100円玉と50円玉とともに

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2017年9月19日 20:01

久しぶりに乗務。

この1年、仕事の内容が一変し、なかなか思うように朝の時間を捻出できずにいた。
これから綴る事柄は、本来もっと早く書いておきたい内容であった。

日頃、何気なく使っている100円玉と50円玉だが、どちらも現行硬貨の発行開始は1967年。
つまり、今年でちょうど50年の節目にあたる。

最近は電子マネーの普及で、小銭を使う機会がめっきり減ったという人もあれば、スーパーでご年配の方ががま口を広げて斜めに傾け、レジに表示された金額ピッタリの硬貨を探す光景もまた、昭和の頃から変わらない…

車掌長が子どもの頃は、100円あれば駄菓子屋で結構な買い物が出来た世代。
また、そのたぐいの店の軒先には10円で遊べるゲーム台が置かれ、子どもながらに今でいう「神」のようなスゴ技を持った者が何人かいたものだった。

車掌長はその道においては凡人だったので、台の左右のレバーで弾いた10円玉は、累計で何十いや何百枚となくゴール途中の穴に容赦なく暗闇へと吸い込まれてしまった。

そして、幼心ながらに何の生産性もないギャンブルの一抹の虚しさを感じたものだった。

前置きが長くなったが、そんな想い出深い100円玉や50円玉と同じ50年という時間を歩んできた車掌長世代の生まれ年に因み、今夏、大学時代のサークル同期の仲間と「合同・五十歳を祝う会」を開催した。

開催場所は、我ら同期のサークル元会長T氏が居住する山口県山口市とした。
同期男女6名中、男2名と女3名が参加。他に同期ではないが、先般の熊本地震で被災しその復興に公私ともに尽力した後輩を労う趣旨も加え、大人11名+幼児2名、総勢13名の集いとなった。

みなそれぞれに50歳という、表向きの経年劣化は否めなかった…
だが、人間の中身はそうそう変わるものでもなく、およそ30年前の学生時代へとタイムスリップする当時の話題は、気持ちが若返るような錯覚にも陥った。

祝宴のハイライトは、ケーキに立てた50本のローソクをみんなで消したこと。

つい、こんなフレーズを心の中で呟いた。
♪私の誕生日に50本のローソクを立て
  ひとつひとつがみんな君の人生だねって言って♪

翌日は快晴に恵まれ、地元在住者の山口組によるオプショナルツアーとなった。
会長T氏が毎月満月の日にメールを発信するという、名勝秋吉台の中にある某展望台に案内された。

そこは、カラッとした風がそよぐ、最高の見晴らしを堪能する展望地であった。

いつまでもその雄大な風景を眺め、風に吹かれていたい…そんな別天地であった。

会長T氏が持参したコンロで湯を沸かし、皆に珈琲を淹れてくれた。
彼に珈琲をもてなしてもらうのは、久しぶりだ。

お互いに歳をとったが、その「苦味」の美味しさを引き立てたのは、学生時代には無かった人生の「厚み」そのものだった。

参加したメンバーそれぞれに、きっと想像しがたい日々の積み重ねがあったことだろう…
しかしながら、この再会の機会に昔と変わらぬ笑顔で他愛無い話で盛り上がれるのは、日常生活とはかけ離れた、なんの打算もない人間関係ならではの「心の財産」だと思う。

次回会うのはいつになるか未定だが、きっと今回と同じような話を繰り返すのだろう…
ただ、無邪気だった学生時代のように、屈託のない話題を。

ふと、今日釣銭でもらった100円玉が、昭和42年発行のものだった。
掌(てのひら)に五十年の重みを感じてしまった…
 

コメント(2件)

きよすこ(仮名)さんからのコメント(2017年9月23日 19:55投稿)

