愛の手帳とボックスシート
カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2016年4月29日 05:21
繁忙の4月が終わろうとしている。
車掌長の仕事のリズムは、年間を通して繁忙と閑散が明確だ。
中でも、4月は超繁忙期。
桜の開花発表があった頃を覚えていても、桜を愛でる余裕はなかった。
昨日、仕事を終え車を走らせていると、垂れ下がる濃い紫色の房が目に留まった。
このひと月、先を急ぐ風景しか見えなかったが、もう藤の花が咲く季節へと時間は進んでいた。
そして、車掌長自身の心にも、少し余裕が出てきたことを実感できた。
しかしながら、どんなに忙しい日々であっても、心が洗われたり、励みになったのは、この春幼稚園児となった車掌見習の話を、帰宅後に専務車掌から聞くことだった。
車掌見習にとっては、おおきな、大きな環境の変化の連続だったことだろう。
入園後数日は、専務車掌との別れ際にシクシクとなり、後ろ髪を引かれる想いもあったそうだが、最近は笑顔でバイバイ!をするそうだ。
専務車掌曰(いわ)く、嬉しいやら淋しいやら…と。
当幼稚園は、保護者の園への関わりも多く、専務車掌は毎日のように、決まった役割分担の連絡や、今後たくさん予定されている行事の準備も忙しいようだ。
また、午前は幼稚園、午後の週3回は民間の療育施設への通所もあり、専務車掌も多忙の中で、家事もこなしてくれていることに、感謝の気持ちでいっぱいだ。
そんな当車掌区の4月が終わろうとしていた昨日、隣接区の児童相談所へ専務車掌と車掌見習が訪れた。
目的は通院している発達外来の小児科医から、「愛の手帳」の申請を勧められ、その判定を受けに行くことであった。
「愛の手帳」とは東京都における名称だが、全国的には「療育手帳」というそうだ。
交付の対象となるのは、「発達期に何らかの原因により知能遅滞が起こり、(中略)福祉的配慮を必要とされる方」とあった。
判定は精神科医、心理判定員との面談や知能検査、行動観察などがあり、その日のうちに協議及び判定が行われる。
結果は「交付」であった。
その結果は結果として、そのまま受け止め、今後も日々の成長を楽しみながらのんびりと、その日その日流れる風景を見つめてゆこうと思う。
そんな旅の車窓は、向かい合わせのボックスシートが似合いそうだ。
今ではあまり見られなくなったが、国鉄時代の急行列車の普通車や、地方を走っていた客車列車、ディーゼル車で、膝を突き合わせ向き合って座った座席…
進行方向窓側は、車掌見習を座らせてこれから近づく「未来」の車窓を見せてあげたい。
その、向かいとなる進行方向逆の窓側は、車掌長が座り、流れ去る「過去」を見つめ、感慨に耽(ふけ)りたい…
ときに、人生は「旅」そのもの…と、多くの人が口にする。
また、「心持ち」次第で、目に映る人生や旅の風景も、良くも悪くもなるのだろう…
その「心持ち」とは、自分自身の強さや、弱さ、価値観等に影響されやすいのだと感じる。
自分にとって「良し」とできる時間を過ごすことが、「心持ち」の豊かさにつながるのだろう。
「愛の手帳」は、きっと、その心持ちを強くしてくれるのだと思う。
君の歩みは遅くとも
カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2016年3月15日 05:31
ひと月ほど前、かつてないほど眼が出血した。
部位は左眼球の鼻寄りの白目で、黒目との境も判別できないほど、赤黒くなった。
この時期、車掌長と会った人は、面識の有無を問わず驚かれたことだろう。
原因は、車掌見習と遊んでいた際、小さな人差し指が、不意に車掌長の眼を突き刺した。
防御もできない咄嗟(とっさ)の出来事だったが、目に指が入った激痛は経験が無いほどだった。
最初は痛みがあったが、徐々に痛みが和らぐと、次第に上述の部位に出血を確認できた。
鏡で見ると、白目のない眼というのは、なんとも不気味だった。
身内の者は、すぐに眼科へ行くことを促したが、車掌長は時間が経てば治まると分かっていた。
これほどの出血は初めてだったが、コンタクトレンズを30年以上装着しているので、眼の多少の充血や出血には独自の心得があった。
ときに、子や孫は「目に入れても痛くない」という。
心情的な可愛らしさで例えれば、その比喩は間違いない。
しかしながら、指1本入っただけで、こんなにも痛いとは露ほどにも思わなかった。
それはさておき、発語が遅れている車掌見習だが、最近は母音が出せるようになった。
「あ」、「い」、「う」、「え」、「お」、と…
君の声を耳にできたときの喜びは、例えようのない嬉しさであった。
子音はまだまだ壁が高いようだが、母音の組み合わせで「あ・お」と、青いクレヨンを持って拙(つたな)い言葉を発したときは、涙が出る感慨を味わった。
