JTB時刻表7月号

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2015年6月30日 04:14

6月後半は茨城・栃木両県に半月ほど住んでいた。

もちろん、引っ越した訳ではなく、出張でのホテル住まいだが、急用が発生した際は午後東京に戻って、また夜には仮住まいの地へ帰るような生活をしていた。

一昨日は、久しぶりの丸一日の休日でのんびりと過ごせた。
月末恒例の時刻表を書店に買いに行くこともできた。

小学・中学・高校時代、時刻表7月号と言えば、買いにいくのが最もワクワクしたものだ。
それは、夏休みの計画を立てる最大の楽しみがあったから…
特に、小学生の頃は、まだ毎月購入していなかったので、そのワクワク感は相当なものだった。

話は戻って、2015年7月号のJTB時刻表は、そんな旅心をくすぐる素晴らしい出来栄えだった。
表紙には、目立つ黄色の文字を縦書きにしてこう書いてあった。

”この夏の「青春」は、いつもと違う冒険を"

表紙も単行のディーゼルカーが、函館本線の駒ヶ岳をバックに走る光景で、旅情を掻きたてる…

また、巻頭カラーページは、青春18きっぷを利用した様々なモデルプランを提案してくれている。
これなら、具体的な目的が無かった人も、そこを訪れてみたい…と思えて極めて親切だ。

このような取り組みをコツコツしていると、今まで時刻表と縁が薄かった人も、親しむきっかけが生まれると思う。

そして、紙の媒体でしか味わえない、ページを幾つも跨いで紙面を行ったり来たりする、「計画を立てる」という醍醐味が堪能できるだろう。

今回はこの巻頭ページの企画も素敵だったが、特筆すべきは黄色ページにあった特別企画「青春18きっぷで長時間運転列車に乗ろう!」であった。

これはJTB時刻表編集者ならではの、近年最大のヒット企画だと思う。

JR民営化以降、長距離鈍行列車や夜行列車、急行列車が次々と廃止されたり削減され、子どもの頃ほど鉄道旅行の醍醐味は感じられない昨今…

しかしながら、この企画で現存する長時間運転の鈍行列車の一覧を眺めていると、無性に乗りたい衝動が湧き起ってくる…

北海道には1本の列車の運転時間が8時間を超える「2429D」があるし、他のJR各社の中にも5~7時間運転する列車の存在を確認できた。
合理化、効率最優先の世の中にあっても、まだまだ頑張っている列車があるな…と感心した。

一覧を眺めていて気付いたが、JR西日本第3位の「371M」は、今年3月のダイヤ改正が実施されるまでは、岡山から新山口を走る日本一の長距離鈍行であったが、徳山止まりと短縮され、先述の北海道の「2429D」に王座を明け渡していた。

なんでもスピードが優先される風潮の中、1本の列車に乗ることに、ほぼ1日の時間を、旅程に組み込まれる人は、「時間持ち」という経済観念における「お金持ち」とは対極に位置する、贅沢な心の豊かさや満たされ方を知っている人だ。

お金で安易に交換できた高価なモノは、一瞬の満足感は得られるかもしれない。
しかしながら、そういうモノは、すぐに「次の」「別の」「他の」モノへの欲求に心が蝕(むしば)まれ、侵され、その人の中での価値を希薄にさせてしまうように感じる。

本当にほしくてお金を貯めて心をトキメかせて買った高価なものは、一生大切に使ったり所有できるはずだ…と車掌長は思う。

一方、旅で得た満足感の高い「時間」は、形こそ残らないが、いつまでも心の栄養になって、その後の生活を精神的に潤したり、困難に直面した際には、踏ん張りの効く「心の体力」が身につくように思う。

何はともあれ、子どもたちにとっては、楽しみな「夏休み」がやってくる。
車掌長の持論は、夏休みは「心を自由にする」休み時間!

