トラベラーズチェック

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2013年10月25日 05:13

トラベラーズチェック(以下TC)の販売終了を、今朝の新聞で知った。

米クレジットカード会社のアメリカンエキスプレスは、来春3月末でTCの国内販売を終了するとのこと。
日本の銀行が、徐々に販売を終えていたことは知っていたが、TC発行では世界最大手のアメックスも終了させるとなれば、TCも絶滅の道を辿ることに拍車がかかるだろう。

「旅行小切手」とも呼ばれるTCは、海外渡航時に多額の現金を持ち歩かなくても済むように発行・販売されてきた。万が一、盗難にあっても再発行される安心感があった。
しかしながら、クレジットカードが普及し、その役割の終焉を迎えたことは否めない。

車掌長は、このTCを買うことが「海外渡航」を実感できるモノの1つだった。
特に、初めての海外渡航としてスイスに行った学生時代、憧れのパスポートを手に入れた後、銀行で購入した想い出が懐かしい。
周囲が就職活動で内定をもらっている頃、必死でバイトに明け暮れて旅費の捻出に余念がなかったが、車掌長の優先順位は、初の海外渡航実現の方が高かった。

TCのメリットを活かせるほどの金額ではなかったが、購入時にサインした時の緊張感や不慣れさは忘れられない。
この時は、英字で筆記体で書くものという認識であった。

いまや、カードでモノを買ってもサインレスの時代。
便利であり、日常的には合理的だ。

しかしながら、「サインする」という行為の意味や重みは大切にしたいと感じる。
 

コメント(2件)

希望者挙手さんからのコメント(2013年10月26日 01:47投稿)

こんばんは

これもコスト削減のためのペーパーレス化でしょうか。

私もTCで買い物するのが好きでした。
田舎町の小さなドラッグストアなどで使えると、「えっ!こんな所でも使えるの?」と思わず感動してしまったりして(笑

しかし、クレジットカードを持てない18歳未満の学生には、TCがあって助かったんですが・・・私の長女が高校の修学旅行で海外に行った際は1日分の現金とTCを持たせました。

以前、レコードのお話でも少し触れましたが、私たち世代は(私だけかな?)面倒臭いと思われる儀礼のような所作に、時間の経過や物体の感触が加わることで、様式美と満足感、達成感のようなものを得ていたように思えます(大袈裟かな?)

私はバイクに乗りますが、バイクって乗るまでが面倒で、バイク用のウェアを着て、ライディングシューズを履き、バイク置き場に行ってカバーを外し、キーロックを外し、ざっと異常がないか確認して(本来は、ネンオシャチエブクトウバシメ・・・わかるかな?わかんねぇだろうな)、エンジンをかけたら暖気して、ヘルメットを被って、グローブを付けて・・・ここでようやく跨れる、跨ったらミラーの位置を調整して・・・

実は自動車の方が気軽に乗り出せるんですね。
私はこの乗る前の儀式も含めて、バイクに乗ることが好きです。
さあバイクに乗るぞ!って気合が入りますし、何よりも仮面ライダーに変身したんじゃないかって位の気持ちになります(笑

あの仮面ライダーの変身ポーズだって、無駄な様式美ですよね。
変身中に攻撃されたらどうするんだ?なんて質問はナンセンスです(笑

話が逸れてしまいましたが、古き良き時代がまた少し遠くなるような寂しさがありますね(これも大袈裟か・・・笑)

遅ればせながら、とても良い買い物をされたようですね。
私も号車番号は迷わず30を選びます。私の誕生日付ですから(笑

超特急といえば、英語の車内放送では「NOZOMI Super Express ・・・」と言ってるんですから、日本語でも「超特急のぞみをご利用いただきまして・・・」なんて粋な放送をしてみても楽しいんじゃないかと思ってしまいました(笑

松鶴家千とせ でした(笑

車掌長さんからのコメント(2013年10月26日 05:18投稿)

希望者挙手 様

毎度ご乗車ありがとうございます

「わかるかな~ わかんねぇだろうな~」、最高でした!
すっかり記憶の御蔵に入っていましたが、ありましたネ。昭和の名言が。

昨今の便利さに慣れきった現代人には、なかなか理解できないであろう手間のかかる、面倒くさいモノ達への愛着や醍醐味…
まさにこのフレーズがピッタリです。

車掌長はバイクに乗りませんが、希望者挙手さんの仰る一連の動作をイメージすると共感します。

また、モノを動かしたり、コトを始めるまでのきっかけや準備、思考、点検、動作確認etc…
こうしたことの、どれかを怠けたり、欠ければ成立しない物事に、様式美や満足感、達成感、自分のスタイルを会得できるのだと思うのです。

