ライオンバス

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2016年2月22日 05:36

昨日、当車掌区で多摩動物公園を訪れた。

目的はライオンバス乗車。
随分前に、今春3月にバス発着場の耐震化工事の為、当面の間運行を休止することを知っていた。

当園のライオンバスは、世界初のサファリ形式で観覧できる画期的な試みであった。
運行開始は1964年5月であるから、東海道新幹線開業と同年、50年以上前のことだ。

昨日、車掌長が思い立って訪れたのは、小学校低学年の頃、父が妹も一緒に連れてここに遊びに来た想い出があったから…

そして、その時撮った数少ない写真の中に、ライオンバスの発着場であるアラビア風の建物が一緒に映り、子どもの目から見た不思議な形が、その後いつまでも脳裏に焼き付けられていた。

あれから40年以上…
いざ、48歳になったばかりの眼で発着場を見ると、写真の記憶そのままの形であり、感慨深かった。
そして、その時撮ったアングルと同じ場所で、専務車掌と車掌見習を記念撮影。

運行休止までまだ1ヶ月ほどあるからか、混雑はしておらず10分足らずの待ち時間で乗車できた。
発着場のバス出入口は、重々しい鉄の柵扉で開閉し、ちょっとスリリング。

子どもの頃はもっと広い敷地に思えたが、こうして見ると意外に狭い囲いの中をグルグルと回っていたのだなぁと認識を改めた。

しかしながら、猛獣をガラス1枚の窓ごしに観覧できる迫力は変わらなかった。
窓の高さに合わせた高台の餌場では、骨付きの肉片を頬張るライオンを間近に観察できた。
車掌見習は怖がって、専務車掌に抱きついて離れなかった。

多摩動物公園は、広大な敷地に様々なテーマで動物を観察できるが、今日は車掌見習に別の約束もしていたので、今日はライオンバス乗車のみで退園した。

別の約束とは、京王線の多摩動物公園駅に隣接した「京王レールランド」に行くこと。
館内や敷地には、京王線で活躍した往年の名車両や、小型路線バスの実物、大きな鉄道模型のジオラマがあり、車掌見習の眼はライオンバス乗車時よりも輝いていた。

敷地外周を一周する9000系のミニ電車は、各地のミニSLのように乗車できる車両を牽引しており、車掌見習と乗ってみた。
早歩きほどのスピードなので、専務車掌が並走し写真を撮ってくれた。

降車後、車掌見習が先頭車両の9000系に顔をくっつけて車内を見ていたら、「ボクはずいぶん熱心だね!」と年配のジャムおじさんのようなスタッフに誉められた。

動物園でもレールランドでも、相当歩いて帰宅後すぐに寝るだろう…とタカをくくっていたが、寝る前にもう一運動と欲張ったのがマズかった。

最近上手になったストライダーに乗せたら、どこまでも跨って走り続け、今春登園する幼稚園の半分近くまで来てしまった。
その距離はざっと、1.5㎞弱。距離よりも道順を覚えていることに驚いてしまった。

車掌長は後や横に並走し、車や自転車に気を付けてくっついていたが、どこまで行くのかなぁ…と思っていたら、幼稚園に向かう道であった。

何度か専務車掌が運転する自転車の後ろに乗って幼稚園に行っているので、道順を覚えてしまったのだろう。

それはともかく、今日のオチは、帰りは車掌見習を抱っこで家に戻ったこと。それもストライダー付で…
これはかなりの重労働であった。

 

 

50年の時間旅行

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2016年2月 2日 04:15

まさに新たな門出を祝う、ミラクルな晴天であった。

一昨日、乗務日誌ご常連の御方の50歳を祝うサプライズパーティーを開いた。
場所は東京湾でのレストランクルーズ船。

週間予報が出始めた頃から、当日の天気に一喜一憂した。
そして、2日前までの予報は、雨もしくは雪、交通機関に影響も…などと報じられた。

このパーティーは、およそ半年前から企画。
まず、車掌長とその御方も共通の元同僚に声を掛け日程調整し、本来の誕生日の翌日である1月31日(日)と決めた。

次に、9月に入ってだいぶ先の話だが、御本人に予定をお聞きし、その日は車掌長と二人でささやかながら、50歳を祝いたいので、空けてもらえるようお願いをした。

了解を得た後、今度は本人には内緒で開催したかったため、奥様に相談。
だが、奥様とは20年近く会っていなかったが、昔の年賀状に自宅の固定電話の番号があったのを思い出し、かけてみた。

