絵本の読み聞かせ
カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2018年4月10日 04:56
先日、某新聞の記事に目が留まった。
「絵本は、人生で3度読むという人がいますね。子どものとき、大人になって子どもに読むとき、老いて一人になったとき」
これは作家の落合恵子さんが話されたこと。
落合さんが母上の介護した体験を元に出版した小説、「泣きかたをわすれていた」の中で、かつての母娘が入れ替わったように、72歳になった娘が老いた母に絵本を読む場面があるという。
絵本と言えば、車掌長はあまり良い思い出がない…
子どもの頃に絵本を読んでもらった記憶はある。
しかしながら、それは寂しい場面でもあった。
車掌長の母親は看護師であり、3歳年下の妹がいる。
車掌長が保育園の頃、母は夜勤に出る前に二人に絵本を読んでくれた。
それは、出勤前に寝かしつけ、眠っている間に家を出るという、優しさだったと思う。
でも、母が夜勤に出ることを知っていた兄妹は、絵本の読み聞かせが始まると、緊張するのであった。もうすぐ母がいなくなる…と。
妹もなかなか寝付けず、次第に母の出勤時間も近づくと、身支度をしなければならない母は、読み聞かせを終え、泣きじゃくる妹にかまう暇(いとま)もなく、慌ただしく出て行った。
玄関ドアの鍵が、外側かかる音が家中に響くように聞こえ、その「音」は今でも車掌長の負の思い出として記憶されている。
ふたりだけになった幼児の兄妹は、家じゅうの電気とテレビを点け、子どもだけでいる寂しさを紛らわせ、車掌長はシクシクと泣く妹を慰めた。
もう45年ほど前のことだ…
ときに、現在の車掌長は、再び絵本読み聞かせする光景を微笑ましく見ている。
それは、専務車掌が車掌見習に、0歳の頃から毎晩欠かさずに読む絵本の物語…
車掌見習は、1冊目の途中で寝付くこともあれば、5、6冊読んでも「もう1冊」をおねだりすることもある。
しかしながら、車掌見習がそうした読み聞かせの心休まる、安心感に満たされて眠りにつけることに、専務車掌には心から感謝している。
この毎晩の安らぎの積み重ねは、きっと絆を深め、お金で買えない、何物にも代えがたい心の財産になると思う…
翻(ひるがえ)って、車掌長は絵本の読み聞かせはしてないが、時刻表の読み方は教え始めた。
車掌見習も、大好きな新幹線の時刻や、列車編成表、飛行機の発着は、自分で頁を探しながら「引ける」ようになってきた。
正午以降の時刻も、13時が1時、20時が夜の8時であることがわかり始めたようだ。
数字と駅名の羅列でしかない時刻表に興味を持ってくれたのも、絵本の読み聞かせを通じて、色々な場面や世界を「自分で」イメージする力が付いたからかもしれない…
なぜなら、車掌長は時刻表こそが、自身の想像力で如何様にも、旅の場面を思い描ける、「絵のない大人の絵本」だと思うから…
やがて、車掌長も専務車掌も年老いたとき、車掌見習がしてもらったように、我々も絵本を読んでもらったり、腰を曲げながら手を引いてもらい、出かけるような時がくるのかもしれない。
いまは手を引いて連れ歩く、その小さな手の感触をしっかり覚えておこうと思う…
自転車で東京から鹿児島へ
カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2017年12月23日 05:12
おつかれさまでした、そして、どうもありがとう…
普段、なかなか口に出して言うのは苦手だ。
今日は、この場を借りて専務車掌に心からお礼を綴りたい。
昨日、車掌見習が通っている某療育施設への通所回数が300回目を迎えた。
2歳を過ぎて間もなく通い始め、週2~3回を3年余り、当車掌区から施設まで、往復6㎞近くを専務車掌とふたりで自転車に乗り通っている。
大雨の日はバスに乗ったり、車掌長がたまたま休みだった時は、車で行ったことも何回かあった。
それらを差し引いても、その距離の積み重ねは、気が付けば相当な長さになっている。
往復6㎞×300回、バス等で通った日をマイナスしても、1600㎞くらいになるだろう。
その距離で車掌長がピンとくるのは、かつて日本最長距離を走っていた寝台特急「富士」だ。
東京から東海道、山陽、日豊本線を経由し西鹿児島(現鹿児島中央)までの1574.2㎞を、24時間以上かけて結んでいた。
電動アシスト付ではあるが、親子二人で自転車で東京から鹿児島まで行ったのとほぼ等しい。
言葉で綴るのは容易だが、その1回1回は平易な日ばかりではなかったはずだ。
猛暑の夏、風が痛いような寒さの冬、突然の雷雨、日暮の早い季節はライトを点け、パンクやスポークが折れるなど、色々な日々を通ってくれた苦労に想いを馳せる…