今の世の中、本来最も楽しい部分を機械やスマホ、商売人が代わりにやってくれ、金銭と引き換えに結果のみを受け取っていますが、面白味に欠けると日々感じています。

ところで、新幹線のアナウンスで「超特急」を入れること、個人的には賛成です!
いまや全然「超」ではないのかもしれませんが、若い人は「チョ~○○」と日常言っているので、意外に定着する気も…(笑)

余談ですが、先日の念願だった新幹線0系サボ入手について、或る御方から嬉しいメールを頂戴しました。

それは「長いスパンで考えると歴史を伝承しているような、つまり貴重な財産を一時的に預かっているような気になったりする…まさにロマンです」と。(ご本人の了解を得ずに抜粋でゴメンなさい)

これにはパーフェクトに共感しました。

あのサボを手にし眺めていると、当時の人々が「超特急」に抱いた憧れや、走行時に目をシロクロさせたであろうスピードの感動が蘇るのです。
実際、車掌長の父も最初に乗ったときは、その速さに目が回ったと言っていました。

当時の車内放送では「超特急」と言っていたのかどうかわかりませんが、言っていたとしたら…と想像しながら、好きなウイスキーを味わうのも、なんとも至福なひとときです…

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トイレにあった詩

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2013年10月18日 05:35

先日、やなせたかしさんがお亡くなりになった。

アンパンマン生みの親であり、心温まる歌や詩を沢山、この世に残してくださった。
そのことは、TVや新聞、雑誌で多くの方々が追悼の念を込め語っている。

車掌長も想い出がある。
それは、子どもころから家の便所にあった1つの詩だ。
「便所」としたのは、当時は和式だったので、その方が情感が湧く。

その詩は、正方形のタイルに挿絵とともに書かれていた。
全てひらがなだったので、小学校低学年でも読めたが、意味を理解できたのはもっと後のことだ。
便器にしゃがむと、ちょうど視線が向く位置に飾られていた。
母親が好きだった詩のようだ。

ほほえむことを
わすれちゃいけない
なみだはいまも
ながれているが
すぎてしまえば
いまはむかし
おもいだしちゃいけない
かなしいことを

おそらくこれで間違いなかったと思う
物心ついた時から、用を足すたびに見ていたので、今でも覚えているし、たまに思い出すこともある。

記憶に刷りこまれた言葉というものは、無意識ながらも、日々の思考へと変化してゆく…
やなせさんは、アンパンマンを通じて「絶対の正義などない」ことを教えてくれた。
そして、本当の強さとは「優しさ」であることも…

おそらく、その優しさを伝えたいために、どれほどのかなしいことや想いをしたのだろう…と想像する。

15年ほど前、まだ出来て間もないアンパンマンミュージアムを訪れたく、高知に行ったことがある。
やなせさんの故郷に創られた夢城は、多くの人の心のふるさとでもあると感じた。

やなせたかしさんのご冥福を、心からお祈りするとともに、その遺志を大切にしたい。
 

 

コメント(6件)

希望者挙手さんからのコメント(2013年10月19日 00:19投稿)

こんばんは

やなせたかしさんの詩はとてもやさしい響きで、それでいて凛とした気持ちになれる言葉ですね。
早速、子供たちに教えてあげようと思います。

やなせさんの詩といえば「手のひらに太陽を」が有名ですね。

私は子供たちが幼い頃、毎年、小学館の「えほんコンサート」に連れて行ってました。その時、やなせたかしさんが出演し、とても80歳を過ぎたおじいちゃんとは思えないほど元気に歌って踊り、子供たちに「勇気」と「やさしさ」を説いていたことを思い出しました。

もう一つ、私にとってやなせさんには特別な思い入れがあります。
それは三越の包装紙です。
やなせさんが三越の宣伝部の社員だったことは有名ですね。
あの「華ひらく」と名付けられた包装紙のデザインは、猪熊弦一郎三さんという画家が、私の出身高校の近くにある犬吠埼で海の波を見てひらめいたと言われています。
そこにMitsukoshiと筆記体で書き込んだのが、やなせさんだったんですね。

犬吠埼の波といえば、東映のオープニングの映像も犬吠埼で撮影されたと言われていますね。
あの「トラック野郎」も東映です(笑

あらためて、やなせたかしさんが残してくれたものを振り返ってみたくなりました。

希望者挙手さんからのコメント(2013年10月19日 00:21投稿)

「手のひらを太陽に」ですね。
大変失礼しました。

バイ、バイキ~ン!

