君の歩みは遅くとも

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2016年3月15日 05:31

ひと月ほど前、かつてないほど眼が出血した。

部位は左眼球の鼻寄りの白目で、黒目との境も判別できないほど、赤黒くなった。
この時期、車掌長と会った人は、面識の有無を問わず驚かれたことだろう。

原因は、車掌見習と遊んでいた際、小さな人差し指が、不意に車掌長の眼を突き刺した。
防御もできない咄嗟(とっさ)の出来事だったが、目に指が入った激痛は経験が無いほどだった。

最初は痛みがあったが、徐々に痛みが和らぐと、次第に上述の部位に出血を確認できた。
鏡で見ると、白目のない眼というのは、なんとも不気味だった。

身内の者は、すぐに眼科へ行くことを促したが、車掌長は時間が経てば治まると分かっていた。
これほどの出血は初めてだったが、コンタクトレンズを30年以上装着しているので、眼の多少の充血や出血には独自の心得があった。

ときに、子や孫は「目に入れても痛くない」という。
心情的な可愛らしさで例えれば、その比喩は間違いない。

しかしながら、指1本入っただけで、こんなにも痛いとは露ほどにも思わなかった。

それはさておき、発語が遅れている車掌見習だが、最近は母音が出せるようになった。
「あ」、「い」、「う」、「え」、「お」、と…

君の声を耳にできたときの喜びは、例えようのない嬉しさであった。

子音はまだまだ壁が高いようだが、母音の組み合わせで「あ・お」と、青いクレヨンを持って拙(つたな)い言葉を発したときは、涙が出る感慨を味わった。

随分前にも乗務日誌で綴ったが、発語の遅れを心配し、発達外来や民間の療育施設に通い始めてから1年以上になる。

先日、専務車掌が療育施設に通った記録を毎回残していて、その数が百回を越えたことを教えてくれた。

この1年の間、晴れや暖かな日ばかりではなく、雨や雪、寒い日もあったことを思うと、感謝の念でいっぱいだ。

車掌見習の成長の歩みは、きわめて、きわめて、ゆっくりだ。

きっと、他の子が新幹線のように、あっという間に「できる」ことを、鈍行列車に乗ったように、同い年の子と引き離され、年下の子に追い越されたりしている。

それでも、或る日、その小さな口から思いがけず発した「音」や、車掌見習が笑うと、「その先」を信じてみたくなる…
無条件に諸手を差し伸べてしまう…

どんなに時間がかかっても、その列車に乗っている限り、必ず目的地へ着くことができる。

鈍行列車の旅のように、新幹線や特急に乗っては一瞬で過ぎ去る「成長という名の景色」を、ゆっくりと共に楽しみながら、車掌見習の旅に寄り添おうと思う。

間もなく、入園の春がやってくる。
 

祝・ANA国際線就航30周年

カテゴリー:②番線:航空、船舶、バス方面 2016年3月 3日 05:50

1986年3月3日、ANAが初の国際線を東京~グアムに就航させた。

ANAは、車掌長が最も好きな航空会社。
子どもの頃、最初に買ってもらったモデルプレーンが全日空だった。

機種はボーイング737だったと思うが、ちょっとずんぐりした機体の垂直尾翼に、ダビンチのヘリコプターが描かれていたのが好きだった。

また、初めて飛行機に乗ったのは高校2年生の修学旅行で、その搭乗機が全日空。
以降、北海道や沖縄へ初めて飛行機で行った時も、偶然だが全日空だった。

そんな初めて尽くしの想い出が重なったのも、好きになった理由かもしれない…

現在2代目の塗装となる「トリトンブルー」は、車掌長が数ある色彩で最も好きな綺麗な青。
このロゴカラーの濃い青色は、大空を羽ばたく機体で世界一美しいと思う。

昔よりも飛行機が日常的な移動手段になったとはいえ、子どもにとっては、いつの時代も「特別な乗り物」であることに変わりなない。

とくに、のりものに興味を持ち始めたり大好きな幼少期の子どもにとって、「ひこうき」は神がかった魔法的な存在だ。

今後も、子どもをはじめ多くの人々の自由な空を、夢も乗せて羽ばたく翼であってもらいたい。

清澄な日本の空へ

国境や隔たりのない世界の空へ

宇宙へもつながる未来の空へ…

 