この子ども時代の経験こそが、大人になってからでは獲得し難い栄養を補給できるのだと思う。

スマホで即座に得られる自分の意に沿った狭い情報や、ヒマ潰し程度や脅迫観念に縛られるような人とのつながりではなく、時刻表を片手に、液晶画面ではない、その瞳で見た光景や旅先でのナマの人間との会話を通して、どんどん人間力を蓄積してほしい…

そんな自由な旅に出てほしいと心から願う…
 

子どもの日の想い出

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2015年5月 5日 06:18

誰もが子どもだったことがある。

いきなり、大人として生まれる人間はいない。
当たり前のことなのに、大人はついつい「自分も子どもだったこと」を忘れがちだ。

今日は「子どもの日」
車掌長自身が子どもの頃の想い出として、この日をよく覚えているのは1980年だ。

西暦で書くと深い意味はなそうだが、元号に書き換えれば「昭和」。
昭和55年5月5日は、「5」が並ぶ日として世間の一部が賑わった日でもあった。

車掌長はこの頃中学1年生。
当時、車掌長の通った中学では、全生徒が記入を課せられた「生活記録」というものがあった。
さきほど、久しぶりにこれを本棚から出して見たら、当時の想い出が蘇った。

35年前のこの日、朝4時に起きてあちこちの駅の入場券や乗車券を買い集めに動き回ったと書いてあった。
そして、特に購入が大変だったのは、鶴見駅で発売された鶴見線の昭和駅の記念入場券で、4時間ほど待ったとしてあった。

この日の記録に対し、担任からのコメントはこうであった。
「マニアともなると大変ですね。感心するばかりです」と。

後日、その日の苦労話を聞いてもらったり、買い集めた戦利品を見てもらったのが嬉しかった…

10年ほど前まではこの先生と年賀状のやり取りがあったが、或る年から先生の方から途絶えてしまった。
心配になり手紙を書いたこともあったが、返事はなかった。

当時の先生方は、毎日の記録に対してコメントを書いてくれたわけではない。
また、日々の記入を怠る生徒も大勢いて、記入の指導もだいぶ労力を要したと察する。

時代が違うと言われればそれまでだが、アナログなやり取りの中で、先生は学校の外での生徒の行動や考えを把握できる余裕があったように思われる。

翻(ひるがえ)って、今の世の中はどうだろう…
情報のやり取りや連絡手段は、格段に便利になり、やり取りの対象も不特定多数に同時かつ瞬時に伝達できる場合が多くなった。

1対1のいわゆる、face to face的な書面や対面のやり取りは、次第に省かれたり、煩わしくなったりと、手間のかかる非効率なコミュニケーションになりつつあるように思う。

学校に話題を戻すと、いまの先生方は、子どもと向き合う時間よりも、書類やパソコンに向き合う事務作業の方が多いと聞く。
本来は、子どもと向き合いたい先生方も少なくないはずだが、そうはならない、できない事情もあるようだ。

しかしながら、教育の根源とは何であろうか…

教科を教えることは言うまでもないが、その大前提となる「教える」と「教わる」の人間関係を築けることが、教育の根源なのではないか…と思う。

この先生は自分に関心があるのだと、思えること、感じられることが、その関係を育めるのだと考える。

それは、電子機器間を行き来するスタンプのような液晶上で記号化された表情や感情ではなく、できれば面と向かった表情や肉声、自筆の文字で日々交わせれば…と思う。

車掌長は専門学校教員時代に、授業の始め5分ほどは、日替わりで1~2名の学生を話題にいじってから、授業に入った。
これは、いきなり講義に入るよりも、集中力の高まりや持続性に効果絶大であった。

そして、いじられた学生も、苦手な科目に取り組む姿勢が感じられた。
関心を持ってもらうことが嬉しかったという、車掌長自身の体験に根差すやり方だった。

子どもの日にちなみ、大人は自分がどんな子どもだったのか…
そのように振り返ってみる日であっても面白いと思う。

どんなことが好きだったり、嫌だったのか…
思い返すと、今後の仕事や子育てetc、色々なヒントが見つかるかもしれない。
 

哲×鉄誕生日に想うこと

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2015年4月 5日 04:56

今日は「哲×鉄」の誕生日

平成23年4月5日、「哲×鉄」を立ち上げ、今日で4歳。
まだまだ、完成途上のいわば鈍行列車の旅路にある。

ちなみに、今月はJTB時刻表愛読35周年でもある。
中学入学の1980年4月、毎月の小遣いをもらえるようになった際、毎月末に買えるようになった。
その時の小遣いは1000円で、時刻表は500円であった。

