余市蒸留所(哲×鉄車掌区慰安旅行)

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2014年9月 6日 05:09

来道4日目。ニセコで迎えた朝は爽やかであった。

ニセコのシンボル、蝦夷富士こと「羊蹄山」には雲がかかっていた。
日差しは強かったが、空気は乾燥し気温は18℃。普通の人にはもう一枚ほしいかも…

予報を見れば、お天気もまずまずのようだ。
今日はニッカウヰスキー余市蒸留所を訪れる予定だったので、ひと安心。

余市蒸留所は8年前、たくちゃんさん夫婦が訪れた際の話を聞いて以来、訪れたかった場所…

ニセコからは車で1時間ほどで到着。ちょうどガイドツアーに間に合うタイミングであったが、車掌見習もいるので、自分たちのペースで歩ける「フリーコース」で受付をした。

広い敷地に歴史を感じさせる建造物が整然と並ぶ光景に胸が躍る。
竹鶴政孝が夫人リタとともに、「日本のスコットランド」を夢見て、生涯をかけた北の大地…

そして、世界唯一の「石炭直火焚蒸留」を継承する昔ながらの製法に、竹鶴政孝の描いたウイスキーづくりへの理想と情熱に想いを馳せてみたかった…

ニッカウヰスキーは1934年7月2日、「大日本果汁株式会社」として設立。
今年が創業80周年となる節目となり、ぜひこの機会に訪れたいと考えていた。

昭和9年という時代に、竹鶴政孝が「日本人に本物のウイスキーを飲んでもらいたい」という、ただそれだけの想いを胸に抱き、それだけに生涯を捧げた人物の「時間旅行」を、ほんの断片でも共感したいと思った。

ところで、「NIKKA」と言えば"髭オジサン"と言えるほど、トレードマークにもなっている「キング・オブ・ブレンダーズ」を思い浮かべる。
札幌の歓楽街すすきの交差点に、堂々たる風格の電飾看板を目にした人も多いであろう。

幾つもの香りを利き分けるというその御方に、ウイスキー博物館に入ってすぐお会いできた。
子どもの頃、家にあったウイスキー瓶の主に会え、思わず一礼してしまった。

ウイスキー博物館の展示物は、もっとじっくり時間をかけて見たかったが、専務車掌と交替で車掌見習の相手もせねばならず、またの機会とした。

博物館見学後、車掌見習は借りたベビーカーで眠り始め、再び敷地内を散策。
見学用に開放している一号貯蔵庫内には、整然と空樽が並べられていた。
空樽とは言っても、原酒の芳醇な香りが外まで漂い、心地よい場所であった。

ウイスキーの原酒が増えるごとに、貯蔵庫の数も増えて、現在では26棟あるという。
それらの庫内では、ウイスキーが熟成の「時」を静かに重ねていることを想像すると、車掌長の「時」に対する感性が満たされ、ささやかな幸せに包まれた。

おそらく自分自身がこの世にいない頃に、誰かの喉を潤す原酒も、きっとこの中にあるのだろう…
ふと、90年カセットテープに例えた自身の人生が、B面に入ったことを思い出してしまった。

一通り見学し、最後の楽しみは「原酒」を買うことであった。
原酒は、単一の樽から直接ボトリングされたモルトウイスキー。

蒸留所では、様々な個性のモルトウイスキーを創り出すため、樽の材質や使用回数、焼き方、サイズを変えて貯蔵するそうだが、これこそが樽ごとに唯一無二の原酒を生み出す魅力だと思う。

しかしながら、この原酒販売は大人気で、売店に残っていたのは「5年」のみ。
10年、15年は完売で、次回の入荷時期は数週間先とのことであった。

せっかくなので「5年」を購入。樽番号は407617。
一期一会の琥珀色の浪漫にとりつかれた車掌長は、早く自宅に戻って香りや味を楽しみたい衝動に駆られた。

また、もうひとつ余市蒸留所限定販売の「余市12年・ピーティ&ソルティ」のミニボトルを購入した。
名前から潮の香りを連想し、スコットランドのアイラ島のシングルモルトウイスキーと似ているのかなぁ…などと期待を膨らませた。

午後は、再び連泊となるニセコへ戻って、牧場で車掌見習の自由時間。
デコボコの牧草地を歩き回ったり、トラクターに牽いてもらう馬車のような面白い乗り物遊びに興じた。

明日は、のんびりと新千歳空港へ向かい、東京へ帰るだけの日。

これで、今夏の哲×鉄車掌区慰安旅行の雑多な記録は終わりにしたい。

 

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たくちゃんさんからのコメント(2014年9月 8日 07:06投稿)

ずいぶんと久しぶりの乗車になります。
皆様、お元気でいらっしゃいますでしょうか?