携帯の番号だと出てもらえないかも…と思い、自宅固定電話からかけてみた。
20年近く声を聞いていなかったが、聞き覚えのある声が受話器の向こうから聞こえた。
突飛な相談にもかかわらず、奥様は明るい声で快諾してくださった。

これで、本人に内緒で事を進める大前提が整った。
あとは、参加していただける人への声掛けだが、御本人の母上や弟、同級生、元同僚、教え子、バイククラブのオーナーと声を掛け、結果として、当日は総勢20名でお祝いできる運びとなった。

そんな多くの方々の中に、強力な晴れ男や晴れ女がいたり、皆様のサプライズパーティーへの期待や想いの強さが、雨や雪の予報から、50歳の門出にふさわしい晴天をもたらせてくれた、まさにミラクルな青空が関東上空に広がった。

皆様が船内で準備を進める中、車掌長は御本人と時間旅行のプロローグを楽しんだ。
ホテルオークラ別館ロビーで待ち合わせ、ホテル自体が美術館と称される優雅な空間で、しばし談笑。

そこから、タクシーで車掌長の母校に立ち寄り、車掌長の時刻表収集駆け出しの頃を過ごした風景を、その目で見ていただいた。

次に母校から程近い、愛宕神社へ。
ここは「出世の階段」で有名な社。

東京23区で一番高い山の頂にある神社を目指し、驚くほど急傾斜な階段を二人で一気に上がった。
江戸時代には、ここを馬に乗った武士が一気に駆け上り、将軍に褒められ出世したという。

無事にお参りを済ませ、御守も授かった後は、同じ愛宕山の頂にある、NHK発祥の地を訪れた。
そこは博物館になっており、1月30日にリニューアルオープンしたのを知り、コースに組み入れておいた。

展示物には、1960年代の街頭テレビや家庭の茶の間の様子、懐かしい番組など、子どもの頃の話に花も咲き、時間旅行の幕開けにも功を奏することができた。

見学後、行きに昇った急階段とは別の階段で麓へ降り、いよいよクルーズ出航地である竹芝桟橋へ向かった。

サプライズパーティーに参加された方には、クルーズ前に御本人と車掌長がどんな時間を過ごしたか、知らない方も多いと思い、事細かく記してみたが、その後のことは、御本人始め、皆様ご承知の通りの素晴らしい会を開催できた。

車掌長にとっても大変感慨深い一日となった。

開催後の時の流れは、「ドミノ倒し」の印象そのもの。
半年前からの準備の日々は、まさに1つ1つのドミノを並べてきた作業のようなもの。

1分で1つのドミノとすれば、半年の期間で26万個近いドミノを並べたことになるが、司会進行を務めた当日は、それらがまさに、ハイスピードで倒れながら、仕掛けを成功させてゆくような感慨であった。

そんな仕掛けの1つ1つに力を貸していただいた、参加者皆様には心から感謝を申し上げます。
本当にありがとうございました。

そんな会を盛り上げるのに必須のBGMにおいて、御本人の大好物な選曲のお手伝いいただいた、たくちゃんさんにも感謝いたします。
ジャストミートな選曲でご本人に大変喜んでいただけました。ありがとうございました。

また、準備を共に進めていただいたり、司会進行の一部を担っていただいた戻り鰹さん、どうもありがとうございました。

そして、一緒に住む中で秘密を守り続けてくださった奥様や二人の娘さんに、心から感謝いたします。真にありがとうございました。

最後に、50歳を迎え新たな船出をした希望者挙手さんに、万感の想いを込めお祝い申し上げます。

世界で一つの、一度きりの、貴方だけの人生に、幸あれ!
 

