旧万世橋駅

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2012年7月 4日 05:42

東京駅から JR中央線に乗ると、神田~御茶ノ水間に或る遺構を確認できる。
以前、中央本線の終着駅でもあった「万世橋駅」だ。

1912年に開業し、東京駅まで延伸されるまでは、大いに賑わったそうだ。
特に初代駅舎は東京駅のような豪華な佇(たたず)まいであったという。

開業から100年目にあたる今年、JR東日本が粋な発表を昨日行った。
赤レンガ高架橋の「旧万世橋駅遺構」を整備し、鉄道遺産として来夏に一般公開するという。

1943年に営業を中止して以来、よくぞ今まで残されていたと思う。
駅舎跡やホーム等が復活され、整備後は旧ホームまで周回できるコースも設定されるそうだ。
車掌長も今から楽しみでならない。

こうした取り組みや試みは、どんどん全国に広がってほしいものだ。

余談だが、車掌長は山手線の原宿~代々木間にある皇室専用の「宮廷ホーム」も一般公開されたら…と願う。
そして、あのプラットホームから一般の人々が旅立てるよう整備されたら、どんなに素晴らしいことかと胸がときめく。
車掌長は子供の頃から、あのホームの優雅さに憧れていた。

今では皇室の移動手段も新幹線が多くなり、ほとんど活用されていないようだ。
昨年、那須御用邸用地として管理されていた豊かな森を、天皇陛下のお考えで、国民が自然と触れ合える場として活用され「那須平成の森」として開園された。

もし、宮廷ホームが一般公開・利用という「夢」が実現したら、「カシオペア」や「北斗星」、「サンライズ瀬戸・出雲」などの既存寝台特急の始発駅にしてほしい。
(ホームに編成が収まるかどうかは怪しいところだが、長距離列車には入線から発車時刻まで、ある程度プロローグを楽しめる時間がほしい。)

また、新たに子供専用の特急や寝台列車なども素敵だ。
決して、富裕層相手の豪華な列車は要らない。
 

東北新幹線開業30周年

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2012年6月23日 04:26

 本日、東北新幹線が開業30周年を迎えた。

1982年6月23日、大宮~盛岡間が暫定開業。
上野~大宮間は185系車両による「新幹線リレー号」が走っていた。

当時、車掌長は中学3年。
その時購入した記念切符が手元にある。
大宮駅から新白河駅までの各駅付近を、航空写真で俯瞰したデザインだ。

これは国鉄の東京北鉄道管理局が発売したものだが、今と比較するととても面白い。

大宮駅西口は、今は商業施設が林立しているが、当時は駅前まで住宅が見受けられる。
小山、宇都宮両駅も東口が再開発され、今とは全く違う。
那須塩原、新白河両駅にいたっては、駅前が新しい駐車場と田んぼしかない、という長閑(のどか)さだ。

さて、いよいよ手元にある開業時のJTB時刻表(通巻第676号)を開いてみよう。
開業当時の列車は速達版が「やまびこ」、各駅停車版が「あおば」であった。
車両は東海道新幹線0系をベースに耐寒耐雪設備を施し、出力もパワーアップした200系だ。
(この車両もそろそろ引退が近いだろう)

そして特筆すべきは、本数の少なさ。
上下合わせた全ての列車が、時刻表見開きの右側1ページに収まっている!
しかも、仙台以北については、定期列車は1日4本。
これは、ローカル線の「秘境駅」にも引けを取らない運転間隔(本数)である。

一方、ダイヤはどうか。
上野6:33発「新幹線リレー1号」で大宮から「やまびこ11号」へ乗り継ぎ、仙台9:14着、盛岡10:32着。
開業前の在来線特急「やまびこ」と比較すると、上野6:33発、仙台10:48着、盛岡13:01着。
大宮乗継の不便さはあっても、やはり「新幹線」は速かったといえる。

あれから時は流れ30年…

今や上野6:28発の「はやて11号」に乗れば、仙台8:11着、盛岡8:58着、新青森10:01着。
最高速度も大幅に引き上げられ、車両も逐次高性能化され進化を続けている。