ここ最近も、保線担当は、相変わらずの開店休業状態でございます。
トラブルがないということは、実に良いことです。

さて、今回は、ワタクシたちのつたない思い出話にも触れていただき
まことにありがとうございました。
当時の風景が懐かしく思い出されました。

Peaty and Solty をご購入とのこと。
いや、実にうらやましい。
ワタクシが購入いたしましたのはSoft and Dryでしたが
当然、そちらは既に手元にはございませんでね。
ワタクシたちの胃袋に、思い出と共に健全に納まっておりますよ。

最近は、余りの生活の大変さに、
あのころのように流離っておりません。
流離うことに憧れを抱きつつ、日々のよしなしごとに終われる毎日でございますよ。

随分、お会いしていませんね。
何とかワタクシたちも時間を作りたいと思っておりますが
現状の状況を打破しないことには、なかなか難しいです。
そのために、多少のお金もかけて、いろいろやっておるんでございますが、
すぐに結果に反映されるものでもございません。

とにかく頑張って、少しでも早く、
皆さんと以前のような生活ができるよう
日々、乗り切ってまいりますよ。

私たちは、なんとか元気です。
皆さんも、お身体ご自愛ください。

車掌長さんからのコメント(2014年9月 9日 21:35投稿)

たくちゃん 様

久々のご乗車ありがとうございます

日々のたゆまない保線のおかげで、哲×鉄も無事運行できること、心から感謝しております。

この場を借りて、そのご尽力に敬服しますとともに、お礼申し上げます。

念願の余市にも、この度やっと訪れることができ、たくちゃんさんの感動を追体験できた感慨に耽っております…

あそこでしか、手に入れることのできない価値のある「味」に感動しました。

ぜひ、いつの日か、小樽あたりに宿をとり、お互いにドライバーとしてではなく、列車で余市を訪れ、あれこれ試飲を楽しみたいものですネ。

具体的な当てがなくとも、何か先の「楽しみ」をもつことや、「夢」を見ることは、日々の生活に潤いを与えてくれるものと感じます。

また、どんなにか、しんどい時期があっても、そんな当てのない楽しみがあれば、踏ん張れるような気もします。

車掌長は、以前、そのような「楽しみ」さえ持てぬほど、見失うほどに、自分なりの絶望の淵に陥った時期がありました。

絶望の淵とは言っても、その概念や基準は、人それぞれであり、世の中には、客観的にもっと過酷な境遇の人が存在することも、重々承知しています。

しかしながら、あるきっかけで、そんな車掌長なりの絶望の淵から這い上がる手をさしのべてくれる人がいて、ほぼ同じようなタイミングで、たくちゃんさんご夫婦との縁も深まったことを、無上の喜びに感じています…

そして、そんな御縁の延長線上に、この「哲×鉄」誕生の縁も由来もあったのだと信じております…

たしかに、いまは仰る通り、大変な時期かとお察しします。

具体的な手助けがなかなかできないことも、歯痒さがありますが、たくちゃんさんの持ち前のセンスや、仕事に対する責任感、こだわり、情熱が報われることを、誰よりも願ってやみません…

ぜひ、少しでも報われたときは、そちらでも、東京でも構いませんので、祝杯しましょう!
大奮発して「函館」での祝杯も、オツかもしれません。

末筆ながら、たくちゃんさんもお体には、くれぐれも気を付けて…

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祝・神戸ポートタワーの国登録有形文化財

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2014年7月19日 06:05

昨日、神戸ポートタワーが、国の登録有形文化財(建造物)となった。

1963年に建てられ、50年余り神戸港のシンボルとして多くの人に親しまれている。
このタワーの魅力は、何と言ってもその優美な姿…

鼓を長く引き伸ばしたような外観は、日本に数あるタワーの中でも唯一無比。
タワーではないが、金沢駅東口に登場した「鼓門」を見たときも、神戸ポートタワーを思い出したものだ。

神戸ポートタワーは、車掌長が大好きな日本2大タワーの1つ。
ちなみにもう1つは、「東京タワー」!

