孝行2年生
カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2013年9月21日 13:57
本日、車掌見習が1歳の誕生日を迎えた。
昼に両親と妹夫婦に集まってもらい、食事をともにしお祝いをした。
食前には「選び取り」と呼ばれる、将来占いの真似事をした。
電卓や辞書、筆、財布、金槌を置き、適当な距離を空けてどれを取りにゆくかを見守った。
結果は金槌であった。
車掌長は不器用でモノを直したり、作るのは苦手だが、車掌見習は職人系かな…?
また、「一升餅」を背負わせることもした。
もうすぐ歩きそうな頃だが、背負わせた途端に亀がひっくり返ったような状態になって泣き始めた。
これには一同、大笑い。
当車掌区では、親孝行は生まれてからの3年だと考えている。
その3年間は、日々の成長の喜びや共に過ごす時間を最優先にしたいと思う。
一方、3年生を終えれば少なからず自我も芽生え、自分で生きる力を積み重ねていってほしいと願う。
きっと、車掌長や専務車掌とぶつかることも少なくないであろう。
しかしながら、世の中の流行りや廃(すた)りに影響されず、背伸びをして無理に他人に自分を合わせるのではなく、自分の大切にしたい人やモノを見極められるような時間を歩んでほしいと願う…
今日この日をもって、孝行2年生に進級した車掌見習だが、専務車掌は嬉しさの反面、寂しさもあると言う。
さて、そんな祝いの日に、先日Tっちい氏(仮名)からいただいた"竹鶴21年"(ミニボトル)を開栓した。
21年以上の熟成を重ねたピュアモルト・ウイスキーの味わいは、一言で表現すれば「追憶」だろうか…
過ぎ去った日に想いを馳せる…
そんな時間旅行を、この少量の琥珀色の液体が誘ってくれる。
ところで、Tっちい氏と言えば、いつも気の利いた手土産を持ってきてくれる人物だ。
以前、彼がくれた東京銘菓「ナボナ」も今年で誕生50周年。
昭和好きな車掌長には、グッとくる一品だ。
今となっては珍しくない洋菓子だが、車掌長が子どもの頃は「お菓子のホームラン王」として王選手が宣伝。喜ばれるお土産の代名詞であり、特別な時に味わえるお菓子でもあった。
今やスイーツに限らず、何でもある世の中になって久しいが、その分「特別なもの」が日常生活から少なくなってしまった寂しさを実感する。
北海道の銘菓も、近所のスーパーで売っていたりするが、こういう「売れればいい」的なセンスは首をかしげてしまう。
また、東京駅にも全国の駅弁が揃う店があるが、その節操のなさに暗澹(あんたん)たる気持ちになってしまう。
地場の調整元が、地元の駅で売るからこそ本来の「駅弁」なのに、東京でほとんど揃ってしまうことと、こういう出店企画をする人の自分勝手さ(一人勝ちすれば良いという発想)に、日本の病的な効率主義や安直さが漂っている。
車掌見習には、そんな自分だけ良い的な発想は持たないよう育成したい。
最後に、ナボナは50周年を記念して、来月に客からの要望が一番多かった味を復活させるという。
車掌長は定番のチーズクリームが好きだが、どの味が復活するかは楽しみにしておきたい。
そして、車掌見習がある程度大きくなったら、この昭和の味を教えてあげよう。
田中正造没後100年
カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2013年9月 4日 04:17
♪渡良瀬川で見る夕日を あなたはとても好きだったわ
森高千里さんが歌う「渡良瀬橋」は、車掌長も大好きな曲の1つ。
そんな夕日がきれいな街を流れる”渡良瀬川"も、100年余り前はある事件で有名になった。
日本初の公害事件と言われる「足尾銅山鉱毒事件」だ。
この事件を世に知らしめ、生涯をその被害に遭った人々の救済や援助、公害問題の解決に奔走した人が、政治家・田中正造。
今日2013年9月4日は、田中正造が亡くなって100年にあたる。
車掌長が田中正造を初めて知ったのは、小学校の国語の授業であった。
確か6年生だったと思うが、正造が明治天皇に直訴をする際に取り押さえられている挿絵が教科書に載っており、非常に印象に残っている。