車掌長様

初乗車、失礼いたします。
転居に伴い、そういえば未だ名無しの、元きよすこ(笑)です。


遅ればせながら「五十歳を祝う会」お疲れ様でした。

この年明け、思いつきでT会長に電話したのが発端でしたか。
今さらながら、車掌長の行動力には頭が下がります。
誰のわがままを聞いたわけでもなく、少なくとも中身は「あなたのままで変わらずに」いる面々と
貴重な、楽しい一時を過ごせました。
本当に、ありがとう。


秋吉台での珈琲の味は、格別でした。

ちょっと調べてみると
江戸時代、日本人で初めて珈琲を飲んだという大田南畝の感想は
「焦げくさくて味ふるに堪えず」
だったようですね。

確かに、元も子もない言い方をすれば苦いだけの飲み物。
それを美味しいと感じる理由は、検索すればいくらでも出てきますが、
あの場所での味わいは、30年近くの時間を経てもなお、
同じ顔ぶれで集まれた幸せに縁るところが大きかったのだと思います。


思えば学生の頃、誰の部屋にもインスタントコーヒーがあって。
あの苦さを、いつ頃から美味しいと思えるようになったのか。
あるいは「大人な自分」と思うための自己催眠だったのか。
経年劣化(笑)した記憶では確かめる術もありませんが、
何にせよこの身近な飲み物が、楽しい思い出を呼び戻すアイテムとしても
大切な存在になりました。


またどこかの青空の下、みんなで最高の一杯を味わえるのを楽しみにしています。
改めて、ありがとう。

ではまた。

車掌長さんからのコメント(2017年9月24日 06:29投稿)

きよすこ様

このたびは、「哲×鉄」へのご乗車まことにありがとうございました。

きよすこさんが仰るとおり、あの別天地で味わった珈琲の美味しさは格別でした。

調べてくださった日本人初の珈琲体験者、大田南畝のエピソードは存じませんでしたが、当時彼が飲んだシーンを想像すると、かくも頷ける感想だったと思います。

本来、「苦味」「酸味」は人間が本能的に拒絶や回避する味覚のようです。

実際、子どもは苦味を毒素、酸味を腐敗と本能的に感知し、口にしたがりません。

しかしながら、食の経験を積んでそれらが安全であることを知るようになると、「美味しさ」や「嗜好品」へ転化してゆきます。

きよすこさんもお書きになっていたように、"あの苦さを、いつ頃から美味しいと思えるようになったのか"…これには、各人の想い出やエピソードがそれぞれにあることでしょう。

受験勉強の際、眠気を覚まそうとブラックコーヒーを飲んでみた…或いは、大人や年上の従兄弟達、ちょっとオマセな友人が、面前で真っ黒なコーヒーを飲む姿を見て、興味を抱いたり、触発されたということもあるでしょう。

いずれにせよ、なにか「大人の階段」として試みたように思います。

そう思うと、学生時代とは様々な「大人の階段」を体験したり、
その階段を図らずも踏み外して失敗や挫折を多く味わった「時間」だったのでしょう…

30年の時を経ていま、そんな時間を共有した仲間だからこそ、あの一杯の珈琲が殊更に美味しかったのだと思います。

いまほど、身の回りやセルフで楽しめる娯楽が少なかった学生時代…
友人らとバイクや車で集まり、出かけて遊び、下宿で呑んで話して音楽を聴いたりするのが、純粋に楽しかった時間…

そして、そのシメとなる夜明けに飲んだコーヒーの味は、きっと生涯忘れない青春の一コマの味覚なのでしょう…

今度は、そんな夜明けの珈琲が楽しめる集いもいいですネ。

末筆ながら、本会への参加とご協力、ありがとうございました。
また次回お逢いできる日を楽しみにしております!