随分前にも乗務日誌で綴ったが、発語の遅れを心配し、発達外来や民間の療育施設に通い始めてから1年以上になる。
先日、専務車掌が療育施設に通った記録を毎回残していて、その数が百回を越えたことを教えてくれた。
この1年の間、晴れや暖かな日ばかりではなく、雨や雪、寒い日もあったことを思うと、感謝の念でいっぱいだ。
車掌見習の成長の歩みは、きわめて、きわめて、ゆっくりだ。
きっと、他の子が新幹線のように、あっという間に「できる」ことを、鈍行列車に乗ったように、同い年の子と引き離され、年下の子に追い越されたりしている。
それでも、或る日、その小さな口から思いがけず発した「音」や、車掌見習が笑うと、「その先」を信じてみたくなる…
無条件に諸手を差し伸べてしまう…
どんなに時間がかかっても、その列車に乗っている限り、必ず目的地へ着くことができる。
鈍行列車の旅のように、新幹線や特急に乗っては一瞬で過ぎ去る「成長という名の景色」を、ゆっくりと共に楽しみながら、車掌見習の旅に寄り添おうと思う。
間もなく、入園の春がやってくる。
48という数字
カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2016年2月19日 04:56
48(四十八)という数字で連想するもの…
「赤目四十八滝」
「無くて七癖有って四十八癖」
「相撲四十八手」
「いろはにほへと四十八音」
etc
なにかと、数が多そうなイメージを抱かせるものが多い。
また、約数の多い数字とも言える。
1、2、3、4、6、8、12、24、48、と多く、扱いやすい数字や親和性の高い数字という印象。
ちょうど1年前、この乗務日誌で「47という数字」を取り上げた。
「47」は素数であり、正の約数が1とそれ自身の数しかなく、どこか唯我独尊的で好きだった。
唯我独尊というと、「傍若無人」や「ジコチュウ」などと、自分ほど偉いものはいないという意味合いが濃く、日本人的感覚では、村八分の対象になりそうだ。
しかしながら、ルールや法律を勝手に解釈し、それこそ傍若無人に振る舞うのは良くないが、個人の思考レベルで色々な解釈ができるのは、言葉の魅力の1つだ。
唯我独尊という言葉も、車掌長はこのように捉えて励みにしている。
「誰か」や「何か」と比較して自分の位置を座標上で確認するのはなく、自分という存在自体が、「無比」であることに「尊さ」があるのだと…
人はとかく、学歴や能力、就業状態、経済力などを自分のモノサシで測りたがってしまう。
これに、自分が生きてゆく上で、いかほどの意味があるのだろう…とつくづく思ってしまう。
そうすることで、安心したり落胆したり一喜一憂するが、それで充足したり欠如したりする「心」の在りようには、生き方としての一貫性が乏しいように思われる。
そういう車掌長も、まだまだ自分のモノサシが寸足らずで貧相であることは否めない。
今日、車掌長のモノサシは1つ目盛が増え、48歳になった。
このモノサシを長さに例えれば、48㎝とも言える。
そして、車掌長が手にする人生のモノサシが、「50㎝」のものなのか、「1m」のものなのかは、生き終えてみないとわからない。
だが、仮に50㎝のものであれば、そろそろその先も測れる長めのモノサシに持ち替えないとならないなぁ…と思う。
逆に、1mのものを手にしているのであれば、その長さに見合った「今の自分」なのか、を再考しなければならない。
つまり、まだ半分以上も人生の時間があると安心し、日々を怠惰に過ごしていないか…と考えてしまう。
いま48個目の目盛が増えたと記したが、振り返ってみると、過去の目盛には剥げ落ちたり、色濃く輝いていたり、いつまでも覚えていたい箇所もあれば、可能なら忘れたい目盛もある…
いずれにせよ、自分の貧弱なモノサシを他人に当て、その人を測るようなことはしないようにしたい。
そして、そのためには、昨年の素数である歳とは違う、約数の多い歳として、色々な価値観を共有できるような考え方や経験値を、広げたり深めることができるよう努力したい。
そんな感慨に耽(ふけ)る、48歳最初の朝であった。
コメント(2件)
希望者挙手さんからのコメント(2016年2月20日 02:08投稿)
お誕生日おめでとうございます。
2月19日というおめでたい日に、どんな著名人が生まれたのだろうと興味が湧き、調べてみましたところ、私たちとご縁のある(?)人物を見つけました。
スウェン・ヘディン
およそ100年前に当時地図上の空白地帯と呼ばれたチベット地方の地図を完成させたり、タクラマカン砂漠で彷徨える湖ロブノールや古代都市遺跡の楼蘭を発見したことなどで知られる、20世紀を代表するスウェーデンの探検家です。
専門学校の講師時代、車掌長に「栄光なき天才たち」というマンガコミックを貸してあげたことを覚えてらっしゃいますでしょうか?
