30年前の未完のアルバムを開く

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2018年3月21日 08:44

 先日、50歳を迎え、ふと気になったアルバムを開いた。

それは、遡ることちょうど30年前の今頃の季節に作った一冊…
学生時代の1学年後輩、Tっちぃ氏(以下、T氏)と、彼が所有するワゴンタイプの550cc軽自動車"Acty"で、九州一周に出た時のアルバムであった。

旅の目的は、二人のメモリアル・ツアーであり、車掌長が20歳を迎えた春、T氏が4月に20歳を迎えるにあたり、十代最後の春を飾るものであった。

車掌長が学生時代に暮らしていた愛知県某半島にある町を出たのは、1988年3月11日(金)5時30分。夜明けにはまだ少し早い時分であったが、寒さも緩み春の訪れも感じさせる清々しい朝であった。

旅の期間だけ1週間と定め、どこに泊まるか、何を見るかは、行く先々で決め、なるべく高速などの有料道路は使わず、安く楽しく欲張りに九州を一周するイメージであった。

アルバムのメモを見ると、本州最西端の下関には874㎞を走り、約30時間を要し到達。
新幹線であれば、当時でも僅か4時間ほどの土地であり、はるばる辿り着いた感動があった。

そして、九州への上陸は、高速の関門橋や国道の関門トンネルという選択肢もあったが、やはり「上陸」というイメージを大切にするなら、「渡船」だと意見が一致し、彦島から小倉へと"Acty"を積んで関門海峡を渡り、九州入りを果たした。

今はこの渡船(フェリー)も廃止されており、アルバムにある車両積載船で関門海峡を渡る一枚は貴重だ。

この旅行中のガソリン代や有料道路代、観光代など、二人共通の出費を賄う便宜上の「旅行用財布」を用意し、食事代や土産代等は各自で払ったが、最終的に7日間に要した旅費の総額は、車掌長は4万円ほどだった。

リーズナブルに納まったのは、宿泊のほとんどが車中だったことが大きい。
閉店したガソリンスタンドや、繁華街の片隅、寝静まった住宅街の路上など…。もちろん、開店前や皆が起きる前、夜が明ける前にはその場を立ち去っていた。

今のように車中泊が簡単にできる「道の駅」のような洒落たモノは無かったが、どこからも通報されることもなく、とても長閑な佳き時代であった。

1泊だけ、たまたま或る飲食店で親切にされた人物の経営するサウナ施設で過ごさせてもらったが、ここがトンデモナイ悪しき想い出の場となってしまった。

また、通行料金徴収時間帯前の早朝のやまなみハイウェイを貸切のような状態で走行中、雄大な雲海を体験し、心が洗われる感慨が身を包んだ。

更には、気が付くと、ガス欠の恐れにも遭遇した。
現在のように、全て電子制御の車では不可能だが、昔の軽自動車ではエンジンを切って下り坂を自走することができた。

そして、スピードが出過ぎた時は、シフトギアをセカンドやサードに入れ、クラッチを上手く合わせると、バイクの押しがけのようにエンジンが始動してエンジンブレーキがかかった。そんなアナログ感覚は実に楽しく、ガソリン消費を節減する走り方もできた。

他にも、高千穂峡や日南海岸、桜島、天草諸島、長崎の夜景など、素晴らしい景色も堪能。
今思えば、旅行中の全てのシーンが、懐かしき佳き想い出…

移動の車中で過ごすのは、他愛無い会話やお気に入りの曲をダビングしたこのツアー専用のカセットテープで音楽を聴いたり、カラオケさながらに二人で絶唱することだった。

今の世知辛い世の中では、まず味わえない人情味あふれる旅先の交流や、何よりもT氏と共にした7日間は、車掌長の人生の中でも有数の想い出深い旅となった。

そんな想い出を刻んだアルバムだったが、冒頭にあるように何が気になって今頃開いたかと言うと、3月14日(月)で作成を中断しており、未完であったことを思い出したのであった。

当時まだ、作成途中とあって、台紙に貼る予定だった色々な領収書やメモが挟まったままだった…

しかしながら、肝心の写真やネガがどこにあるかが、今となっては思い出せない。
特に、その後あった家の建て替えの際、大掛かりなモノの移動や処分があったので、大切に保存されているはずだが、簡単に調べられる状況には無い。

