時刻表ミュージアム開館のご案内

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2022年2月19日 05:14

54歳を迎えた初めての朝…

外はまだ暗いが、西方のまだ高い空に、
少し欠けつつある満月が煌煌と輝いている。

そして、この一年も佳き歳となるよう月へ願いを託してみる。

月はカタチを変え…
時は人を変えてゆく…

諸行無常の響きあり。

一寸先は闇であるとか…明けない夜は無いなど…

古来より先人たちは、世の全てのものは移り変わり、常に同じ状態であるとか、永遠に変わらないものなどない…ということを、今に教え伝えてくれている。

このことを知っていたり、或いは自分自身が受け入れることができると、生き方もラクになったり、心持ちも変わってくるように思う。

人生を過度に悲観したり、失意に陥ったり、浮かれたり、舞い上がったりすることもなく、淡々と生きて行けるように思えてくる。

しかしながら、そうは思いつつも知りつつも、たった一度きりの人生を、面白くも悲しくも、一所懸命に、精一杯に生きなければ、モッタイナイと思ってしまうのは、まだまだ自分自身が俗世にまみれた凡人であることを痛感させられる…

こんな凡人ではあるが、このたび、長年の夢をカタチにしてみたのでご報告申し上げたい。

それは、40余年にわたって収集してきたJTB時刻表を、一堂に展示し閲覧も可能とする、プライベートミュージアムを開館させたこと。

ここ2年余り、このコロナ禍にあって明るい話題に乏しく、閉塞感が漂う日々…
そのような時期ではあるが、わが国の鉄道開業150周年の節目に合わせ、こんなことをコツコツやってきた人間がいたことを、ささやかながら発信したり、ある目的のために時刻表を探す人の役に立てることができたなら嬉しい限りである。

電子媒体が席巻する昨今、求める情報が瞬時に分かったり、素早くその欲求を満たせることが、人々の日常生活や社会基盤を支えている…

これは間違いないことだが、当館が「紙媒体」の良さにも気付けるキッカケになったり、或いは、そんなデジタル社会に少々疲れた方々にとって、ほんのひととき、息抜きの場になっていただければ、幸いに思う…

また、願わくば…
車掌長がいなくなった時代になって、当時を振り返る史料的価値や文化としての時刻表の移り変わりを、後世にも伝え残すことができるような施設になれたならば本望である。


【車内放送】
時刻表ミュージアムは「一般公開」を予定しております。

当初、3月公開を予定して準備を進めておりましたが、コロナの感染状況を考慮し、4月下旬(GW)以降の土・日・祝日にご来館いただけるよう、更に準備に磨きをかけてご来館をお待ち申し上げます。

なお、入館お申し込みは、「時刻表ミュージアム」公式ホームページからのみとなっております。

私設博物館のため、運営上、なかなかご希望の日にお申し込みできないこともあるかもしれませんこと、あらかじめお詫び申し上げます。

また、当館は営利を目的とした運営をしておりません。

しかしながら、ささやかな規模の施設ではありますが、その維持・管理・運営等にかかる費用を、一介の会社員である個人が負担することは、到底叶わない現状です。

つきましては、末永く当館を一般公開でお楽しみいただけますよう、入館時に「維持管理協賛金」をいただいておりますので、ご理解とご協力をいただける方のご来館をお願い申し上げます。
 

車掌見習のお師匠さま

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2021年12月12日 05:09

昨日、小春日和となった昼下がり、車掌見習のお師匠さまと母上が当車掌区へいらした。

車掌見習が「お師匠さま」と崇める由縁…
ひとつ年上であり、同好の鉄道趣味に長(た)け、撮り鉄の腕も素敵で、憧れの存在のようだ。

車掌見習は師匠の影響を受け、東京メトロにも触手を伸ばして乗りつぶしを始め、最新の車両形式などは、もはや車掌長よりもよく知っている、苦笑。

このたび、そんなお師匠さまと母上をお招きしたのは、見ていただきたいモノがあったから…
それは、ここ一年余りをかけて、ようやくカタチを整えた「時刻表プライベートミュージアム」。

そこは、車掌長が現時点で所有する、日本交通公社(現JTB)時刻表770冊余りを、展示および閲覧できる趣味の空間…

また、時刻表に限らず、懐かしい鉄道グッズや書籍、レコードも展示し、閲覧や視聴も可能であり、旧型客車をイメージしたボックスシートと、Nゲージのジオラマ(運転可)も配置し、鉄道の古き佳き頃の郷愁にも浸りながら、”時間旅行”も楽しめる造りとなっている。