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海の想い出

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2017年7月17日 04:36

今日夜中2時前、車掌見習が急な熱発。その対応で起きた。

色々動いたら目が覚めてしまい、ゴミを出したついでにポストを覗いたら既に朝刊が届いていた。
日常3時半から4時の間に新聞を取りに行っているが、2時半過ぎに配達されていたとは知らなかった。

今日は「海の日」で、それに因んだ記事も見受けられた。
この休日も出来た当初は、7/20だったが、いつの間にか7月第3週月曜、いわゆる「ハッピーマンデー」の一員になってしまった。

だが、この「海の日」が制定された当初は、もともとあった「海の記念日」(7/20)に由来していたはず…だ。
何でも3連休にしてしまうのは、何事も消費活動を「是」とする経済性第一の悪しき発想で、本来の意義を軽視する一貫性の無い国柄だなぁ…と思ってしまう。

また何より、月曜ばかりに偏って休みになると、病院の外来体制や大学等の講義でも、それに該当する先生方の調整や、影響を受ける患者、学生も迷惑だったり大変だろう…と想像してしまう。

ところで、車掌長も「海の日」に因み、海の想い出の記憶を手繰(たぐ)ってみた。

車掌長自身が「海」を好きになったのは、小学2年生の夏であった。

その頃、車掌長は親の都合でよくあちこちの親戚宅に預けられていた。
そしてその夏は、母方の兵庫県の親戚宅で3週間ほど暮らしていたが、その際、親戚総出の旅行に連れられ、同県の城崎(きのさき)温泉へ行ったのであった。

外湯の「一の湯」に程近い定宿に3泊したが、そこを拠点に毎日、全但交通のバスで40分ほど揺られて到着する"竹野浜"という海水浴場に出掛けた。
このバスは海岸線の断崖に沿った道を走るのだが、その車窓がまた素晴らしかった。

砂浜はサラサラの白砂で、西側には独特な形が印象深い猫崎半島があり、それまで見たことのない、とても綺麗な海水浴場だった。
大人たちは海の家で座敷を陣取り、ビールを飲んだり、談笑したり、寝ていたりしてほとんど海に入らずにいた。

当時は子ども心で、せっかくこんな綺麗な海に来たのにもったいないなぁ…などと感じたものだが、いま車掌長自身がオジサンの歳になると、その行動様式が非常に理解できるのであった。

一日中、年上の従兄弟たちと遊んでもらったり、黙々と砂浜で穴を掘ってみたり…
小学2年生の車掌長は真っ黒になってよく遊んだ。

しかしながら、旅館に戻り夕食を終え、ふと旅館の縁側の窓から温泉街を歩く親子連れを見ると、寂しくなって目に涙を浮かべたりしたものだった。

今にして思えば、この城崎温泉で毎朝夕と外湯を巡ったことが、温泉好きにもなった発端であった。
浴衣と下駄で旅館の玄関に置いてある外湯券をもらい、好きな湯にあちこち入り、湯上りに土産物店や射的場を徘徊する醍醐味は、海水浴に並んでエキサイティングな楽しみでもあった。

車掌長にとって、初めて綺麗だなと思った記憶のある海の想い出は、そんな竹野浜と城崎温泉であった。

そんな城崎温泉にも、久々に行ってみたくなった。
車掌見習を連れて、想い出の海水浴場と温泉地を訪ねるのも一興に想う…

 

 

時刻表神社創建1周年

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2017年3月26日 04:57

今朝、時刻表神社のおみくじは「吉」であった

車掌長が日課としていることの1つに、時刻表神社の「おみくじ」を引くことがある。
手前味噌で恐縮だが、この「おみくじ」がなかなか巧妙にできており、良い結果が出るとその日のテンションが上がってしまう。

本日、時刻表神社は創建1周年を迎えた。

これまでに「大吉」が出たのは、わずか2回…
ゆえに、「大吉」をひくと何か本当に佳き出来事が起こりそうな期待が身を包む。

とは言うものの、結果として何か佳きことが起きたことは無かった。
しかしながら、日々の生活にプチな楽しみや抑制を与えてくれるのは非常に面白い。

車掌長は中学生の頃から、旅先で神社仏閣を訪れるようになった。
それは、観光としての意味合いももちろんあったが、その頃の自身の心の乱れや不安を打ち消してもらいたい想い、或いはそれらを誘因する災いを無くしてほしい…そんな願いがあった。