今となっては、お互いに仕事もあって、同じような旅行の再現も不可能だ…
とくに、T氏は重責な立場や仕事で日々忙殺な状況であることを、車掌長は察している。

7日間は勿論無謀だが、30年前の想い出を振り返られるような、そんな一献(いっこん)傾ける場を近々持てれば幸いだ。

また、いつの日かちょっと時間が創れそうなら、平戸で立ち寄ったピザの美味しい喫茶店も再訪したい。そして、まだその店があるのかも不明だが、健在であれば、当時と同じ場所で写真を撮り、お互いの「時」の流れを噛みしめたいものだ。

 

水間鉄道 素晴らしきマイ・メモリアル・トレイン

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2018年3月18日 04:52

大阪府貝塚市にJTB時刻表と同じ「時」を刻み、走り続けるローカル私鉄がある。

この水間鉄道(みずまてつどう)は、営業路線5.5㎞と短いが、その歴史は長い。
1925年(大正14年)開業、つまりJTB時刻表の創刊年と同じだ。

両者は以来、90余年もの長い歳月をそれぞれに歩んできた。
一方は参詣の足として、もう片方は旅の計画・立案に必携な書物として…

かような双方の偶然となる、開業や創刊の一致を知り得たのは、昨秋のこと…
僭越ながら、車掌長の全く私的な50歳イベントを、自身で考え始めた頃だった。

色々な案が頭の中で浮かんでは消えたが、現実的なものとして閃(ひらめ)いたのは、列車の「ヘッドマーク」というものだった。

ヘッドマークは、昔から列車の「シンボル」であった。
ちなみに日本初のヘッドマーク掲出列車は、戦後間もない「つばめ」と言われている。

その後、特別急行列車などの優等列車には、その列車を象徴する「顔」として、ヘッドマークが機関車前面に取り付けられた。

車掌長の年代では、「さくら」「あさかぜ」などのヘッドマークを掲げ、電気機関車に牽かれるブルートレインが懐かしくもあり、それらの列車に乗ることを夢見ながら、時刻表のスジを追いつつ憧れた。

そして、切符代を貯めてハレて乗客となれた暁には、寝台列車にもかかわらず、昂奮して一睡もできずに、その独特な旅情を子どもながらに満喫したものだった。

そんな憧れの「ヘッドマーク」を、自分のために制作し、営業運転の列車に掲出してくれることを知ったのが、昨年のJTB時刻表9月号に掲載された巻頭特集の頁であった。

その特集で、全国で数社の私鉄がヘッドマーク掲出列車を走らせていることを知り、それぞれの会社を調べていたら、上述の水間鉄道とJTB時刻表との偶然の一致点を知るに至った。

早速、「哲×鉄」保線区土木係にヘッドマークのデザインを依頼、同時に水間鉄道にもヘッドマーク制作及び掲出列車運行の申し込みを行った。

そして、何度か水間鉄道のヘッドマークご担当の方とやりとりを進めたが、この御方の対応が大変素晴らしかった。

きっと、このヘッドマークを申し込んだ一人一人の記念や想い出を大切にしておられるのだろう…と察した。

車掌長も頻繁ではないが、色々な鉄道会社へ問い合わせをした際、昔ほどではないにせよ、まだまだ"ぞんざい”であったり、表面的にはマニュアル通り丁寧な言い回しだが、心の籠っていないのが明らかな対応も珍しくないのを痛感していただけに、この御方の対応は大変印象に残った。

そして、迎えた50歳当日の2月19日…
貝塚駅で「マイ・ヘッドマーク」を掲出した電車を見たとき、胸に熱いものが込み上げる感動や感謝の念を覚えた。

水間鉄道とJTB時刻表の長い歴史の中で、10日間という瞬(またた)きほどの時間ではあるが、車掌長のオリジナルヘッドマークとともに、伴走してもらえる喜びを実感したものだった。

終点の水間観音まで乗車し、折り返しの僅かな時間を使って記念撮影等を専務車掌、車掌見習と行ない慌ただしく貝塚駅に戻ると、新聞社の記者と合流し取材を受けた。

その場には、水間鉄道の鉄道部長T氏も立ち会って下さり、改めてヘッドマークに関する興味深いエピソードも聞くことができた。

その取材の模様は、朝日新聞夕刊(関西版)3月14日付に記事として掲載、ネット上でも一部分を見られるようだ。(※全文は有料記事のため会員向け)

