ワシントンポスト掲載の和訳

カテゴリー:⑪番線:哲×鉄 車内放送 2017年1月23日 20:47

このたびのワシントンポスト掲載記事、どうしたら見られるか?

複数の方からお問い合わせがありましたので、和訳した記事が見られるサイトを紹介します。

「クーリエジャポン 鉄道 ワシントンポスト」をキーワードに、検索をかけます。
すると、"COURRIER JAPON"というサイトの「日本の鉄オタに米記者が驚愕!」という見出しが、初めの方に候補として挙がっていると思います。

このサイトは、「世界から見た日本」をテーマに、外国メディアから発信された日本の様々な話題を、日本人に向けて紹介するwebマガジンです。

このたびのワシントンポストに掲載された全文は、有料会員でしか見られませんが、車掌長が紹介されている部分は、始めの方なので会員でなくても読むことができました。

取り急ぎご参考まで
 

咳をしても一人...ではなくなった

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2017年1月22日 06:05

厄介な咳に見舞われ、困っている。

今年の風邪は車掌長においては、咳風邪だ。
「咳をしても一人」、これは車掌長が好きな詩のひとつだ。

しかしながなら、いまや咳をすれば、車掌区内の面々にうつしてしまうので申し訳ない。
いま、車掌見習が同じような咳をして、幼稚園を休むようになってしまった…

「咳をしても一人」は、確かこの乗務日誌のどこかで書いた記憶があり、このような話題を記すのは、きっと今頃の時期だったろう…と、1月・2月に絞って2012年から振り返ってみた。

すると、2013年1月12日に"車掌見習に教わったこと"、という題で綴っていたことを見つけた。

当時はこんな頻度で乗務をしていたなぁ…と、長閑な日々を思いつつ、その時の車掌見習のことも思い出したり、頂いたコメントを拝見し、いま改めて読み直してみると、最近の日々の子育てを自省したり、励まされたりした。

あれから4年も経ったことに驚くが、当時はまだ、車掌見習に発達障害があるなど、露ほども思わなかった。

やがて、喃語(なんご)や言葉が出始めるであろう、然るべき時期になっても、なかなか彼の口から、それらしきものが一切、表出されないことに、専務車掌ともども、不安を抱くようになった。

通常、2歳になったタイミングでの法定乳幼児検診はないが、任意でかかりつけの小児科で2歳検診をしてもらった。

結果は、発達障害の疑いがあるという診(み)たてで、隣接区の小児発達外来を紹介された。
そして、門戸を叩くと、専門医の口からも、発達障害の可能性が極めて高いとの結果を賜った。

それを受け、専務車掌と今後のことを話し合い、保健所に相談し、区からの認定も受け、療育へと舵を切ることを早々に決めた。

公立の療育施設は常に空きがなく、通所するための面接を受けるのも、半年以上先と言われ、その確約の無い「待つ」時間よりも、「今できること」を最優先に、民間の療育施設を幾つか訪ね、今も通っている隣接区の某施設でご縁があった。

専務車掌が週3回、暑い日も寒い日、雨の日も…通所を休むことなく、自転車を漕ぎながら通ってくれた。
また、半年に1回ほど通院している専門外来で経過を診る検査も行った。

そんな日々が、1年ほど経った3歳を過ぎて、初めて母音を幾つか発語できるようになった。
それはそれは、専務車掌とふたりして、その成果というか成長ぶりを大いに喜んだ。

だが、昨年の今頃、専門外来の医師から、緩やかに変化は認められるが、「手帳」の申請も可能であることを告げられた。

それは、やはり「障害」であることを認知せざるを得ない宣告であり、ちょうど幼稚園入園も控えた時期であったので、ポジティブに受け入れ、手続きを進めた。

やがて、小児科医や精神科医、心理士などとの面接や検査を経て、「療育手帳」を受け取った。

また、幼稚園入園に際し、このことは同じクラスとなる子の保護者の皆さんにも伝え、理解や協力を得るためにオープンにしようと、専務車掌と決めた。

昨夏、偶然だが、公立の療育施設で言語聴覚士の指導を受けられる枠にも認定を受けられた。

年が明けた今、車掌見習は、だいぶ言葉がでるようになってきた。
それは、まだまだ親が言いたいことを積極的に傾聴し、言わんとすることを想像して成り立つコミュニケーションかもしれない。

しかしながら、言葉を理解し始め、自身の思っていることを、車掌見習なりに表出しようとする姿は、無条件に嬉しく、愛しいものだ。

最近は、自我が強すぎて閉口するのも、正直なところだが…

車掌見習の障害は、脳の機能に起因するものだが、それは「個性」であるように受け止めている。
いまできることは、その脳に色々な刺激や経験を与えることが有用だと言われ、実践している。

