可部線復活

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2013年2月 5日 05:55

今日の朝刊で吉報があったので、嬉しさのあまり一筆。

JR可部線(広島県)の廃止区間が復活するという。
一度廃止になった鉄道が一部分とはいえ、復活するのは初めてのことであり、衝撃的な喜びだ。

復活区間は1.6㎞だが、中間駅も設けられる。
以前は非電化でディーゼル車が走っていたが、復活後は電車での運行となる。

可部線はもともと横川~三段峡(60.2㎞)までの路線だったが、山間部となる可部~三段峡間が2003年に廃止され、横川~可部(14.0㎞)で営業を続けていた。

今回の復活の背景には、周辺の宅地開発と病院建設の計画があり、乗客増が見込まれるという。

願わくば終点だった三段峡までの復活を望みたいが、それは無理だろう。
三段峡はあまり知られていないが、日本有数の渓谷美を誇る景勝地だ。

鉄道時代もアクセスの悪さがあったが、「黒淵」や「猿飛」などの狭い峡谷を、船頭が張り巡らされた縄を手繰って進む渡舟が大好きだ。

何はともあれ、可部線の一部復活を心から歓迎したい。
 

新幹線全駅のパタパタ絶滅

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2013年2月 4日 21:18

タイトルだけを見ると、なんのことか全くわからない諸氏もいるだろう。
ここで使用している「パタパタ」とは、一昔前は東海道新幹線のどこの駅にもあった列車や行先を表示する案内板である。

パタパタッと軽快な音を立て、次の列車名や行先、停車駅等の情報を乗客に提供してくれていた。
正式名称を「反転フラップ式案内表示機」というが、「パタパタ」の愛称の方が馴染み深い。
また、車掌長と同じ世代には人気TV番組だった「ザ・ベストテン」のランキングボードと言えば、どのようなものかイメージしやすいだろうか。

このパタパタ、1991年に東海道新幹線の東京駅にデビューし、以降名古屋、京都、新大阪と次々に導入された。
しかし、2002年にLED方式が初めて出現し、2003年秋に品川駅が開業。
同時に「のぞみ」が大増発され、「ひかり」「こだま」を合わせて複雑な運転パターンができあがった。

やがて、多くの情報を瞬時に表示し、かつ視認性に優れたフルカラーLEDに置き換わり、パタパタは徐々に姿を消していった。

そしてついに、先日の1月23日に最後のパタパタ設置駅であった三河安城で役目を終えた…

車掌長はこのパタパタが大好きだった。
「こだま」しか停まらないような駅で、列車が出た後に、次の列車を案内するパタパタを飽きずに眺めていた。
そんな長閑な静寂を切り裂くように、「のぞみ」が通過線を爆走してゆくのが滑稽だった。

どんなに急いでも、僅か東京から新大阪までの距離。
長い人生、そんなに急いで何処へ行く?などと、「のぞみ」の乗客には味わえない時間を堪能していた。

さて、そんなパタパタに敬愛の念を込め、このたび哲×鉄のトップページに再現!
今後は、乗務日誌の案内表示に生まれ変わり、末永く第二の人生を活躍していただきたい。


(追伸)
今回のパタパタ設置は、乗務日誌の常連であり、哲×鉄の保線区を担当している「たくちゃんさん」のご尽力です。
車掌長の突発なわがままを形にしてくださり、感謝しております。

また、日々、哲×鉄が無事運行でき、適宜リニューアルをして楽しみを広げられるのも、たくちゃんさんのおかげです。
この場を借りて心からお礼申し上げます。

 

 

サンライズ出雲の旅

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2013年1月 6日 06:44

今朝の新聞に嬉しい記事があったので一筆。

「幸せの女子会寝台」という見出しの記事。
内容は「寝台特急サンライズ出雲」が、若い女性の間で人気だという。
その行先が、一夜明ければ良縁を叶えるという出雲大社のお膝下であるのも一理あるようだ。