コメント(2件)

希望者挙手さんからのコメント(2016年3月 4日 01:51投稿)

寝台列車にお邪魔します(笑

私もANA派でして、仕事で使用しているPCの待ち受け画面は、ANAの壁紙カレンダーを利用しています。

飛行機、日本の風景、世界の風景から毎月お気に入りのカレンダーに切り替えるのを楽しみの一つにしています。

既にご存知かも知れませんが、URLをお知らせしますね。

http://www.ana.co.jp/share/wallpaper/calendar.html

3年前だったか、仕事で出張の帰りに羽田空港で降機場からターミナルビルへバスで移動した際に、モヒカンルックのすぐ横を通過したことがあります。

モヒカン好きの私としては、近距離で見ることができた喜びとは裏腹に、近過ぎてモヒカンらしさを堪能することはできませんでした(笑

運行開始40周年を記念して2009年に復刻したそうですが、そんなモヒカンも、ちょうど2年前に通常塗装に戻されてしまい残念です。


車掌長さんからのコメント(2016年3月 4日 04:57投稿)

希望者挙手 様

毎度ご乗車ありがとうございます。

寝台列車へのご乗車、大歓迎です。
しかしながら、もうすぐ日本の世の中からは、一般人が駅の窓口で切符を買って乗れる「寝台列車」が、ほぼ無くなるのは寂しいことです。

モヒカンという言葉自体が、普段の生活でその頭髪姿を街で見かけることも少なくなりました。既に死語になりつつある感も否めませんが、仰る通りANAの「モヒカンルック」が復活された時は嬉しかったです。

確かに、ある程度距離を置いたり、やや上方からそのルックスを眺めないと、モヒカンらしさが実感できないですよネ。

話は変わりますが、今でこそスペシャルカラーの「塗装機」は珍しくありませんが、その魁であった「マリンジャンボ」も大好きでした。

機体にユーモアたっぷりと、クジラをマーキングしたジェンボジェット機が大空を泳ぐ姿を見て、小学1年の国語の教科書で習った「くじらぐも」の話を思い出したものです。

その「くじらぐも」は、中川李枝子さんが作者の話です。
中川李枝子さんと言えば、「ぐりとぐら」という絵本が今でも読み継がれ、ご存知の方も多いと思います。

専務車掌もこの御方が好きですが、昨年、中川さんの講演に行った際、専務車掌が現役時代の仕事で使い大切にしていた「ぐりとぐら」に、直筆サインを頂いて喜んでおりました。

偶然ですが、この春車掌見習が入園する幼稚園の園歌も、中川李枝子さんが作詞したそうで、どのような歌なのか、今から聴くのを楽しみにしているところです。

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ライオンバス

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2016年2月22日 05:36

昨日、当車掌区で多摩動物公園を訪れた。

目的はライオンバス乗車。
随分前に、今春3月にバス発着場の耐震化工事の為、当面の間運行を休止することを知っていた。

当園のライオンバスは、世界初のサファリ形式で観覧できる画期的な試みであった。
運行開始は1964年5月であるから、東海道新幹線開業と同年、50年以上前のことだ。

昨日、車掌長が思い立って訪れたのは、小学校低学年の頃、父が妹も一緒に連れてここに遊びに来た想い出があったから…

そして、その時撮った数少ない写真の中に、ライオンバスの発着場であるアラビア風の建物が一緒に映り、子どもの目から見た不思議な形が、その後いつまでも脳裏に焼き付けられていた。

あれから40年以上…
いざ、48歳になったばかりの眼で発着場を見ると、写真の記憶そのままの形であり、感慨深かった。
そして、その時撮ったアングルと同じ場所で、専務車掌と車掌見習を記念撮影。

