銀河鉄道999シネマコンサート

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2021年2月 7日 08:07

昨日、当車掌区在籍者3名で、東京国際フォーラムへ行った。

目的は「銀河鉄道999シネマコンサート」観賞。
1979年上映の映画「銀河鉄道999」をスクリーンで音声も含め上映しつつ、BGMはフルオーケストラの生演奏で観賞するという、素晴らしい内容であった。

元々の映画においても、BGMはオーケストラが演奏しており、アニメーションでありながら、その重層的かつ格調高い調べに載せられた物語は、舞台ともいえる感動があった。

昨秋、新聞広告で2021年冬に「シネマコンサート」という形で、この不朽の名作が上映されることを知り、厭わず即刻、チケットを予約・購入した次第…

東京都が定めるコロナ禍における開催条件を満たした上で、座席もひとつひとつ空けられ、ゆったりと鑑賞できた。しかも席は前から5列目の良席で、視界いっぱいの大スクリーンとオーケストラの生の音に全身を包まれる、スペクタクルな体験ができた。

そして、映画のクライマックスである鉄郎とメーテルとの別れの場面では、タケカワ・ユキヒデ氏が登場。「GALAXY Express 999」を熱唱し、会場も最大の盛り上がりで締めくくられた。

この「銀河鉄道999」という物語の素晴らしさは、幻想の世界を通して、人生の「真実」を見つけるヒントや、それを探求する誘いのように思えてならない。

車掌長は「時間旅行」という言葉、概念が大好きだが、まさに壮大な宇宙を旅する主人公の姿そのものが、ひとりの人間、つまり自分自身の短い人生と存在にも光を当て、希望を与えてくれるように思えることが魅力なのだと思う…

来場のゲストは、車掌長と同年代か、それ以上の人が多く、小学2年の車掌見習のような子どもは、おそらく見かけなかった。

しかしながら、車掌見習にとっても良い経験だったと思う。
普段、車掌区でDVDで観ていた映画999を、生演奏とともに大きなスクリーンで観たことは、きっと、時を経て思い返せば、貴重な体験になることだろう…と願う。

そして、自分に与えられた、たった「一度きりの人生」を、悔いなく生きてもらいたい。

その際、伴走してくれるBGMは、きっとこの曲だろう…

♪さあ行くんだ、その顔を上げて 新しい風に 心を洗おう
  古い夢は置いて行くがいい ふたたび始まる ドラマのために

 

AERA、「時刻表鉄」掲載&「オンライン飲み会」

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2020年4月27日 04:16

本日発売、AERA(5月4-11日、朝日新聞出版)の記事で車掌長が掲載されました。

内容は、”数字の羅列で「旅気分」に"というタイトルで、時刻表を使った妄想旅行、いわゆる「机上旅行」を楽しむ主旨。

折からの新型コロナウイルス感染症の影響で、旅行はおろか外出も自粛との生活が「日常」となりつつある中、時刻表が一服の清涼剤やひとときの暇つぶしになるなら幸いだ。

詳細はよろしければ、ぜひ掲載記事をお読みいただきたい。

一方、昨晩は思いがけず、無縁と思っていた「オンライン飲み会」なるものを初体験した。
お誘いは、当車掌区保線係さんからであった。

たまたま、当車掌区PCに「ZOOM」が入っていたのと、保線係氏からの至れり尽くせりのお導きで、いとも簡単に遠隔飲み会が実現できてしまった。

テレビ等では、目にしていたが自分自身には無縁なこと…などと思っていたが、いざやってみると、呑んで食べて気づけば2時間近くも喋っていた。

感想としては、とても楽しかった!
車掌長世代は、子どもの頃に家で使っていた電電公社の「黒電話」に始まり、やがてプッシュホン、コードレス、携帯、スマホ…と、目まぐるしい通信インフラの発達とその便利さを実感してきたと思う。

とくに、この「オンライン飲み会」は、会って話すことができない現在の状況においては、有用だと思った。

もちろん、車掌長は実際に会って話す「リアル」なコミュニケーションの方が好きだが、次第にこうした選択肢も持ち得ていた方が良いことも実感できた。

ただ、飲み会を終えて「退室」という部分をクリックし、通信が遮断されたときは、不思議な感じに包まれた。

そう…これはバーチャルな空間での出来事であり、時間だったのだと…

人に会うとき、殊に一定以上の距離があると、車掌長はその「移動」そのものに、ワクワク感やトキメキのようなものを抱く。
また、会った後は、帰りの「移動」でその余韻を楽しむ…

そして、会った時間の中で、一緒に食べた料理や酌み交わした酒を美味いと感じ、また同じようなリアルな時間をいつの日か過ごしたく、日常の自身の仕事に勤しんだり、シンドイことも頑張ろうという糧になると思う。

なにはともあれ、初めて体験した「オンライン飲み会」は、なかなか面白かった。
たくちゃんさん、いつもどうもありがとう!
 