末筆ながら、このような全く私的な50歳記念のイベントを支え、盛り立てて下さった、水間鉄道様と新聞社記者の御方に心より御礼申し上げます。

そして、その「顔」となるヘッドマークをデザインされた、「哲×鉄」保線区土木係のたくちゃんさんへ、深く厚く感謝申し上げます。
誠にありがとうございました。

今後も、水間鉄道様におかれましては、色々な人々の「人生のひとコマ」を演出する"メモリアル・トレイン"として、大勢の方に愛される鐵道(鉄道ではなく、あえて鐵道とします)であられることを願っております。

 

新たな時を刻むプレゼント

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2018年3月 3日 05:27

先日、希望者挙手さんとお会いした。

場所は、JR中央線神田駅構内にある「神田鐵道倶楽部」。
希望者挙手さんの選定であったが、車掌長も行ってみたいバルで嬉しかった。
(バルとは、食堂とバーが一緒になったような店)

当日、時間厳守を信条とする車掌長にはありえない、待ち合わせ場所への到着時刻にあわや「遅延」の懸念が発生。それは、ここ1,2年の忙しさを象徴するような、仕事絡みが理由であった。

しかしながら、ウルトラC的な移動術と運で、ダイヤは「早期復旧」し、定刻に到着できた。

期待のバルは、昭和・国鉄時代の列車「愛称板」や行先表示「サボ」等の鉄道部品が所狭しにディスプレイされ、車掌長が鉄道(時刻表)三昧の生活を送っていた時代へ、一気にタイムスリップさせてくれた。

店内はカウンター席のみで、13名しか乗客になれない人気店。
だが、そこは希望者挙手さんがしっかり「指定券」を確保してくださり、湾曲したカウンター部分の店内を見渡せる上席、いわゆる「勝席」に案内された。

メニューを開けば、長距離列車にはなくてはならない旅の醍醐味である「食堂車」があった時代、供食サービスを担っていた日本食堂さんのお品書きが並び、注文が目移りした。

列車名等に因んだカクテルもあり、まずは「はやぶさ」で乾杯となった。

実は、今宵のセッティングは、希望者挙手さんが車掌長の50歳を祝う場を設けてくださったもの。
そして、乾杯後に小さな包みを手渡してくださった。

蓋を開けて上部から覗くと、鈍く光る金属が目に入った。
そして、それを柔らかく包んでいた緩衝材の木毛(もくもう)から優しく取り出しかけた途端、それが何であるかを理解できた。

それは、SEIKO製の鉄道懐中時計…
そして、本体を裏返してみると、「昭43 □ ○○○ 国鉄」との刻印…

車掌長の生まれ年である昭和43年から、同じ時を刻んできたものであることを実感し、思わず、その時計を掌(てのひら)で摩り、愛おしさが込み上げた。

また、時計本体には多少の擦り傷や汚れも否めないが、かく人間も50年生きていれば、叩けば出る埃もあるし、負った古傷も幾つかはあるもの…
車掌長にとっては、そんな経年の傷さえもが「美品」に思えた。

希望者挙手さん曰(いわ)く、昭和43年で、なおかつジャンク品ではなく、今もネジを巻けば動くものが、なかなか見つからなかった…と。

余談だが、精工舎(現SEIKO)が国産初の鉄道時計に指定されたのは、1929年とのこと。
以来、90年近く経った今も、鉄道懐中時計は、その視認性に優れたデザインもほぼ変わることなく、日本の鉄道が世界一時間に正確な運行を支える必須アイテムとして信頼の時を刻み、使われ続けている…

早速、竜頭を引っ張りながら時刻を合わせ、ネジを巻くと、秒針が動き始めた。
そして、戴いた翌日朝、目いっぱい巻き、更に翌朝同じ時刻にも目いっぱいネジを巻くと、20回指を動かすことができた。

おそらく、24時間で20回巻けると察しがついた。
毎朝、同じ時刻に巻き、50歳を迎えたこれからの新たな「時」を、この時計と一緒に刻んでゆこう…と、感慨に耽(ふけ)った。

そして、思わず神田鐵道倶楽部のスタッフであるW氏が、お通しをテーブルに置いてくれた時に発する「出発進行!」をシャレた名フレーズが脳裏を過(よぎ)った。

新たなステージを歩む「時」の始まりを祝し、車掌長自身も「出発進行!」と指差し呼称。

末筆ながら、希望者挙手さんには、心からの御礼をこの場をお借りして申し上げます。
誠にありがとうございました。
 

 