運行休止までまだ1ヶ月ほどあるからか、混雑はしておらず10分足らずの待ち時間で乗車できた。
発着場のバス出入口は、重々しい鉄の柵扉で開閉し、ちょっとスリリング。

子どもの頃はもっと広い敷地に思えたが、こうして見ると意外に狭い囲いの中をグルグルと回っていたのだなぁと認識を改めた。

しかしながら、猛獣をガラス1枚の窓ごしに観覧できる迫力は変わらなかった。
窓の高さに合わせた高台の餌場では、骨付きの肉片を頬張るライオンを間近に観察できた。
車掌見習は怖がって、専務車掌に抱きついて離れなかった。

多摩動物公園は、広大な敷地に様々なテーマで動物を観察できるが、今日は車掌見習に別の約束もしていたので、今日はライオンバス乗車のみで退園した。

別の約束とは、京王線の多摩動物公園駅に隣接した「京王レールランド」に行くこと。
館内や敷地には、京王線で活躍した往年の名車両や、小型路線バスの実物、大きな鉄道模型のジオラマがあり、車掌見習の眼はライオンバス乗車時よりも輝いていた。

敷地外周を一周する9000系のミニ電車は、各地のミニSLのように乗車できる車両を牽引しており、車掌見習と乗ってみた。
早歩きほどのスピードなので、専務車掌が並走し写真を撮ってくれた。

降車後、車掌見習が先頭車両の9000系に顔をくっつけて車内を見ていたら、「ボクはずいぶん熱心だね!」と年配のジャムおじさんのようなスタッフに誉められた。

動物園でもレールランドでも、相当歩いて帰宅後すぐに寝るだろう…とタカをくくっていたが、寝る前にもう一運動と欲張ったのがマズかった。

最近上手になったストライダーに乗せたら、どこまでも跨って走り続け、今春登園する幼稚園の半分近くまで来てしまった。
その距離はざっと、1.5㎞弱。距離よりも道順を覚えていることに驚いてしまった。

車掌長は後や横に並走し、車や自転車に気を付けてくっついていたが、どこまで行くのかなぁ…と思っていたら、幼稚園に向かう道であった。

何度か専務車掌が運転する自転車の後ろに乗って幼稚園に行っているので、道順を覚えてしまったのだろう。

それはともかく、今日のオチは、帰りは車掌見習を抱っこで家に戻ったこと。それもストライダー付で…
これはかなりの重労働であった。

 

 

48という数字

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2016年2月19日 04:56

48(四十八)という数字で連想するもの…

「赤目四十八滝」
「無くて七癖有って四十八癖」
「相撲四十八手」
「いろはにほへと四十八音」
etc

なにかと、数が多そうなイメージを抱かせるものが多い。

また、約数の多い数字とも言える。
1、2、3、4、6、8、12、24、48、と多く、扱いやすい数字や親和性の高い数字という印象。

ちょうど1年前、この乗務日誌で「47という数字」を取り上げた。
「47」は素数であり、正の約数が1とそれ自身の数しかなく、どこか唯我独尊的で好きだった。

唯我独尊というと、「傍若無人」や「ジコチュウ」などと、自分ほど偉いものはいないという意味合いが濃く、日本人的感覚では、村八分の対象になりそうだ。

しかしながら、ルールや法律を勝手に解釈し、それこそ傍若無人に振る舞うのは良くないが、個人の思考レベルで色々な解釈ができるのは、言葉の魅力の1つだ。

唯我独尊という言葉も、車掌長はこのように捉えて励みにしている。
「誰か」や「何か」と比較して自分の位置を座標上で確認するのはなく、自分という存在自体が、「無比」であることに「尊さ」があるのだと…

人はとかく、学歴や能力、就業状態、経済力などを自分のモノサシで測りたがってしまう。
これに、自分が生きてゆく上で、いかほどの意味があるのだろう…とつくづく思ってしまう。