移動時間が短くなったことは、きっと多くの人が喜び支持することは間違いない。
特に仕事や急用の場合は「急ぐ」ことが目的だから、新幹線は有用だ。

だが、その時間短縮によって生まれた時間で、人々は何を享受し、何を失ったのかここで一考する価値はあるだろう。

「移動時間」とは、普段過ごす土地や時間から旅先までの「日常」を離れる期待感や高揚感の醸造、或いは現地で見た風景や過ごした人との時間を消化する(整理する)ための貴重な「時間」だと車掌長は考える。

つまり、移動時間が短いということは、意識が日常の続きのまま旅先に着いたり、消化不良のまま日常生活に戻ってしまっていないだろうか?
せっかくの旅の「印象」や「余韻」という、生涯の「想い出」として形成される時間が足りないのではないか…と思ってしまう。
だから、旅から帰って単に「疲れた」という想い出しか残らないような気がしてしまう。

本来「旅」とは、行く前の自分と帰ってからの自分がどこか違うし、元気になるものだと思う。
そこを理解して「新幹線」や「航空機」を使わないと、せっかくの旅の効能が半減するだろう…

車掌長は今日貴重な存在となった夜行(寝台)列車の旅や、在来線特急、鈍行の旅をぜひオススメしたい。(今は急行列車というものが、ほぼ消滅したのが残念でならない…)

きっと、自分が所有する「自分の時間」が、どのようなものかを考える機会になるだろう。

東北新幹線開業30周年を迎え、祝意とともに、そんなことを考えた朝だ。

 

コメント(2件)

希望者挙手さんからのコメント(2012年6月25日 00:20投稿)

「青春18きっぷ」も発売から30年を迎えましたね。
しかし、その販売数は減少傾向にあるようです。

最近は特定の目的地を観光することだけが旅であるかのように、経済効率優先の移動手段が持て囃されているように思えてなりません。

私も車掌長同様、移動時間は旅の重要な要素だと思っています。
日頃の仕事や経済活動などに縛られた生活から抜け出したくて旅に出たはずが、まるで出張のような移動手段ばかりでは、日常生活を引きずったままの旅になってしまうのではないでしょうか。

徐々に日常生活から切り離されていく自分を実感し、旅を通じて変わってゆく自分とゆっくり向き合える「青春18きっぷ」の旅で、「自分の時間」を考えてみるのもいいかなと思いました。

車掌長さんからのコメント(2012年6月25日 05:12投稿)

希望者挙手 様

毎度ご乗車ありがとうございます。

希望者挙手さんに全く同感です。
最近の旅は提供する旅行会社も親切すぎて、本来一番楽しい部分であるはずの「プランニング」や「気まま」な部分をお客さんから奪い取っています。

例えば完全に出来上がったバスツアーなどは、バスに乗っていれば何の不自由なく、見たいものや食べるものが経験でき便利なようですが、行程をこなす「運動会」のように忙しいです。

旅行会社も安価にどれだけのことを盛り込めるかを競い合い、一体何がその旅の「目的」なのか、不明瞭なものが多いです。

また、何かトラブルや不都合があれば旅行会社や添乗員に文句を言う、歪(ゆが)んだものになっています。
旅にトラブルは付き物…
それも自分で考えて解決することが、旅の醍醐味です。

旅行業界もお仕着せの商品内容から、客が自分で創造できる旅づくりの手伝いやアプローチ、啓蒙ができないと、「ネット完結型」「旅行会社不要論」の道へ誘われる恐れがあります。

しかしながら、それは日本人の国民性とも言えます。
休みは「与えられるもの」という感覚があるから、その楽しみ方も出来合えのものが便利だし、そもそも主体的に関わる「時間」
がないのだと思います。

余暇を「余った暇」と書きますが、車掌長は"Vacation"の「空っぽになる」という捉え方が大好きです。
休みは仕事や日常生活の溜まったストレスを、「空っぽにする」からまた頑張れるのだと考えます。