そして、政治家とは私利私欲で動くのではなく、困っている人々のために働き、生きることが真の使命なのだと子どもながらに感じたものだった。
足尾鉱毒と生涯をかけ私財も全て投じて闘った正造…
その命を潰えたときに残した全財産は、袋1つに入った河原の石ころと鼻紙、聖書、憲法の小冊子、日記などの所持品のみだったという。
しかしながら、正造が亡くなって100年を経た今、光輝く思想や名言を現代人に遺したと言える。
それは、「真の文明は山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」の言葉…
ここで「真の文明」とは何か、真逆となる「偽の文明」とは何か…などという、大きなテーマが車掌長の頭の中を駆け巡る…
正造の上述の言葉を借りれば、真の文明とは「自然との共生」だと考える。
一方、自然を破壊し、物質中心や経済成長優先の「命よりもカネ」を重視するような方向性が、偽の文明であるように感じる。
文明はこれまで、経済成長によって得た皮相的な豊かさによって人々の支持を保ってきたと言える。
だが、高度経済成長期に日本各地で起こった公害問題や、東日本大震災で明白となった福島原発事故の恐怖によって、それは「偽の文明」であったと多くの人が気付き始めた。
約1世紀前の足尾鉱毒事件も、今日の福島原発事故も、形は変われど根底は同じ。
人間が管理しえない文明の暴走が、平穏だった暮らしや故郷を奪い、常に命の危険と不安との背中合わせで生きてゆかざるを得ない境遇を与えてしまった。
没100年となる日、田中正造が遺してくれた言葉の意味を、いま一度噛みしめ、文明社会の在り方を一考しなければならないと感じた朝であった。
コメント(4件)
希望者挙手さんからのコメント(2013年9月10日 00:47投稿)
久しぶりの夜行列車です。
足尾銅山には、バイクツーリングで3回ほど行きました。
私の娘たちは小学校の社会科学習で行きました。
今では人も少なく寂しい感じですが、自然豊かでいい所です。田中正造がいなければ、この自然は残らなかったんだろうなと思うと、今を生きている我々は何を学んできたのだろうと、反省しなければなりませんね。
オリンピックの東京開催が決まりましたが、震災復興がオリンピック特需の陰に隠れないよう、見守っていきたいですね。
ところで、渡良瀬と聞いて真っ先に頭に浮かんだのは「ダムカード」!ただいま、マイブームです。
国土交通省と水資源機構が管理する全国のダムのうち300近いダムの管理事務所で無料配布されているカードです。
昨年11月より「渡良瀬貯水池」でもダムカードが配布されるようになり、行ってみたいなと思っていました。
ちなみに、私の故郷にある「利根川河口堰」でも配布されていますので、興味ある方はもらいに行ってみてください。
今月は、湯の小屋温泉に1泊ツーリングに行く予定です。周りにはたくさんダムがあるので、楽しみです。
湯の小屋温泉といえば、車掌長と一緒に日帰りで行きましたね。
当時のテーマソング「いつまでも変わらぬ愛を」をBGMに、鬼七(七味唐辛子を鬼のようにふりかけた様な紅葉・・・でしたね)の峠道を走って辿り着いた温泉は最高でしたね。今では見ることのできない「裏見の滝」にも行ったり、吹割の滝や華厳の滝など、今思えば滝巡りしてましたね。
しかし、本当に楽しかったですね。ぜひ、また行きましょう!
車掌長さんからのコメント(2013年9月10日 23:03投稿)
希望者挙手 様
毎度ご乗車ありがとうございます
「いつまでも変わらぬ愛を」は、ポカリスェットのCMでしたネ。
爽やかなイメージがある反面、もう会えない大切な人への想いを秘めたような、そんな切なさも感じる曲でした。
当時、お互いに大好きだったドライブ・テーマソングから、もう20年余りもの時が流れたのですネ…
カーオーディオも、まだまだ"カセットテープ"の時代でした。
6連奏のCDオートチャンジャーが、憧れだった頃です。
"オニシチ"だった紅葉も、瞼を閉じれば鮮やかに、その情景が思い出されます。
ところで!