希望者挙手さんからのコメント(2013年10月19日 00:25投稿)

「猪熊弦一郎さん」ですね。三が余計でした。
誤植だらけで申し訳ございません。

アンパァーンチ!

車掌長さんからのコメント(2013年10月19日 06:08投稿)

希望者挙手 様

毎度ご乗車ありがとうございます

最近のご乗車頻度、航空会社のマイレージサービスでしたら上級会員ですネ!
何かスペシャルなおもてなしを考えていますので、楽しみにしていてください。

車掌長も希望者挙手さんの知識の広さ、見識の豊かさには刺激を受けっ放しです。

三越の包装紙にそのようなエピソードがあったこと、お恥ずかしながら車掌長は知りませんでした。
百貨店の包装紙や紙袋というのは、ある意味、時代に流されずに変わらぬ「伝統の継承」が感じられ好きです。

希望者挙手さんご出身の近くにある犬吠埼も、そのようなエピソードを知って訪れると、目にする風景も違って見えそうです。

犬吠と言って思い出すのが、「急行犬吠」。
車掌長の子ども時代、房総への玄関を担っていた両国駅が懐かしいです。総武緩行線の黄色い電車から、行き止まり式ホームを房総各方面へ発着する急行列車を見ては、海への旅心が湧いたことを思い出します。

余談ですが、車掌長はあの辺りですと、銚子電鉄と屏風ヶ浦が大好きです。

ところで、「手のひらを太陽に」は今更ながら感銘を受けています。
子どもの頃から、何気なく歌ったり聞いたりしていましたが、歌詞の意味や奥深さには、世代を超越して誰もが生きるパワーをもらえる気がします。

特に、ミミズやオケラ、アメンボ、トンボ、カエルetc…
昆虫など小さな生き物に向けられた優しい眼差しには、ひときわ感動します。

人間にしてみればちっぽけな存在、いや存在すら認識されない者にも、温かな手を差し伸べる人柄には、自分の汚れを感じてしまうほどです。

希望者挙手さんからのコメント(2013年10月19日 21:31投稿)

こんばんは

マイレージ特典のおもてなし、ありがとうございます。楽しみにしています(笑

私の知識なんて、たまたま地元に縁(ゆかり)があったから知っていただけの事ですから、特別なものではありませんよ。

屏風ヶ浦は高校から歩いて行けたので、ロングホームルームで屏風ヶ浦に行って班ごとの鍋大会をやったことがありました。

「手のひらを太陽に」は、今でいうダイバーシティですね。
ダイバーシティという言葉が日本に根付いていない昔から、童謡を通して子供たち(私たち世代も含め)に多様性を受け入れることや生きることの喜びなどを教えてくれていたのですね。

オケラやアメンボを知らない子供たちが多い今の世の中に不安を感じることもありますが・・・私たちが人としてどう生きるべきか、自然とどう向き合うべきか、考えなければなりませんね。


車掌長さんからのコメント(2013年10月20日 06:24投稿)

希望者挙手 様

毎度ご乗車ありがとうございます

冒頭から余談で恐縮ですが、今朝の新聞広告で「サクラダファミリア」の完成時期が2026年を予定しているとありました。

1882年の着工以来、今日も建設が続いてますが、完成には300年はかかると言われていました。

しかしながら、建築技術の進化や、世界遺産登録後の入場者増加に伴う財源安定化によって、完成が大幅に前倒しされるそうです。
目下のところ、設計者ガウディ没後100年となる2026年の完成を目指しているとありました。
完成の暁には、ぜひ専務車掌と車掌見習に見せてあげたいと思います。

車掌長は昔からこの作品が気になっていました。
時間に殺伐とした現代、こんなに悠長に建設が続けられるその国の度量の深さや、文化・芸術に対する国民の理解や誇りに共感するのです。