コメント(2件)

希望者挙手さんからのコメント(2018年3月 4日 17:16投稿)

こんにちは 久しぶりの乗車となりました。
ご誕生半世紀、おめでとうございます。

当日は神田駅開業99周年(車掌長のほぼ倍ですね…笑)とも重なり、限定メニューなど味わうことができたり、想定外で他のお一人様乗客と旅は道連れ的になってしまうハプニングがあったりもしましたが、楽しい時間を過ごすことができました。

私の50歳イベントのように大々的な企画でお返しできませんでしたが、このプレゼントは前々から考えていたもので、正直、入手には思った以上の手間と時間を要しましたが、車掌長に喜んで頂けて、苦労した甲斐がありました(笑

ただ、動作確認はできておりましたが、誤差がどれ程あるのかわかりませんので、しばらくはご注意願います(汗

実は私がこの2月に9社目となる転職をしたこともあり、お互いに節目の門出となり、まさにW氏の「出発!進行!」の掛け声のもと新たなスタートの時を共に過ごすことができてよかったです。

これから更にパワーアップして人生をエンジョイしていきましょう!

車掌長さんからのコメント(2018年3月 4日 21:50投稿)

希望者挙手 様

毎度ご乗車ありがとうございます

改めまして、先日はありがとうございました。
神田鐵道倶楽部車内での相席も、旅情緒があり良かったですネ。

それにしましても、戴いた懐中時計を手に入れるのに、かなりご苦労されたこと、お察しいたしました。

また、その入手に際し費やしてくださった時間や手間も、希望者挙手さんのお心遣いが身に沁みて参りました。

プレゼントは、何を戴いても嬉しいものですが、心のこもった物ほど、その方のお人柄も滲み出るものです。

懐中時計は、時を刻み始めてまだ数日ですが、毎朝ネジを巻き、正確に動いております。
当車掌区にある中途半端な電波時計よりも、正確に時を刻んでおります。

やはり、時計もそうかもしれませんが、大切に使われたモノであれば、機械式の方が信頼性があることを実感いたしました。

次世代へ継承する媒体は、デジタルが主流であることは間違いありません。

しかしながら、車掌長は考え方が旧い人間で恐縮ですが、次世代以降の単位、つまり数百年後の継承であれば「紙」が優れていると考えます。

保存状態にもよりますが、全国各地の博物館や郷土資料館にある古文書などを見るたび、よくこういう貴重なものが、今まで残されているいるものだなぁ…と感心します。

車掌長も50歳を迎え、いずれ自身にも必ず訪れる人生の「終着駅」というものを、遠からず意識しおり、所有する厖大(ぼうだい)な時刻表もどのようにして、未来の人が過去を知り得る「遺産」としての在り方を、ボンヤリながら考え始めました。

話が脱線してしまい、申し訳ございません。

ところで、希望者挙手さんも先月は別の新たな門出とのこと。
転職回数は競うものでもありませんが、希望者挙手さんの方が多くなってしまいましたネ!

お話を伺った様子では、厚遇であり、希望者挙手さんの持てる力を存分に発揮できそうなので、良いタイミングだったと思います。

蔭ながら、今後益々のご活躍をご祈念しております。
体にだけは、くれぐれもご自愛ください。

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2018年は下部で湯開き

カテゴリー:⑥番線:温泉方面 2018年1月 9日 04:56

年明け、ふらり一人で温泉へ向かった。

予定を空けておいた日が、急遽フリーとなり、湯開きをどこかで…と思った次第だった。
近年、一人旅をリーズナブルに受け入れてくれる宿もだいぶ増え、今年をどう過ごそうか…などと耽(ふけ)りくなった。

候補先として、湯宿(群馬県)、日光湯元(栃木県)、下部(山梨県)が頭に浮かんだ。

懐具合に合致する10,000円未満の宿は、どの温泉地も空いていたが、湯宿は熱湯であるし、日光湯元は雪見風呂が魅力的で一旦予約したが、ネットに謳われていた日光駅からの無料送迎バスを宿に電話で申し込もうとしたら、実はやっていないことが判明し、即キャンセル。