 

コメント(2件)

希望者挙手さんからのコメント(2016年2月 3日 01:24投稿)

こんばんは
久しぶりの寝台乗車は、気が付けば50歳を迎えてました(笑)

昨年春から仕事が多忙を極める事態となってしまい、先週末にようやく一区切りできたところです。

この度は、独創進取なサプライズパーティーをありがとうございました!

神谷町で待ち合わせと聞いた時、周辺には車掌長と待ち合わせたオークラ別館の他、プリンスホテルなどがあるので、ホテルの宴会場に専門学校の教え子がいたりして・・・くらいは想定していたのですが、オークラ別館を出て、その後は車掌長の解説通り、周辺散策しているうちに「やっぱり車掌長と二人だけだったか」という気持ちになり、クルーズランチの船に乗船する頃には、すっかり二人だけモードになっていました(笑)

ところが、船室の扉を開けた瞬間、そこには信じられない組み合わせの顔、顔、顔!家族、弟、同級生、元同僚、教え子・・・
船室の扉を開ける直前の気持ちと目の前の光景とのギャップに、頭の中はデロリアンに乗ったような大混乱でした(笑)
まさに、タイムマシン!

これほどの人を集めていただくのに、車掌長も私の家族もよく知らない私の友人を探し出すなど、相当苦労されたことを家内から聞きました。

さらに会の中では、家内も知らないドッキリが・・・
22年前に結婚式を二人だけで挙げて、披露宴をしていない私たち夫婦のために結婚披露の時間を設けていただき、感動は最高潮に達しました。

こんな大規模なドッキリにあったのは、生まれて初めてでしたが、心臓に悪いドッキリではなく、喜びと感動に満ちたドッキリで嬉しかったです。

本当にありがとうございました。
車掌長という友人に出会えたことは、私にとって人生の宝です。


たくちゃんさん
この度はとてもナイスな選曲ありがとうございました。私の好みをしっかり抑えていただき、かなり口ずさんでしまいましたよ(笑)

戻り鰹さん
この度は準備から当日の運営までサポートしていただき、ありがとうございました。無料受講券2枚ゲットですね(笑)

最後に、車掌長をはじめ、ご同席頂いた皆様、祝福してくださった皆様に出会えたことに感謝し、この場をお借りして御礼申し上げます。
本当にありがとうございました!

車掌長さんからのコメント(2016年2月 3日 04:53投稿)

希望者挙手 様

毎度ご乗車ありがとうございます
そして、お帰りなさいませ!

この1年近く、大変なご苦労でしたね。
本当にお疲れ様でした…

今回のサプライズ・パーティーについて、身に余るお褒めの言葉を頂戴し恐縮です。

しかしながら、驚き、喜び、懐かしい時間旅行を楽しんでいただけたなら、本望であり「my pleasure」です。

当日は、あっという間に時が過ぎましたが、準備に要した半年間は、車掌長にとって大変楽しい時間でありました。

旅行と同じように、計画や準備をしている段階が、実は最も楽しいのかもしれませんネ。

当初は、もっとシンプルなプログラム構成でしたが、参加してくださる顔ぶれがわかりはじめ、その方々と希望者挙手さんが過ごした時間を想像すると、ついつい企(くわだ)てが増えてしまいました(笑)。

また、remake weddingは、車掌長自身の20数年の心残りが発想の原点でした。

当時、仕事の相棒のハレの結婚において、諸事情によりお披露目が叶わなかったことを、ささやかながらあの場で、集まった皆さんと再度の祝福したかったのです。

娘さんお二人にもご協力いただき、こちらこそありがとうございました。

また、当日が「愛妻の日」でしたので、それにちなんで希望者挙手さんには、謝辞の結びのタイミングをBGMに合わせていただきましたが、さすが即興の名人でしたネ。
パッと、その場の状況に合わせてこなせる力は、昔から衰えていませんでした。

