回転展望台(哲×鉄車掌区慰安旅行②)

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2016年9月12日 04:47

慰安旅行2日目、目覚めると快晴の青空。

昨日までの土砂降りの雨が、嘘のような天候に目を疑った。
心は弾み、まだ寝ている専務車掌と車掌見習を部屋に残し、独り露天風呂へと向かう。

風がヒンヤリして、熱めの男鹿温泉の湯がとても心地良かった。
台風に伴う前線は抜け去り、台風一過で空気がガラッと入れ替わったようだ。

朝食後、8:30出発。一路入道崎を目指した。

入道崎を訪れるのは2回目。
日本海に突き出た白黒の縞模様の灯台が印象的。

荒々しい断崖の上に、不釣合いに穏やかな草原が広がる。
青空と蒼い海、緑の草原、白黒模様の灯台が、なんともファンタジーな光景…
そして、そこを車掌見習が嬉しそうに小走りする様子は、ポエム的でもあった。

草地の上には北緯40度を示すモニュメントもあった。
緯度1度の距離は、おおよそ111㎞とわかりやすい数字。

ちなみに東京は約35度であるから、その距離感は大体把握できる。

満足するまで滞在し車に戻ると、およそ1時間以上遊んだことになる。
広大な駐車場には観光バスが到着し始めたが、大体30分ほどでここを立ち去るようだ。

次の行程をこなすためには仕方ないのだろうが、一通り写真を撮って、土産屋を覗き、トイレを済ませるだけの所業は、なぜか、「そこに行きました」というアリバイだけを残す、非常に勿体無い旅だと思ってしまう…

各観光箇所で、このようなパターンを繰り返すと、どこも均一的な想い出に陥ってしまうだろう。
その点、観光バスに依存しない欧米系の外国人観光客は「自由」だ。
やはり、心と時間(休暇)に余裕があるのだと察する…

車を走らせ、男鹿半島西海岸を南下。
断崖上を道がうねるように続き、蒼い海を右手に見ながら走る。

こんな道はオートバイであれば、もっと爽快な気分であろう。
伊豆西海岸にも似た風景だが、俗化していない素朴な美しさに心が洗われる想いがした。
きっと、水平線に沈む夕陽も見事であろう…

男鹿市内に入り、昨日に引き続き「昭和レトロ自販機」を訪問。
男鹿水産という海産物の加工販売店の軒先に、お目当ての1台は佇んでいた。

昨日の雲沢ドライブインと同じ機種だったが、メニューは「天ぷらうどん」と「天ぷらそば」。
うどんをチョイスし、25秒のカウントダウン表示に見入った。

受取口から出された容器は、湯が溢れるほど注がれていた。
機械の調子が悪いのかもしれないが、老体の機械に敬意を払いつつ汁をすすった。

次は寒風山へ向かった。"かんぷうざん"と読む。
子どもの頃から時刻表の地図を見て気になっていた地名だ。

なんとも寒そうな山の名前だが、日本有数の芝生で覆われた山であり、この日目にした山容はとても女性的な曲線が印象的だった。

山頂には回転展望台があり、1周13分ほどで、360度の大パノラマを座りながら満喫した。
回転展望台や回転展望レストランも、昭和の時代には結構存在していたと思うが、今や貴重な名所だと思う。

ちなみに、車掌長が大好きな回転展望レストランは、有楽町にある東京交通会館15階の"銀座スカイラウンジ"。
飲食単価も高く、なかなか訪れることはできないが、眼下を行き交う新幹線や、「東京」を実感できるパノラマが何よりのご馳走だと思う。

この日は、回転こそしないが、展望台下にあるレストランで、秋田市街を遠望しつつランチとした。

男鹿半島をのんびり観光した後は、今日の宿泊地である「あいのり温泉」を目指した。
 

雲沢ドライブイン(哲×鉄車掌区慰安旅行①)

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2016年9月 9日 05:11

今夏の哲×鉄車掌区慰安旅行の行先は、秋田!

昨夏は高知だった。
理由は、車掌見習が夢中だった「アンパンマン」に因んだため。

アンパンマン列車乗車や、アンパンマンミュージアム訪問を旅程の軸とし、車掌長の目的である温泉や観光は後付け的に散りばめた。

今年の行先を考えるにあたり、「いま何が夢中なのか?」を、6月頃専務車掌と話し合った。
行き着いたモノは、ブルートレイン「あけぼの」であった。

BS12chで放映中の「記憶に残る列車シリーズ」が、車掌見習のお気に入り番組。
トワイライトエクスプレスや北斗星、カシオペアなど、今は走っていない列車が走る風景や車両形式を淡々と紹介する内容。

