400年前の時計に想う

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2019年1月 7日 04:51

やっと、この目でみることができた…

場所は、久能山東照宮博物館(静岡県)。
ここで400年前の「洋時計」が現存、展示。これをこの目で見たいと常々思っていた。

4日早朝、当車掌区を独りで出発。日本平の駐車場には8時過ぎに到着できた。
ロープウェイは9時運転開始、既に切符売り場は大勢の人が並んでいたが、窓口は開いていない模様であった。

通常、15分間隔運転だが、今日はまだ年始の参拝客が多く、連続運転中との看板を見かけたので、車の中で待機し、ある程度行列が収まってから切符を買い求め、始発から2番目の乗客となれた。

当初、久能山下に車を停め、麓から一気に1159段の石段で上る参道を歩こうと思ったが、駐車場が民間任せでイチゴ狩りをすると無料など、割高感が否めず、同じような料金を払うのであればロープウェイ代の方が、乗り物好きな車掌長にとっては、合点がゆくと考えた。

1週間ほど前、日光東照宮を参り、この日は久能山東照宮にも参ることができるとは…
偶然ながら、ありがたく参拝を済ませ、清々しい気持ちでお目当ての博物館を訪れた。

博物館1階展示室に入ってすぐの目の前、「洋時計」はその姿を惜しげもなく見せてくれた。
およそ400年前、当時のスペイン国王が、海難救助の御礼に家康公に贈ったもの…

当時の日本は、太陽の動きに合わせた「不定時法」で世の中が動いており、日々正確な時を刻むこの贈り物は、日常的に使われることはなく、家康公75歳の薨去(こうきょ)後、1616年から東照宮宝物館において、永い眠りについたとのこと。

400年の時を経て、現代で目を覚ました「洋時計」は、落合宮司の鑑定依頼で招聘した、イギリス大英博物館の時計部門責任者であるトンプソン氏を、驚愕させたという。

当時、ヨーロッパでは時計が既に使われ、故障すれば困るため、すぐ修理されたり、部品交換がなされたという。

ところが、この家康公の「洋時計」は、贈られた当時のまま使われずに、大切に保存されており、99%原型を保っていると鑑定され、ヨーロッパの時計発達の歴史を紐解く、重要な発見であったという見解を示した。

そのことを車掌長は、家康公没後400年の節目に向けて、洋時計の音色を響かせるという話題を新聞記事で知り、以降、その実物を拝み、その音色を聴いてみたいと思っていた。

そして、いま、その音色は録音されたものを再生するというかたちで、聴くことができた。

400年の時を超え、耳にした音色は、金属とは思えないほど柔らかな心地を覚えさせてくれた…

家康公も聴いたその音色は、デジタルなものには無い、まさにアナログの器械の「温もり」を感じとれ、その再生された響きは、いつまでも心に残る記憶となった。

400年前の時間旅行…

この「時」を更に実感したく、やはり正式な石段の参道を歩きたくなった。
イレギュラーではあるが、山頂から麓へ降り、再度山頂へ向かう…

新年早々、清々しい想いで静岡を後にし、「哲×鉄」保線区の皆さんにお会いするため、一路愛知県を目指した。


 

 

久々に映画を観る

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2019年1月 3日 15:27

今朝、8時過ぎに某シネマコンプレックスに到着。

久々に映画を観てみたい衝動に駆られたのは、先月中頃の新聞記事であった。
また、ちょうど同じ時期、前職の友人に会ってお茶をした際も、この映画が話題となり、その御方もド・ストライクの世代で、とても素晴らしかったと…

昨日、新幹線で帰省する専務車掌と車掌見習を東京駅まで見送り、決行は明朝と企んだ。
そして、今日、9:00上映の「ボヘミアン・ラプソディ」を観た。

観終わった所感は、感慨無量…

これ以外の言葉は無用に思えた。

 

コメント(2件)

希望者挙手さんからのコメント(2019年1月11日 00:10投稿)

久しぶりの乗車です。
車掌長も観られましたか、ボヘミアン・ラプソディー!
もちろん、私も公開後すぐに観ましたよ!