希望者挙手さんのご家族にも、今回初めて皆さんとお会いでき、嬉しかったです。
会を進行させながら、素敵なご家族だなぁ…と思いました。

きっと、車掌長には見えない、わからないご苦労もおありかと思いますが、どこのご家庭も様々な悩みや問題を少なからず抱きながら、凪ばかりでない嵐のような大海も航海してゆくのだと感じます。

どうぞ、希望者挙手さんも、奥様とともに「船長」と「機関長」のツートップで、これからも続く航海を乗り切ってください。
(どちらが船長かは、勝手に想像を楽しませていただきます!)

それでは、大変長くなり恐縮ですが、このたびの50歳、本当におめでとうございました。

これから先も、50代、60代と続く未知な景色を、ともに見られるような時間を過ごせれば幸いです。






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ウルトラマンと初めて会った日

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2016年1月 4日 05:55

憧れのヒーロー、ウルトラマンに最初で最後に出会った想い出の一枚がある。

その貴重な一枚に収まった車掌長は、大泣きでウルトラマンに抱きかかえられている。
記憶にないほど小さな頃のこと。

ヒーローが近所の商業施設に来た際、親が見に連れて行ってくれたようだ。
当時としては、珍しかったであろうインスタントカメラで撮り、その場でもらった写真。
インスタント写真特有の経年劣化で、だいぶ色褪せているが、最初で最後のツーショット…

今年は、ウルトラマン誕生から50年の大きな節目にあたる。
一方、車掌長がウルトラマンと会った商業施設も、今夏開業50周年を迎える。

いまや、全国的にも有名な商業施設になってしまったが、子どもの頃はもっと魅力的だった。
近所の人が普通に買い物や飲食、遊興をする店が、沢山集まった楽しい場所だった。

50年は半世紀。
一人の人間にとって、とても大きな節目だ。

いまや、長寿化の恩恵で還暦を迎える人も、多くは現役で元気に働いている。
ふと気になり、統計を調べると、平均寿命が50歳を超えるのは戦後以降とのこと。

今でこそ、50歳という節目は、自他ともにさほど祝う意識の対象ではないのかもしれない。
むしろ、働き盛りのド真ん中で、サラッと通過してしまいがちな印象だ。

だからであろうか、まだまだ働いて、一息つくのは「還暦」になってから…という人も多いだろうが、「一億総活躍」が提唱され、一息つくタイミングは、もっと先延ばしになりそうだ。

車掌長は、なぜか子どもの頃から「人生50年」という言葉が頭にあった。
それは、明治生まれで戦争も体験した祖父母から、「昔は五十も生きられなかった」という話を、よく聞かされていたからだろう。

後に知る、信長の「人間50年」という名言も、今の車掌長に少なからぬ影響がある。

平均寿命も延びた今だからこそ、日本社会というシステムで暮らす人々にとって、50歳を祝う意義を実感する。
それは、いま一度これまでの己を振り返り、更なる飛躍や上積みも、或いはやり直しや心身を痛めて休憩も、可能な歳だと思うから…

やり直しとは言っても、「ゼロ」からのやり直しではない。
今まで生きた経験値や教訓、身をもって学習した貴重な時間の蓄積がある。

ところで、表題の「Ultra man」を翻訳サイトにお願いすると、おかしな回答が導き出される。
そんな意味を期待してないのに、それが融通の効かない、ユーモアもない現実の世界でもある。

「ウルトラマン」とは、個々の中にあるヒーロー像であり、それに近づこうとする己自身が、実はウルトラマンの正体なのかもしれない。

今月は、そんな「ウルトラマン像」を語りたい御方と、二人で逢うことになっている。
そして、それはその御方もウルトラマンと同い年である50歳を祝うために…

その御方は、「哲×鉄」に最多のご乗車をいただいている。

ささやかながら、そんな楽しいひとときを過ごせるよう、今から楽しみにしている。

【臨時車内放送】

新年明けましておめでとうございます。

そして、この度の乗務が300回目になりましたこと、ご報告いたします。

今春「哲×鉄」は、おかげさまで5周年を迎えますが、今後もよろしければご乗車(愛読)いただき、乗務中の様々な出来事をともに楽しんでいただければ幸甚です。

末筆ながら、皆様におかれましても佳き一年になりますよう、心からお祈り申し上げます。

 