「ダムカード」などという、集めてコンプリートしたくなるような情報をありがとうございました。
さすが希望者挙手さんです。もう何枚ほどお持ちなのでしょうか。
車掌長はそのカードの存在を全く知りませんでした。
車掌長が訪れたことのある中で好きなダムは、岐阜県の御母衣ダムや、新潟県の奥只見ダムです。
前者は、我が国初の「ロックフィルダム」で、コンクリートのダムに見慣れていたせいか、岩石や土砂で積み上げたダムにはとても感動しました。
後者は、奥只見湖と周囲の人を近寄らせないような山々の神秘的な美しさが印象に残っています。
余談ではありますが、久々のご乗車、嬉しく思います。
先日も専門学校勤務時代の懐かしい街での再会、楽しい時間旅行を過ごすことができました。
ありがとうございました。
お互いにどんな"時"の流れの中にあっても、いつまでも変わらぬ仲を大切にしてゆきたいと思いました。
また、この哲×鉄ブログ本線に毎度ご乗車いただいている希望者挙手さんと、もう一人の御方とで、新たな構想を練っている件、お力をお借りできれば幸いです。
それでは、湯の小屋温泉へのツーリング、楽しんできてください!
希望者挙手さんからのコメント(2013年9月11日 23:20投稿)
高速道路の料金所(当時はETCなんてありませんでした)を抜けたら映画TOP GUNの主題歌「Danger Zone」でしたね。
ダムカードですが、かくいう私も自力では3枚しかゲットしてません。他に8枚もらったカードがあります。
御母衣ダムはいいですね。奥只見といえば、バイク泣かせの長~いトンネルのシルバーラインを思い出します(笑)
今、私が注目しているダムは、夕張シューパロダムです。大夕張ダムを水没させて作ってしまうスケール、車掌長もご存じであろう鉄道遺産の三弦橋も水没してしまいましたが。
そうそう、ダムカレーなるものもありますから、どうぞご賞味あれ!今回のツーリングの楽しみの一つでもあります。
新しいことにチャレンジするのは、お任せください。
だって「チャレンジ精神を忘れるな!」がモットーの専門学校にいたのですから(笑)
車掌長さんからのコメント(2013年9月12日 23:08投稿)
希望者挙手 様
毎度ご乗車ありがとうございます
「チャレンジ精神」は懐かしいですね!
話の腰を折って申し訳ありませんが、車掌長は中学時代から旧国鉄が始めたキャンペーン"チャレンジ20,000㎞"に夢中でした。
国鉄全線踏破を目指すものですが、国鉄合理化でどんどんローカル線が廃止され、フェードアウトしてしまいました。
ところで、鉄道遺産「三玄橋」の水没と聞いて思い出した場所があります。
北海道にあるタウシュベツ川橋梁です。
ここは、旧国鉄士幌線の橋梁が季節によって水面下にあったり、湖底から姿を現したりして、幻想的な光景を目にすることができます。
車掌長は夏に見たことがありますが、ローマの水道橋を彷彿させるような、アーチ型の美しい造形にしばらく時間を忘れて見入ってしまいました。
ダム建設には水没する集落の話が、切っても切り離せません…
穏やかだった山村に、建設の推進と反対で争いを巻き起こします。
きっと、お金の力も少なからずあるのでしょう。
お金では決して買うことのできない、人々の助け合いやお互いさまの「無償の精神」を破壊してしまうのです。
なんの損得勘定もなかった平穏な暮らしに各人の値札がつき、誇りや尊厳も値踏みされるのです。
果ては、人々の連綿とした絆は二分され、伝統文化や慣習の息の根を止めてしまいます。
きっと各地のダムにも、そんな悲哀が湖底に沈んでいるのだと思います。
車掌長も観光でダムを訪れることがありますが、いつも近隣の資料館に足を運び、往時を偲ぶことにしています。
そして、湖底に沈む前の村落の写真を見るたびに、ある感慨が湧き起こります。
周囲の山々や天空の大自然は、人間の営みを見てどう思っているのだろうか…と。
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バカンス
カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2013年8月31日 06:15
8月が終わろうとしている…
そして、毎夏考えることがある。
なぜ、日本にはヨーロッパの多くの国々にあるような「バカンス」がないのだろう…と。
同じ夏を、1ヶ月ほども休める国々と、一度に多くの人々が集中して僅か数日のお盆休みを取る日本。
日本でも、子どもには「夏休み」があり、単に長さで言えば「バカンス」のように見える。
しかしながら、その親がお盆前後に数日しか休めない、或いはそんな数日さえ連続して休めない親も少なくないのが現状だろう。
日本の子供の夏休みと言うと、宿題に追われ、学校がないのに塾や予備校に通い、部活にも参加するイメージ。
一方、複数の方々から聞いた話では、ヨーロッパの子供たちは、宿題もなく、家族総出で日常を離れ、田舎暮らしやアウトドアを楽しむという。