いまや「青春18きっぷ」で旅ができる自由な発想の人々は、「お金持ち」などという古い概念ではなく、「時間持ち」という新たな価値の持ち主だと思います。

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ななつ星in九州

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2012年6月20日 05:13

 先日、JR九州がクルーズトレイン「ななつ星in九州」の運行を発表した。

来年10月の話だが、既に車両の製造が進み、コース概要も明らかになった。
車両はJR九州で多くの車両デザインを手がけ定評のある、水戸岡鋭治氏によるもの。
「和」や「旧」を基調とし、そこから「洋」や「新」の良さを生むような、水戸岡氏のセンスが随所に光っている。

また、コースは1泊2日と3泊4日の2コースがあり、4日間コースのルートを見ると「肥薩線」を通ることがわかる。
肥薩線はループ線やスイッチバックがあり、「日本三大車窓」の1つに数えらえる素晴らしい路線だ。
ここを走ることは、ルート選定をした方に拍手を送りたい。

しかしながら、この列車の残念なところは、富裕層が対象というところだ。
3泊4日コースの場合、乗車するクラスによって1人38~55万円だという。
運賃・料金以外に食事、観光、1泊の旅館代を含んでいるそうだが、これにはガッカリさせられた。

2年ほど前、水戸岡氏が、「九州で寝台列車を走らせたい」という趣旨のコメントを何かの雑誌で見て、とても期待をしていただけに残念でならない。

水戸岡氏は、国鉄時代の古いディーゼル車や特急車両などを、走行路線の風土やテーマに合わせた車両デザインを施し、外観も内装も鉄道の魅力に新たな息吹を吹き込んでくれた御方だ。
そして、何よりも多くの子供にその列車に「乗る夢」と「感動」を与えてくれた。

だが、「ななつ星」にはそんな子供の夢は届かない…

最近、つくづく思うことがある。
世の中、なぜ富裕層ばかりを対象にした商習慣になったのかと…

正確に言えば「二極化」なのであろう。
しかしながら、殊に鉄道の寝台列車では「二極化」は当てはまらない。
なぜなら、純粋に夜間移動する安価な「夜行列車」自体がないからだ。

両方の選択肢がある中で「二極化」なら、まだ救われるが、九州に限らず全国的に寝台列車は消滅傾向だ。
故に、「カシオペア」以来、十数年ぶりに機関車も車両も新造される「JR九州版寝台列車」には期待していた。

鉄道好きな子どもや、親子連れが、楽しみや夢として「手の届く」列車こそ、活力のない日本に元気を与えてくれると考える。

長い目で見れば、その子たちの「感動」や「喜び」、「経験」が、大人になって新たな文化を築くのだと思う。

 

コメント(6件)

エリート街道さんさんからのコメント(2012年11月20日 14:16投稿)

貧乏人が乗れるくらい安くすると客層が落ちてしまいます。だからある程度値段を高く設定するのは当然かと。

そもそも飛行機や新幹線と違って、カシオペアやトワイライトEXP、ななつ星といった夜行列車は、目的地に早く着くためのものじゃないんだから、乗らなくても生活には困らない。

車掌長さんからのコメント(2012年11月21日 05:14投稿)

エリート街道さん 様

この度は「哲×鉄 ブログ本線」ご乗車ありがとうございました。

エリート街道さんの仰る通り、カシオペアやトワイライトEXPぐらいの料金設定なら良かったと思います。
これらは運賃や料金が明確ですし、少し頑張れば手が届きそうです。

先日、某百貨店の100万円の福袋の中身がこの「ななつ星」だったそうです。
ななつ星のツアーは、先月申し込みが始まり、6倍超えの競争率で予約が取れないことが背景にあるようです。
この福袋も僅かな数ですから、今度はこちらを買うのも大変かもしれません(笑)

このような高額な福袋を買える方々がいるのも、今の日本。

エリート街道さん、素敵なお名前ですネ。
その街道は歩道でしょうか、車道でしょうか。
どんな場所を通る道かなぁ…と想像します。
海沿いか、山中か、街中なのか、里山か、それとも天空か…
その沿道からはどんな景色が見えるのでしょうか。

