、スマホの検索結果では表れないあなただけの旅程が組める点でも、旅本来の「自由」を実感できます。何よりも、急いで調べる必要はなく、紙のページをめくるアナログな時間に、デジタル社会のストレスが癒されます。
また、その指先の感触や時刻表の利点である前後列車の全体像を俯瞰できる一覧性が脳を刺激し、思いがけない発想が湧くことも。

行楽シーズンをむかえましたが、もうしばらくはステイホームで、机上旅行はいかがでしょうか。


 

車掌長のパワースポット

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2020年5月24日 05:45

東京ラブストーリー2020を視聴している。

コロナ禍、自宅にいる時間が長く、某サイト有料会員特典で無料配信されていたので、たまたま視聴したネット番組だが、車掌長と同世代の方であれば、その番組名に懐かしさを覚える方も多いだろう。

そう、1991年(平成3)に民放の人気ドラマだった「東京ラブストーリー」のリメイク版。
当時、車掌長は社会人2年目を迎える頃、某専門学校トラベル学科の教員になった年だ。

あれから、もう29年が経ったとは思えないが、懐かしさもあり、ふと2020版第1話を観た。
当時のオリジナルとは俳優陣が違いすぎて、視聴後は違和感が残った…

だが、この番組の昔も今回も好きなところは、車掌長がパワースポットとして崇める「東京タワー」が頻出することだ。

とくに、エンディングで流れる冒頭の風景に、ふと目が留まり感動する建物が映った。
それは、我が母校。

その学舎は、車掌長の人生転機となった高校時代の憧憬だ。
教室の窓や狭い校庭から毎日、東京タワーを見上げていたのも懐かしい。

また、卒業後も何か人生の道に迷ったときは、ここを訪れタワーに「解」を求めることも、しばしばであった。

だが、タワーは「解」など教えてくれるはずもなく、自身の中に「解」はあるのだが、選択の結果は失敗も含めて概ね「吉」であることから、いつしかタワーは車掌長のパワースポットとなった。

結局、そんなエンディングに魅かれ、ついつい第2話以降も見続けてしまっている。
話は大方わかっているのだが、つい見入ってしまい面白くなってきた。

 

花の日に願う

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2020年4月 8日 05:24

本来であれば、一年で最も忙しい4月だが、今年は違う…

そう、コロナウイルス感染症の影響で、ことごとく予定されていた仕事が日延べとなり、異例の内勤が続き、その後処理に追われているが、本来の仕事で稼働したことに比べれば忙殺されるほどの内容ではない。

しかも、その内勤でさえ、3月中旬から始まったこの騒ぎに関わる事務仕事も、先週で概ね収束し、いまは時折入る、今後に向けた連絡や調整を行っている程度であるが、小さな組織ゆえ、誰かが出社して担わざるを得ない。

昨日、緊急事態宣言なるものが発令された。

それより前、都知事が「ロックダウン」という仰々しくも聞きなれない単語を発言したが、その印象もあってか、一体、どういう状況になるか、該当エリアに居住するものとして関心が高かった。

発令後、次第にその様相が明らかになるのであろうが、現時点で知りえる範囲では、生活環境が劇的に変化を強いられるものではなさそうだ。

ただ、ただ、外出を自粛せよ、という意味合いが強まったように受け止めている。

しかしながら、仕事のために通勤電車に乗らなくてはならない身においては、その要請は儚く、虚しくその笛の音は響くし、趣旨と現実社会や生活実態との乖離、首尾の一貫性の無さに戸惑うというか、呆れてもしまう…

テレワークが可能な大企業に勤める御方はまだ恵まれているが、そうでない人が圧倒的にこの国には多いことを、この国の偉い方々はリアルに見えていない、可視化できていないのだろう。

また、TVニュース等のメディアに登場する、「街頭の声」として現れる一般人も、他人事のようにコメントをする人をあえて抽出しているのか、本当に困窮している「声」は拾えていないように画面に映る。

もっと、インパクトをもって怒っている人や、困っている人もいると思うのだが、そういう人の映像や声は、もしかしたら誰かにとって都合が悪いのかもしれない…と穿(うが)ってしまう。

本来、休業補償や給与補償とセットで、一貫性を持った「要請」でなければ、それこそ「命を守る」ための基盤である「生活を守る」ため、人々は働きに外へ出ざるを得ない。

コロナウイルス感染症に罹患して「命」を失う前に、生活ができずに自ら「命」を絶つ、失う、脅かされる人の出現も合わせて心配になってしまう。

今日は花の日、お釈迦様の誕生日。
祖母は生前、毎年この日の前日、車掌長宅に前泊し、近所の御薬師様にお参りに来ていた。

百歳となる1か月足らず前に他界したが、白寿(99歳)の大往生であった。
そんな祖母に、この世の安寧を願い、手を手向けた朝であった。
 

こんな時、世界名作劇場はどうでしょう?

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2020年3月 9日 05:30

週末、車掌見習と専務車掌を専務車掌の実家へ疎開させた。

学校全国一斉休校という、前代未聞の「要請」を受け、実質的な春休み状態となった。
本来であれば、小学校1年生の課程を修了して、正規の春休みに帰省するはずだった。

移動手段は新幹線等を使わず、車とした。
高速利用で休憩を挟みながら6時間弱を要したが、最近は車掌見習も地名がわかってきたので、移動中の会話もインターチェンジやサービスエリアの名称、読みカナ、渡る川の名前、その土地の名物など多岐に渡り、図らずも車掌見習にとっては、社会科の勉強になったようだ。