そんな子供時代の過ごし方の違いの延長線上にあるのは、例えば「世界大学ランキング」などを見れば、東京大学よりも上の大学が世界には沢山あることも興味深い。
推測に過ぎないが、日本の学習方法よりも、思考力や発想力、創造力、探究力、何よりもコミュニケーション力というパフォーマンスのレベルに、圧倒的な差があるのだと感じる。
日本の子どもたちの多くは、かけがえのない、将来の「自分」につながる子供時代を、"生きることの愉さ"や"自分の好きなモノを知る"ことに直結しない"覚えるだけの勉強"に偏っていないだろうか。
また一方では、酷暑の中で集団行動を強いられ、時には暴力まで被る部活に明け暮れる運動や習慣に、馴らされ過ぎてはいないだろうか…
これでは、本来の1人1人の「持ち味」や「個」を喪失しているように思う。
せっかく、某グループ歌手が「№1にならなくてもいい、特別なonly one」と唱えてくれても、日本でのonly oneは、「lonely one」になりかねない。
大人であれば、就業時間内で仕事を終わらせ定時に帰ろうものなら、時間内に仕事を終えた能力よりも、「和」を乱す異端者的視線をちょうだいする職場も多いはず…
もし、そんな日本にいきなり「バカンス法」ができて、1か月間の休暇を強制的に取ることになったら、一体どうなってしまうのだろうか?
今までは、与えられてきた短い休みだからこそ、家でゴロゴロするや、パチンコ、デパートでのショッピングで時間を”潰す"ことができたが、1ヶ月もあったら飽きるし、何よりもお金がもたないであろう。
自分の休みを計画的に楽しめ、有意義に過ごせるからこそ、本来の「休日」であって、働く意欲が保持されたり、新たな発想も湧くように思う。
いつかかってくるかわからない仕事の連絡のために、スマホを手放せなかったり、気が休まらない状態は「休日」とは言えないと車掌長は考える…
そもそも、バカンスとは「空っぽになる」という意味合いもあるようだ。
なるほど、トイレで見かける「vacancy」は"空き"の意味だ。
つまり、バカンスとは、それまで自分の中に溜まった時間的老廃物を排出する仕組みなのだと思う。
それは、人によって異なるが、疲れやストレス、マンネリ、倦怠感etc…
日本人には、その排出する仕組みを与えられていないから、人は精神的に病み、生きる希望を失ったり、辛くなったりしてしまうのかもしれない。
詰まるところ、日本人は真面目だ。
それは、農耕水稲民族として、畑や田んぼを1日でも世話しなかったらどうなる?という、休むことへの罪悪感や、それが災いして食べられなくなることへの不安が、無意識に体に沁みこんだDNAなのかもしれない。
今日、都市部で農家として生計を立てている人は皆無のはずだが、みんな自分の時間を切り売りして働き、日々暮らすのが精一杯な状況なのだと思う。
皆どこかで矛盾や疑問を感じても、それを打ち消されたり、叩き砕かれるほど、サービス残業や長時間通勤に自分の時間を奪われているのだと想像する。
せめて、自己防御ではないが、1日の中に僅か30分でもいいから「空っぽ」になれる時間を捻出しよう。
スマホや携帯の電源を切って、「完全に自由になれる時間」に心身を漂流させよう。
これは、日々継続して実践できれば言葉では表しにくい"快感"や"癒し"を得られるだろう。
所詮、日本ではヨーロッパのようなバカンスは望めないのだから…
最近、感動したこと
カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2013年8月27日 05:39
最近、感動したことがあった。
それは、車掌長の携帯電話が無事に生還したこと。
「哲×鉄」トップページの時刻表と一緒に写っている携帯だ。
お盆明け、所用で訪れた新宿の某高層ビルの業務用エレベーターに乗った。
地下駐車場から、上層階へ昇る際の出来事だったが、床のモノを拾うとして体を屈めたら、シャツの胸ポケットに入れてあった携帯がスッと落ちた。
その業務用エレベーターは、フロアの扉とキャビンの扉との隙間が広く、携帯はその隙間にジャストなタイミングで転がり、落下した。
B1階での出来事だったが、慌てて「何階まであるんだ?」と思って、昇降階パネルを見たらB4階まであった。
用事が済んでビルのサービスセンターへ行き、事情を話した。
ちょうど明日定期点検なので、業者に確認してもらえることになった。
ただその際に、本体は見つかっても全損や機能不全が通例とのことであった。
かくして、翌日の夜に連絡があり、その翌朝取りに来てくださいとのこと。
当日、2日ぶりに我が携帯に再会…
外見は多少の傷が見受けられた。
電源は切れていた。
恐る恐る電源を入れてみる…
画面には「起動中」の文字が浮かび上がった。
やがて、アンテナが3本立ちはじめ、試しに電話やメールもしてみた。
動作確認完了!