小遣いの半分を費やし熟読した時刻表は、捨てることができず、溜まる一方であった。

中学1年と言えば、当時の成績は高校入学も危ぶまれる状況だった。
唯一、突出して良かった社会科以外、何も秀でたものがなく、5段階評価での数学や英語は限りなく「1」に近いような「2」であった。

これはさすがに、時刻表の読み過ぎが原因だと自覚していた。

しかしながら、親は「勉強しろ」とか、「時刻表を見るな」とか、「時刻表を捨てる」などということを言わなかった。
いや、正確には、仕事が忙しくそのように言ったり、子どもに気を回す余裕がなかったのだろう。

或る日、父の職場の創業何十周年かの記念品を貰った…と、大きな辞書を持ち帰ってきた。
そこには、「大辞林」とあった。

時刻表もそうだが、調べることが好きな車掌長は、「辞書を引く」という行為に目覚めた。
いつの頃からか、小さな机の上には、時刻表と大辞林が並ぶようになった。

最初は無意識だったが、言葉の意味がわかり始めると、教科書に書いてあることや、教師が問うている意味が、次第にわかるような気がしてきた。

中学2年の夏休み、南東北の旅先で一大決心をした。
もう一度、躓(つまづ)いた場所に戻って、勉強をやり直そう…と。

ところで、辞書というのは、なぜ「引く」という言葉を充てるのだろうか…

それは、「字引」と言われるように、字がそれで良いかどうかを、引き出す(選び出す)という意味があるそうだ。

なるほど、言葉や字というものは、人間が意志や物事を他人に伝達や説明するために、長い時間をかけて生み出してきた財産だ。

そんな言葉の海や宇宙の中で、自分が知っていたり、使っている言葉は、コップ1杯分や東京の空で見える星の数ほど、少なかったり、限られているのだと思う。

今朝の新聞で、辞書の広告特集があり、興味深く読んだことも影響しているが、ネット検索全盛の世の中にあって、「辞書」の魅力を久し振りに再認識した。

飲食チェーン店のような、全国どこにでもあるような言葉ではなく、路地裏にあるような、そこにしか存在しない店や味の発見に喜びを見い出すような、そんな「言葉探し」の寄り道をしながら、過ごしてゆきたいと思った。

今日はこれから仕事に行かねばならず、尻切れトンボになってしまったが、この辺で失礼する。
 

コメント(4件)

希望者挙手さんからのコメント(2015年4月 7日 02:15投稿)

こんばんは
哲×鉄4周年&JTB時刻表愛読35周年、おめでとうございます。

実は、私が所属しているバイク・ツーリングクラブは、昭和44年4月4日発足で先週の土曜日に46周年を迎えました。
平成3年7月から私は所属して、間もなく24年を迎えます。人生の半分をこのクラブと共に過ごしてきたことに驚くとともに、時の流れの速さを実感してしまいました(笑

漢字といえば、27歳で亡くなってしまった女優の夏目雅子が、作家である伊集院静との結婚の決め手の一つに「憂欝(ゆううつ)」や「薔薇(バラ)」という漢字をサラッと書いてみせたことを挙げていました。
それを知って、女子からモテようと、せっせと漢字を覚えた私など、お恥ずかしい限りです(笑

また言葉といえば、中学の3年間は読書に耽り、卒業文集の寄せ書きには(トルストイの本のタイトルから)「光あるうち光の中を歩め」などと、ませた言葉を書いたものです(笑
タイトルに惹かれて買ったものの、当時はほとんど理解できなかった本ですが、後になって読み返すと自分に重なる部分が多く、もっと早く読み返しておけば良かったと反省したりしています(笑

下心が原動力となって勉強してきた私ですが、ボキャブラリーの豊かさと人生の豊かさは比例しているように感じられますね。

車掌長さんからのコメント(2015年4月 7日 05:36投稿)