そうすることで、安心したり落胆したり一喜一憂するが、それで充足したり欠如したりする「心」の在りようには、生き方としての一貫性が乏しいように思われる。

そういう車掌長も、まだまだ自分のモノサシが寸足らずで貧相であることは否めない。

今日、車掌長のモノサシは1つ目盛が増え、48歳になった。

このモノサシを長さに例えれば、48㎝とも言える。
そして、車掌長が手にする人生のモノサシが、「50㎝」のものなのか、「1m」のものなのかは、生き終えてみないとわからない。

だが、仮に50㎝のものであれば、そろそろその先も測れる長めのモノサシに持ち替えないとならないなぁ…と思う。
逆に、1mのものを手にしているのであれば、その長さに見合った「今の自分」なのか、を再考しなければならない。

つまり、まだ半分以上も人生の時間があると安心し、日々を怠惰に過ごしていないか…と考えてしまう。

いま48個目の目盛が増えたと記したが、振り返ってみると、過去の目盛には剥げ落ちたり、色濃く輝いていたり、いつまでも覚えていたい箇所もあれば、可能なら忘れたい目盛もある…

いずれにせよ、自分の貧弱なモノサシを他人に当て、その人を測るようなことはしないようにしたい。

そして、そのためには、昨年の素数である歳とは違う、約数の多い歳として、色々な価値観を共有できるような考え方や経験値を、広げたり深めることができるよう努力したい。

そんな感慨に耽(ふけ)る、48歳最初の朝であった。
 

コメント(2件)

希望者挙手さんからのコメント(2016年2月20日 02:08投稿)

お誕生日おめでとうございます。

2月19日というおめでたい日に、どんな著名人が生まれたのだろうと興味が湧き、調べてみましたところ、私たちとご縁のある(?)人物を見つけました。

スウェン・ヘディン

およそ100年前に当時地図上の空白地帯と呼ばれたチベット地方の地図を完成させたり、タクラマカン砂漠で彷徨える湖ロブノールや古代都市遺跡の楼蘭を発見したことなどで知られる、20世紀を代表するスウェーデンの探検家です。

専門学校の講師時代、車掌長に「栄光なき天才たち」というマンガコミックを貸してあげたことを覚えてらっしゃいますでしょうか?

トラベル学科の仕事でチベットの話題になった時、私がスウェン・ヘディンの話をした所、車掌長が関心を持たれてそのマンガを読んでみたいとなり、貸してあげました。

そんなスウェン・ヘディンと車掌長が同じ誕生日だったことを発見し、細やかな驚きと喜びを感じた次第です。

私も先日50歳を迎えたわけですが、まだまだ未知なこと、未経験なことがたくさんあります。そんな空白地帯をスウェン・ヘディンの探検のように埋めていく、お互いそんな人生を楽しんでいきましょう!

車掌長さんからのコメント(2016年2月20日 05:39投稿)

希望者挙手 様

毎度ご乗車ありがとうございます

記憶の海の深層に眠るスウェン・ヘディンの糸を手繰り寄せましたが、途中でその糸が切れてしまいました。

大変申し訳ございませんが、希望者挙手さんにお借りしたコミックとスウェン・ヘディンのことが思い出せませんでした。

しかしながら、そのような御方と同じ誕生日だったことを教えていただき、ありがとうございました。

そして、希望者挙手さんが仰る通り、まだまだ「未知」や「未経験」という、人生マップの空白地帯を埋めてゆくような、そんな生き方や楽しみ方を共有できれば大変嬉しいことです。