トラベル学科の仕事でチベットの話題になった時、私がスウェン・ヘディンの話をした所、車掌長が関心を持たれてそのマンガを読んでみたいとなり、貸してあげました。
そんなスウェン・ヘディンと車掌長が同じ誕生日だったことを発見し、細やかな驚きと喜びを感じた次第です。
私も先日50歳を迎えたわけですが、まだまだ未知なこと、未経験なことがたくさんあります。そんな空白地帯をスウェン・ヘディンの探検のように埋めていく、お互いそんな人生を楽しんでいきましょう!
車掌長さんからのコメント(2016年2月20日 05:39投稿)
希望者挙手 様
毎度ご乗車ありがとうございます
記憶の海の深層に眠るスウェン・ヘディンの糸を手繰り寄せましたが、途中でその糸が切れてしまいました。
大変申し訳ございませんが、希望者挙手さんにお借りしたコミックとスウェン・ヘディンのことが思い出せませんでした。
しかしながら、そのような御方と同じ誕生日だったことを教えていただき、ありがとうございました。
そして、希望者挙手さんが仰る通り、まだまだ「未知」や「未経験」という、人生マップの空白地帯を埋めてゆくような、そんな生き方や楽しみ方を共有できれば大変嬉しいことです。
それにしても、この希望者挙手さんのコメントの結びは秀逸ですネ!
少年時代の冒険心が、再び湧いてくるような気持ちになります。
小学校や中学時代、教科書よりも時刻表の地図を見るのが大好きでした。
時刻表の地図は、鉄道路線やその他交通機関を、限られた誌面に上手に収めなくてはなりませんので、かなり歪(いびつ)な地図になっています。
そして、それら交通機関の途絶える先や空白地帯に、どんな景色が広がっているのか…を、確かめたい気持ちに溢れていました。
もちろん、車の免許もない歳ですから、その好奇心の実現は全て徒歩になります。
当時は、江戸時代に整備された街道に興味があって、旧東海道や旧中山道の一部を独りで歩いたものです。
ヘディンほどダイナミックな冒険はできませんが、その後途絶えた自分自身の好奇心の空白を、再び埋めてみたいと思いました。
48歳という節目に、そんな時間旅行ができましたこと、重ねてお礼申し上げます。
今後も、まだ人が通っていないような人生の道は、きっといくらでもありますから、そんな道(未知)探しを共に歩めれば幸いです。
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バレンタインデー
カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2016年2月14日 05:40
今日が日曜日でホッとされている人は、少なくないように思う。
それは、学校や会社で「あげたくもない」「もらいたくもない」、そんな可哀想なチョコが迷走しなくて済むからだ。
もちろん、その逆で「あげたい」「もらいたい」もあるのだろうが、それは学校や会社という勉強や仕事をする場で展開されなくてもいいのでは…と考える。
まぁ、本命であるなら、そういう人目を忍びつつ受け渡しをするスリリングさが、良いのかもしれない。
車掌長は甘いもの好きで、チョコも好物だが、美味しいチョコは「チョコリング」と「チョコバット」だと日頃から位置づけている。
全くチープな味覚かもしれないが、子どもの頃に駄菓子屋で食べた諸々の記憶も相まって、美味しいと思う。
専務車掌も、そのツボを押さえてくれ、バレンタインデーに関わらず、何でもない日にこれらを買っておいてくれるが、これがたまらなく嬉しかったりする。
ところで、バレンタインデーは、車掌長の3大dislikeの1つだ。
あとの2つは、ハロウィンと恵方巻きの騒々しさ。
どれも、商魂丸出しの街の雰囲気が苦手だからだ。
その行事に合わせて、どれだけの食物や雑貨が過剰につくられ、売れ残って廃棄されているのだろう…
コンビニ等の小売店の店先で、1つでも多く売るよう命じられる人に同情してしまう。
売れ残った分は、ノルマ未達で自腹を切らされる店もあると聞く…
不思議な国だ。
話は変わるが、昨日新東名高速が延伸された。