そして、その外観の「赤」色が何とも良い…
東京タワーもそうだが、当時の航空法で赤色にしたのであろうが、背後の山々の緑と、海や空の青さに映えて、とても美しい。

神戸ポートタワーの高さは108m。
スカイツリーをはじめ、高さを競う超高層ビルが乱立する今のご時世では、見栄えのしない数字かもしれない。

しかしながら、車掌長が初めて訪れた小学2年生の頃は、その高さと、赤い塔が浮かび上がるようにライトアップされた姿に感動した。

今は亡き母方の伯父が、日本で初めてのライトアップであることを教えてくれたことを思い出す。
車掌長は、学校の長期休みになると、よくこの伯父の家に預けられた。
当時はよくわからなかったが、大人の事情があったようだ。

親がいない寂しさを紛らわそうとしてくれたのか、伯父は関西の名所をあちこち連れて行ってくれた。

ポートタワーは、東京から親が迎えに来たときに、伯父が案内してくれた。
また、何故だか、そのとき買ってもらったタコ焼きがとっても美味しかったことを覚えている。

あれから、何度かポートタワーを訪れているが、今般の登録の報を知り、久しぶりに昇ってみたくなった。

当時は突堤にあったタワーも、いまは埋め立てが進み、商業施設群と一体的になってしまったが、その美貌に変わりはないであろう。

 

 

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希望者挙手さんからのコメント(2014年7月22日 00:56投稿)

こんばんは

登録有形文化財といえば、犬吠埼灯台の霧笛舎も答申されましたね。

迫力ある、それでいて少し悲しげに聞こえた、あの霧笛の音が消えてしまったことは寂しい限りです。




車掌長さんからのコメント(2014年7月22日 05:35投稿)

希望者挙手 様

毎度ご乗車ありがとうございます

犬吠埼の霧笛、どのようなものだったのか…
希望者挙手さんがお聞きになった音を追体験したく、調べて聴いてみました。

30秒間隔で5秒の音を放つ、独特な音色でした。

この音色で、2008年3月31日まで100年近く、犬吠埼沿岸を往き来する船に、霧が出た際の「音の信号」で海の安全に寄与してきたのですね…

今やGPSが発達し、霧笛は無論のこと、灯台さえも必要がないと言われているようです。

灯台といえば、その維持・管理を行い灯台を守ってきた「灯台守」(とうだいもり)という仕事を思い出します。

国内の灯台も今や全てが無人化されているそうです。

小学校の音楽の時間に、「とうだいもり」という唱歌を習いました。

今も部分的に覚えていますが、「思えよ とうだい まもる人の とうときやさしき 愛の心」というフレーズが印象に残っています。

灯台も霧笛も、今のデジタルとは正反対となる、アナログな手法で視覚、聴覚的に信号を伝達する手段です。

しかしながら、安全にはハイテク&ローテクのハイブリッドで、二重、三重のあらゆる方策を張り巡らすことが最善だと思います。

そして、そこにかかる物的・人的コストは、社会的に評価や承認されるべきであってほしいと願います。

いまや霧笛の音色も、郷愁の中でしか活きえませんが、日本人は昔からの技術や伝統や文化を、効率化や合理化を掲げれば、何でも切り捨てられる伝家の宝刀とばかりに、それを乱用しすぎているように思え、寂しい限りです。

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カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2014年7月12日 05:32

土・日の新聞は、各紙別刷りの特集を組んでおり、週末の朝に自宅や出先で過ごす朝の楽しみが倍増する。

某紙では、毎週様々なテーマで実施している読者アンケートを基にしたランキングが楽しい。
今週は「訪ねてみたい日本の岬」であった。

1位の宗谷岬(北海道)から、20位の長崎鼻(鹿児島県)までが掲載されていた。
このランキングの中で、車掌長が訪れたことのない岬が2つあった。

それは、6位の竜飛崎(青森県)と9位の納沙布岬(北海道)。
どちらも、何度か訪れる計画を立てては、予定が合わなくなったり、天候が優れずに断念した岬だ。

車掌長は、「岬」好きだ。
子どもの頃から、地図帳や時刻表の地図頁を眺めては、この「突起部分」や「端っこ」はどんな場所なのか、興味津々であった。

一人旅で列車やバスを乗り継ぎ、徒歩で辿り着いた岬に感慨深いものを感じたこともあったが、飛躍的に訪問数が増えたのは、車の免許を取って自由自在に好きな時間帯に行けるようになってからのこと。