そして、その道を往来する人々はどんな様子でしょうか。

大変興味がありますので、お時間があったら、ぜひお教え願います。

それでは、またのご乗車をお待ちしております。
ありがとうございました。

寝台好きさんからのコメント(2013年3月22日 22:05投稿)

私は車掌長さんと同意見ですね。
まだまだ寝台列車に対する需要はあるはずですし、JR側がきちんと掘り起こせていないと思っていますし、営業努力で安くすることも可能なレベルだと考えています。

ただ、分割民営化以降、社をまたぐ寝台列車が組みにくくなったこと、あまりに新幹線中心になりすぎてしまったことなど、厳しい状況は変えられないだろうなとも感じています。

子どものころの憧れだった寝台特急、次世代に残せるといいのですが。

車掌長さんからのコメント(2013年3月23日 00:00投稿)

寝台好き 様

この度は「哲×鉄 ブログ本線」ご乗車ありがとうございました。

「子どものころの憧れ」…素敵なその言葉に心から共感いたします。
いつの時代であっても、子どもの憧れるモノがある世の中であってほしいと車掌長も考えます。

憧れがあるということは、言い換えれば、それを手にするための努力や工夫をすることでもあります。

そして、想いが叶った瞬間の充足感やそうした体験の積み重ねは、必ずやその少年を心身ともに逞しくし、自立への歩みを援助するように思うのです。

車掌長も「寝台特急」は憧れであり、高嶺の花でした。
急行や各駅停車の夜行列車の座席から、追い抜かれたり、すれ違うブルートレインを見送っては、いつかは自分もあちらの窓から景色を眺め、横になってぐっすり眠りたい…そんな想いを抱いていました。

しかしながら、実際に乗れた時は寝台車でありながら、眠るのが惜しかったことを覚えています。

寝台好きさんが仰る通り、寝台列車の需要は確実にあるはずです。それは、1月6日付の乗務日誌でも綴りましたが、サンライズ出雲・瀬戸が既に実証済みです。

確かに昔と違って、ビジネス客の利用を望むのは難しいかもしれませんが、快適で旅情を味わえる車両を新造したり、走行ルートや目的地にこだわりを添えれば、新たな需要を掘り起こせると思います。

新幹線中心の営業方針も、JRの経営戦略としてはよく理解できます。
「ひかり」よりも数百円上乗せできる「のぞみ」主体のダイヤを組み、折り返し時間を短縮し、本数を増やせば笑いが止まらないドル箱商いが可能です。

しかしながら、その引き換えとして、食堂車やビュッフェ、個室、ダブルデッカー、こだまの車内販売等が「効率」の名の下に消えていきました。
新幹線にも僅かながらに存在したそんな「旅情」の隠し味を、最近はことごとくファーストフード化させてしまい、国際的には日本の鉄道の醍醐味として大きな損失だったと思います。

せっかくの「旅」も「人生」も、その道中(プロセス)も楽しめた方が、より豊かなように感じます。

そして、誤解を恐れずに申し上げれば、一見「無駄なこと」や「余計なこと」と思われがちな「遊び」や「のりしろ」の部分に、大人が真剣に取り組んだり楽しむ姿勢こそが、子どもの憧れをより広く育む社会だと思うのです。

そうすれば今流行りの「さとり世代」も少なくなるかもしれません。
やる前から結果のわかることには関わらない…という風潮は寂しい限りです。

長々と綴り申し訳ありませんでしたが、寝台好きさんの再びのご乗車を心からお待ちしております。

また、ぜひ懐かしいエピソード等ありましたら、この場でご披露いただき、ともに「時間旅行」を楽しめれば嬉しいです。

本日はご乗車ありがとうございました。

higonokazeさんからのコメント(2013年9月29日 11:41投稿)

肥薩沿線をルートに選んでくれた・・隼人駅から真夜中に阿蘇まで突っ走るんだから三大車窓の景観も三大急流の球磨川も見られず・・
鹿児島本線はオレンジ鉄道へ売り飛ばしたからルートにできない必然がある。
それに気付かず能書きとは。