 

懐かしい500円札

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2020年4月 2日 05:00

某ラジオ放送で「今日は何の日」というコーナーがある。

車掌長は同コーナーが好きだが、4月2日は「500円札発行記念日」とのこと。
1951年の今日、岩倉具視が肖像の500円札が初登場したそうだ。

今では硬貨となった500円だが、「500円札」にはたくさんの想い出が詰まっている。
それは、ちょうど40年前の春、車掌長が中学生となり小遣いを毎月定額で貰えるようになったが、その金額は1000円であった。

そのうち、500円の使い道は決めていた。
そう、言うまでもなく「日本交通公社の時刻表」を買うことだ。

当時、時刻表は500円であった。もちろん、その頃は消費税は存在しなかったので、小遣いとして貰った1000円札を出すと、大抵は500円札でお釣りが手に戻った。

その500円札は、中央本線を走っていた115系車両の塗色を連想させる色合いであり、裏面の富士山と他の山々との連なりも美しく、大好きな日本銀行券(お札)であった。

それから程ない1982年、「500円硬貨」が出始めた。
これは、車掌長にとってかなりショックであった…

それは、当時の子どもにとって、500円の値打ちは感覚的に大きく、ゆえに「お札」としての貫禄もあったのに、100円玉よりは随分大きいが、「硬貨」になってしまうとは…と感じた。

もちろん、すぐに500円札が無くなる訳でもなかったのだが、次第に硬貨の流通量が増えると、車掌長自身もその利用に慣れてしまい、気が付けば500円札の無い生活に、何ら支障も疑問も抱かないようになってしまった。

ところが、2年ほど前だったか…
地方の或る雑貨店で買い物をした折、お釣りで500円札が混ざって「再会」を果たした。

さほど、使われた感じのしない綺麗なお札であった。
店主のおばあちゃんに、懐かしいですねと声をかけたら、耳が遠かったようで反応は無かったが、お釣りの金額は合っていたので店を後にし、ジワジワぁ…と幸せな気分に浸ることができた。

その500円札は、大切に「お守り」として仕事で使う鞄に入れ持ち歩いている。

そんな想い出のある500円札の話だが、ふと気づけば、今月は「時刻表愛読40周年」となる大きな節目であった。

40年前の今月下旬、自宅最寄りの本屋で買い始めた「時刻表」。
以降、毎月欠かさず480冊目の佳節を迎えられることとなった…

その時間の流れと重み、出逢った皆様や出来事に感謝したい。

17歳

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2020年3月15日 05:15

最近、高速道路で遠出をした際、森高千里さんの「17歳」を不意に聴いた。

カー・オーディオのハードディスクに入っていたものが、ランダムに流れただけのことだったが、繰り返される「♪私はいま 生きている」のフレーズが、やけに耳に残った。

ほぼ、時を同じくして、最近探しものをしていた際、17歳の時の車掌長の写真が出てきた。

35年前の自分に図らずもの再会…
粋がって背伸びした服装や髪形が、懐かしくもあり、滑稽でもあった。

鉄道研究部に所属し、末期の国鉄時代の鉄道旅行を謳歌している時であった。
そして、まさに今頃の時季に、クラスメイトの男5人組で13泊14日の北海道旅行に出かけたことを思い出した。

ふと、懐かしくなり、大切に保存している当時作成の手書きの「行程表」を見た。
今は自分でも読めない字を書く車掌長だが、17歳の自分が書いた字は他人の書いた字のように綺麗で読みやすく、昔の自分に感心した。(笑)

1985年3月8日(金)、乗車列車は上野発の夜行列車となる急行「八甲田」。
19:10発だが自由席のため、2時間以上前から一夜の座席確保のため並んだようだ。

翌朝、青森駅到着後、今は無き青函連絡船で渡道。
甲板上で寒く荒涼とした海を見つめ、「津軽海峡冬景色」を口ずさんだのを思い出す。

以降の行程は省くが、35年前の今日となる3月15日(金)はサロマ湖に居たことが判明。
そして、この旅行の宿泊の大半は、YH(ユースホステル)利用だったが、3/14のホワイトデーにこのYHで企画された氷上運動会に参加したのを思い出した。