日本であれば、すぐに結果が出るモノを作って算盤を弾き、新しいものができればすぐに飽きる…
そんな所業の繰り返しで、歴史の重みや時の連なりが紡ぐ文化的精神が育まれづらい国柄を憂うのです。

希望者挙手さんの仰る通り、ダイバーシティは大切にしたいと思いますが、お台場にある商業施設と間違う恐れもあります(笑)

それは冗談として、みんながみんな同じモノを所有し操られ、似たような価値観や方向性を志向する社会の流れは心配します。

そして、その本流から外れると、一挙に社会から疎外されたような扱いを受ける多様性の無さを残念に思うのです。

具体的にいま、車掌長が懸念していることは、学校におけるスマホ等の通信手段の持ち込みです。
本来、学校内では「不要」な道具ですが、持たない者が仲間外れにされたり、イジメに遭うのは理不尽なことです。

最も「多様性」を育む環境が担保されるべき学校で、そのような事態が日本各地で横行していたとしたら、悲劇です…

車掌長は誤解を恐れずに言えば、スマホ等はまだ人間が成熟していない未熟な者(子ども)が所有するべきモノではありません。

通学時や緊急性の高い事態の連絡手段としての有用性は認めますが、それ以外でその通信道具を使う場面は思い浮かびません。

そうであるならば、学校の教室内や敷地内は意図的に「圏外」にできないものでしょうか。
子どもが自主的に、或いは教師がその都度授業を中断してまで、スマホ等から関心を逸(そ)らすのは、困難であり合理的ではありません。
設備工事等でのコストは要しますが、国として考えても良いのではないかと思うのです。

そして、四六時中スマホ等に拘束されている何の生産性もない無意味な時間から、せめて学校で過ごす間は解放してほしいのです。

静寂さが必須の劇場では導入している施設も多いと聞きます。

その気になれば、できないことではないと思いますし、先見性のある私学なら既に行っていて、共感する親や子どもを確実に獲得するかもしれません。

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サイクリング

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2013年10月 6日 06:16

今朝の新聞で、世界4大サイクリングコースに「しまなみ海道」が挙げられていることを知った。

アメリカのサンフランシスコ、ベルギーのブリュッセルと共に挙げられ、世界各国からサイクリストが訪れているという。
また、そうした動きも一因だろうが、誰でも迷わず走れる自転車道の整備が進んでいるそうだ。

しまなみ海道は、広島県尾道市と愛媛県今治市を結ぶ全長約70㎞の本州四国連絡架橋群。
多島美の風景の中を、様々なデザイン(構造)の橋で結び、渡ること自体にワクワクする道だ。

車掌長も15年ほど前に、独りでこの島々を結ぶ海道を自転車で走り渡った想い出がある。
当時は旅程に余裕がなく、三原からフェリーで生口島の瀬戸田に渡った。

ここでは、大好きな映画「転校生」のロケで使われた旅館"住之江”を見ておきたかった。
ここから眺める瀬戸田の港は、しばし時間旅行をしている錯覚に誘われた。
港に出入りする渡船をぼんやり眺めては、映画にも使われていた「トロイメライ」が幾度も脳裏を過(よぎ)った。
そして、まさに「子供の情景」を実感する、不思議な時間を過ごすことができた。

瀬戸田で名物「タコ飯」を食した後、自転車を借りて一路愛媛県を目指した。
電動自転車もあったが「自力」で渡りたかったので、迷わず「ノーマル」に跨った。
しかしながら、各橋を渡るために、その都度かなりの高低差を昇るのは結構キツく誤算であったが…

夕刻、最後の来島海峡大橋を渡って四国の大地が近づいてきた時は感無量であった…

その時は冬で、サイクリングコースも今ほどブームでもなく、観光客もサイクリストも少なかったが、きっと今では1年を通して人が多いのだろう。

それでも、世界的にも有名になったことを知り、多くの人に訪れてもらえれば嬉しく思う。
自動車で通るだけでも楽しく美しい道路だが、1日かけて走る自転車の旅は、何かが心を満たす充足感を味わえるだろう。

ただ、翌日の筋肉痛は多少覚悟しておいたが、そんなどころではなかったことも思い出深い。
 

コメント(2件)

希望者挙手さんからのコメント(2013年10月 6日 13:16投稿)