それにしても、この希望者挙手さんのコメントの結びは秀逸ですネ!
少年時代の冒険心が、再び湧いてくるような気持ちになります。

小学校や中学時代、教科書よりも時刻表の地図を見るのが大好きでした。

時刻表の地図は、鉄道路線やその他交通機関を、限られた誌面に上手に収めなくてはなりませんので、かなり歪(いびつ)な地図になっています。

そして、それら交通機関の途絶える先や空白地帯に、どんな景色が広がっているのか…を、確かめたい気持ちに溢れていました。

もちろん、車の免許もない歳ですから、その好奇心の実現は全て徒歩になります。

当時は、江戸時代に整備された街道に興味があって、旧東海道や旧中山道の一部を独りで歩いたものです。

ヘディンほどダイナミックな冒険はできませんが、その後途絶えた自分自身の好奇心の空白を、再び埋めてみたいと思いました。

48歳という節目に、そんな時間旅行ができましたこと、重ねてお礼申し上げます。

今後も、まだ人が通っていないような人生の道は、きっといくらでもありますから、そんな道(未知)探しを共に歩めれば幸いです。

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バレンタインデー

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2016年2月14日 05:40

今日が日曜日でホッとされている人は、少なくないように思う。

それは、学校や会社で「あげたくもない」「もらいたくもない」、そんな可哀想なチョコが迷走しなくて済むからだ。
もちろん、その逆で「あげたい」「もらいたい」もあるのだろうが、それは学校や会社という勉強や仕事をする場で展開されなくてもいいのでは…と考える。

まぁ、本命であるなら、そういう人目を忍びつつ受け渡しをするスリリングさが、良いのかもしれない。

車掌長は甘いもの好きで、チョコも好物だが、美味しいチョコは「チョコリング」と「チョコバット」だと日頃から位置づけている。
全くチープな味覚かもしれないが、子どもの頃に駄菓子屋で食べた諸々の記憶も相まって、美味しいと思う。

専務車掌も、そのツボを押さえてくれ、バレンタインデーに関わらず、何でもない日にこれらを買っておいてくれるが、これがたまらなく嬉しかったりする。

ところで、バレンタインデーは、車掌長の3大dislikeの1つだ。
あとの2つは、ハロウィンと恵方巻きの騒々しさ。

どれも、商魂丸出しの街の雰囲気が苦手だからだ。
その行事に合わせて、どれだけの食物や雑貨が過剰につくられ、売れ残って廃棄されているのだろう…

コンビニ等の小売店の店先で、1つでも多く売るよう命じられる人に同情してしまう。
売れ残った分は、ノルマ未達で自腹を切らされる店もあると聞く…
不思議な国だ。

話は変わるが、昨日新東名高速が延伸された。
御殿場市から豊田市までが、従来の東名高速に加えダブルトラック化し、物流や観光におけるモノや人の移動に利便性が高くなる。

それはそれで、結構なことだが、ここ数年新設やリニューアルされる巨大なサービスエリアは、車掌長にとっては使い勝手が悪くて困ってしまう。

日常生活でお馴染みとなった、どの街にもあるようなプチショッピングセンター化し、その雰囲気に飽きたし疲れてしまう。
そして、トイレや食事だけの用でも広い敷地ゆえ、駐車から飲食に至るどの場面でも、意外に時間を費やしてしまい、その後の行程に影響を及ぼしてしまう。

そんなことも嫌気し、最近は専らこじんまりしたパーキングを利用している。
施設の眼の前に車を停められ、トイレも食事も待たずに済むし、前述のサービスエリアで見飽きた看板(チェーン店)ではなく、地場の店が安く美味しい定食を出してくれたりする。
何よりも、落ち着いた休憩の時間を過ごし、運転の疲れをリフレッシュできた気持ちに浸れる…

日本人の消費行動は、ハタから見て本当に画一的だ。
みんなが同じようにすることをしたがるようだ。

マーケティングを仕掛ける側なら、これほど思うように面白く踊ってくれるならラクだろう。
別の言い方をすれば、多くの人は皆と同じことをしていれば「安心」するだけのことなのだろう。

もしくは、自分だけが他の人と違う趣向や言動をチョイスする方が、面倒くさい、リスキーだと無意識に思っているのかもしれない。

日本のバレンタインデーという日にあたり、そんなことを雑感した春一番の吹く朝だった。
 

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