日常、我が家では言葉のシャワーならぬ、ゲリラ雷雨のような会話を浴びせ合っている。
その影響もあってか、車掌長は車掌区以外の場でも、多弁になった。

咳をしても一人…のように、「独り」をこよなく好んだ時期も確かにあったが、いまはその正反対の環境にいる自分も、俯瞰すると面白いものだ。

何はともあれ、いま車掌見習にしてあげられることを、最優先にしてあげたいという想いだ。

そして、何よりも、車掌長以上に日々を車掌見習と接し、「いやいや期」「自分第一主義」真っ最中の彼と、奮闘、格闘してくれている専務車掌に感謝している。

 

"yomi-tetsu" ワシントンポスト紙で紹介

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2017年1月14日 19:58

昨年12月上旬、アメリカ合衆国の新聞"ワシントンポスト"の取材を受けた。

趣旨は、本国の読者に日本の多様な鉄道趣味に興じる人々を紹介したいというものだった。
中でも、撮り鉄や乗り鉄、読み鉄、音鉄、車両鉄、駅鉄、駅弁鉄を、取材対象にしたようだ。

そして、車掌長は”yomi-tetsu"の一人として、このたび紹介された。

アメリカ本国での記事掲載は、jan.6.2017であったとのこと。

英文での掲載記事を見てみたが、先日の毎日新聞の「ハマりました」とは話題の角度が違い、アメリカンな感性だなぁ…と思った。

それは、パーソナルな仕草や考え、その元となる「生活スタイル」を引き合いに、人物像を浮かび上がらせる試みのように思えた。
従って、車掌長自身のみならず、専務車掌にも質問を振ったり、車掌見習の行動もよく見ていた。

毎日新聞との共通点は、車掌長自身のプロフィールにあたる部分だろう。
小学1年生から時刻表を読み始め、2年生で実際にプランを立てて旅に出始めた云々…
そして、1980年から毎月購読し続け、収集分を含め660冊余りを所有。

独自の記事としては、自宅に車掌見習用に組んだプラレールの常設レイアウトや、車掌見習がその時着ていた電車の絵がプリントされたセーター、部屋から見えるJR線に着眼し、「どれも趣味にしてます」という記事になっていた。

また、読み鉄としてのスキルに関し、テレビ番組等から企画内容の検証等の要請があるとの記載もあった。
そして、それに応えるのは、自身の満足のためであり、お金のためではない、とも。

締めくくりは、仕事が全く趣味に関連しないことにも触れ、趣味が仕事のストレスを軽減する良いパートナーであると…

取材時、TOKYO支局長や通訳兼記者の方との雑談でも、日本の鉄道の定時性が話題になった。
分単位の運転ダイヤが正確に実行されているのは、驚嘆だと。

また、1~2分遅れただけで、駅や車内でお詫びのアナウンスが入るのも、国民性がわかると…

本国では、そもそも日本のように毎月発売される時刻表は存在しないようで、人々も時間通りに列車が来るなんて思ってもいないそうだ。

車掌長以外にも、数名の方々の○○鉄ぶりを拝見し、大変興味深かった。

果たして、そんな鉄道趣味を楽しむ日本人を、アメリカ本国の読者はどのように感じたか、それも興味が湧くところだ。

日本に居ると、ローカル線や寝台列車廃止の話題ばかりで、楽しみ方が先細りのように思っていたが、世界的に見れば、本来は単なる「足」に過ぎない鉄道を、これだけ色々なジャンルに細分化した上で、愛着を持ったり、楽しみの対象にしている国民は、珍しかったり、奇異に映るのかもしれない。

奇異に映ると言えば、これは同じ日本人である我々から見てもそうだが、一部の○○鉄にマナーを守らずに、自身の欲求のみを満たそうとする恥ずべき傾向がある。

これは列車運行にも支障を来たす危険な行為である。
また、一般の方々にも迷惑を掛けており、他国にも自慢できない、負の一面や側面だと思う。

何はともあれ、車掌長自身としては、海外メディアに紹介されるなど、夢にも思っていなかっただけに、大変貴重な体験となった。

 

幻の110点

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2017年1月10日 05:29

今日は「110番の日」とのこと。

110番は何度かしたことあるが、初めてしたのは小学生高学年。
そのときは、受話器を取る手が震えたのを覚えている。

状況は、或る日曜の朝、自宅近くの商業施設で放火犯を通報したこと。
小学低学年の従兄弟を連れ散歩をしていた際、ふと或る建物のゴミ置き場に立っていた男性の前で、突然炎が立ち上がり、その場を去る男性を目にした。

たまたま、そこを通りかかった中年男性に放火を知らせて一緒に消火を行い、まだ近くを徘徊していた男を見つけ「あの人が火をつけた」と伝えたところ、その男性は放火犯と思われる男を追い、「キミは110番して!」と言われ、近くにあった赤い公衆電話に手をかけた。