こんにちは 週末の昼下がりの乗車となりました。

サイクリングと聞いて、私が旅に魅せられることになったきっかけが「いつかは自転車で日本一周をしてみたい」と考えていたことを思い出しました。

私は小学生から中学生の頃にかけて「サイクル野郎」という、高校入学を断念した自転車屋の息子が自転車で日本一周武者修行の旅に出るといった内容のマンガに夢中になっていました。

私の日本の観光知識の源は「サイクル野郎」にあると言っても過言ではありません。

私はバイクで旅をするようになってしまいましたが、若い頃にユースホステルを利用していたのも、このマンガの影響です。

このマンガで「バイコロジー」(バイシクルとエコロジーを掛け合わせた言葉)という言葉も知りましたが、これは今でも通用する言葉だと思います。

中学が自転車通学で、5段変速のセミドロップハンドルの自転車を通学用に買ってもらい、中一の時に友達3人と自宅から当時開港したばかりの成田空港まで、往復150㎞以上の距離を日帰りでサイクリングしました。

高一の時にはバイトで稼いだお金で21段変速のツーリング用自転車を買いました。これは後日弟に貸した際、盗難に遭ってしまいました・・・ショックでしたね

小学生になって自分の自転車を買ってもらってから行動範囲が広がり、子供心にまるで翼でも得たかのようにあちこちに出かけましたね。それが今でも続いてしまってますが(笑
懐かしい思い出です。

車掌長さんからのコメント(2013年10月 6日 22:09投稿)

希望者挙手 様

毎度ご乗車ありがとうございます。

サイクリングにまつわる、素敵なエピソードをありがとうございました。
日帰りで150㎞走破や、お金を貯めて買った21段変速の話も、冒険心や、欲しかったものを手にできた喜びにとても共感します。

「サイクル野郎」は、お恥ずかしながら知りませんでしたが、希望者挙手さんの説明を拝見し、とても興味が湧いてきました。
ぜひ、"まんだらけ"で探してみようと思います。

それにしても、○○野郎というネーミングに懐かしさを覚えます。
「トラック野郎」という映画もありましたネ。

また、希望者挙手さんもユースホステル(以下YHとする)を使っていたことを知り、嬉しく思いました。

車掌長は中学時代に初めて利用しましたが、それまでは旅先で夜を明かすのは、夜行列車の直角の座席か駅の待合室でしたから、「宿泊する」という行為は、なんだか大人に近づいた感じがしたものです。

また、宿泊する際の予約等のやり取りは、基本的には往復葉書でした。或るお寺のYHを申し込んだ際、宛名には「御中」と付すのが礼儀です云々と、オーナーである和尚さんに忠告していただいたり、とても社会勉強になった思い出があります。

当時のYHは利用方法に様々なルールがありました。
原則、シーツや枕カバーは持参、夕食後は宿泊者同士のミーティング参加etc…、不便であったり、個人の自由は二の次であったり。

しかしながら、今でも高校時代にYHで知り合った方と交流が続いていることを思うと、今の世の中には、ほぼ絶滅した人と人とを有機的に結びつける仕組みであったと感じます。

世の中が豊かになって、人々は「快適さ」ばかりを求め過ぎた結果、自分の心地よい場所や環境ばかりが、関心の中心になってしまったと思います。

それは一見良いことのように思われますが、言い換えると、その快適さを邪魔する人や物事を嫌悪するようになったと言えます。
つまり、排除したり逃避する思考が浸透してしまい、「我慢」する心や多様性を「許容」する寛大さが失われてしまいました。

また、もう少し違った言い方をすれば、自分の心を開くことが苦手になったとも言える気がします。

ところで、話が長くなって申し訳ありませんが、ドロップハンドルと言えば、少年時代の憧れでしたネ!
特にブリジストンの「ロードマン」は、大人気でした。

一方、自転車の本来の機能とはかけ離れて突然変異したような、自転車も見受けられた時代でした。
巨大なリヤフラッシャーや、スポーツカーのような格納式ヘッドライトなどなど…

当時の子供たちが、ワクワクするような仕掛け満載のジュニアスポーツ車が懐かしいです。

余談ですが、昨今は自転車のスポーク部分にカラーボールを挟み込む少年が、すっかりいなくなってしまいました…

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山崎と竹鶴と年輪と...