私がクイーンに出会ったのは中1の時、一緒に洋楽を聴き始めた友人が買った6作目のアルバム「世界に捧ぐ」でした。
そこからハマってしまい、クイーン詩集なる本を購入し、英語の教科書以上に読み込んで、手垢で薄汚れてしまったその本は今も時々読み返したりしています。
「ドント・ストップ・ミー・ナウ」が私のカラオケの十八番なのは、その成果だと思います(笑)

そうそう、クイーンと映画といえば、忘れてならないのが「フラッシュ・ゴードン」!
当時、友人と銚子の映画館で観ましたが、ビミョーでした(笑)
でも、クイーンのプロモーションビデオの方はカッコイイですよ。

映画を観て、インターネットなどがなかった時代、雑誌やFMラジオ(と言っても、私の住んでた地域はNHKしか受信できませんでした)などで情報をかき集めて洋楽を聴きまくっていた時代を懐かしく思い出しました。
ベストヒットUSAやMTVなどの音楽番組など無い時代に、千葉テレビでは「テレジオ7」という番組があり、洋楽を映像で聴けたのは幸いでした。(さすが、市川のジャガーさんを生んだ千葉!)

車掌長さんからのコメント(2019年1月11日 04:39投稿)

希望者挙手 様

毎度ご乗車ありがとうございます

クイーンとの出逢い、中1の頃とは、希望者挙手さんの愛聴の年季を実感します。

お恥ずかしながら、洋楽を聴いた経験や知識が乏しい車掌長が、今般、この映画を観た動機は、実は乗務日誌に綴った以外にもありました。

それは、希望者挙手さんの世界観に触れてみたい、近づいてみたい…と、そんな想いがありました。

希望者挙手さんは、この乗務日誌に幾度となくご乗車いただいていますが、時折紹介してくださる洋楽の魅力を綴る、その熱い想いを興味深く拝読しておりました。

そして、洋楽の歌詞を理解するために、英語を勉強したり、その延長線上に豊かな発想や好奇心、外国人にも臆さないコミュニケーション能力の高さがあったと思っていました。

車掌長は、お互いが同僚だった専門学校勤務時代から、そのような希望者挙手さんの魅力にひかれ、影響も受けたと思います。

そして、このたび、遅まきながら「ボヘミアン・ラプソディ」を観て、今さらですが、クイーンの魅力の片鱗をかじれたように思いました。

映画を観た翌日、久能山東照宮へ向かう途中に立ち寄った高速のサービスエリア売店で、たまたま1つだけあったクイーンのCD「GREATEST HITS」を迷わず購入し、以降の道中は聴きっぱなしでした。

希望者挙手さんの十八番、「DON'T STOP ME NOW」、車掌長も一度聴いただけで、大好きになりました。

純粋に、曲から「元気」や「勇気」、「躍動」を授かったような気分になれました。

また、多くの人もそうでしょうが、「WE ARE THE CHAMPIONS」も改めて素晴らしい曲であることを、再認識しました。

そういえば、専門学校時代に地方出張に行った際は、よくカラオケにも行き熱唱しましたネ。

今はもう、随分と長い間カラオケは行ってませんが、久しぶりに希望者挙手さんの熱きステージをご一緒できれば嬉しく存じます!

2件のコメントがあります → まだまだコメントお待ちしてます!

三日月と金星と木星と

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2019年1月 3日 05:19

未明の空、三日月のやや右上に金星、やや左下には木星が並んでいた。

金星は殊のほか輝き、木星も東京の空でも綺麗に確認できるほどに存在感があった。
偶然見かけたその並びがなんともチャーミングで、寒かったものの、しばし見入った。

三日月の傾き具合も、魔法使いサリーちゃんが腰掛けられるような、良い塩梅(あんばい)…
また、「クロワッサン」が仏語で三日月を意味することも、頷(うなづ)ける形だった。

ふと、星の輝きを「今」目にしていることの不思議さに想いを馳せる…

星の輝きや瞬(まばた)きは、過去の光が、それぞれの星から長い距離を、○○光年かけて届いた、いわば「見かけ」の姿…

その星と地球との距離にもよるが、いま、宇宙のどこかで光っている星が、やっと地球に届く頃には、もう車掌長はこの世に存在しないものが、沢山あるのだろう…と。

逆の言い方をすれば、車掌長が生まれる前のどこかにあった星の輝きを、「今」目にしているものも、多いのであろう…

気の早い話になってしまうが、地球からおよそ81光年離れた星が、「今」輝いている光を目にできるのは、22世紀になる…

「22世紀」という言葉は、まだ、あまり世の中で耳にしない節目であり、車掌長も当然ながらとっくに、存在しない時代…

19年前、21世紀を体験し「ミレニアム」を謳歌した車掌長であるから、西暦2100年を迎えられるはずもないが、もしも、車掌見習が平均寿命より少し長生きできたとしたら、彼は目にすることができる時代かもしれない…