その瞬間、よくぞ無事であったという感慨が込み上げた…
普段、携帯には特別な愛着を抱いていなかった。
日常も、通話とメール、目覚まし、たまに電卓しか使わない単なる道具に過ぎなかった。
しかしながら、この出来事で我が携帯がとっても愛おしくなった。
2次元バーコードも読み取れない、起動も遅い、メール画面のスクロールも遅いetcの、ナイナイ尽くしの携帯だが、車掌長の生活には過不足のない相棒だ。
2日ぶりに着信やメールの受信履歴を見てみた。
車掌長が安否確認に自宅固定電話から掛けた番号のみであった。
これもまた、車掌長らしくして安堵した。(笑)
スマホも便利なことは、重々承知している。
しかしながら、世の中はもう十分便利すぎるので、車掌長にはモッタイナイ。
それらに関わらなくて済む、依存しなくて良い時間を、大切にしてゆけたらと感じた。
幸福駅(哲×鉄車掌区慰安旅行)
カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2013年8月24日 08:49
哲×鉄車掌区慰安旅行の記録も、これが最終回。
4泊5日の最終日は、早起きして「雲海テラス」にチャレンジした。
これがトマム滞在中の2つ目の楽しみであった。
いまやトマムと言えば、この「雲海テラス」をイメージするほど有名になった。
もともと雲海の発生しやすい地形や、気象の条件が重なった時に、神秘的な自然の芸術を目にすることができる。
しかしながら、毎日見られるわけではないし、ついさきほどまで見えていたのが一瞬で見られなくなってしまうなど、自然相手だけにまさに運次第…
実際、前日もチャレンジしようと早起きしたが、未明に雷注意報が出たとのことで、ゴンドラ自体が運休であった。
この日は定時(5:00)からゴンドラこそ運行していたが、部屋で確認できるインフォメーションでは「雲中」とのこと。つまり、上がっても雲の中で何も見えない状態…
しばらく、タイミングを見計らっていたが、せっかく来たのだし、ダメならダメでも良しとして6:15頃にシャトルバスでゴンドラ乗り場まで行ってみた。
既に乗車待ちの行列ができていたが10分ほどで乗れ、7時前に山頂駅到着。
この時点でも「雲中」に変わりはなかった。
山頂駅付近は眺望を楽しめるカフェやデッキが整い、大勢の人で賑わっていたので、別の展望デッキへ続く山道を歩き始めた。
しかしながら、しばらく待っても「雲中」で視界ゼロ…
今回は諦めかなぁ…と思っていた。
ツアーで来ていた人は、バスの出発時間があるようで、早々に帰路のゴンドラ乗り場へと向かっていた。
こちらは、今日は帯広空港に行くだけなので、チェックアウトも特に決めていなかったが、さすがにお腹が減ってきたので、8:00にはここを出ると決めもう少し待つことにした。
幸い車掌見習も眠り始めたので良かった。
間もなくして、誰かが発した「あっ!」という声につられ、その方向を見ると、雲の合間からリゾートの施設群が見え始めた。
高層タワーのホテル棟や、周囲の山々が顔をのぞかせた。
イメージしていた"雲海”とは違うが、これはこれで幻想的な光景であった。
森の中のレストランで朝食を済ませ、ノンビリ10:30にチェックアウト。
3日間の快適な滞在は、あっという間に過ぎ去った。
それにしても、この星野リゾート・トマムは、宿泊した部屋はもちろんだが、レストラン他どこの施設も子供連れを意識したハードやソフトが整っていた。
例えば、この日の朝食をとったレストランでは、乳幼児連れの場合は専用の靴を脱いで入る個室があり、その中央で子どもが遊べるスペースや絵本、おもちゃが置かれ、大人はその周囲に配されたテーブルで遊ぶ姿を見守りながら食事を取れるスタイルだった。