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2013年7月21日 05:56

時間の経過は様々な産物をもたらす

ウイスキーもその1つ
車掌長はお酒は何でも好きだが、ここ数年はウイスキーの杯が進む。

旅先で買ったお気に入りの猪口(ちょこ)を、ショットグラス代わりに楽しんでいる。
円錐のガラス製で、それ自身では自立できないので木製の台座に置くのも気に入っている。
ウイスキーの琥珀色の美しさも、見て楽しむ「味わい」の1つだ。

最近は、飲む量を減らし少々値の張るものを愛用している。
中でも「山崎」と「竹鶴」は、自分自身へのご褒美だ。

さすがに熟成年数が高いものには手を出せないが、車掌長には山崎なら10年、竹鶴なら12年で十分美味しいと思っていた。(ちなみに山崎10年は本年3月で生産終了)
しかしながら、お酒の熟成年数というのは侮れないというか、奥深いものだとわかった。

先日、ちょっと背伸びをして山崎12年と竹鶴17年を奮発した。(もちろんフルボトルは無理…)
美味しい…

「山崎」と「竹鶴」、どちらも人によって好みは分かれるが、車掌長はそれぞれの個性を楽しんでいる。
山崎であれば、日本らしいシングルモルトの味わい。
竹鶴であれば、ピュアモルトのハーモニー。

そして、人間とは欲深いもので、どうしても「その先」にも興味が湧いてしまう。
山崎18年、竹鶴21年…などと。

ただ、純粋な味や薫りも魅力的だが、車掌長は「熟成年数」という"時の経過"にロマンを感じる。
これから口に含もうとする液体が、どんな産地で、どのような樽の中で眠っていたのか。
世の中の喧騒の及ばない「時の流れ」を想像して、口にするのが楽しく感じる。

しかしながら、これらはもっともっと歳を重ねてからの方が、自分自身の年輪ともリンクして更に味わい深くなるであろうから、その時を楽しみにとっておきたいとも思う。

ところで、年輪と言えば先日80歳の或る御方から、「哲×鉄」にお問い合わせをいただいた。
自叙伝を執筆されているとのことだったが、昭和33年11月に乗車した列車の時刻と運賃がお知りになりたいとのことであった。

ご自身でも図書館やネットでお調べになったそうだが、どうしてもわからず「哲×鉄」に辿り着いたとのこと。
車掌長はこのようなお問い合わせをいただけ幸せを感じる。
それは、"時間旅行"を共有できたからだ。

ウイスキーを片手に、その御方の年輪の数ミクロンでも共に旅したことに喜びを感じた。
 

サラダ記念日

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2013年7月 6日 21:04

気象庁は今日、関東甲信地方が梅雨明けしたとみられると発表した。

平年より15日早く、昨年とは19日も早いそうだ。
ロマンチックな七夕も例年ならまだ梅雨の真っ最中だが、今年は良い天気に恵まれそうだ。

ところで、七夕の1日前、つまり7月6日を有名にした人がいる。
なんでもなかったこの日を「サラダ記念日」として、一世を風靡した俵万智さんだ。

"「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日"
このフレーズを記憶に留めておられる方も多いと思う。
また、車掌長よりも若い世代の方なら、国語の教科書で出逢ったかもしれない。

この短歌の魅力は、それまでなんでもなかった日を記念日にしてしまう"恋の力"だ。
恋人や夫婦etc…1年365日の毎日が誰かの記念日だと言える。

車掌長はこの歌集が発売された時、大学2年生だった。
偶然だが、俵万智さんが当時お勤めだった神奈川の某県立高校は、今は亡き祖父母が住んでいた土地のそばだった。

子どもの頃から1人で祖父母の家に向かう路線バスに乗ると、その高校の前を必ず通っていた。
この歌集と出逢ってからは、バスでその高校の前を通ると、ここに俵万智先生がいるのだなぁ…などと思っていた。

車掌長は「気持ちが自由」な人が好きだ。
枠にとらわれない、自分の感性で人生を切り拓くような、そんな人に魅力を感じる。

その点で、26年前の俵万智さんのみずみずしい短歌には、とても新鮮な感動を覚えたことを記憶している。

あいにく、車掌長は野菜嫌いなので自分自身のサラダ記念日はありえないが、365日の中で1日でも多くのMy記念日をつくってゆければと思う。

そんなきっかけをつくってくれた「サラダ記念日」を祝う一人として、俵万智さんに感謝を申し上げたい。

ありがとうございました。
 

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