また、専務車掌自身の体調が芳しくない時もあった。
しかしながら、どんなときも、車掌見習が療育で過ごす1回1回の時間に、少しでも発達障害の症状が改善したり、ゆっくりではあるが、できなかったことが、できるようになる喜びを励みにしてきたことだろう。
そして、頭が下がるのは、その1回1回の内容をノートに記録し、訓練した内容や所感、先生からのアドバイス等を綴っていることだ。そのノートもいまや何冊目になったのだろうか…
それは、間違いなく当車掌区の「宝物」だ。
いつの日か読み返したときに、さまざまな成長の足跡や、苦労、喜びが思い起こされるだろう。
発語や話し方、所作や動作、生活習慣の1つ1つ…
ふつうの子であれば、その成長過程でいつの間にかできて、あっという間に過ぎ去ってしまうことを、車掌見習は鈍行列車のように、ゆっくりゆっくり、できたり、できなかったりを繰り返しながら、「成長」という旅を進めている。
それは、ふと気づくと、鈍行旅での風景同様に、「成長」という列車の車窓をのんびり、たっぷり楽しんでいるとも言える。
これからも、先を急がず、結果や成果を求めることだけに焦らず、日々の車掌見習と向き合いながら、忙しく過ごしている「いま」が、実は幸せな時間なのかもしれない。
もちろん、これから小学校就学やその先のことも考えると、その時点時点で最良の選択をしてあげたいと願う。
だが、大切なことは、本人にとって生きやすかったり、自己肯定力を高めたり、ひいては自分の力で生きてゆける道筋を見通してあげることだろう。
決して親の心配や不安の源泉が、世間や外部一般から見てどうこうというものに、左右されてはいけないし、支配を受けてはいけないことだろう。
興味があることも偏っているが、それも続けたり深めれば、「専門家」になった人も存在する。
制止や抑制ではなく、ノビノビと好きなことを存分にやればいいと思う。
療育通いが300回になったことを記念に、色々書いてしまったが、ふといま気付くと、毎日通っている幼稚園の送り迎えも含めると、東京から鹿児島どころの距離ではないなと思った。
距離計算を始めると、また長くなるのでやめておくことにしよう。
末筆ながら、あらためて専務車掌にお礼を伝えたい。
本当に、どうもありがとう
最新版広辞苑を予約
カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2017年11月 3日 05:37
今朝の新聞で、広辞苑第七版の予約開始を謳う広告が目に入った。
最近、多くの新聞で来年1月に岩波書店が出版する広辞苑が、10年ぶりに改訂されることを伝えていたのは記憶していたが、今日がその予約開始日だと知った。
車掌長は時刻表はもちろんだが、辞書も大好きだ。
辞書との出逢いは、小学4、5年生くらいの時に授業で辞書の使い方を習ったとき、たまたま図書館にいた上級生の図書係の子からも、辞書の引き方を実演で教わったことだった。
そして、その子が「じゃ、○○という言葉の意味を調べたかったら、こうして…」と、無作為の如く辞書を二つに開いたと思ったら、ズバリ、その調べたい言葉が載っている頁を指さした。
その動作に感動しカッコイイと思ったことが、辞書との出逢いであった。
そして、時をおいて車掌長自身が辞書と深く関わるようになったのは中学2年の時。
父が勤める会社の創業35周年記念に、会社から全社員へ「広辞林」を贈呈品として配ったものを父がそのまま車掌長に譲ってくれた。
父の真意は未だ不明だが、時刻表ばかり見てないでこういうものも見ろ、と言いたかったのであろう…
車掌長は、それまで家にあった小さな国語辞典よりも、大きく、分厚く、重い辞書に、大いなる興味を抱き、思い付いた語句を引いては納得し、疑問を持った言葉もなるべく早く調べる癖が付くようになった。
その広辞林は、高校進学時も使い続け、大学生になっても進学先の愛知県に引っ越す際、梱包物にしのばせておいた。
そして、時刻表同様に、暇な時はランダムに色々な言葉を調べ時間を潰すことが多かった。
そんな辞書との出逢いや付き合い方をしてきたが、最近は「辞書を引く」ということから、いささか離れていたように思う…
今回、広辞苑改訂の報に触れ、かつ、ちょうど50歳を迎える節目の年に出版されることも重なり、手に入れたいなぁ…と言う想いが、湧くのを感じた。
よし、高価な買い物だが、価値ある想い出にしよう、と予約することを決めた。
言葉の海に溺れ、言葉の森を彷徨(さまよ)い、道なき広い平原に己の針路を見定める道具になり得るよう、人生後半の「佳き友」として付き合ってゆきたい。
これは車掌長自身の経験則だが、結局、人間の思考や言動の発端は、「言葉」によって脳がそれらを司っているように感じてしまう。