御殿場市から豊田市までが、従来の東名高速に加えダブルトラック化し、物流や観光におけるモノや人の移動に利便性が高くなる。
それはそれで、結構なことだが、ここ数年新設やリニューアルされる巨大なサービスエリアは、車掌長にとっては使い勝手が悪くて困ってしまう。
日常生活でお馴染みとなった、どの街にもあるようなプチショッピングセンター化し、その雰囲気に飽きたし疲れてしまう。
そして、トイレや食事だけの用でも広い敷地ゆえ、駐車から飲食に至るどの場面でも、意外に時間を費やしてしまい、その後の行程に影響を及ぼしてしまう。
そんなことも嫌気し、最近は専らこじんまりしたパーキングを利用している。
施設の眼の前に車を停められ、トイレも食事も待たずに済むし、前述のサービスエリアで見飽きた看板(チェーン店)ではなく、地場の店が安く美味しい定食を出してくれたりする。
何よりも、落ち着いた休憩の時間を過ごし、運転の疲れをリフレッシュできた気持ちに浸れる…
日本人の消費行動は、ハタから見て本当に画一的だ。
みんなが同じようにすることをしたがるようだ。
マーケティングを仕掛ける側なら、これほど思うように面白く踊ってくれるならラクだろう。
別の言い方をすれば、多くの人は皆と同じことをしていれば「安心」するだけのことなのだろう。
もしくは、自分だけが他の人と違う趣向や言動をチョイスする方が、面倒くさい、リスキーだと無意識に思っているのかもしれない。
日本のバレンタインデーという日にあたり、そんなことを雑感した春一番の吹く朝だった。
美酒に酔って
カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2015年10月31日 06:37
昨晩、美酒に酔いしれ、今朝は幾分寝坊してしまった。
お祝いにと専務車掌と頬張った、ロゼのCAVA(スパークリングワイン)が効いたようだ。
その祝いとは、車掌見習に公立幼稚園の入園決定通知書が届いたこと。
車掌長の居住する自治体には公立幼稚園が2つしかなく、希望者は自ずと狭き門を叩く。
願書提出後は、公開抽選で入園候補者が決まる仕組み。今回は応募倍率が5倍超だったとのこと…
公立保育園の入園選考が、親の就労状況や家族構成等を点数化し、1人1人の保育に欠ける具合を人の判断で推し量り、入園可否を決めることに比べれば、極めて「公平」なのかもしれない。
公開抽選で当選後、面接があり、車掌見習は更に再度の面接があって1ヵ月…
希望する園に入れますように…と日々祈りつつ、ダメだった場合はどうしよう…と話し合った日々。
そして、昨日、入園決定通知書が郵送される期限ギリギリに、郵便受けに届いた厚めの封筒。
専務車掌からすぐにメールがあり、車掌長はお祝い用の酒を買って家路を急いだ。
来春から車掌見習も、当車掌区を離れ小さな社会で過ごすことになる。
大人からすれば、小さな社会かもしれないが、子どもにとっては未知で大きな社会であることは間違いない。
どんな園生活になるのか、専務車掌も車掌長も大きな期待もあれば、裏腹に同じくらいの不安もある。
園生活に馴染めるかどうか等、車掌見習の成長面の心配も含め悩みは尽きない。
この場でカミングアウトというわけではないが、車掌見習は発語面での成長の遅れを、医師から指摘されて久しい。
1年ほど前からは小児科での発達外来や、隣接自治体にある療育施設にも通い始め、専務車掌が週2回、寒い日も暑い日も自転車やバスに乗って通ってきた。
同じくらいの歳の子に比べれば、極めて、きわめてゆっくりな成長だが、そんな緩やかな成長の歩みにも、日々できたことや言えるようになった「音」を耳にしては、専務車掌と喜び合っている。
これからも、車掌見習が「見習」を卒業するまでに、色々な喜びも悩みもあるのだろうが、徐々に自らレールを敷設し、分岐の際は自分の力で転轍器の重たいレバーを倒して、己の進路を決められるようになってほしい…
専務車掌も車掌長も、それが唯一の願いだ。
親のできることは、そんな「自分で生きてゆく力」を育む援助や応援に過ぎないのだと思う。