その参加者は自分たち以外は皆大学生で、大学生の自由な姿に漠とした憧れを抱いた。

そして、3月15日はサロマ湖から富良野への移動日となっており、旭川駅では途中下車し、荷物をコインロッカーに入れて旭川ラーメンの「蜂屋」で昼食と書かれていた。

富良野もYH泊だが、ここで3泊し、スキー三昧の日々を過ごした。
当時、「北の国から」というドラマで注目を集め始めていた町だが、今でいう「聖地巡り」をしたのが懐かしい…

「北時計」という喫茶店にも行ったのだが、YHで知り合った女子大学生の御方たちと行き、そのうちの御一人とは、旅行後もしばらくの間、文通を続ける仲となり、いまも年に一度、年賀状を交わす間柄が続いている。

車掌長自身が大学生の時、一度だけ再会したが、以降は会うことも写真等で見ることもないが、五つ年上だったので、昔の思い出のままでいる方が、お互いに良いのかもしれない…

行程表の最後は、旅の費用も書かれており、YH10泊(2食付)で27,050円とあった。
また、持ち物リストには、UNOやトランプと記されており、娯楽の少なかった時代だったけれど、むしろ、その方が今よりも楽しかったようにも思う…

さらに、レターセットという名目もあり、そういえば、旅先で手紙を書くなんてことも、していたんだなぁ…と、忘れかけていた、何か大切な時間の過ごし方を思い出した気がした。

そんな懐かしくも、ある意味、幼気(いたいけ)な17歳の自分との再会ができた時間旅行だったが、そんなことを懐かしめるのも、冒頭の歌の歌詞ではないが、「私はいま 生きている」からに他ならない。
 

 

時刻表、我が最愛の友。52歳の誕生日に寄せて...

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2020年2月19日 04:56

一昨日、鉄道をテーマにしたラジオ放送で、車掌長をご紹介いただいた。

たまたま、仕事で車移動中と放送時刻が重なると思い、昼休みを遅めに取れるよう調整。
車を路肩の駐車枠に停め、コンビニで買ったおにぎりを頬張り、時を待った。

大竹まこと氏の穏やかな朗読は、あたかも記憶の中を走る列車に乗った感慨に包まれた。
物語の背景に流れる心地よいピアノの調べに乗って…

車掌長は記憶の彼方にある、列車を思い出した。
それは、少年時代に乗った客は自分しかいない、午後の昼下がりのローカル線のボックスシートに座り、陽光に照らされる一面の菜の花畑を車窓に見ながら、その朗読を聞いているような錯覚であった。

思えば、放送作家の御方から取材を受けたのは昨年末…
その和やかなお人柄に惹き込まれ、普段は意識もしなかった昔の記憶の引き出しを、上手に開けてくださり、新幹線であれば東京から京都へ着けるほどの取材時間は、瞬く間に過ぎた。

取材後、果たしてこれはどのような朗読原稿になるのだろう…
楽しみでもあり、正直なところ不安も残しながら、放送日を迎えた。

放送本番を聴き終えた所感は、只々、感激した次第であった…

車掌長が想像していたものとは、良い意味で違っていたが、大竹まこと氏の朗読は、その物語があたかも目に映る情景のように澄み渡っていた。

そして、それが10分足らずの時間とは到底思えないほど、濃密な「時間旅行」の旅人になることができた…

また、リクエストさせていただいた曲「いい日旅立ち」も、心の奥底に沁みた。

ナレーションでは、車掌長の「人生のテーマソング」とご紹介してくださったが、まさにその通りであり、歌手として尊敬している山口百恵さんの歌声と、名曲の旋律は、少年時代に独り夜行列車に乗って旅立つときの心情を思い起こさせてくれた。

番組拝聴後、放送作家という仕事の素晴らしさを痛感した。
この場をお借りして、心から今回のご縁に感謝を申し上げたい…

放送作家K様
このたびは、誠にありがとうございました。

末筆ながら、本日52歳の誕生日を迎えましたが、このたびのラジオ放送は、車掌長の「時刻表人生」におきまして、とても素敵なBirthday presentになりましたこと、重ねて御礼申し上げます。

時刻表との付き合いは46年となり、車掌長にとりまして最愛の友でありますが、今後も人生という鉄路をともに歩んでゆきたく存じます。

 

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