彼岸に咲く花

カテゴリー:⑤番線:feel the season方面 2018年9月24日 04:50

昨日は彼岸のお中日、先祖代々の墓参りをした。

春秋、彼岸の墓参は、車掌長が物心付く頃からの行事。
ゆえに、これまでの45年以上の歳月で数回だが、何らかの予定が入り行けないことがあると、何か心が落ち着かないこともあった。

春と違い秋彼岸の墓参は、墓のあちこちの地中から、ニョキッと立ち咲く「彼岸花」が見られる。
子どもの頃から、感覚的に色鮮やかな赤色で綺麗だが、対照的に何か気味悪い印象も持っていた。

それは、必ず墓で見る花であり、無邪気な幼い頃は、持ち帰ってはいけない花だと教わったこととも、潜在的な意識として、培われたかもしれない。

なぜ、持ち帰ってはいけないか…
それは、その赤い花が「炎」を連想させ、昔の人は家が火事に遭うことを恐れたから。

なぜ、昔からある墓に必ずあるか…
それは、まだ死者を土葬する因習があった頃、腐食肉を喰い荒らす動物から墓を守るため。

実際、彼岸花には毒があり、動物が直感的に感知し近寄らない効果がある。
ゆえに、田んぼや畑の周りにも、大事な作物をモグラやネズミなどから守るために、植えられているそうだ。

そんな彼岸花が咲く花の場所について、科学的な理由を知ったのは、だいぶ歳が経ってからのことだった。

しかしながら、幼い頃に抱いた印象というのは、なかなか払拭できないもの…
そして、車掌長はオジサンの域になっても、あまり近寄りがたい印象を引きづったままだった。
それが、どうしてなのかは釈然としないまま…

だが、10年ほど前、その釈然としない「解」が自分なりに判った。

それは、青森県の霊場「恐山」に行ったときだった。
硫黄臭に包まれ、荒涼とした岩場の積み石と、風に吹かれカラカラと回る無数の色鮮やかな風車を目にした時だった。

その風車の1本1本が、一瞬にして「彼岸花」だと、脳が反応した。

恐山の風車は、我が子を亡くした親が幼子の霊を慰めるものであると、観光ガイド等で知っていたが、車掌長にとっては、直感的に彼岸花と同じに目に映った。

気になり、帰京後、彼岸花の花言葉を調べてみた。

すると、沢山の意味があったが、「再会」や「転生」、「また逢う日を楽しみに」などの言葉を見つけ、車掌長自身の釈然としない気持ちの霧は晴れた想いがした。

そう、秋のお墓の彼岸花は、現世と彼の世との出逢いを感じる花だったと…

今秋も、日頃の家族や自身の無病息災を祈り、気持ちも新たに手を合わせた。
 

今月のJTB時刻表

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2018年9月20日 05:38

 今月のJTB時刻表(2018.10月号)は、大変面白かった。

表紙に大きく「よん・さん・とお」大研究と書かれ、興味をそそられた。
数字を3つ並べたようなこの独特な言い方は、今からちょうど50年前、国鉄が昭和43年10月1日に行なった白紙ダイヤ改正にちなんだ名称だ。

JTB時刻表は、創刊93年。
今号のように、50年前に発行された時刻表を現在と比較し、わかりやすく解説してくれるのは、JTB時刻表にしかできない芸当だ。

巻頭グラビアを読み進めると、50年前の伝説の大改正のあらましが、興味深く蘇る。

車掌長も大好きな表紙である1968年10月号は、東北本線全線電化複線化を機に同時デビューした583系が、その構図も恰好よく表紙を飾っているが、今号もそれを彷彿させる583系を登場させているところは、心憎い演出だ。

