時刻表3月号、索引地図を眺めていたら...

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2019年3月18日 05:30

今月のJTB時刻表3月号は、JRダイヤ改正の話題が満載であった。

とくに、巻頭カラーページの「編集部がみつけた!時刻表3月号のみどころ」は良かった。
JR各社のトピックスやレア情報だけでなく、三陸鉄道リアス線の全線開業や、他の民鉄の話題も多く、「読み鉄」向けの工夫が凝らされており、純粋に読んでいて楽しい。

JTB時刻表は近年、「使う」から「読む」ものとして、進化を遂げている。

そんな所感を抱きながら、今JRダイヤ改正で開通した「おおさか東線」の新しい路線が、地図上でどのように記載されているか見ようとしたところ、そこへ行き着く前に中国・四国地方のページで捲(めく)る指が止まってしまった。

この辺りは、普段と何も変わらないハズだったが…
偶然にも、錦川鉄道の駅名に※印の付いた駅に目が留まった。

その駅は「(臨)清流みはらし」駅。

※印があった場合、欄外に注釈があるので、視線をページ上下左右の端っこに移すと、下部に3月中旬頃開業予定ですとのこと。

すぐさま、錦川鉄道掲載ページ(P325)を調べると、同じ文言が欄外にあり、実際のダイヤを調べようと、時刻本文を見たら、全列車が当該駅を通過扱いとなっていた…

定期列車が停まらない季節営業の臨時駅設置は、国鉄時代からスキー客や観光客等の便宜を図るために幾つかあるが、この駅の開業理由が気になって、錦川鉄道のホームページを見て合点がいった。

3月19日開業の同駅は、イベント列車だけが停車し、この列車の乗客のみが降り立つことができる「秘境駅」とのことであった。

したがって、一般客の乗降はできず、時刻表掲載の列車も全て通過扱いとなっていた。

HPには、この新駅設置は26年ぶりともあったが、このように観光(秘境駅訪問)に特化し、乗降客も限定した駅は、とてもユニークであり、素敵だと思った。

錦川鉄道は、旧国鉄岩日線が第3セクターとして再生した路線だが、「とことこトレイン」と呼ばれる、昔の計画で延伸され鉄道が通るように整備された跡地に観光用トロッコを走らせたり、鉄道の魅力を色々な形で工夫を凝らしているユニークな鉄道事業者だ。

ぜひ、新駅にも立ち寄って、「とことこトレイン」にも乗る目的で訪れてみたい。



 

前改元を過ごした土地を再訪

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2019年1月 8日 04:48

今年は改元の年…

前改元、つまり昭和から平成へと移行する際、車掌長は愛知県の或る地域で学生時代を過ごしていたが、今般、新たな元号に移るにあたり、この土地を急遽再訪してみたくなった。

久能山東照宮参拝を終え、東名高速清水ICから愛知県を目指した。
新東名高速の開通以来、だいぶ交通量は分散され走りやすくなったが、車掌長は新たなルートよりも、元祖とも言うべき、この東名高速道路が好きだ。

ちなみに、今年5月26日は、東名高速道路全線開通50年の節目にあたる。

まだ日本に「ハイウェイ」と呼ばれる高速道路が僅かだった時代、時速100㎞で走れる道路に、人々はどんな感覚でハンドルを握り、車を走らせていたのだろう…と、想いを馳せる。

「クロソイド曲線」と呼ばれ、弧を描くように高速で走る車の進行方向を、緩やかに変えてゆくカーブの設計概念も、当時、外国人技師によって日本にもたらされた。

適度なカーブを繰り返しながら、目的地へ車を走らせる行為の連続は、好きな音楽を聴きながら走るには気持ち良いが、ここを時間を気にしながら仕事で走る運送・輸送業等の皆さんには、高速道路走行は過酷な職場であることに一変させてしまうのだろう。

立場が変われば、モノの見方や捉え方も変わってしまうもの…と思った。

某ICで降り、一般道を小一時間走らせた。
ぼんやりとした懐かしさは感じ取れるものの、立派な道路が造られ、区画整備も進んだ街並みは、どこか他の町に来たようにも思えたが、一部当時のままの場所も見受けられた。

しかしながら、車掌長がお世話になったバイト先の喫茶店は、大体この辺りにあったなぁ…と推測する程度にしかわからないほど、全く別の会社や店の建物に変わっていたのは残念であった。