車掌長さんからのコメント(2013年9月29日 16:55投稿)

higonokaze 様

このたびは哲×鉄「ブログ本線」ご乗車ありがとうございました。

higonokazeさんの仰ることに、全く同感です。
せっかく肥薩線を走るのに、あのダイヤは惜しいと思います。

しかしながら、たまたま手元にあった1971年1月の時刻表の肥薩線の頁を開いてみましたら、その当時は夜行列車が健在でした。

あいにく、今回のななつ星は車窓こそ楽しむことはできませんが、星空の下、ループ線やスイッチバックを走るのも夢がありますネ。
乗車は叶いませんが、もしそんな列車の光跡を俯瞰できたらロマンチックだと思います。

また、肥薩オレンジ鉄道も「ななつ星」の走行ルートに入っていれば良かったとつくづく思います。
たとえ、JRから切り離されたとしても、北斗星やカシオペアは青い森鉄道やIGRいわて銀河鉄道を走っています。

来月からの運行を皮切りに、年々ルートの選定や通過時間帯にアイデアを凝らすと、より良いクルーズが楽しめることでしょう。

きっとリピータも増えるでしょうから、常に新しい魅力が提供されることに期待します。

話は変わりますが、「higonokaze」というお名前、とても素晴らしいです。列車の名前にあればぜひ乗ってみたいです。

それでは、またのご乗車をお待ちしております。
ありがとうございました。

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鉄研甲子園

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2012年5月14日 05:53

5月13日、日本初の本格的な鉄道検定「第1回鉄道テーマ検定」が実施された。
東京・名古屋・大阪の3会場で6~81歳の計約2500名が受験し、うち約2割が女性だったという。
車掌長の世代からすると、この「鉄子」の割合は隔世の感がある。

今回のテーマは「新幹線」。
2級と3級があり、2級に合格すれば1級の受験資格ができる。
そして、各テーマの1級を5つ獲得すると「マスター」に認定されるらしい。
今後もテーマを変えながら、年に1~2回実施される予定とのこと。

過去に、JTBの外郭団体が「旅行地理検定」と並列で、「鉄道旅行検定」や「温泉旅行検定」を実施していたが、今は行われていない。
(車掌長も、記念すべき「第1回温泉旅行検定」を受検し、約800名中8位だったことを思い出した。)

今回の「鉄道テーマ検定」で興味深かったのは、団体戦があることだ。
鉄道研究部(略して「鉄研」)の部員が4名1チームとなってエントリーし、合計得点を競う。
その名も「全国高校鉄道研究会対抗選手権」といい、「鉄研甲子園」と称される。

車掌長も高校時代、鉄道研究部に所属していた。
運動部系の部活には試合や大会があり、文科系でもコンクール等の目標があったが、鉄研にはなかった。
ゆえに、他校との交流もほぼ無縁だ。

その観点からすると、この検定は活動の一目標になり得るし、他校生徒との連携や親交など新たなコミュニケーションを生み出す可能性がある。

ささやかながら、全国の「鉄研」の交流や活性化を応援したい。
また、できれば我が母校での「鉄研」復活も期待したい。

 

コメント(2件)

希望者挙手さんからのコメント(2012年5月15日 00:46投稿)

毎度の夜行乗車にて失礼します。

「鉄研甲子園」素晴らしい企画ですね。私たちも若かったら出場してみたかったですね。

甲子園といえば、車掌長と出張を共にした「簿記の甲子園」を思い出しました。運動系であれ文科系であれ、高校生の情熱とパワーには感服しますね。

普通ならあまり面白くない仕事での出張も、車掌長との出張となると、オフの充実度が格段に高かったですね。

車掌長の旅に対する情熱も高校生に負けずアツいモノがあり、私は旅を楽しむこと、そして何より旅を楽しませるということ、つまりはサービス精神を車掌長から学び、それが今でも生きていることを感じます。
温泉旅行検定800名中の8位も納得です。流石!