先日の乗務日誌で、最近の時刻表はダイヤに面白みがないと綴ったが、それと反比例するように、最近のJTB時刻表の巻頭特集は、面白味を増し続けている。

時刻表編集者皆さんの時刻表を愛する気持ちが、伝わってくる。

時刻表はそもそも、最新のダイヤを調べるための媒体・手段であり、本来の使命。
そして、実用性や一覧性、視認性の高さが追及され、幾度となく改良も重ねられてきた。

それらの点において、時刻表は「芸術品」の域に達していると、車掌長は認識している。
そして、このような芸術品が、毎月安価に発行され続ける文化も、世界に誇れることだ。

車掌長は最近の「日本スゴイ」的な、何でも日本を持ち上げるのは、肌感覚としてちょっと過剰だなぁ…、違和感があるなぁ…、ホントのところどうなのかなぁ…と、少々胡散臭さを感じていた。

そして、それらのスゴイと発信される話題は、それらサービスやモノを提供する人々本人にとって、ハッピーなことなのか…と心配してしまう。

そうした話題が利用され過ぎて、実は働き手としては過度な負担を強いられたり、ストレスだったり、自身が充分に休めなかったり…

日本自慢について、少し悲観的なことを言い過ぎたかもしれないが、殊、この時刻表については、世界に誇れる一品であると思っている。

きっと、想像にも及ばない大変さもあると察するが、このような素晴らしい書籍を、ごく少数の方々の尽力によって編集・発行されていることに敬意を抱くとともに、感謝している。



 

生産性と一見「ムダ」と思われるものとの共存

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2018年9月16日 05:05

毎月時刻表を愛読し、近年殊更に痛感することがある…

列車運行ダイヤに面白味がない、遊びがない、余裕もない。
それは、ふと、日常の仕事の忙しさに追われる姿と、重ならなくもない…

斯様に感じてしまうのは、
おそらく、国鉄時代末期の鉄道旅行の醍醐味を味わった世代だからであろうか。

まだ、新幹線も東京~博多間ぐらいしか走っていなかった頃。
鉄道旅行には、その目的や急ぎ具合、予算に合わせて、幾つもの選択肢と選ぶ愉しみがあった。

そして、高速道路も現在のように全国隅々まで整備されていなかった。
夜行高速バスもドリーム号の東京~大阪便や、民間バス会社が東京と仙台や新潟などを細々と結ぶのみであった。

夜中の都市間移動は、寝台設備のブルートレインや、クロスシートの急行・普通列車が夜の鉄路を結び合い、静々と様々な目的や事情のある人々を乗せ、走っていた。

いつしか、人々の移動も物流も、効率化や高速化が優先され、あっという間に、高速道路は大都市から全国の中小都市にまで広がった。

鉄道も新幹線が北海道から九州まで繋がり、長距離は新幹線移動、夜間移動は高速バスを選ばざるを得ない状況になった。

物事の生産性や効率化が図られた結果、自身を含め、今を生きる人々は一体何を得たのだろう…逆に気付かないうちに、大切なものを失っていないか…と、ふと立ち止まりたくなる。

生産性や効率化が図られると、他者や世の中の出来事にかまっていられない状況へと、自身が陥ってしまうことに気付く。

それは、生活も仕事も一見スムーズになったように錯覚する反面、やるべきことが過密となり、それに追われ、自身のことで精一杯になるのは当然であり、大勢に影響のないような些細なイレギュラーが気になったり、他人の粗相(そそう)に苛立ってしまうことも思いあたる…

話しを戻すと、鉄道も本来の役割は、地元の人々の生活を運ぶ足であり、物資を受け送る輸送手段であった。
そして、旅行者にとっては、そんな地元の人々が主役である車内という異空間へ乗り込むことに、車掌長が経験してきた鉄道旅行の醍醐味があったように思う。

しかしながら、いまや親切にも、至れり尽くせりの趣向を凝らした列車を走らせ、その地域社会の生活とは切り離された、自分達だけが快適な車両から、インスタ映えのように、綺麗な部分や瞬間、移ろいやすい話題性でしか、感動を共有し合えない雰囲気を強いられてはいないだろうか…