記事によれば、旅行情報誌るるぶの2013年版「松江・出雲・石見銀山」の編集長は、この列車を「縁結び寝台特急」と紹介したそうで、とても素敵なネーミングだ。

サンライズ出雲は東京駅を毎夜22:00出発。
仕事を終えてからでも乗れるダイヤが功を奏し、金曜日は昨今の女子人気もあやかり乗車率が99%にもなるという。

また、全車個室(ノビノビ座席を除く)の安心感と、内装が住宅メーカーとの共同開発による居住性の快適さも人気の秘訣だろう。
寝るまではどちらかの部屋で酒や肴、スィーツを持ち寄って女子会に興じ、就寝時はそれぞれの個室に戻れるのも使い勝手が良いと思う。
また、ベッドの向きがレールと並行しているので、寝心地も自然な感じであろう。

サンライズ出雲はサンライズ瀬戸との併結運転。
岡山で分かれそれぞれの目的地である出雲市と高松へ向かう。
以前は多客期に、広島や下関、松山までの臨時運行もあった。
電車であるため、機関車の付替えや方向転換の問題もないので、行先の運用は色々考えられる。
あとは、運行のためのJR各社間の調整が壁かもしれない。

車掌長は、昔ながらのブルートレインの客車寝台の乗り心地が好きだが、このような電車寝台列車の需要や人気が高まって、新たな定期運行や車両の新造につながれば夢のようだ。

寝台列車の旅は、高速夜行バスの安さや、飛行機の速さにはかなわないが、自分の自由な「時間」と「空間」がある。安さや速さをよりも、上質な時間の「豊かさ」を求める人が増えることを願う。

また、寝台列車には独特な旅情があるのも、多くの方々に体験してもらいたい。
窓に流れ去る見知らぬ街の灯や、規則正しく刻むレールの音。
何よりも、自分自身の内面と向きえ合える時間が担保された乗車時間に価値がある。

急ぐ旅ではないがゆえ、その列車に乗っている間は、物思いに耽(ふけ)る思考の自遊空間だ。

考えてみれば、列車での移動時間というものは、日常から非日常への心を切り替えるための「所要時間」なのかもしれない。
夜行列車であれば、一夜明けることが絶妙な演出となる。

飛行機であれば切り替わる間もなく目的地に着いてしまい、心は日常の延長ままのような気もする。
夜行バスは渋滞で時間通り到着しないこともあり、日常のストレスが更に溜まりそうだ。

寝台列車の旅には、巧みに非日常へと誘う心理的な仕掛けがあるのだと思う。
 

京都に鉄道博物館

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2012年12月20日 05:50

昨日、JR西日本は京都に鉄道博物館を整備すると発表した。
開業は2016年春の予定で、国内最大規模になるという。

国鉄時代の1972年、鉄道開業100周年事業としてオープンした梅小路蒸気機関車館に隣接させることで、相乗効果も抜群と思われる。
展示車両も、蒸気機関車から新幹線まで約50両にのぼるらしく、特急「雷鳥」などで活躍したボンネット型の489系や世界初の電車寝台581系、新幹線の0系や500系を間近に見られるというから楽しみだ。

時を同じくして昨日、さいたまの「鉄道博物館」は英国国立鉄道博物館との姉妹館提携を結んだ。
これにより日英間の姉妹提携は、先述の梅小路機関車館と交通科学博物館(大阪市)に次いで3館目となる。

今回この2つのニュースは喜ばしいことで、鉄道が日本の誇れる文化として多くの人々に知れ渡り、親しまれることを願う。

しかしながら、鉄道は走ってこそその醍醐味がある。
その点で、いすみ鉄道は「動く鉄道の博物館」となりつつあり大変貴重な存在だ。
国鉄時代の気動車が今も、里山の風景の中をのんびり走っている。

全国的にJRは新しい車両の入れ替えに熱心だが、古いものを大切にメンテナンスして永く使うことの価値には疎いようだ。
もちろん、車両の更新はいつかは必要であり、新たな信号や通信システムに対応することは安全面でも不可欠だが、人手のかからない効率化ばかりが優先され過ぎれば「乗る」楽しみは薄らいでしまう。