あえて、時計を置いていない空間。
浸り過ぎると、2時間、3時間が瞬く間に過ぎてしまうので、乗り過ごしには要注意。

このたび、当ミュージアム、初のご招待者様となった、お師匠さまと母上にも、お気に召していただければ…幸甚である。

師匠は、カシオペアのフル編成(DD51重連牽引)をご持参され、その計14両におよぶ長大編成の運転を楽しまれていた。

また、車掌見習も同編成(EF510 500番台牽引)計13両を持っており、実際には1編成しかないのでありえない、カシオペアの並走シーンをふたりで楽しんでいたのが微笑ましかった。

ミュージアム見学後は、当車掌区にて子ども・大人に分かれ、母上・専務車掌・車掌長はカクテルタイム…
母上が上戸であることも判明(!?)し、とても楽しいひとときを過ごさせていただいた。

不思議なご縁で再会した師匠と車掌見習だが、お互いに同好の友達として、学校の友達とは違う交流を今後も深めてゆければ…と思った次第である。

この場をお借りして、今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。


※【注】時刻表プライベートミュージアムの一般公開はしておりません。
 

JTB時刻表愛読500号

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2021年11月21日 05:35

今朝、「哲×鉄」時刻表アーカイブに2021年12月号を掲載した。

今号、車掌長にとって愛読500号目となる記念の節目となった。
中学入学(1980年4月)を機に毎月定額の小遣い1000円を貰えるようになり、そのうち500円で日本交通公社時刻表5月号を購入。以来、毎月欠かすことなく購入および愛読してきた時間の積み重ねに、感慨も一入(ひとしお)だ。

この1号1号、1冊1冊は、自分が生きてきた時間の証人でもある…
例えば、そのどれかひとつをランダムに手に取り、ページを開くと、自ずと過去の自分に再会できる時間旅行に旅立つことができる。

良かった時期ばかりでない…
むしろ、そうではなかった時間の方が多かった印象もあるが、それが紛れもない、自分が走り揺られてきた鉄路…

当時12歳だった車掌長も、年が明け間もなく54歳…
自身がそんな年齢になったことに戸惑いを隠せないが、お恥ずかしながら…気持ち的にはジュブナイルなままだ。

まだまだ、やりたいことはあるし、それが日々の暮らしや仕事と向き合う原動力にもなっている。

コロナ禍となって久しいが、これを機会に発想転換、一念発起し、取り組んできたことがある。
それゆえ、当乗務日誌の更新もおざなりになってきたことは否めない。

しかしながら、構想から1年余りをかけて、ようやくカタチらしきものを整えた…

来年、2022年は日本に鉄道が開業して150年の節目となる年。
そんな佳節に合わせ、そのカタチをお披露目できれば幸いだ。

様々なモノや情報がデジタル化され、人と人とのコミュニケーションでさえ、リモートという形態に置き換えられ、もはや、その勢いは止めることができない…

想像したくもないが、愛読している「紙」の時刻表も例外ではないかもしれない…

そんなとき、車掌長の人生の「時間の証人」などと矮小化させず、「時代の生き証人」として、この「紙媒体」である時刻表を、未来の世代への史料として保存してゆきたいと思う。

自分達が生きている「今」を、数十年後の未来を生きている世代が、当時の社会状況を振り返る時、過去の時刻表から見えてくるモノやコトなど、何かのお役に立てたとしたら、時刻表収集家として本望である。

そんな想いを新たにした、愛読500号記念の掲載であった…
 

編成美

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2021年5月 2日 06:43

編成美という言葉が好きだ…

鉄道、殊に列車を眺めていて「美しい」と思うのは、その編成に対して大いにあるように思う。
個性的な外観や先頭車両の顔だちといった、個々の車両も魅力的だが、それらを連ねた「編成」に、列車としての完成された「形」の美しさがあるように感じる…

車掌長が初めて「編成美」を感じたのは、小学5年生を終えた春休み。
当時、東京駅を22:45に出発する、夜行寝台急行「銀河」大阪行きに乗ったときであった。

それは、妹と二人で関西の母の実家へ向かう際、東京駅ホームで母に見送られた時でもあった。
なぜ、妹と二人だけで行くことになったかは不明だが、車掌長は初めて乗る憧れの「銀河」、しかもA寝台に気分が高揚していた。