もちろん、近年のローカル線を活用した鉄道旅行の活性化には賛同している。
しかしながら、一方で、日常の移動体として活躍していた時代の「素顔」のままの列車の旅が、愛しく、懐かしい。

たとえば、1本の列車が名古屋から紀勢本線経由で関西を結んだり、九州の門司を早朝に発ち、山陰本線経由で京都府の福知山に日付が変わる頃到着する、このような鈍行列車に乗った経験が、いまの車掌長の生き方に大きな影響を及ぼしてくれている。

全区間を通しで乗る人は、物好きな旅行者しかいないはずだが、全区間を乗ることによって、その土地その土地の人々の暮らしや生活のリズム、車内で交わされる言葉が変わったこと、道中の中核都市駅での長い停車時間に駅前を散策したり、名物駅弁を買う楽しみなど…

そして、何よりも実感するのは、「考える」ことや「物思いに耽(ふけ)る」という、自分が何者にも縛られることのない「自由な時間」が膨大に存在したことだ。

いまでは、このような列車は、非生産的な象徴として「目の敵」にされるであろうが、一見「ムダ」と思われるモノやそこでしか醸造されない「時間」には、おそらく、生産性の追及のみでは生み出せない財産があるのだと思う。

「生産性の向上」は、誰にも止められない流れだと理解しているが、その反対となる一見「ムダ」と思われる物事との共存を図り、バランスの取れた世の中であることを望む。

車掌長も、こんなことを綴ってしまうこと自体、疲れているのかもしれない。
気を付けよう…

 

卒・さいたまスーパーアリーナ

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2018年8月21日 04:40

先日、さいたまスーパーアリーナを訪れた。

著名アーチストのコンサートではない。
これで3度目となる「おかあさんといっしょ スペシャルステージ in さいたま」だ。

車掌見習が好きな番組のひとつ、NHK「おかあさんといっしょ」を生で見せてあげたい…と、初めて訪れたのは2014年、車掌見習がもうすぐ2歳になる夏だった。

アリーナの前庭となるような「けやきひろば」が印象的だった。
人工地盤に沢山のけやきが、縦横無尽に等間隔に幹や枝を伸ばし合い、暑い夏の日差しを遮ってくれていた。

ケヤキは埼玉県の県木だそうだが、車掌長はケヤキが大好きだ。
初めてそう感じたり、ケヤキという木の名前を知ったのは、小学5年の夏、杜の都と言われる仙台を訪れた時だった。

青葉城跡の伊達政宗像から、歩いて仙台駅へ戻る道すがら、広瀬川の川面を眺めたり、涼しげな青葉通りのケヤキ並木を歩き、子どもながらに癒される想いを感じた。

ちょうど、さとう宗幸さんの「青葉城恋唄」が流行っていた頃で、恋の「こ」の字も知らない時分に、「あのひとはもういない…」などと、口ずさんでいたのが、可笑しく思い出される。

そんなケヤキの思い出に浸りながら、スーパーアリーナのケヤキを見るのも、これで最後になるだろうと思った。

思い振り返れば、このスペシャルステージも、初めて車掌見習を連れてきたときは、テレビで視聴していた家の環境と違い、会場が暗かったり、音響が大きすぎてビックリしてしまい、泣いてばかりであった。

時を少し置いて、2回目は昨年だった。
だいすけお兄さんが番組を卒業し、新しい歌のお兄さんとお姉さんがデビューした夏だった。

そして、6歳を目前にした今夏。
車掌見習は、同番組をあまり見なくなったが、これで最後に卒業と思い、チケットを購入。

ステージが始まっても、音響や暗さに驚くこともなく成長を感じた。

1時間のステージが終わり、皆が出口へ一斉に向かう人の波の中、迷子にならないように、しっかりと手を握りしめた。

まだまだ、車掌長の掌に収まる小さな手だが、こんなふうに手を引いて歩くことも、次第になくなってゆくことだろう…

今までは、手を離さず
これからは、目を離さず
もう少しお兄ちゃんになったら、心を離さず…

最近は、時刻表を一緒に見ながら駅名や列車のスジを追い、楽しめるようになった車掌見習だが、どんどん旅に連れ出し、やがて一人で行けるように、そして、自身で考えて選択し、行動できるようになるよう、そんな成長を見守ってゆきたい。