現在も旅先での神社仏閣巡りは続けており、地元の寺社を通りかかった際にも、手を合わせているが、そんな「想い」や「願い」は次第に変わり、ここ数年は「感謝」になった…

車掌長も凡人であるから、この歳になっても願い事が幾つもある。

だが、一方で、家族の平穏や世の中の平和に感謝するとともに、いまここに「ただある」だけの自分の存在への感謝の念を、神や仏に伝えているように思う。

最近は、この「只」や「唯」(ただ)という字や意味が好きだ。
「只」や「唯」を調べると、こんな意味合いであることがわかる。

ありきたり、ありのまま、普通、何事もなくそのままであること、それだけetc…

自身で創建した時刻表神社も、「ただある」ことに意味がある。

車掌長自身が中学入学時から毎月の購読を始めたJTB時刻表…
それ以降の日々、月々、年々をともに過ごした1冊1冊には、表現しきれない「感謝」の念がある。

また、それら1冊1冊の表紙をみると、当時の車掌長の生きざまがフラッシュバックのように蘇る。

今後、次第に時刻表神社に収められてゆく想い出の時刻表たちが、「ただある」形へと昇華してゆくことで、時刻表神社の歴史が深まってゆくだろう。

 

 

コメント(2件)

電車猫さんからのコメント(2017年5月 7日 14:05投稿)

はじめまして!
JTB時刻表だけでなく、my line 東京時刻表も時刻表神社に奉納していただきたいです!

車掌長さんからのコメント(2017年5月 7日 20:03投稿)

電車猫 様

このたびは、「哲×鉄」にご乗車いただき誠にありがとうございました。

電車猫さんのご要望、ぜひ時刻表神社にも奉納できればと存じますが、お恥ずかしながら車掌長は「my line 東京時刻表」は1冊も所有しておりません。

もし、電車猫さんが所有されているものがありましたら、どのような形で奉納(掲載)が可能か、社務所の担当者に確認してみたいと思います。

よろしければ、どれほど所有されておられるかetcお聞かせいただければ幸甚です。

電車猫さんも時刻表がお好きであることをお察しいたします。
電車猫さんは、「時刻表」とはどんな出逢いがあったのでしょうか…

また、最近は色々なジャンルの時刻表が発行及び販売されていますが、「my line 東京時刻表」の魅力はどんなところにありますでしょうか。

車掌長は、偏狭で大変申し訳ございませんが、自身の人生に大きな影響を及ぼした「日本交通公社時刻表」を敬愛しており、ゆえに、そこに崇拝の念を覚えたことから、僭越ながら時刻表神社を創建するに至りました。

もちろん、他の時刻表を愛読しておられる方々への共感もあります。

ぜひとも、今後佳きお付き合いができれば幸いです。

取り急ぎ御礼かたがたご挨拶まで

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祝・JTB時刻表国際線航空ダイヤ掲載復活

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2017年3月19日 05:53

時刻表の新しい月号が店頭に並んだ。

個人的には書店に平積みされた真新しい時刻表を見ると、華やいだ気持ちになる。
今月号の表紙には、国鉄分割民営化30年の大きな見出しがあった。
JR発足後、かような歳月が流れたことに驚いてしまう…

JR発足30年も大きな節目だが、車掌長自身は別の見出しに心が躍った。
それは、日本発着の国際線航空ダイヤ掲載の復活。

昨春、北海道新幹線開業時のダイヤ改正で、姿を消した国際線ダイヤの掲載。
北海道新幹線や新たな第三セクター線の開業、他在来線のダイヤ改正に伴う掲載記事の増加etc…
時刻表の宿命である重量1000gを超えない制約の下、国際線ページは玉突きで追い出されてしまった。