また、一番最初の下宿先のボロアパートも、見違えるほど瀟洒なワンルームマンションになっており、一見、学生には敷居が高い物件に思えたが、オートロックの玄関脇に「○○大学指定下宿」と書かれた看板を見つけ、全く無関係ではないことに不思議な安堵感を覚えた。

それでも、その近所にあったY寿司は健在であったし、当時よくランチを食べに行った「Iさん」という屋号の居酒屋も、昔の佇まいのまま営業しているのを確認でき、30年ほど前の自分を見た気がした。

最後に、某JR線の駅を訪れた。
ここは、車掌長がこの土地で学生時代を送る最初の第一歩を踏み出した場所だった。

東京駅からの夜行列車から乗り継ぎ、早朝に降り立った風景は、昔のままであった。
また、今では想像もできないが、入学して間もない頃、この駅から大学が用意した国鉄の長い編成の貸切列車で、教授や仲間との交流を図るセミナー合宿へ出発した賑わいを思い出した。

駅前の5,6段ある石段で撮った集合写真は、いまもアルバムに貼ってあり、旧友たちの屈託のない笑顔が蘇る…

そして、国鉄からJRへ移行する最後の日の夜を、この駅で惜別した。

平成から移行する新たな元号は知る由もないが、30年前にこの土地で迎えた前元号の面影探しの再訪を遂げることができ、気持ちの整理や切り替えもできたように感じた…
 

 

400年前の時計に想う

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2019年1月 7日 04:51

やっと、この目でみることができた…

場所は、久能山東照宮博物館(静岡県)。
ここで400年前の「洋時計」が現存、展示。これをこの目で見たいと常々思っていた。

4日早朝、当車掌区を独りで出発。日本平の駐車場には8時過ぎに到着できた。
ロープウェイは9時運転開始、既に切符売り場は大勢の人が並んでいたが、窓口は開いていない模様であった。

通常、15分間隔運転だが、今日はまだ年始の参拝客が多く、連続運転中との看板を見かけたので、車の中で待機し、ある程度行列が収まってから切符を買い求め、始発から2番目の乗客となれた。

当初、久能山下に車を停め、麓から一気に1159段の石段で上る参道を歩こうと思ったが、駐車場が民間任せでイチゴ狩りをすると無料など、割高感が否めず、同じような料金を払うのであればロープウェイ代の方が、乗り物好きな車掌長にとっては、合点がゆくと考えた。

1週間ほど前、日光東照宮を参り、この日は久能山東照宮にも参ることができるとは…
偶然ながら、ありがたく参拝を済ませ、清々しい気持ちでお目当ての博物館を訪れた。

博物館1階展示室に入ってすぐの目の前、「洋時計」はその姿を惜しげもなく見せてくれた。
およそ400年前、当時のスペイン国王が、海難救助の御礼に家康公に贈ったもの…

当時の日本は、太陽の動きに合わせた「不定時法」で世の中が動いており、日々正確な時を刻むこの贈り物は、日常的に使われることはなく、家康公75歳の薨去(こうきょ)後、1616年から東照宮宝物館において、永い眠りについたとのこと。

400年の時を経て、現代で目を覚ました「洋時計」は、落合宮司の鑑定依頼で招聘した、イギリス大英博物館の時計部門責任者であるトンプソン氏を、驚愕させたという。

当時、ヨーロッパでは時計が既に使われ、故障すれば困るため、すぐ修理されたり、部品交換がなされたという。

ところが、この家康公の「洋時計」は、贈られた当時のまま使われずに、大切に保存されており、99%原型を保っていると鑑定され、ヨーロッパの時計発達の歴史を紐解く、重要な発見であったという見解を示した。

そのことを車掌長は、家康公没後400年の節目に向けて、洋時計の音色を響かせるという話題を新聞記事で知り、以降、その実物を拝み、その音色を聴いてみたいと思っていた。

そして、いま、その音色は録音されたものを再生するというかたちで、聴くことができた。

400年の時を超え、耳にした音色は、金属とは思えないほど柔らかな心地を覚えさせてくれた…

家康公も聴いたその音色は、デジタルなものには無い、まさにアナログの器械の「温もり」を感じとれ、その再生された響きは、いつまでも心に残る記憶となった。

400年前の時間旅行…

この「時」を更に実感したく、やはり正式な石段の参道を歩きたくなった。
イレギュラーではあるが、山頂から麓へ降り、再度山頂へ向かう…

新年早々、清々しい想いで静岡を後にし、「哲×鉄」保線区の皆さんにお会いするため、一路愛知県を目指した。


 