希望者挙手 様

毎度ご乗車ありがとうございます

車掌長も「憂鬱」や「薔薇」は読めても書けません(笑)
こんな漢字をサラリと書けたら、きっとその人のバックボーンに興味を抱くと思いました。

希望者挙手さんの所属するバイクツーリングクラブも、随分と歴史があったのですネ。

平成3年といえば、車掌長が専門学校の教員になった年。
その節は、大変お世話になりました。

ちょうどその時に、希望者挙手さんはクラブに入られたのですネ。
人生の半分を同好の皆さんと楽しんでいらっしゃったこと、素晴らしいと思います。

仕事や職場以外の人間関係が、どれほどあるかは、その人自身の魅力にも比例するように感じます。

希望者挙手さんが仰る通り、ボキャブラリーの多さと人生の豊かさは比例すると思います。

車掌長もある時、こんなことに気が付きました。

言葉は思考を支配し、思考が行動を決すると…

物騒な話ですが、「てめえ、ブッ殺すぞ!」のような言葉を日常的に使っていると、いつか本当に衝動的に、言葉が感情を抑えられなくなり、取り返しのつかない行動を起こすように思うのです。

人間は誰しも、とても小さく弱いものですから、見栄や虚勢を張ったり、自分を守るために他人を威嚇するのではないか…とも思います。

しかしながら、自分が見たものや感じたことを、色々な言葉に置き換えられたり、他の表現方法を知ると、「自分」を客観視できるようになります。

それは、きっと長い長い人類の歴史の中で、先人達もそう思ったことを、文字や言葉、文学にして紡いできた織物に、自分も袖を通すことだと思うのです。

日常、自分がどんな話し言葉を使っているか…
似たような言葉を使う者同士とばかりの人間関係に、埋没していないか…

そんなことに気が付いた時が、新たな自分との出逢いのように思います。

そして、あとは個々で違うかもしれませんが、おそらくその「新たな自分」とは、「自分のために」ではなく、「他者のために」動くことを歓びと感じたり、許容や寛容という「心持ち」を手に入れる充足感であるように察します。

まさに、それはお金で買えない「価値」です。

希望者挙手さんの中学卒業文集に書かれた言葉、素敵ですネ。
「光あるうち光の中を歩め」

車掌長は「明けない夜はない」や「陽はまた昇る」、という言葉が好きだったり、励まされ頑張った時期もありました。

一方で、もうそのように思えないほど、絶望の淵に突き落とされた暗黒な時期もありました。

今思えば、そんな時でさえやはり、生きていれば、一筋の光が自分に差す時が訪れることや、「言葉の力」が実在することを経験しました。

たくちゃんさんからのコメント(2015年5月 8日 06:25投稿)

気がつけば、連休も終わり、
連休前にもらってきた風邪により、のどの痛みが続き、
さらには、相方にまでうつしてしまい、
若干の自己嫌悪に陥りながらも
たまった仕事を眺めて呆然としつつ
それでも何とかこなしていかないとと、自身を叱咤激励し
万全とはいえない調子の中、デスクに向かう

たくちゃんでございます。
先日はありがとうございました、って、
もう、先月のお話になってしまうのですね。

体調を含めたいくつかののトラブルを抱えつつ
何とか日々、生きて行っております。

そういえば、4周年になるのですね。
今さらですが、おめでとうございました。
それほど問題なく、運営を続けていけているのも
車掌長はじめ御金蔵奉行であらせられます専務車掌様、
ならびに皆々様のおかげと、大変ありがたく感じております。

あれから4年たつのですね。
時の移ろいとは、いやはや速いもので。

ワタクシたちの生活スタイルの激変、
車掌見習い様のご就任、
専務車掌様のご尊父様、
果ては、小生の愛車の色が変わってしまったりと
いろいろなことがあった4年間でした。

今は、何とか、以前の生活スタイルを取り戻すべく
日々、善き人たちからの良いご縁を頂きまして
おかげさまで少しづつ、形になりつつあります。
ちなみに、本日も午前中の予定をこなした後
いくつかの予定が入っております。
忙しくさせていただいているのは、大変ありがたいことと
日々、感謝しつつ、すごしております。