応答後、駆け付けた警官に男は連行された。

そして、当方は別のパトカーで所轄署に行き、取調室にいる放火容疑の男性を、覗き窓から見て、本人に間違いないかを訊ねられ、頷(うなず)いた。

それが車掌長が初めて110番というものをした想い出で、その後は、事故等の目撃だ。

110番以外に、「110」にまつわるエピソードがある。

高校入試の受験番号が110番だったこと。

他には、小学2年の時、漢字テストでクラス唯一100点満点を取ったことがあった。
そもそも漢字は、時刻表の駅名を眺めることから興味があり、好きだった。

たまたま100点を取ったのはとても嬉しかったが、もっと嬉しかったのは、担任の先生が「頑張ったから110点だ!」と言ってくれたこと。

もちろん、答案用紙上は100点だが、その「110点」と言われた耳の中での響きが、ものすごく特別だったことを覚えている。

人は誉められれば、照れくささこそあれ、純粋に嬉しいものだ。
それは、子どもも大人も共通の感情だと思う。

今年は仕事においても、誉めることを意識的に行おうと思った110番の日であった。
 

新年は旧型客車に乗って

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2017年1月 7日 16:53

恭賀新年

例年、年明け最初の「大安」に初乗務していたので、本来であれば今年は3日に綴るべきところ。
しかしながら、本年は2日から出掛けっぱなしであった為、せめて正月七日までには…と思い、珍しい時間帯に只今綴っている由。

その間のトピックスと言えば、専務車掌の実家へ帰省の折、車掌見習が切望していた「リニア・鉄道館」へ連れていったこと。

そして、二人は少々長めに実家に滞在する為、帰京は一人であったが、日頃お世話になっている「哲×鉄」保線区に泊めていただき、新年を祝ったこと。

その際、保線区長の本来の仕事で数か月に及ぶビッグなプロジェクトが完遂との報。(保線区長は仕事の密度が非常に濃いので、一般的には数年分の業務量だったかも!?…)
更に、今後も佳き展望が開けそうな話も聞け、祝杯を重ね美酒をいただいた。

帰京した日、前職医療機関勤務時の同僚らと再会。昭和な雰囲気の某お好焼屋で、当時の懐かしい話や互いのプライベートな話を突っ込んだり、突っ込まれたりしつつ楽しいひとときを過ごした。

そのお好焼き屋に行く前、某駅みどりの窓口で、ダメ元で7日運行の「SLレトロみなかみ号」の空席を照会したら、残2席との返答。一切の迷いなく、即座に1名分の指定席券を買ってしまった。

そして、本日。
朝5時に家を出て、新宿から埼京・川越、八高線経由で高崎入りし、9:56発のSLを出迎えた。
機関車はC6120。しかも旧型客車6両を連ねての入線には、童心に戻りワクワクしてしまった。
ホームに停車中の各客車の床下からは、車内を温める蒸気暖房の湯気が漂っている。

この光景は、大袈裟ではあるが、映画「さよなら銀河鉄道999」で、ラーメタル駅での鉄郎とメーテルとの再会シーンを思い出してしまった。

旧型客車は、車掌長が小学生から高校生くらいまで、各地へ追い求め乗った車両…

当時は長距離鈍行列車というものが幾つも存在し、例えば、1本の列車が山陰本線を18時間以上かけて走破したり、名古屋から紀伊半島を一周して天王寺までを夜行区間を含んで走るなど…いま思い振り返れば、とてつもなく贅沢にノンビリとした時間の使い方の旅ができた時代だった。

最後尾の車両からは、オープンエアで流れ去るレールを飽きることなく眺めたり、窓の開く座席からはその土地の匂いを景色に添えて楽しめた。

スマホもない時代、向かい合わせで座った者同士が、目を見て、気さくに言葉を掛け合う、生きたコミュニケーションができたのも佳き想い出だ。

今回の突飛な行動は、そんなノスタルジーが呼び起こしたに違いない…

実際に乗った感想は、「感無量」。
記憶というものは、やはり実物に触れたり嗅いだ匂いで、鮮明に過去と現在を結びつけてくれた。

車掌見習には、まだまだ新幹線の方が魅力的かもしれないが、親が味わった時代の空気を感じられるような機会をつくってあげたいと思った。

それを本人が好こうか、好くまいかは、別の話だ。
ただ、その経験はきっと、時を経た何かの折に、脳内で有機的に何かと結びつくかもしれない。

経験の有無とはそういうものだ、ということを車掌長は認識している。

見聞だけでない、リアルな体感や経験こそが、きっと役に立つことこそあれ、無駄にはならないと思う…

末筆ながら、今年も独りよがりな見識を綴り、見苦しいこともあると思いますが、よろしければお付き合いのほどお願い申し上げます。

日頃、「哲×鉄」にご乗車いただいている皆様におかれましては、本年も佳き御年になりますこと、心から祈念しています。
 

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