ただ、心配も尽きない。
「平成」という僅か30年間で、人々の思考や行動、生活様式を、掌(てのひら)を返すようにひっくり返したのであるから、この先の80年余りの時間の長さを考えると、背筋が寒くなる感も否めない…

また、そうした思考や判断の選択も他者へ委ねたり、依存しようとする傾向が、今後ますます拍車がかかりそうで、懸念が膨らんでしまう。

今を生きる人々にとっては、まだまだ「世の中便利になった」と、成長著しい各種技術の進歩に対し、長閑(のどか)なことを言って済むかもしれない。

しかしながら、地球規模で進む環境破壊や気候変動、日本の少子化とは裏腹に爆発的に増える人口、世界各地の紛争etc…

これらの解決に対し、人類が時間をかけた叡智(えいち)ではなく、AI(人工知能)が活用され始めていることも、どのような「解」が待ち受けているのか、全く想像ができない。

庶民感覚では、身の回りの生活における節電や自然エネルギーの活用、不燃物の区分とリサイクルの徹底、子どもを育てやすい環境の整備や、それを補完する働き方改革による少子化の歯止め…そして、各国元首の独りよがりな、切った貼ったの博打のようなパフォーマンス外交ではなく、地道な交渉や対話…

単純ではあるが、これくらいしか、パッと思い浮かばないものの、AIであれば気の遠くなるような複雑な演算を駆使して瞬時に、凡人には想像も及ばないような「解」を導いてしまうのだろう。

果たしてその「解」は、神様なのか、悪魔なのかは、今は知る由もないのだが…

せめて、願わくば、車掌見習の生きる時代が、ひいては、その世代を生きる「今」の子どもたちが生きやすいようなバトンを、車掌長世代が次の世代へ引き継ぎたいと考える。

ふと、東の空に目を移せば空が白みはじめ、さきほど鮮明に輝いていた月と星が、朧(おぼろ)になりつつある。

しかしながら、上述の想いだけは、霞まないように、まずは一年一年を地道に生きなければ…と新年最初の乗務にあたり、想った朝であった。

【以下、車内放送】
皆様、明けましておめでとうございます。
本年も皆様におかれましては、佳き年(歳)となりますよう、お祈り申し上げます。

2019年も色々な節目を迎える年ではありますが、この乗務日誌で皆様とともに、時間旅行を楽しめれば幸いです。

 

ビクトリーはくと

カテゴリー:⑤番線:feel the season方面 2018年12月30日 20:22

この時季、時刻表上に一年に一度だけ走る列車が現れる。

毎年2月25日の「上り」のみ運転される、全車指定席の「ビクトリーはくと」号が、それだ。
鳥取大学駅発、大阪行…

その日付と始発駅から、勘の良い方はお気づきだろう。
そう、この列車は国公立大学の2次試験日に、受験生の便宜を図る列車だ。

今年もこの列車が運行されることを時刻表で確認し、一年を締めくくることを実感する…
殊に、今年は「平成」最後の年の瀬…

ざっくりではあるが、昭和を20年、平成を30年生きたのが、車掌長の人生。
長さで言えば、平成の方が長いのに、昭和の方が印象深いのは、ひとえに「鉄道の醍醐味」を味わった最後の世代だからかもしれない。

「最後の世代」と言い切るのは、いささか主観が過ぎるかもしれない…

しかしながら、その根拠は、夜行列車や寝台列車、急行や長距離鈍行(特に旧型客車)に乗車した経験と、それらの列車へ寄せる郷愁、愛着の有無にあると思う。

「ビクトリーはくと」の話から脱線してしまったが、今年もあと大晦日を残すのみとなったいま、この一年「乗務日誌」をお読みいただいた方、またご乗車(コメントをくださった方)いただいた方々に、心からお礼申し上げたい。