勉強というと仰々しくて苦手だが、そもそも、学びの根源は「好奇心」なのであろう。

無事二人を送り届け、車掌長は某地で単身赴任中の元同僚と会い、呑んだ。
急な誘いだったが、予定も空いていたようで、久々の再会が叶った。

このご時世ゆえ、街中の人も少ない印象を受けたが、自粛ムードもあまりに長引くと、社会全体を支える経済活動も萎み、悪影響は必至だと思えた。

新型コロナウイルス対策も、根拠が希薄な場当たり的対応の度が過ぎると、その終息を待たずに、日本社会や人々の生活が持ち堪えられず、破滅を被りそうだ。

翌朝、窓の外は本降りの雨…
訪れたい鉄道スポットもあったが、これでは行っても楽しめないと思い、早々に帰京。
帰りは一度休憩を取っただけで渋滞にも遭わず、正午には家に着いた。

両親宅で昼食をもらうと、妹家族も合流。
その食卓で、こんな時こそ、テレビ放映で「世界名作劇場」とかやってほしいね、と会話した。

学校一斉休校を受け、幾つかの出版社でも、漫画コンテンツなどを無料配信しているようだが、たしかに「こんな時こそ」、その番組の再放送を視聴できれば良いなぁ…と思った。

「世界名作劇場」は、車掌長世代が子どもの頃、毎週日曜夜に放映されていた番組。
「フランダースの犬」や「アルプスの少女ハイジ」、「母をたずねて三千里」など、どれも1年をかけて50話程度で物語が展開し、内容も人生訓になりえる感動や、教訓などの示唆に富んでいたと思う。

仮に50話くらいであれば、一日4話(1話は30分)ずつ放映で、2週間程度に収まる。

もし、この事態を前向きに捉えられるとすれば、主人公が「子ども」となっている原作の、この番組の再放送化を願う…

親子一緒には難しくても、子どもだけでも、スマホでなく「テレビ」で視聴できれば、どこも横並びのワイドショー番組で、すっかり顔も覚えてしまう同じ専門家の話を聞かされるよりも、良いなぁ…と思った。

そして、こんなときに「世界名作劇場」は、苦難や危機を乗り越える人間の知恵や工夫を、主人公を通じて、暗に教えてくれるかもしれない…

たとえば、「ムーミン」に登場する、車掌長も大好きなスナフキン氏の言葉を借りてみよう…

”自分の入りたくないところに無理やりに入れられたら、君はどうする?自分のやりたいことを押さえつけられたら、君はどうする?”

同調圧力の強いどこかの国と照らし合わせると、子ども向け番組とはいえ、大人も大いに考えさせられてしまう…
 

 

シンメトリーとアシンメトリー

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2020年2月23日 05:28

手元のJTB時刻表3月号のページをめくる指が、あるところで止まった。

毎月、臨時列車が掲載される特集ページが好きだが、今号には「富士」の愛称名が…
久々に時刻表上で見る「富士」の列車名に、トキメキを否めなかった。

車掌長が子どもの頃、「富士」は”日本最長距離走行”を誇るブルートレイン…
東京から西鹿児島(現鹿児島中央)まで、24時間余りを要した憧れの列車であり、東京駅を毎晩18:00に出立する姿を、幾度となくホームから羨望の眼差しで見送ったものだった。

今回目にした「富士」は、御殿場線の松田駅から沼津経由で身延線の富士宮駅までと、短い走行区間だが、その車窓は容易に想像できてしまう。

そう、列車名にふさわしく、走行区間の車窓からは「富士山」を堪能できる。

富士山好きの車掌長としては、ぜひとも乗ってみたい列車だが、4月4日(土)のみ運行で、4月からは仕事も超繁忙期…
せめて時刻表上で、そのスジ(ダイヤ)を追いながら、車窓を妄想して慰めるしかない。

ところで、富士山と言えば、今日2月23日は「富士山の日」。
制定されてから、まだ日も浅い記念日だが、車掌長は明快な語呂合わせで大好きだ。

多くの人に愛される富士山だが、車掌長もそのシンメトリーな姿に魅了される。
青空の下、雪化粧をした左右対称な秀峰は、国の内外を問わず、諸人にとって日本を象徴する風景と言えるだろう。

このような美しい「形」を造りだした自然には、つくづく畏敬の念を抱かざるを得ない…

話は変わるが、「シンメトリー」を人工的な美しさとして初めて意識したのは、フランスのヴェルサイユ宮殿に行ったとき。

車掌長が20代後半、某専門学校教員時代に卒業旅行の引率で欧州を訪れた時だった。

荘厳かつ華麗な宮殿内は、贅を尽くした往時の宮廷生活を偲ぶに余りあるが、その宮殿裏側の平面幾何学式庭園を目にしたとき、「シンメトリーの美」を実感した。

以来、車掌長は物事の配置や所作を、仕事や趣味においてもシンメトリーであることに美を感じたり、求めていたように振り返る…

しかしながら、40歳も過ぎたあたりからは、その逆、つまり「アシンメトリー」であることに、癒しや寛ぎ(くつろぎ)、安寧を感じるようになった。

それは、きっとそれまでの習慣や好みの反動であり、その振れ幅も大きかったように回顧する…

ただ、いまは50歳を機に、その中庸になりつつあることを自覚している。
そして、その辺りが自身にとって、居心地がよい…と判り始めた。

それはあたかも、何事も一方的な見方に限らず、多方向からも物事を見たり、バランスの取れていることが大切であることを、下界を俯瞰する富士山が教えてくれたようにも思う。

なるほど、一見シンメトリーと思い込んでいた富士山も、もっと距離を置いて遠くから眺めれば、静岡側や山梨側あるいは西方や東方から見て、その姿は副景となる海や湖、他の山々や裾野に広がる人々の暮らす里山や町によって、単一な左右対称にはなり得ない…

富士山の日にあたり、そんな教示をいただいた霊峰の方角に感謝の念を手向けた朝であった。

 

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