このあたりは、全国各地にある星野リゾートの「大人の寛ぎ」をコンセプトにした経営とは違い、良いなと感じた。
名残惜しいトマムに別れを告げ、帰路の飛行機に乗るため帯広へと向かった。
時間に余裕があったので、空港近くにある「幸福駅」に立ち寄ることにした。
ここはJRへ民営化される直前の1987年2月に廃線になった、旧国鉄広尾線の無人駅。
そして、ここを全国区で一躍有名にしたのが、40年前に放映されたNHKの番組「新日本紀行」であった。
駅名の縁起の良さが着目され、近隣の愛国駅とのカップリングで"愛国から幸福ゆき"の乗車券が爆発的に売れた。
車掌長も中学1年の頃、郵送で上記の乗車券や入場券の購入をこの駅にお願いしたことがある。
今思えば、この幸福駅が「縁起切符」の先駆けであったと思う。
当時は他にも、四国に「学」という駅があるが、そこの入場券を買うと券面に「入学」と印字される部分があり、受験生に大そう喜ばれた。
話を戻すが、この幸福駅も今では恋人の聖地として認知され、この日も多くのカップルを目にした。
車掌長にとっては、残された木造駅舎やレール、ディーゼルカーが往時を偲ばせてくれる聖地に他ならない。
一面一線の単式ホームに置かれたキハ22が、なんとも愛らしい…
賑わう駅前の売店で、その日の日付の入った「愛国から幸福ゆき」の切符を購入し想い出の品とした。
ここから空港までは10分足らず。
復路は13:45発のJAL1154便。
東京から到着した同機は、お盆の帰省客で満席のようであったが、折り返しとなる東京行きの搭乗便はガラ空きであった。
これもイメージ通りで良かった。
往路同様、搭乗前に離乳食を済ませ、待合室のイスでさんざんハイハイをさせて、専務車掌と共に難関への準備を整えた。
羽田と違い地方空港は、ターミナルを離れればすぐに飛び立つので、タイミングを見計らってミルクを飲ませた。やがて、車掌見習の眼がトロォ~ンとし始め、専務車掌と顔を見合わせてニンマリ。
だが、事は起きてしまった…
離陸後、水平飛行に差しかかったタイミングで、なんか異臭が…
もしやと思い確認すると、紙オムツからハミ上がらんばかりの軟便が目に飛び込んだ。
すぐさま、専務車掌とともに最後部のトイレへ駆け込み、オムツ交換へ。
だが、このトイレに設置された交換台の向きが非常に使いづらく難儀であった。
しかも、手間取っているうちに車掌見習が大泣き状態…
キャビンアテンダントのお姉さんも、「危ないですのでドアを閉めさせていただきます」と物腰柔らかに言ってくれたが、相当泣き声がうるさかったのだと思った。
ドアを閉められると、ただでさえ狭い機内トイレに大人2人と乳児が閉じ込められ身動きもままならず、汗も吹き出し始め、それはそれで地獄絵巻の様相であった。
やっと落ち着き、席に戻ろうとすると、間もなく着陸とのこと。
往路便で経験したが、着陸の方が耳が痛くなるだろうと思い、周囲に誰もいない席を探して車掌長が車掌見習を預かった。
だが、いざシートベルト着用サインが出て身構えていたが、もともとの飛行高度が低かったのか、耳への違和感がなく、陸地が見えてきた。
かくして、北海道旅行4泊5日の珍道中は無事終えることができた。
末筆ながら、5回に渡る全くプライベートな旅行記にお付き合いいただき、お礼を申し上げます。
どうもありがとうございました。
今後、乳幼児を連れて旅行をされる方々に、どこか部分的にでも、少しでも参考になれたなら幸いです。