この手の番組は、車掌長が夢中になってしまうものだが、専務車掌がたまたま録画したものを車掌見習に見せたところ「ド・ハマリ」で、その後、車掌見習が繰り返し見ていて車掌長もその番組を知った由。

アンパンマンは昨年で早々に卒業!?し、他のアニメや戦隊ものは興味がない様子…
昨年、興味が最高潮のときに、高知に行っておいた良かったと実感した。

前述の番組で、車掌見習は「あけぼの」が特に好きだった。
ならば…「あけぼの」を見せたり、乗せてあげたいと思うのが親心。

だが、「あけぼの」は既に廃止されて久しく、どこかで保存されていないか…と探した。
すると、秋田県の小坂町に、保存どころか宿泊できる「あけぼの」の存在を知った。

「即予約を!」と、ネット上の空室状況を見たら、既に8月最後の日曜しかなかった。
A寝台個室を1室確保でき、この時点で今夏の行先と日程が定まった。

8/26~29の3泊4日で、まずは空路ANA便で大館能代空港に降り立った。

今回の旅行は、週間予報が出た時点で台風の影響で芳しくなく、初日は大雨。
しかしながら、今日の旅程は雨でもさほど影響のない内容で、一路角館駅へ向かった。

お昼過ぎに角館駅到着。
駅隣接のホテルで、稲庭うどんをすすった。

食後、先ずは車掌見習を喜ばすために、秋田新幹線「こまち」乗車を企んでいた。
角館から大曲までを往復するだけのことだが、初体験としては充分。

今まで本やビデオ、東京駅等で見るだけだったが、片道10分ほどの乗車でも、「乗る」体験は大満足だったようだ。
大曲駅は、明日の花火大会に訪れた人々で早くも賑わっていた。

再び角館駅に戻り、車で今日の宿泊地である男鹿半島へ向かった。
その途中、今度は車掌長のお目当てスポットを仕込んでおいた。

今春、NHKのニュースでも話題になった、秋田港にある昭和レトロの「うどん自販機」はご存知の方も多いだろうが、調べたら秋田には他にも貴重な昭和の自販機が棲息していることがわかった。

その存在を知ることができたのは、有名な"味わいの昭和レトロ自販機コーナー「懐かし自販機」"さんのサイトであった。

盛岡から秋田を結ぶ国道46号。その仙北市内でいまやバイパス開通で交通量も減った道沿いに現れる「雲沢ドライブイン」に、名機は佇んでいた。

コンビニやファミレス繁栄の陰で、ドライブインという名前自体が、記憶の奥から萌芽のように"トキメキ"を感じさせてくれた。

高速道路が今ほど発達していなかった頃、日本中の国道にドライブインは存在し、トラック運転手たちに愛されてきたのだろう。

それを裏付けるように、この雲沢ドライブインの駐車場も広々として、24時間営業の大きな看板が往時の栄華を偲ぶに十分な風格を醸していた。

店内に入ると、10台以上の自販機が整然と並び、その真ん中ほどに、お目当ての自販機は鎮座していた。
チョイスは「天ぷらうどん」か「ラーメン」だが、迷わず後者のボタンを押す、250円也。

すると25秒のカウントダウンが表示され、これがまた懐かしく味わい深いひとときであった。

定刻に取出口から差し出されたラーメンは、まさしく子どもの頃に食べた記憶そのまま。盛り付けという言葉が当てはまらない無造作に混入されたメンマと葱、ナルト、薄っぺらいハムが、「昭和の自由」な愉悦を感じさせてくれた。

これぞ、車掌長が存分に吸って育った「自由」な昭和の空気そのもので、アッパレ、感服!

今日の見た目や人目ばかりを気にし過ぎてみな平均的、面白味の薄く、息苦しい、個性を失った社会を一蹴するような清涼感に包まれたひとときであった。

ドライブインの外は土砂降りの雨だったが、世代を超え、車掌見習とすすったラーメンの味は、佳き想い出となった。

食後、ふと店の奥に目をやると、更に薄暗いコーナーがあった。
怪しげな雰囲気に誘われ奥地へ踏み入ると、昭和のテーブルゲームが並び、現役で稼働していた。

思わず着席し、インベーダーやギャラクシアンに興じてしまった。
各1ゲームずつ行い、まだまだ遊び続けたい未練を残しつつも、なんとも言い知れぬ、「昭和」への郷愁を味わい、素敵なドライブインを後にした。

今日の宿泊地、男鹿温泉郷には夕方早目に到着。
時間旅行を堪能した慰安旅行一日目であった。

 