岬に立つのは、早朝や夕暮れが美しい…
有名な岬は、観光地化して興醒めな面も否めないが、人の少ない時間帯は、ゆっくりと自然美を鑑賞できる。

今回のランキングには当然載るはずもないが、車掌長が学生時代を過ごした愛知県の半島の先端にある小さな岬も大好きであった。

ここは何度訪れたかわからないほど行ったものだ。
向かいの半島や伊勢を結ぶフェリーや、沿岸の小さな島々の日常を紡ぐ船が港を出入りするのを眺めるのが好きであった。

人はなぜ、岬に誘われたり、魅せられるのか…?
そのアンケートの中でも、読者の言葉としてあったのが、「地図上の先端に立っている実感」や「ここからは先がない、結局元の場所(現実)で暮らすしかないと悟る」等々のコメントがあった。

それらも確かに共感できる…

車掌長は「達成感」が得られるのが大きな理由だ。
それは、登山の醍醐味が「垂直の頂」を制覇した喜びであるように、岬は「水平の頂」として、そこに立った喜びがあると思う。

また、それは地図好きならではの感触かもしれないが、地図上だと山々の頂は実感できないが、岬の頂は一目瞭然。
子ども心ながらに、その突起部分の好奇心は、大人になった今も健在なのであった。

ところで、車掌長が訪れた無数の岬の中でも特に気に入っている場所がある。
そこは、「馬ケ背」という宮崎県北部にある岬。

薄暗い木立の中を歩き、岬の尾根に出て突端へ向かう細い道が、気に入っている。
名前の通り、馬の背中の上を歩くような感覚だ。

先端に辿り着けば、日向灘を一望する圧巻の眺めが出迎え、己に「何か」を問いかけてくれるだろう…

この夏、そちら方面へお出かけの方がいれば、ぜひ足を延ばす価値があると思う。
あまりガイドブックに載っていないが、そういう場所こそ、素朴で雑音のない素晴らしさがあると感じてしまう…

ちなみに、名前で好きな場所は「地球岬」だ。
北海道にあるが、その近くには「地球岬小学校」もあり、そのような名称を母校に持つ卒業生は羨ましい。

ところで、岬とは、観光バスなどで訪れ、分刻みの僅かな滞在時間で終わらせてしまうのは、モッタイナイと思う。

メインとなるべき自然の芸術観賞もおざなりに、月並みなにわか名物の飲食や購買に興じ、さほど感慨に耽(ふけ)ったり印象に残らずして去ってしまうのは、多くの人が陥りやすい消費的観光の盲点かと思う…
 

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希望者挙手さんからのコメント(2014年7月13日 21:33投稿)

こんばんは

その記事では、我が故郷に近い犬吠埼が8位に入っていて、ちょっと嬉しくなりました。

中学1年の時、美術の授業で切り絵版画に押すための落款作りというのがあって、その落款を砂岩で作るため、材料となる砂岩を拾ってくるという宿題がありました。
その砂岩を拾いに、自転車で犬吠埼に行ったことを思い出しました。

その落款を押した切り絵版画の題材は「竜舞崎(たつまいざき)」、母の実家のある気仙沼市大島にある岬でした。その頃から岬好きだったのかも知れません(笑
その時に作った落款は、今も大事に持ってます。

ところで、岬はライダーも好きですよ。基本的に”端”が好きなんですよね。岬とか、最●端とかを目指すんですよ。

私もバイクで岬巡りを楽しんでます。その時は決まってヘルメットの中で「岬めぐり」を唄ってます(みさきぃ~めぐりのぉ~♪バイクぅ~ゎはしるぅ~♪・・・笑)

私も車掌長と同じく達成感が得られるというのが大きいですね。それに、端に立つと目の前に未来や希望が広がっていくように感じられるのがいいんですよね。(海のトリトン世代だからでしょうか・・・笑)