車掌長の乗務日誌における物言いは、独善的であると常々認識している。
そして、閲覧回数や「いいね!」の数は、全く関心が無いので気楽に綴っているし、それを表示する機能も価値を見い出せないゆえ、付していない。

いや、正確に言えば、これは単なる、車掌長個人の人生の備忘録に過ぎない。
一定の時を経て、自身が振り返ったときに、あの頃はまだまだ青かったなぁ…と、振り返るためのタイムカプセルを、たまたまどなたもリアルタイムで閲覧できる状態になっているだけのことなのかもしれない。

しかしながら、もし、全く見知らぬ方がご覧になって、「こんな考え方、生き方もあるのだなぁ…」と思っていただけたなら、それは望外の喜びである。

【以下、車内放送】

末筆ながら、いまこれをお読みくださっている方々におかれましては、迎える年もどうぞ佳き年となりますよう、心より祈念いたします。

また、更に近しいところにおられる皆様におかれましては、今年も大変お世話になり、誠にありがとうございました。

仕事でお忙しい方も多いと存じますが、どうか心身とも大切になさって、今後とも末永くお付き合いのほど、宜しくお願い申し上げます。

ちなみに、「心身ともに大切に…」とは、お恥ずかしながら、心身どちらも壊したことのある車掌長が、切に願うことであります。

冒頭の列車名を引合いに出せば、他者へ勝つことが「ビクトリー」なのではない…と、思います。

むしろ、自身の弱さを知り、そんな自身と上手く付き合うなかで、好きな言葉である「My pleasure」のように、誰かの役に立ったり、喜ばれたりすることを糧にできる生き方の方が、結果としては「ビクトリー」なのではないか…と考えるようになりました。

今日は本年最後の乗務でしたが、珍しい時間に乗務したせいか、脈絡のないまま、ここで失礼いたします。
 

 

太平洋沿いに自転車道整備

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2018年12月28日 05:50

今朝の某新聞、興味深い記事に目が留まった。

「自転車道 太平洋結べ」とあり、千葉県銚子市から太平洋沿いに和歌山県まで、約1400㎞の自転車道の整備に着手するという趣旨であった。

構想自体は50年前からあったようで、実際、既に6割が完成しており、残り4割を2019年から整備し、2020年の東京オリンピックに合わせ、全線整備完了を目指すとのこと。

近年の健康や環境に優しい自転車による観光(ツーリズム)は、世界的に人気があるようで、日本の観光施策も、増える外国人旅行者の趣向を汲みとっているようだ。

車掌長が本格的なスポーツ自転車を購入したのは、小学6年生になった時。
当時も少年世代では自転車ブームがあり、「ロードマン」と呼ばれる、ドロップハンドルと12段変速ギアを搭載した自転車に憧れを抱いたものだった。

車掌長も一人旅の資金を温存しつつ、憧れの一台を買うために貯金したことを思い出す。
結果、友人達が早々に手に入れた時期よりも1年以上遅れたが、近所の自転車屋で買ったときの喜びは無上だったことを覚えている。

そして、すぐ訪れた夏休み、祖父母が暮らす神奈川県の山あいの地を目指し、甲州街道を走ったものだった。

普段、父の運転する車でよく訪れていたので、ルートは全て頭に入っていたが、いざ、自転車で行くとなると、その昂揚感はたまらなくアドベンチャーに満ちていた。

距離的には60㎞ほどだったが、朝4時に出て7時半頃に到着。
特に知らせずに向かったのだが、いまは亡き祖母が、驚きながら抱き締めてくれたことが忘れられない。

話を戻すと、この自転車道は途中2か所は、フェリーを利用するルートだが、ほぼ忠実に海岸に沿って房総半島、伊豆半島、紀伊半島を経て和歌山市を目指すという。

完成後、すぐに実現できるわけではないが、体力のあるうち(既に衰えも著しいが…)に、完走してみたいな…と思う。

これまで、鉄道や自動車で簡単に通過してきたところを、自分の足で漕ぎながら、景色を楽しみつつ、自身の半生の振り返りも、その景色に重ねながら、ゆっくり走ってみたいと思う。

きっと、若かりし頃に素通りした風景に、新たな発見があるかもしれない…

日本全国を張り巡らせてきた高速道路整備から、このような新たなツーリズムに満ちた道路整備に目が向けられることは、歓迎したいと実感した。


 

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