 

Xmas プレゼント

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2018年12月24日 04:36

先日、外国の御方から思いがけないメールをいただいた。

最初、英文メールを見たときは、迷惑メールか?、と誤解した。
しかしながら、「哲×鉄」オユ10(お問い合わせフォーム)からの宛名に覚えがあり、削除せずに済んだ。

4年前の秋、本邦某国立大学大学院の院生だった彼は、自身の交通経済学の学術研究のため、日本の或る年代における都市間移動の所要時間の変遷、新幹線と在来線との比較等を調べていた。

そして、その資料を探している過程で「哲×鉄」に辿り着いたそうだ。
つまり、ご自身が求めていた年代の全てが、揃っていたとのことであった。

車掌長は、彼の目的に沿った資料を作成し、送って差し上げた。
あれからもう、4年が経ったのか…と懐かしくなった。

その後、母国に戻った彼は大学の助教授となっていた。
そして、地域科学分野の論文における"Acknowledgements"(謝辞)で、車掌長の氏名及び資料提供の内容を著した旨を、冒頭のメールで知らせてくれたのであった。

4年前、彼の研究の一助になればと思い作成した資料が、時を経てこのような形で嬉しい一報をいただけたのは、車掌長にとって「時刻表鉄冥利」に尽きるものであった。

車掌長が所有する時刻表が、誰かの役に立ったり、その手伝いができることは、給料を得るための日々の仕事とは違った歓びを覚えてしまう。

彼の今後益々の御活躍を祈念し、一足早いXmas プレゼントをいただいたような、清々しい気持ちであった。

 

祝・東京タワー開業60周年

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2018年12月22日 04:53

今朝の新聞、12月23日に東京タワーは還暦を迎えるとの記事。

明日、還暦祝いの「赤いちゃんちゃんこ」をイメージし、赤一色にライトアップされるそうだ。

Tokyo Tower…
車掌長は高い所が大好きだが、東京タワーは最も愛しき美しき塔だと思う。

東京のシンボルでもあり、車掌長自身が高校時代に日々見上げ、いま振り返れば、その時期が人生転機としてのエポックメーキングの象徴として目に映る…

よく学び、よく遊んだ高校3年間。
今までの人生の中で、一番勉強したように思うほど、「学び」が楽しかった。
(ここでいう勉強は、単なる受験を目的としたものではない)

また、沢山の旅に出ることを担保する学校の休みも、都内随一ほどにあったように思う。
そして、自身の進路選択に大きな影響を与えてくれた某恩師との出会い…

そんな昔の時間の記憶が、東京タワーを見ると鮮やかに蘇る。

今でこそ、日が暮れて塔全体を美しく浮かび上がらせるライトアップも、当時はその輪郭がわかる程度に、荒い間隔でライトが点々と灯るだけの非常に簡素なもので、ライトアップには遠く及ばないものだった。

そんな夜の光景であっても、高2の秋、学園際の終わった夜に、或る人と見上げたタワーには感動したものだった。

その人は、その夏に旅先の信州で出逢った女子。
旅を終えた後も、文通を重ねお互いの学校の文化祭にも、招き招かれたりした。

いまのような、携帯やスマホの無い時代で良かった…と、心から思えるほど、「文通」という通信手段による「私信」のやりとりは、自身を向上させる美点があったと思われる。

そして、家人の誰よりも早く、自宅のポストを覗くのを楽しみに帰宅を急いだものだった。

そんな甘酸っぱいような想い出も消し飛ぶほど、いまの東京タワーの夜景は眩いほど美しく、エレガントだ。

たまに、親戚や友人が上京した際、東京タワーを案内することがあるが、150mの高さにある大展望台は、周囲の高層ビルが増えすぎて、以前ほどの大展望ではなくなってしまったことを感じる。

しかしながら、或る一角に見える母校の学び舎や猫の額ほどの狭小な校庭を俯瞰すると、過去の車掌長がそこにいるような錯覚を抱くほど、そこだけは、昔とほぼ変わりない…

東京タワーの還暦祝いに寄せて、車掌長自身の時間旅行を楽しんだ朝であった。
 

 

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