最近、知り合った方のお店で購入した、小さなアートフレームに書いてある言葉、
今、それがマイブームになっているので、
皆さんほどではありませんが、ご紹介を。

「なんとかなるんじゃないですか~」

是に尽きます(笑)。

状況を大きな枠でとらえつつ、過ぎたことにくよくよせず、
そのときにできることを、精一杯する。
今の私には、「楽になる」言葉であるとともに
「こうでなければ」という、目標でもあるのかもしれません。

保線についても、最近はあまりお話を頂いておりませんが、
便りのないのはいい便り、ということで
何かあったら、ご連絡を。

取り留めのないお話、失礼しました。
ではでは~

車掌長さんからのコメント(2015年5月 9日 06:32投稿)

たくちゃん 様

毎度ご乗車ありがとうございます。

こちらこそ、先日はありがとうございました。
たくちゃんさんの手料理の数々、どれも美味しゅうございました!

どれもお酒を欲したくなるような逸品ぞろいでしたが、中でも鰹が美味でした。
ぜひ、今度はお酒も飲める状態でご馳走になりたいです。

お仕事も軌道に乗りつつあるようで、安堵しております。
これもたくちゃんさんの「才」あってのこと、と思います。

車掌長は、同業他社では見られない、真にユーザーに寄り添った姿勢に敬服しております。

ゆえに、車掌長のような素人でも、おかげさまで「哲×鉄」が無事に4周年を迎えることができたのだと、感謝している次第です。

ところで!
「なんとかなるんじゃないですか~」、イイですネ!
車掌長も自身の人生の半生と照らし、共感します。

古くて恐縮ですが、「Que Sera,Sera」も大好きな言葉です。
「ケセラセラ」、「なるようになる」「先のことなどわからない」…

たくちゃんさんも仰るように、過ぎ去ったことにくよくよしても、「今」の状態が何か変わるわけでもありません…

また、不透明な将来を案じて「今」を踏み出せないでいるよりも、「なるようになる」という意志を持つ自分に、明日が訪れたり近付いてくる気がします。

車掌長も、日頃から「心の豊かさ」や「気持ちの余裕」などと言う文言を綴っていますが、それは裏を返せば、自分自身への「言い聞かせ」でもあります。

ついつい、忘れがちな、或いは散々後悔した過去の事象を戒める意味もあるのです。

「意志」を持って、最善とは言わずとも、良い方向へ向かえるように自分を働かせてこそ、「なんとかなる」結果があるように思います。

車掌長も取り留めない内容になってしまいましたが、今夏あたり、ぜひ旨酒をしましょう!

そのとき、ちょっと「哲×鉄」の我儘な妄想も聞いていただけると嬉しいです。

ではでは、ご無礼します!

4件のコメントがあります → まだまだコメントお待ちしてます!

今年の新人

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2015年3月30日 05:28

春はこの国において、大きな節目の季節。

学業の進級、進学、卒業や、新社会人となる入社や異動、転職etc…
年度を境に、暮らしに関わる制度や仕組みも変わることが多い。

今朝の新聞に、こんな記事があった。
"今年の新人は「柔軟に書き直せる消せるボールペン型」"と。

これは、公益財団法人の日本生産性本部が、毎年入社シーズンを前に発表する新入社員のタイプ命名だが、その特徴分析結果が、とても面白く興味深い。
以下、命名の理由を引用。

見かけはありきたりのボールペンだが、その機能は大きく異なっている。
見かけだけで判断して書き直しができる機能(変化の対応できる柔軟性)を活用しなければもったいない。
ただ注意も必要。
不用意に熱を入れる(熱血指導する)と、色(個性)が消えてしまったり、使い勝手の良さから酷使しすぎると、インクが切れてしまう(離職してしまう)。