「エターナリー」と「翼をください」

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2016年9月 5日 20:50

今日は仕事で車に乗る時間が多かった。

車掌長は仕事で独りで車に乗る時は、カーラジオを聴き流す。
1つ目の番組で、ふと昔聞き慣れた曲が偶然かかっていた。

チャップリンの映画「ライムライト」の主題歌として流れる、”エターナリー”(テリーのテーマ)だった。

この曲は車掌長の出身中学校で、16時になると校内中を静かに流れた。
そして、曲の半ばで放送委員が下校を促す定型文を読む、ルーティーンであった。

3年間聞き慣れた耳は、ふと、今日の車中で流れたメロディーに、意表を突かれた。
今思い返せば、下校の合図として、なかなか粋な曲を流していたのだなぁ…と思う。

午後、用事を済ませ再び車中の人となり、ラジオのスイッチを入れた。
すると、今度は「翼をください」を耳にした。

番組の趣旨は、ヒットしたB面の曲というものであった。

「翼をください」は、フォークグループの"赤い鳥"が「竹田の子守唄」のB面曲として発表した作品とのことであった。

車掌長世代だと、中学時代の合唱コンクールで、必ずどこからのクラスが唄っていたのではなかろうか。
また、「気球に乗ってどこまでも」や「大地讃頌」なども、人気のある曲だった。

下校の音楽や、合掌コンクールで唄った曲を、偶然にも続けて耳にし、中学時代への時間旅行を楽しんでしまった。

35年以上も前のことなのに、"記憶"というものは一瞬にして、「今」とを結びつける不思議な力がある。

確かに、自分自身が一日一日と歩んできた道だ…

その一日一日を全て、克明に覚えてなどいない。
だが、それら時間の積み重ねの生成物が、今の自分であることは、紛れもない事実。

いみじくも、森山良子さんが「エターナリー」の曲で、こう歌唱する。

♪こんなにも あなたを
愛せるのは きっと
人から人へ 伝えられる
命をもらった からでしょう

この想いは、無意識に車掌見習へ向けられる…

彼も今月、4歳の節目を迎える。

まだまだ、見るのも、聞くのも、触れることも
初めてのものが多く、ビックリして泣くことも多いけれど
そんな一瞬、一瞬の君への記憶を
車掌長も専務車掌も、大切にしてゆこうと思う。

まだ、まだ、発語がおぼつかなくても
自分の気持ちや考え、想いを、拙(つたな)くても、自信を持って伝えてみよう。
きっと、それを理解してくれたり、受け止めてくれる人がいるはずだ。

大切なことは、君が負い目を感じたり、卑屈になったり、ネガティブにならないこと。

いつの日か、君に人生のライムライトが当たる時
そんな幼かった頃の日々や出来事を
きっと、懐かしく舞台の袖で見る、年老いた自分達がいるのだろう…
 

高原の湯で避暑

カテゴリー:⑥番線:温泉方面 2016年8月10日 05:06

先週末、水上高原へ行った。

姪っ子の5歳の誕生日祝いの旅行で、最年長は80歳になる妹の義父から、最年少は3歳の車掌見習まで、総勢11名の珍道中であった。

往路は2階建新幹線で高崎まで行き、高崎から水上はSLみなかみ号に乗車。
どちらも、車掌見習は大はしゃぎであった。

SLみなかみ号も久々に乗ったが、夏休みの土曜とあって大盛況。
走行中の汽笛がよく聞こえるようにと思い、機関車すぐ後ろの指定席車両を予約したが、その客車が電源車であったこともあり、発電機の音が意外に大きかったのは誤算であった。

それでも、ゆっくりした速度で車窓を楽しみ、客車が前後に揺れる独特な乗り心地を味わえたのは良かった。
車掌見習も姪っ子姉妹に遊んでもらい、ゲラゲラ笑っていた。

思えば、車掌長が子どもの頃の列車の旅は、そんな子ども達の声がそこらじゅうで聞こえ、周りの乗客も世の中も気にしない佳き寛大な時代だった。
そして、それが夏休みの列車の旅の風物詩的な光景でもあった。

最近は、声を潜め他人の目を気にしながら、子どもが子供らしからぬ「見た目のいい子」を強要されているようで、子どもにとっての列車の旅は「我慢の旅」のように思え、いささか気の毒に思う…

なので、ついついSL車内で響く子どもの声の混ざり合いを耳にすると、何かホッとする懐かしさを感じてしまった。

水上到着後、レンタカーで水上高原の某ホテルへ。
次第に標高を上げながら進むと、東京よりも冷涼な空気が待っていてくれた。

プレチェックインを済ませ、部屋に入るまでの間、義父母はゴルフのドライビングレンジ(打ちっぱなし)へ行き、我々車掌区と妹家族は、庭の木々に設置されたハンモックに揺られたり、子ども同士はボール遊びなどに興じていた。