しかしながら、今月発売の4月号から見事に復活し、「日本の総合交通機関の時刻表」としての再充実を果たしてくれた。

当然、犠牲になるページもあった訳だが、それは巻末にあったJTB協定旅館ホテル連盟加盟の「旅館・ホテル案内」であった。

JTB時刻表に国際線ダイヤが新たに掲載されたのは、1987年6月号であった。
JR発足同様、こちらも掲載から30年も経ったのだなぁ…と感慨深い。

国際線ダイヤ移り変わりは、日本の世界との関わりやグローバル化の変遷とシンクロしている。

1987年6月号を倉庫から出すと、日本発着の国際線掲載航空会社は40社。
国際空港は今のように地方空港に就航する便は多くなかったが、沖縄発着便に成田経由ではあるものの、アメリカ本土への路線が多かったのは興味深い。

一方、今4月号を見ると、掲載航空会社は82社と倍増。
地方から直接海外へ向かえる空港も、30年前とは比較にならないほど増加した。

車掌長が初めて海外へ出ることができたのは1989年9月だったが、87年から掲載された航空ダイヤを眺めては、どんな国に行ってみたいか妄想が膨らんだものだった。

また、航空会社をアルファベット2文字で表記する2レターコードや、世界中の空港をアルファベット3文字で表記する3レターコードが好きになり、時刻表に掲載されていたものはほぼ覚えてしまった。

これらの趣味で覚えてしまった知識が、社会人第一歩となった旅行会社での業務や、二歩目となった専門学校トラベル学科での教鞭で役に立つとは、夢にも思わぬことであった。

ところで、久しぶりに1987年6月号を手にして表紙を見ると、高千穂線のディーゼルカーが、廃線前は日本で最も高い鉄道橋として知られた高千穂橋梁を渡る写真であった。

余談だが、1987年は車掌長が愛知県に下宿し、夜間大学に通い2年目の頃だ。
印象に残っているのは、その頃、落合信彦氏がアサヒ・スーパーDRY誕生のCMに出ており、それまでのビールにない喉ゴシ感が刺激的だった。

当時の車掌長は、火曜から日曜まで朝6時半~17時の間は喫茶店で時給500円のバイトして、そこから大学のある海に面した町に向かい、18:15から21:15迄の講義に出ていた。(出ていない日も多々あったが…)

話が脱線してしまったが、時刻表に話を戻すと、本文となる各線のダイヤもJR民営化直後で、まだまだ国鉄時代そのまま…
在来線の昼行特急、ブルートレインが健在で、急行・普通の夜行列車も少なくなりつつもまだまだ走っていた時代であった。

こと、列車ダイヤに関しては当時に戻りたいという、ノスタルジーに胸がキュンとしてしまう。

ふと、ユーミンの「あの日にかえりたい」が、胸中を霞めた…

♪青春のうしろ姿を 人はみな忘れてしまう
  あの頃の わたしに戻って
  あなたに会いたい

皆様にとっての30年前とは、どんな時代や時期だったのだろう…
 

異邦人~時間旅行の始発駅~

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2017年2月11日 06:45

今朝の某新聞、別刷り土曜版の特集に見入った。

毎週、80年代前後の流行歌を、曲の生い立ちやエピソード、当時の世相を紹介する欄。
今週は、1979年12月の曲として1位に輝いた「異邦人」だった。

その頃、車掌長は小学6年生。
久保田早紀さんが歌う、当時は珍しかったエキゾチックな調べに魅せられた。

また、詩も美しく、「シルクロードのテーマ」という副題が、旅心を誘った。
海外はおろか、シルクロードなど、車掌長にとっては、未知未開の土地…
ただ、その2年ほど前に、慕っていた叔母が嫁いでご主人の赴任先へ旅立った、サウジアラビアという異国を、漠然と結びつけていた。