その点において、イギリスの「保存鉄道」には日本が見習いたいものがある。
その数は100路線を超え、営業廃止になった今でも大切にされながら走っている。

ただ、これらの運営の多くはボランティアによって支えられているという。
そして、現場の運営のみならず、資金面でも鉄道愛好家や地域住民の手によって賄われているそうだ。
これは日本ではなかなか真似のできない、難しいことだ。

日本は何事も「共有」することが苦手だ。
狭い国土にこれだけ多くの人口がありながら、みな「個」を優先するあまり、社会的に「大切にしたい」「共有したい」物事のプライオリティが著しく低い。

また、新しいもの好きな国民性にビジネスも便乗して、壊れて直すよりも買った方が得という、全くエコでない「エゴ」な価値観が浸透しきってしまった。
人間も壊れたら治す時間さえ与えられず、新しい人間へ部品のように交換される「使い捨て社会」になって久しいのが嘆かわしい。

便利な世の中になったようだが、心の充足が得にくい昨今…
本来最も大切にされるべき「人」や「心」が安心する居場所は、いま一体どこにあるのだろうか。

慌ただしい年の瀬こそ、来年に向けて一考したいことだ。
 

 

祝・鉄道開業140周年

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2012年10月14日 19:35

10月14日、今日は「鉄道の日」だ。
今年は明治から大正となって100年の大きな節目だが、鉄道開業140周年の節目でもある。

全国各地で鉄道事業者の沢山のイベントが行われたようだが、中でもJR東日本が親子を対象とした「ブルトレ復活」をさせたことは素晴らしいことだったと思う。
昨日、昼間は東海道本線の東京~早川間(往復)を、夜は横浜から秋田へのブルートレイン「出羽」を1日限り復活させた。
(車掌長の個人的な願望では、上野駅発であってほしかったが…)
何はともあれ、このような企画は鉄道の日に限らずどんどん実施していただきたい。

ところで、鉄道開業100周年だった1972年10月はどんなイベントがあったのか、ふと気になり当時の時刻表を開いてみた。(当該号がどんな表紙であったかは、アーカイブをご参照願いたい)

先ず筆頭として挙げたいのは、その時刻表(通巻560号)の表紙を飾った京都の「梅小路蒸気機関車館」の開設だ。
この施設は、鉄道開業100周年の記念事業として、梅小路機関区の扇形庫を活用。
1世紀にわたって我が国の鉄道輸送を支えた蒸気機関車を、貴重な産業文化財と位置づけ、動態保存を目的とした日本唯一のSL専門施設だ。

他にも、SLを各地で復活運転させたことが巻頭部分の臨時列車ダイヤからわかる。
下記に一例を挙げてみる。

・なつかしのSL「おもいで号」:八戸線(八戸~久慈)、C58形
・SL「白鷺号」:東海道本線(京都~姫路)C62-2号
・SL「デゴイチ伊賀号」:関西本線(湊町~柘植)D51形
・「汽車ポッポ南紀号」:紀勢本線(天王寺~紀伊田辺)D51形
・D51三重連:東北本線(盛岡~八戸)※定期貨物列車での復活運転

ちなみに、1972年10月号の時刻表には楽しい記事が満載だ。
例えば広告欄のはとバスには今では見られない「コンピュータコース」がある。
内容は「東京駅→富士通情報処理システムラボラトリ(食事)→日本不動産取引情報センター→日本電信電話公社展示センター」というものだ。

当時はまだ電卓が高価な品で、「最高級電子ソロバン」との売り文句も並んでいる頃だ。
きっと、当時の最先端の電算技術やシステムを見せ、それが観光としての値打ちがあったのだろう。

ところで、10年後の2022年はどんな150周年となるのであろうか…
いや、一体どんな世の中なのであろうか…

きっと今では想像できないような便利なモノや、価値感があるのだろう。
しかしながら、どんなに効率化や省力化が進んでも、自分自身の「脳のアウトソーシング(外注化)」だけは避けたいところだ。

それは、思考や想像、意思決定も人任せ、機械任せにしてしまうこと…
時刻表を使っていると、旅の行き方も人生の生き方も、「自分で決める」ことの醍醐味を気付かせてくれる。

 

前の5件 7891011121314151617