車掌長さんからのコメント(2012年5月15日 05:19投稿)

希望者挙手 様

毎度ご乗車ありがとうございます。

「簿記の甲子園」、とても懐かしいですネ!
専門学校勤務の1年目、希望者挙手さんと担当したのは北陸地区で、金沢会場でした。

まだ「ほくほく線」開通前で、上越新幹線「あさひ」で長岡まで行き、在来線特急「かがやき」で金沢へ至るのが、当時の最速でした。(3時間56分)

思い出深いのは、普通車指定席の通常料金で購入するよりも、往復グリーン車利用の方が安いトクトク切符で手配した際、同行の経理課長が困惑したことですネ。
(出張規程で一般社員から課長までは、グリーン車利用不可でしたので…)

それにしても、「簿記の甲子園」に出場する高校生のパワーは、希望者挙手さんがおっしゃるように感動的でした。

主に商業高校の簿記部の生徒が多かったですが、日々電卓に向かって日商簿記1級レベルの問題と向き合っている努力は素晴らしいと思いますし、電卓を打つスピードと音に圧倒されました。
今はどんな大会になっているんでしょうか…

(そういえばこの学校は、本当の「甲子園」を借りて、同じグループ内の5学校が対戦する「硬式野球大会」を開催していたのもユニークでした。)

翌年以降も、希望者挙手さんと色々な地区へ行きましたネ。
毎回、前日設営終了後の「ご当地観光」が楽しかったです。

車掌長は簿記が苦手でしたが、経理系専門学校のトラベル学科ということで、学生に簿記を教えなければなりませんでした。
その際、大変お世話になったのが、希望者挙手さんです。

希望者挙手さんは、複数の税理士科目合格者であり、学生や初心者にもわかりやすい教え方で定評がありました。
そして、車掌長もその教え方をマネさせていただきました。
この場を借りてお礼申し上げます。

またぜひ一緒に旅をしましょう。

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湊線を訪ねて

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2012年5月10日 05:20

先日、所用があり水戸へ行った。
前泊で水戸入りしたのが早かったので、ひたちなか海浜鉄道湊線に乗ってみた。

水戸から勝田まで行き、1両編成のディーゼルカーに乗り換えた。
ちょうど、高校生の帰り時間のようで、阿字ヶ浦行きの車内は立ち客がいる混み具合だった。

車掌長は前方車窓が確保できる位置に立ち、30分ほどの小旅行を満喫した。
のどかな田園風景の中、真っ直ぐな2本のレールが伸び、ガタゴトガタゴトのんびり走る。
途中、那珂湊は沿線最大の駅で、ポイントでいくつも枝分かれする構内配線が美しい。

終点阿字ヶ浦は、北関東を代表する海水浴場を擁する駅。
かつてはシーズンともなると、上野駅からの直通列車が運行された。
それを想像できるのが、長い長いホームだ。
きっと、沢山の家族連れが乗り降りしたことだろう。

(家に帰って調べてみたら、1989年夏までは上野発の気動車が出ていたが、翌年我孫子発となり、1994年夏には小山発となって最後だった。)

列車の折り返し時間が20分ほどあったので、徒歩5分の海水浴場へ行ってみた。
日本には「東洋のナポリ」と言われるビーチがいくつかあるが、ここもその1つだった。
以前、遠浅で美しかったであろうビーチも、眼前の光景はごく平凡な砂浜だ。

この浜は東日本大震災の被害がほとんどないように見受けられた。
だが、人っ子一人いない浜に、営業中の飲食店が大ボリュームでラジオの音を流すのが聞こえ、荒涼感を際立たせていた。

帰路は那珂湊駅で途中下車し、駅前右手の食堂で夕食。
子どもの頃の一人旅を思い出すような、年季の入った店内だった。

1本列車を見送り、次のキハ205で勝田へ戻った。
昭和40年代の車内に郷愁が漂う。
いつまでも現役で頑張ってもらいたい車両である。

 

コメント(4件)

ひたちなか海浜鉄道さんからのコメント(2012年5月10日 09:53投稿)

がんばります。
ありがとうございます。
(吉田)

車掌長さんからのコメント(2012年5月10日 21:03投稿)