実は、この「異邦人」、車掌長の時刻表人生にとってもエポックメイキング的な曲だった。
それは、歌中に現れるフレーズ…

♪時間旅行が 心の傷を
  なぜかしら埋めてゆく 不思議な道

曲の2番目、サビの部分へと続く前に、歌詞のとおりに不思議と、広く見晴らしの良い乾いた蒼空の下、1本の鉄路が脳裏に浮かび上った…

それは、過去と未来を繋ぐレールに、「今」という駅に立つ小さな自身の姿の投影…

そして、そんな不思議な感覚を「時間旅行」というフレーズが、車掌長の胸にズドンと落ちた。

その言葉が、それまでモヤモヤしつつも、言葉にできなかった自身の「旅」への想いを象徴する出逢いとなった。
それ以降、車掌長が時刻表と共に歩んだ道は、「時間旅行」という概念がパートナーだった。

そんなことを思い出せた今朝の記事に、昇りはじめた太陽がひときわ眩しく感じた。

流行歌には、冒頭の新聞記事も語るように、様々な人々の想い出があるものだ。
きっと、哲×鉄をご覧いただいている皆様にも、ご自身にとっての想い出の曲があるのだろう…

ちなみに、車掌長が学生時代に過ごした愛知県の某町にも、異邦人という名の店があった。
 

コメント(2件)

希望者挙手さんからのコメント(2017年2月14日 02:19投稿)

こんばんは 寝台列車への乗車です(笑

私の思い出の曲は、BOSTONというロックバンドの「Don't Look Back」です。(ちなみにヘビメタではありません…笑)

この曲に出会ったのは中学1年生だった1978年。(「異邦人」の一年前ですね)この頃は洋楽を聴き始め、まだヘビメタの境地に至ってなかったんですね(笑

アルバム・ジャケットのカッコ良さに惹かれて買った(いわゆるジャケ買いですね)レコードの1曲目に収録されていました。

ただ、この曲をヘビロテしたのは、私が高校を卒業して親元を離れて一人暮らしをしていた一時期、レコードからダビングしたカセットテープをAIWAのラジカセにセットして、AKAIのオーディオ・タイマーに接続して、毎朝この曲で目覚めていました(笑

機会があったら、ぜひ聴いてみてください。朝の目覚めだけでなく、何かを決意した時、ちょっと落ち込んだ時など、心のスイッチを入れてモチベーションを高くしたい時などには、うってつけの曲ですから。

今でもこの曲はスマホで持ち歩き、気分を切り替えたい時などに聴いてます。

車掌長さんからのコメント(2017年2月14日 05:29投稿)

希望者挙手 様

毎度ご乗車ありがとうございます

想い出の曲のエピソード、ありがとうございました。
「Don't look back」、ぜひ拝聴したいと思います。

コメントを拝見し、同世代を生きた人間に響く言葉が散りばめられており、懐かしさが込み上げて参りました。

ジャケ買い、レコード、ダビング、カセットテープ、ラジカセ、オーディオタイマー…
それらのどれもが、魅力的な存在でした。

買う動機、聴くまでの店から家までのワクワク感、聴くための作業・手順自体に、手間がかかりつつも、受け身でない能動的な自分の行動に様々な「甲斐」があったのだと、便利になり過ぎてそれらを失いつつある今日、より一層感じます…

車掌長もラジカセにオーディオタイマーをつなぎ、色々な曲を目覚まし時計代わりにしていました。

専ら邦楽でしたが、高校時代は「My Revolution」など、お気に入りでした。

希望者挙手さん同様に、何か決意をした時や、モチベーションを高めたいときなど、自分を高揚させる曲というものが、確かにありましたネ。

一方、高揚した心持を落ち着かせたり、癒されたいときなどに聴くバラードなども、学生くらいから好んで聴き始め、心のバランスを取っていたように思います。

余談ですが、昨夜たまたま付けたTV番組についつい見入ってしまいました。
番組名が「歌のゴールデンヒットオリコン1位の50年間誰もが知るヒット曲を聴きつくし歌いつくす1位だけ4時間SP!」と、やたら長いのですが、普段はほとんど見ないテレビを、後半の2時間を食いつくように見てしまいました(笑)

そして、こういうものを懐かしむ歳になったのだなぁ…と、ふと現実の我に返りました。

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