今度、スーパーアリーナのケヤキを、車掌見習と見る機会があれば、その頃どんな感慨に耽(ふけ)ることができるのか…

それは、そのとき、枝葉の梢も頼もしくなった、このケヤキたちに聴いてみようと思う…

 

 

レスカと時給

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2018年8月11日 05:59

 盛夏、こんなとき飲みたくなるのは「レスカ」…

「レスカ」はレモンスカッシュのことであり、車掌長世代は周知だろう。
しかしながら、今でもこの愛しき名称は使えるのか、果たして通じるのだろうか。

車掌長が炭酸飲料を好むのは、アウター5であれば必ずビールだが、日中であれば自販機で買える不二家のレモンスカッシュがお気に入りだ。

不二家のレモンスカッシュが好物なのは、本格的な味わいというか、車掌長が学生時代に喫茶店でアルバイトをして、自ら作っていた味に限りなく近いからだ。

遡ること、30年余り…
車掌長は下宿し某大学の夜間部に通いながら、愛知県某市にあった喫茶店で昼間は働いていた。

今でこそ、愛知・岐阜両県の「モーニング」は全国的に知られているが、当時、車掌長はこのエリアに斯様(かよう)な食文化があるとは、露も知らなかった。

そんな認識のないまま、或る個人経営の繁盛店にバイトとして入った。
店は朝7時から22時まで営業し、車掌長は大学に間に合うよう7~17時の月曜以外週6日働いたが、11時までのモーニングタイムが、とにかく凄まじかった。

平日で200名前後、日曜・休日は400名近くも来店。
最初はホールもやっていたが、カウンター内を任されるようになり、トーストを焼き、コーヒーを入れたり、各種ソフトドリンクやパフェ類も作っていた。

カウンター業務に慣れた頃、マスターがコーヒーを「淹れる」ことを任せてくれるようになり、やり甲斐もあった。

「ネル」と呼ばれる布製のフィルターを使い、大きなポットに抽出してゆくのだが、同じように淹れているつもりでも、温度やお湯を投下するスピードで、味が随分変わることを経験した。
毎朝、マスターに最初の一杯を試飲してもらうのだが、褒められると純粋に嬉しかった。

そして、メニューの中にレモンスカッシュもあった。当時の喫茶店には必須アイテムで、女性客からの注文比率がすこぶる高かった記憶がある。

レモンを半分に割り、搾り器で2個スクイーズ。
背の高い円錐状のオシャレなグラスに搾り汁を入れ、氷・炭酸水を注ぎ、甘くなり過ぎない程度のガムシロップをかける。

比重の重いガムシロップが、氷を伝(つた)いながらゆっくりと沈んでゆくのを待つ間、搾り終えたレモンに螺旋状の切り込みを入れ、グラスに飾る…

そんな作業工程だったことと、当時の提供価格は480円だったことを思い出した。
ちなみに、その値段は車掌長の時給と同額であった。

ゆえに、車掌長にとってレスカは、自身で何杯も作る身近な存在でありながら、他店で自らオーダーするには勇気のいる高価な飲み物という印象があった。

ふと、今朝の新聞に全国の最低賃金が、3年連続で上昇したという記事を目にした。
愛知県は898円だった。

更に、当時の時給はどうだったのか気になり調べてみると、1987年(昭和62)は474円…

最低賃金に近い水準で働いていたことになるが、物事や作業を効率よく回す経験や知恵を習得できたことを考えれば、価値あるアルバイトだったと思った。

レスカ…ほろ苦くも、爽やかな酸味のある、まさに愛しき青春時代を象徴する飲物であったことを懐かしく思い返した。

 

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