 

ハイケンスのセレナーデ

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2015年11月10日 05:09

今日はオルゴールの日だそうだ。

い(1)い(1)おと(十)の語呂合わせで、長野県下諏訪町の「諏訪湖オルゴール博物館奏鳴館」が制定したとのこと。
この施設を訪れたことはないが、中央自動車道の諏訪湖SA(上)で販売していたのを目にしたことがある。

オルゴールと言えば、どなたにもお気に入りの曲があったり、想い出の品があるかもしれない。
ゼンマイを巻き、小さな箱から奏でられるセピア色のメロディを耳にすると、時計の針を逆に進めるような心地よさがある。

車掌長がオルゴールと言われて、想い出すのは、「ハイケンスのセレナーデ」。
この曲名を聞いてわかる人は、「鉄分」が強い方だ。

この曲は、国鉄時代の寝台列車や客車に乗ると、車掌のアナウンスの前後に車内で流れたメロディ…
これを聴くと、「旅」が始まった実感が湧いたものだった。

JRになってからも引き継がれたが、ほとんどは電子音に吹き替えられ、機械が奏でるものは稀有となった。

しかしながら、電子音であっても、この曲を聞くとブルートレインで旅した少年の頃に戻れる。
特に東京から九州方面へ向かう列車で、朝一番の車内放送が始まる頃、朝日に光り輝く瀬戸内海を走る清々しさは、この曲の古き良きイメージとして残っている。

余談だが、気動車で聞くことができた「アルプスの牧場」も大好きだった。
のどかなメロディを掻き消すような、ディーゼルエンジンの「頑張っている」音も懐かしい…

機械の音といえば、最近はアナログのレコード人気も復活しているそうだ。
車掌長の実家にも、中学・高校時代に買ったレコードが眠っている。

たまには、懐かしいジャケットを見ながら、針が拾う音を楽しんでみたくなった。

 

 

時刻表記念日

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2015年10月 5日 06:12

今日は時刻表記念日。

由来等については、乗務日誌の2011年10月14日及び2012年10月5日に記載があるので、そちらをご参照願いたい。

ちなみに、車掌長の愛読するJTB時刻表は、今年創刊90周年。
最近は大きな節目を記念したキャンペーンを企画して面白い。

また、JR時刻表と違い、時刻表の顔である毎月の表紙も多様性に富み素晴らしい。
さすが、日本を代表する総合交通機関の時刻表、すなわち「オールジャパン・タイムテーブル」のパイオニアだ。

JRのみならず、規模の大小を問わない私鉄や、日本に存在する様々な交通機関を主人公にできるのは、JTBならではの愉しさだ。

特に、最近は巻頭企画も毎月かなり練られており、読む面白味が増した。
単に或る地域の観光案内に留まらず、一歩も二歩も踏み出して、「時刻表を使って旅に出る」という醍醐味のヒントを散りばめてくれているように感じる。

もちろん、車掌長が子どもの頃は、そうした醍醐味を「自分で発見」することこそが、時刻表愛読の醍醐味であったが、「おもてなし文化」を標ぼうする日本社会の「上げ膳据え膳世の中」の潮流を否定するものではない。

時間がなくなってしまったので、ここで筆を置くが、夜行列車や寝台列車、急行列車等がなくなり、鉄道ダイヤ自体の魅力が薄れる中、JTB時刻表には今後もぜひ読む面白さを探求し、「鉄なる好奇心」を誘う誌面づくりを心から期待している。

9月から仕事他に忙殺の日々が続き、なかなか本乗務日誌も綴れていないが、この記念日に一筆残しておきたく、再び現実の忙しさに戻ろう。
 

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