車掌長さんからのコメント(2014年7月14日 05:20投稿)

希望者挙手 様

毎度ご乗車ありがとうございます

落款(らっかん)、良いですネ!
車掌長も大好きです。
それを押すと、全体が引き締まるというか、完成の実感が湧く気がします。

それにしても、美術の課題でそのような貴重な体験をしたことは素晴らしいことだと思います。

きっと、そのご担当の先生の授業に向き合う熱い想いや、感性(センス)も秀逸だったのだとお察しいたします。

余談ですが、車掌長は角印も好きです。
篆書体(てんしょたい)と呼ばれる書体で彫られ、中でも吉相体(きっそうたい)という、迷路のような文字で隙間なく埋め尽くされるのが魅力的です。

角印好きになったきっかけは、志賀島(福岡県)で出土した「金印」です。

歴史で必ず勉強する、漢委奴国王(わのなのこくおう)と記された印ですが、実物を見たくて福岡市博物館に行ったものです。

ところで、岬と言えば、世界地図上でいつか行ってみたい場所があります。

アフリカ大陸南端の「喜望峰」です。

そこに立って、世界地図の「ここ」に、今この足で立っている実感を味わってみたいものです。

その時は、ぜひ南アフリカの「ブルートレイン」に乗ってケープタウンへ向かいたいです。

しかしながら、18歳以上の成人という乗車制限がありますので、車掌見習を連れてゆくにはまだまだ先の、夢の話です。

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JTB時刻表7月号の表紙

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2014年6月24日 20:13

 月末のお楽しみ、JTB時刻表7月号を書店で購入した。

今回の表紙も4月号に引き続き、とても良かったので一筆。

今回は、鉄道車両はなにも写っていない。
それでも、レールとホーム、田んぼ、山々に人がいるだけで、不思議な「旅情」が湧いてくる。

場所は小海線の青沼駅とある。
車掌長は中学から高校時代にかけて、まさにこのようなローカル線の駅に、気の向くままに途中下車し、次の列車までの1~2時間くらいを平気に過ごしていた。

何するわけでもない。
周りの風景に自分自身を融かし、吹く風の音や色、香りを想像しながら、日常からの解脱を楽しんでいた。

今まで来た道を振り返ったり、これから進む道を悩んだり、期待したり…
ただ己と向き合う、誰もいないような時間と空間が、その当時は無性に好きだった。

そんな昔の自分に、今回のJTB時刻表の表紙は再会させてくれた。

また、右側に縦書きで"そろそろ「青春」の季節です"という、一文があるのも、旅心を揺さぶられてしまう…

最近のJTB時刻表の表紙は、担当者が変わったのか知る由もないが、車両が主人公のJR時刻表よりも「物語」性を帯びていて、詩的でもあり、センスが良い。

中学・高校時代、時刻表7月号の発売は、期末試験前の憂鬱な気分に、一幅の憩いを与えてくれたことを懐かしく思う。

夏の時刻表は、「夏休み」という子どもの特権を、この手にできる担保のような「形」あるものの一つでもあった。

そんなイノセントな過去の時間に、合掌。

 

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希望者挙手さんからのコメント(2014年6月28日 22:42投稿)

こんばんは

今月号の表紙は私もとてもいいなと思います。

私の大好きな1978年10月号~1985年1月号の表紙に回帰してくれたとしたら、大変うれしいことです。

人、時間、日常、非日常、出逢、惜別、門出、節目、季節、祭、故郷、憧憬、郷愁、友情、愛情、青春、夢、絆・・・

この頃の表紙には人がいましたね(写っていなくても人が感じられました)

車掌長さんからのコメント(2014年6月30日 05:24投稿)