人と同じことをやるにしても、そこに至るアプローチの方法や工夫、面白さは、語彙の差が行動や結果に如実に現れる。
また、「感情」という厄介なものも、言葉の力で制御、自制できるようになったと、この歳になって気付くようになった。
"ことばは、自由だ。"
上述の目にした広告にあったフレーズだが、スマホ全盛の時代、大体のことは掌(てのひら)で済んでしまう便利過ぎる世の中…
ややもすれば、スマホという薄っぺらい物体に、自分自身の時間や行動というものを、無意識のうちに束縛、支配、順応させられている懸念もある。
もちろん、IT社会の今日、それ抜きでは仕事が成り立たない御方が大勢いることも承知している。
ただ、一見不便そうで、面倒くさそうで、武骨な…そんな世相に抗(あらが)うような、アナログ的な楽しみや悦びが、意外にも、自身が主体となって、自身の人生や生活を自由にプランできる時間的な或いは精神的な「のりしろ」として、有用なのかもしれない…と思うのである。
日本は島国
カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2017年11月 2日 05:20
昨日、休暇を取った。
理由は、5年に一度、小型船舶操縦士免状の更新手続きをするためだ。
国から免状更新講習代行を認可された、麹町にある某事務所で簡単な身体検査や講習を受けた。
この免状は、25年前に広島県尾道市で取得した。
動機は、旅行会社勤務時代に公私ともにお世話になった先輩友人と、「ボートで日本を一週しよう!」という軽いノリだった。
船舶免状は船の総トン数によって区分され、車掌長が所有する「小型2級」の場合、岸から5海里(約9㎞)以内の海面において航行が可能だ。
つまり、この5海里以内であれば、日本は島国だからグルっと一周が可能となる。
そんな夢を抱きながら取得した船舶免状だが、実際には免状取得の実技試験で操船したのが最後で、取得以降は自動車で言うペーパードライバー状態であった。
理由は、当時ボートを所有したり係留等の維持費が言うまでもなく高価であり、またレンタルするにしても手続きが煩雑であったり、高額であった。
しかしながら、昨日受講した事務所にあったレンタルボートの宣伝パンフレットを見ると、小型であればレンタカーと同程度で借りられることを知った。
もちろん、いきなりは無謀だが、再度操船講習等を受講し、海洋リゾート地などで数時間レンタルしたりして操船経験を積み、ちょっとずつ航行距離を延ばすのもいいなぁ…などと、50歳を節目に新たなことにチャレンジしてみたくもなった。
とくに最近は、要所要所のマリーナに、「海の駅」というものが整備されているそうだ。
この海の駅を海に沿って伝っていくのもオツだ。
まぁ、まだまだ妄想の範囲なので、日頃色々なご心配をかけている専務車掌には、安心していただきたいことを、念のため申し上げておこう。
卵かけご飯の日
カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2017年10月30日 05:19
今日は「卵かけご飯の日」だそうだ。
島根県雲南市が制定した記念日で、2005年10月30日、たまごかけごはん専用醤油「おたまはん」のふるさとである同市でシンポジウムを開催したことに因むという。
雲南市というと、車掌長は中国の雲南省を連想してしまう。
やはり時刻表好きな者としては、三段式スイッチバックのあるJR木次線(きすきせん)沿線の旧町名、木次町や大東町と言われた方が、ピンとくる。
それはさておき、車掌長も卵かけご飯は好物。
とくに、学生時代は学生食堂で大変お世話になった。
大学が夜間だったため、昼間は17時まで働き、夜間1限目は18時15分からの講義であった。
仕事を終え車で10分の下宿に戻って着替え、更に車で20分ほどかけ大学へ。
すると、大学に着くのは18時近くになった。
そこで、今でいう「ファーストフード」のごとく、白飯(大)・味噌汁・生卵の3品を素早くトレ―に載せ、レジで180円を払った。
当時はまだ消費税がなかったので、200円以内、5分以内で食べられるこのメニューは、車掌長の夕飯の定番であった。
現在も、卵かけご飯は急に食べたくなる時があり、休日の家での昼食時は専務車掌や車掌見習が別のものを食べているのに、わざわざ「卵かけご飯」を独り食べることがある。
上述の卵かけご飯専用醤油のような、そんな洒落たものは我が家にないが、ちょっと醤油を多めに垂らしてアツアツご飯と食べるのが至福だったりする。
そんな記念日があったのか…と懐かしくなり、珍しく乗務してみた。
今日は台風一過で好天のようだ。
仕事先のどこかで卵かけご飯を食べてみようかと思う。