吉田様

この度は「哲×鉄ブログ本線」ご乗車ありがとうございました。
ひたちなか海浜鉄道社長じきじきのコメントをいただき、大変感激しております。

吉田千秋社長のご奮闘ぶりは、昨年11月の鉄道ジャーナルで第3セクター鉄道の「公募社長」特集で拝見しました。

湊線再生への並々ならぬご苦労がおありかと察しますが、鉄道にかける情熱や数々の企画に共感しております。

キハ205に乗った際、高校生十数名が一緒に乗り合わせましたが、「この車両が一番良い」と話していたのが聞こえました。彼・彼女らは向かい合わせのボックス席がお気に入りのようでした。
きっと彼らが大人になった時に、この通学シーンの想い出が大切な宝物になることでしょう…

ちなみに車掌長は阿字ヶ浦方面から那珂湊駅に進入する際の、右カーブが大好きになりました。
次第に目に入り込む構内の広がり感が抜群です。

また、那珂湊駅の改札口周辺も貴重な佇まいです。
幅広いホームは、往年の賑わいを彷彿させる貫禄に満ち溢れていました。

末筆ながら、今後も湊線を応援しております。
先日訪問の際、「湊線応援券(春)」も購入しました。
四季4枚を揃えて、また那珂湊駅を訪れたいです。

希望者挙手さんからのコメント(2012年5月12日 23:59投稿)

久々の乗車にて失礼します。(相変わらず夜行ですみません)
私の出身地である茨城県を紹介していただき、ありがとうございます。

話は変わるのですが、車掌が四季・・・と読んで、昨日観てきた、劇団四季の「CATS」に繋がってしまいました。

私「CATS」は初めてで、「メモリー」という曲と、猫がいっぱい出てきて・・・ぐらいの予備知識しかないままでの鑑賞となりました。
数多く登場する猫がいる中、「スキンブルシャンクス」という鉄道猫が車掌を務めるシーンがあり、スキンブルシャンクスが車掌長と重なって見えてしまいました。
この時、仲間の猫たちが様々なゴミを持ち寄って、大きな機関車を作り上げるのですが、このシーンには思わず感動してしまいました。
ぜひ、鉄道ファンの方たちにも観ていただきたい、と言うよりも、このシーンには鉄道ファンだからこその感動があるように思えてなりません。

もし、まだ「CATS」を観ていない鉄道ファンの皆様(もちろん鉄道ファンでない方も)、ぜひ一度、鑑賞されてみてはいかがでしょうか。私は事前学習をしっかりして、もう一度観てみたいと思いました。

車掌長さんからのコメント(2012年5月13日 07:57投稿)

希望者挙手 様

毎度ご乗車ありがとうございます。
湊線応援切符の四季から「CATS」に転じるのが、希望者挙手さんの柔軟なところで素敵ですネ。
コメントを拝見し、とても楽しかったです。

CATSについては、車掌長も希望者挙手さんの観賞前のイメージと同等の印象しかありませんでした。
今回「スキンブルシャンクス」という鉄道猫登場の話を知り、ぜひ観てみたいと思いました。

話はそれますが、ミュージカルというと「レ・ミゼラブル」も感動的でした。

たまたま花屋を営む妹夫婦が、ジャンバルジャン役の出演者へ花を納品する際に、帝国劇場で良い席が購入でき行きました。

予備知識もなく観たものの、どの楽曲も惹き込まれる魅力があり、台詞の1つ1つも力強く、不思議な勇気をもらった印象でした。

車掌長は他にも「ベルサイユのばら」を、本場宝塚の大劇場で観た際に「タカラヅカ」に対する認識を改めました。
何でもイメージや聞いた話(噂)ではなく、自分の目で見た印象や感想が大切ですネ。

ところで、猫つながりの余談を1つ。
ひたちなか海浜鉄道にも「駅猫おさむ」がいます。
那珂湊駅に常駐する黒猫ですが、車掌長が訪れた際も、夜の帳(とばり)が下りた駅構内で、高校生に可愛がられていました。

全国的にも猫と鉄道(駅)との相性は良いようで、中には和歌山電鉄貴志川線貴志駅のように、駅長を務める「たま」もいます。
「たま」はJTB時刻表2009年7月号表紙にも登場したスーパー駅長として有名です。


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