ちなみに、この命名の歴史は比較的古く、1973年から行われているとのこと。
早速、車掌長が社会人となった1990年を調べたら、「タイヤチェーン型」とあった。

その命名理由(解釈)は、「装着大変だが、装着の具合次第で安全・駆動力OK」とのこと。
他の年にも目をやると、どの年も流行ったり、話題になったことなど、世相を反映していて、今振り返ると面白かったり、味わい深いなぁ…と感慨に耽(ふけ)った。

ところで、「消せるボールペン」というのは、車掌長が新入社員の時代にはなかった。
車掌長は、「消せない」からこそ、ボールペンや万年筆を愛用していた。

間違えれば、横棒を引く。それが気持ち良かった。
そうすれば、自分が間違った思考や書き誤まるクセの航跡がわかる。

特に、私的なメモや、学生時代のノートは、全て万年筆を愛用した。
インクは「ブルーブラック」。
ペン先は中字の「M」。

これは、社会人になっても使い続け、専門学校教員時代まで約10年ほど使っていた。
最後は、同軸が折れ使えなくなったが、想い出深い相棒であった。

今は、仕事上、よく紛失してしまうので、100円前後のボールペンを使い捨てしているが、何か大切なものに向き合って書く際は、愛用しているボールペンを使っている。

「書く」という動作は、日常では少なくなっているが、共に時を刻む相棒の存在は、頼もしいと思える。

今年の新人が「消せるボールペン」なら、車掌長はさながら、「消せない記憶の中を流離うトラベラー」だろうか…

今年の新人を例えた筆記具から、昔のことを思い出す時間旅行を、ひととき楽しめた。
 

山陽新幹線の想い出

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2015年3月10日 05:27

本日、山陽新幹線は開業40周年を迎えた。

1975年3月10日、岡山~博多間が延伸開業し全線開通。
東京~博多間が新幹線で結ばれ、首都圏と西日本・九州相互間の移動が時間的に身近となった。

車掌長は開業数週間後となる、小学2年生の春休みに初めて新大阪以西を乗った。
父方の祖母と姉妹・従兄弟の親戚一同の十数名で、島根県の知人宅へ行く旅行であった。

旅行の手配をしたのは父であった。
旅行前、時刻表を見ながら行程を考え、算盤(そろばん)で運賃計算をしていた姿を覚えている。
まだ電卓が高価だった時代であり、我が家には無かった。

東京から6時始発のひかり号で広島へ行き、芸備線に乗り換えて三次まで。
更に、そこから国鉄バスを2回乗り換え、2時間ほど走った山間部のバス停に降り立った。

それは午後3時か4時近かった頃だったと思う…
そして、大人たちの交わした会話が印象深かった。

こんなに遠いところまで、こんなに早い時間に着けるのは、さすが新幹線だね、と。

車掌長は、訪問した知人宅の家の大きさに圧倒された。
また、玄関を入った土間に牛が飼われていたり、厠(かわや)が外にあるのに驚いた。

夜は、その土間を通って用を足しに行くのが怖くて、大人が行くタイミングに合わせて行った。

面白かったのは「五右衛門風呂」。
大人2人が入れるような大きな釜に、板が浮いていて、それを踏み沈めながら入る風呂だ。

日常の生活様式とは全く違う異次元空間に戸惑いながらも、年上の従兄弟がキャンディーズのモノマネをして笑わせてくれたのが、とっても楽しかった…

翌日、出雲大社に行ってもう1泊し、最終日は宮島を訪れて、夕刻の新幹線で帰路についた。

これが車掌長の初めて山陽新幹線に乗った想い出…

あれから40年の月日が流れた…
キャンディーズが大好きで、後楽園のサヨナラコンサートにも行ったという、年上の従兄弟は、数年前に病で亡くなってしまった。

そして、父の姉妹がお世話になったというその島根の知人は、戦争のときに、援助をしてくれた方だったと記憶している。

折しも、今日は東京大空襲のあった日から70年。
10万人以上という、想像を絶する犠牲となった方々の御冥福をお祈りたい。

また、年上の従兄弟のYちゃんには、よく遊んでもらった想い出に感謝し、御冥福を祈りたい。
遥か天上でも、スーちゃんを応援したり、逢えているかも…などと思いつつ。

 

前の5件 678910111213141516