希望者挙手 様

毎度ご乗車ありがとうございます

希望者挙手さんの仰る通り、その当時の日本交通公社時刻表の表紙は秀逸でしたネ。

「旅」の主人公は言うまでもなく「人」です。
そして、更に踏み込んで言えば「自分」こそが主人公だと思うのです。

「旅」に出る動機や理由は、人によって様々です。
私用、出張、冠婚葬祭、訃報etc…

出張や冠婚葬祭、訃報であれば、できる限り速く目的地へ到着したり、家路につきたいのはもっともなことであり、新幹線や飛行機が最適だと思います。

しかしながら、私用の場合に出る旅は、移動手段や時間帯、ルートを選ぶ楽しみや、車内で過ごす列車ならではの醍醐味が極めて寂しくなってしまった昨今です。

夜行列車や急行列車の廃止
食堂車、車内販売の廃止
新幹線開業による在来線の各「本線」の分断化
JR各社間をまたぐ周遊券の廃止
などなど

希望者挙手さんが挙げてくださった時期は、そうした意味で鉄道を利用する旅行者にとって、自由な時代であったと感じます。

現在は、時間のある旅行者、安く移動したい者は「高速バスをどうぞ」と言わんばかりに、高速道路網の異常な発達で、大都市と地方都市がダイレクトに結ばれました。

車掌長は、高速バスのアメニティ向上も評価する一面はあるものの、定時運行の不確実性や、狭い車内での不自由さ、何よりも事故への不安があり、一片の旅情も感じることができません。

また、時刻表表紙に「人」が登場していた当時は、他人と「話す」ことがコミュニケーションの最大の方法でした。

スマホのなかった時代、自分の世界に閉じこもれるのは、読書か居眠り、せいぜいウォークマンで好きな曲を聴く程度でした。

そんな状況は、不便で、退屈な時代だと、今の多くの人は感じるかもしれませんが、車掌長は逆に、とても心豊かな佳き時間だったと回顧します。

そして、旅行者も地元の人も、他人を気遣い、もてなし、もてなされる、「対価によるサービス」ではない、「無償」の心のふれあいが、数多くあったように思います。

そうした時代背景が、当時の時刻表表紙にもあるような、誰でも自分が心を開けば体験できる「旅」の光景だったように感じます…

長々となってしまい恐縮でした。

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元素周期表

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2014年5月17日 06:26

今朝の朝日新聞、中折り全面広告に魅了された。

それは、元素周期表。
「東京エレクトロン」という会社の提供によるものだが、”この1枚に、世界のぜんぶがある"とのコピーもステキ。
また、1つ1つの元素について、概要や用途がコンパクトに説明されており、非常に面白い。

眺めていて面白かったのは、「ウンウンベンチウム」や「ウンウントリウム」などの名称だ。
特に、「ウンウントリウム」は、日本で発見された新しい元素とのこと。
なんだかよくわからないが、誇らしい気分になる。

元素周期表は、原子番号1番の水素から始まり、20番のカルシウムまでは、暗記した記憶のある方も少なくないと思う。
「水兵リーベ僕の船な、間があるシップス、クラークか」と、勝手に字を当てはめ覚えたものだ。

車掌長の高校時代の担任は、3年間変わらない仕組みだったが、その担任が物理の教師であった。
そして、高校2年の物理の授業で、文系であろうが理系でなかろうが、「一般常識」として覚えておけ、という問答無用的な指導で覚えさせられた。

また、単に覚えさせるだけでなく、世の中に存在するもの(物質)が全て、この一覧表に収まっているとして、興味深い話を幾つもして下さった。

そして、どんな学習も身近なものを例示し、それらが遠い存在、自分に関係のない物事や出来事ではない、という考え方や、物事の見つめ方を教えていただいたように思う。

どの高校でも文系や理系などにクラス分けをして、効率的な進路指導や学習を進めているが、車掌長の通った高校はそのような「普通」の学校ではなく、「変わった」「面白い」学校であった。

ゆえに、あえて分類すれば文系の車掌長も、物理や化学、数Ⅲまで必修で履修した。
逆に、理系の者も、入試には全く関係のない古文や日本史、世界史、地理などが必修であった。

当時は、進路とは関係のない無駄な勉強と思ったこともあったが、単に「ツメコミ」でない授業はどの科目も楽しかったと記憶している。

そして、この歳になって察することができるが、教師一人一人の一回一回の授業の準備は、さぞかし大変だったであろう…と、今さらながら感謝の念が込み上げてくる。

今朝、この元素周期表を見つめて、そんな恩師のことを懐かしむ時間旅行を楽しめた。
この全面広告は保存版として鞄にしまい、通勤の電車の中や所用で空いた時間に眺めて楽しもうと思う。
 

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