列車が入線すると、目の前を次々と滑り込むように、ホームの煌々と光る明かりに照らされた20系寝台車の長い編成が、ことのほか綺麗に目に映った。

一方、まだ小学2年生を終えたばかりの妹は、寂しげであった…
この旅に母が同行しないことを悟っていたようであった。

そんな思い出の「銀河」もいまは走っていない…

だが、そんな「銀河」が廃止となった2008年3月、そのときの思い出を、某新聞の読者欄に投稿し、掲載された記事があるので、僭越ながらご紹介したい。

”妹と銀河の旅 今も思い出す”
14日、寝台急行「銀河」の最終便が東京駅を出発した。
私も29年前、小学5年の春休み、三つ年下の妹と関西の母の実家に行くために初めて乗った。
その頃の銀河のB寝台は3段式でベッド幅は52センチ。
一つの寝台で子供2人まで利用できたが、さすがに窮屈なのと、妹ひとりでは寂しがるので、母は広い2段式のA寝台を取ってくれた。
当時も、切符の取りづらい列車で、せっかくのA寝台も上段しか取れなかった。
母が、下段の紳士に「子供2人で大阪まで行くのでよろしくお願いします」と頼んだ。
妹と上段のベッドに上がってみると、枕元に写真立てを横にしたくらいの小窓があった。
これでは、あまり景色がみえないなと思った。
母が列車を降りようとしたとき、下段の紳士が「よかったらこちらを使ってください」。
代わってもらった下段の窓は、数百倍にも感じるほど大きかった。
母は何度もお礼を言いながら降りていった。
発車時間が迫ると、母との別れに不安を感じたのか、妹がしくしくと泣き始めた。
私も妹をなぐさめたが、2人きりの旅の不安と寂しさ、緊張で一晩中眠れなかった。
いま思えば、あの夜が初めての徹夜だった。
大きな窓一面の星空は、まさに銀河であった。

「編成美」を初めて感じた列車の思い出は、かくも、このような旅路であった。

「ブルートレイン」という、青一色の長大編成を、もはやこの目にすることはできないが、思い出の中でいつまでも、その纏(まと)いを連ね率いられた列車の美しさは、いつまでも色褪せることはないだろう。

思うに…
車掌長の人生も、ただいま53両という、一年一年の車両を連ねて運行中。

その一両、一両を率いる「自分」という牽引車は、幾度も変わっているし、各車両も決して揃った綺麗なものでもない…

だいぶ傷んだ箇所、汚れた部分も、幾つもある…

だが、最終的にその編成を振り返ったり、俯瞰できるような場所へ旅立ったとき、他者からはどうあれ、自分自身では「美しい」と思えたら本望だと思う。


 

新幹線車内公衆電話の廃止

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2021年3月22日 05:01

先日、新聞である記事に目が留まった。

それは、「新幹線内の公衆電話6月に廃止」との、小さな見出し…

読めば、携帯電話普及による利用客減少に加え、2020年12月までにJR各社の全新幹線で携帯電話の電波が入らない「不感地帯」が解消されたため、とあった。

最近は、コロナ禍で売上が急減した「車内販売」の廃止を目にしたばかり…
記事のとおり、多くの利用客には影響や関心の無いことのように思われるが、何でも廃止でよいのか…との個人的所感は否めない。

それは、さておき、新幹線の公衆電話の歴史を、手元の時刻表で調べてみた。
1965年6月号を見ると、「今月のお知らせ」にはこう書かれてあった。(以下抜粋)

「ひかり」「こだま」に公衆電話が設けられます。
6月1日から、東海道新幹線の「ひかり」と「こだま」の車内と、東京・横浜・名古屋・京都及び大阪等の各地区の電話と通話ができるようになりました。
車内からかける場合、あるいは車内へのかけ方など、55頁の「列車電話案内」をご覧ください。

引続き、55頁をみると…

車内からのかけ方:ビュッフェにある電話室で、車内の電話係に通話先の電話番号をお申し込みください。
車内へのかけ方:次の番号へ申し込んでください。

以上であるが、通話料金は「列車の位置」と「通話先局名」によって、3分あたり100~400円の区分が記載されていた。

参考までに、当時の物価を調べると、銭湯28円、映画350円、新聞購読料が月極450円等とあり、新幹線内の電話料金がいかに高かったか、察しがついた。

車掌長個人としても、新幹線公衆電話は懐かしい思い出がある。
それは、中学時代の親友がひとり旅の帰路、名古屋から新幹線に乗ることを事前に知っており、サプライズで自宅から車内へ掛けたこと。

電話に出た友人に聞けば、車内放送で「東京都〇〇区からお越しの〇〇様、お電話が入っております…」などと呼ばれ、ビックリするやら恥ずかしいやら…でも、貴重な体験をした、と言っていた。

当時は、プライバシーや個人情報というものが、今日ほど、その扱いに敏感ではなかったこともあるが、たしか差し支えなければ、呼ばれる人の所属会社名も車内放送でアナウンスされていた記憶もある。

その後、そのサプライズに目覚めた車掌長は、新幹線に乗る親や他の人にも、幾度か掛けたりしたものだが、自宅の固定電話代がかさんだことは、「時効」としていただこう。

そんな昔の記憶が、古き良き頃の鉄道旅行時代を知る自分を慰めてくれるのが、せめてもの救いでもある。
なにはともあれ、時代の流れには抗えない…

そして、自分が歳をとったことも、無論、逆らえない…

 

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