部屋に入ってからは、夕食までの間、各家族単位でアクティビティを楽しんでもらった。
「夕涼みドライブ」という、空いたゴルフカートを借りて、広いゴルフコースを決められた道に沿って運転するメニューもあり、これはとても清々しいものであった。

夕食は混み合うバイキング会場とは、廊下を隔てた専用宴会場を借りて、姪っ子の誕生日祝いを行った。
当の本人は照れ屋さんで、みんなに注目されるのをイヤイヤしていたが、これはこれで良き想い出になったであろう。

翌朝、5時半から開放される露天風呂に入った。
気温は20℃。熱帯夜の東京を思えば楽園のような涼しさだ。

少し熱めに思えた湯も、入れば快適な湯温で、白樺林を眼前に森の空気を吸いながらの湯浴みは最高のひとときであった。

6:45からは車掌見習も姪っ子に誘われて、初のラジオ体操を体験。
ぎこちない動きをしていたが、楽しそうに周りの子の動きをマネしていた。

10時半の出発までは、再び各家族でアクティビティを楽しみ、いざ高原の地を出発。
その涼しさに後ろ髪を引かれる想いを残したまま、下界に降りた。

夏は海も良いが、暑がりの車掌長にとっては、水上高原のような冷涼な避暑地に軍配が上がる。
2日間の短い避暑地の想い出を、それぞれの胸に刻み、暑い日々を乗り切ろうと思う。

と、思った矢先、今日も37℃くらいまで上がる予報を目にし、大きな溜息をついた。

初代パノラマカー&スガキヤラーメン

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2016年7月25日 21:31

先週、車掌見習の通う幼稚園が夏休みに入った。

あっという間の1学期であったが、車掌見習の心身の成長ぶりも目を見張るものがあった。
夏休み早々、専務車掌の実家へ帰省を計画。一路中京方面へ向かった。

行楽渋滞を回避するため5時半に家を出たが、順調に走り富士川SAには7時過ぎに到着。
この調子で行くと、予定よりもだいぶ早く実家に着いてしまうので、寄り道を考えた。

パッと思い付いたのが、中京競馬場。
競馬をやりたいわけではない。ここには、名鉄初代パノラマカーが鎮座しておられるのだ。

1つ手前の「前後駅」で車をパーキングに入れ、名鉄電車で中京競馬場前駅へ。
「前」となっているが、競馬場までだいぶ歩いたが、まだこの頃は車掌見習の足取りも軽かった。

入場料200円を払い西門から入ると、お目当てのパノラマカーは東門近くとのこと…
広い場内を反対側へ…結構歩いた。

やっと到着すると、パノラマカーは屋根付きのプラットホームを模したデッキテラスに3両編成の車体を横たえ、子ども達や競馬新聞を広げレース観戦する大人に囲まれていた。

車掌長にとっては、学生時代に大変お世話になった車両だ。
展望席に座りたいがために、先頭車両一番前の乗車目標をよく陣取った。

「そうそう!この感じ!」と、心の中でブツブツ言いながら、再会を喜んだ。
この展示車両が素晴らしいのは、車内に入って休憩ができるだけでなく、憧れの運転席にも座れてしまうことだ。

運転台に上がると、意外に頭上空間が狭く、屈んで移動したり着席する変な姿勢を強いられた。
また、レース開催時でなければ、ミュージックホーンも鳴らせるらしいが、車掌長が行った時は、レース真っ最中で聴くことができず残念であった。

有意義な時間を過ごし競馬場を後にしたが、駅への道は車掌見習を肩車しての帰路となった。

専務車掌と車掌見習は、しばらく実家で滞在するので、車掌長は独りで帰京。
その際、前前々職の同僚だった御方と、久々に名古屋市内で再会した。

会う前に手土産を買おうと、ピアゴ某店に入ったら、フードコートに「スガキヤ」を発見。
これまた学生時代によくお世話になった店であり、味であった。

シンプルにラーメンを注文。
スガキヤおなじみの「フォークスプーン」で、麺とスープをすすりこんだ。

懐かしい味は経過した時間で美化され、当時はさほど意識しなかったが、とっても美味しく感じてしまった。

同僚宅で再会を喜びお茶をしながら、あっという間に2時間が過ぎた。
このまま東京へ帰っても、きっと御殿場以東で大渋滞が待っていると思い、もう1つ寄り道。

そこは、哲×鉄保線区。
突然の訪問もに関わらず、御多忙の中、一緒にお茶をしていただき、楽しく過ごさせていただいた。

初代パノラマカーとスガキヤラーメンとの再会は、6、7月と多忙だった車掌長の清涼剤になった。
今度はぜひ、ミュージックホーンを鳴らしに再訪しようと思う。


 

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