結果、信玄公隠し湯の下部温泉に宿を取った。

下部温泉は二十数年前に行ったきりだったが、車掌長の大好きな「ぬる湯」が印象に残っていた。
体温よりも低い源泉はこの時期は辛いと思ったが、10年ほど前に高温の源泉掘削に成功したと聞いていたので、交互浴ができるなら申し分ないと思った。

送迎もあったが、最寄駅からは歩いて宿へ向かった。
のんびりと温泉街を歩いて20分ほど、神泉橋を渡って左の渓流沿いに佇む大黒屋に到着。

呼び鈴を鳴らしても人気の無いフロントであったが、玄関上って目の前の談話コーナーには、ストーブが焚かれ冬枯れの渓流を眺めながら、折り目がクリーニング上がりのワイシャツのような、まだ誰も読んでいないと思われる新聞を開き、主人が現れるのを待たせてもらった。

一通り読み終えても来る気配がないので電話を掛けたところ繋がり、無事に記帳も終えて部屋に通してもらった。
バス・トイレとも共同の6畳間だが、一人者には十分。既にエアコンも入れてあり暖かく、布団も敷いてあってお誂(あつら)えの気分となった。

早速、浴衣に着替えタオル1本持って浴場へ。
ぬる湯と温湯が注がれる二つの浴槽を、交互に楽しむ湯浴みが始まった。

まずは、ぬる湯から足を入れるが、「ぬるい」と言っても、実際は「やや冷たい」と言った方が正しいだろう。しかしながら、ゆっくり体を馴染ませて肩まで浸かると、次第に心地良くなる…

まだ陽も高い時分に、貸切状態の大浴場に独りで湯に浸っていると、なんとも言い知れぬ贅沢な時の流れが身を包み込んだ。

おかしな表現だが、体が一通り冷えたところで、今度は温湯に身を沈める。
すると、一気に体の芯や奥底から、別次元の新たなパワーというか、エネルギーが漲(みなぎ)って来る実感が湧いてきた…

こんなことを繰り返し、あっという間に1時間が経過した。
そして、この交互浴こそ、この時季の下部温泉の骨頂であると実感できた。

湯上りに冷えたビールでグビっと喉を潤し、旅立ちの前に地元の書店で買った新書を手にし、読み始めた。
障子で隔てた広縁の更なる窓辺から耳に入るせせらぎだけが、今聴こえる音だけの世界。
時折、ページをめくる音と、喉越しの良いビールが空腹の胃に落ちてゆくことさえ、まるで水琴窟のように体に響き渡る音のように錯覚するからたまらない…

夕食前にもう一度、上述のような湯浴みを楽しんだ。

翌朝も昨日と同じように湯に浸かり、計3回を心ゆくまで堪能した。
交互に入ったふたつの温泉は、体中の何かを覚醒させ、この一年をどんな風に過ごそうか…車掌長自身なりのイメージも湧いてきた。

往路は甲府から身延線で南下し下部温泉入りしたので、帰路も南下を続行し東海道線経由とした。
途中、沼久保駅を過ぎると、イメージ的には右車窓に見えるはずのない富士山が、綺麗にその秀峰を現した。

しかしながら、JTB時刻表の路線地図はさすがであった。
しっかりと、沼久保を過ぎると線形が上方へ向き、右手車窓から富士山を見れるほど湾曲する線形を見事に描出していた。

そんなささやかなことにも感心しながら、思いつきで出発した1泊の独り旅はお開きとなった。
 

サイクルトレイン運行

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2018年1月 5日 07:01

子どもの頃、旅先のローカル線で大きな袋を積むお兄さんを、しばしば見かけた。

帆布製の「輪行袋」と呼ばれるものに入っているものは、自転車であった。
コンパクトに分解、収納された袋口には昔の荷札のような手回り品切符が結わいてあった。

お兄さんたちは景色の良い沿線の駅で降り、再び自転車を組み立て、駅から颯爽と清々しいロケーションの中へと溶け込んで行った。

子どもながらにそんな姿を見て、「移動の自由さ」というものを具体的に見た実感があった。

時を経て今朝の新聞で、JR東日本千葉支社が「B.B.BASE」という列車を運行する記事に目が留まった。その略称は、「BOSO BICYCLE BASE(房総バイシクルベース)」だそうだ。

自社通勤電車の209系をリメークし、6両編成に座席数と同じ99基の自転車ラックを搭載しているとのこと。しかも、そのラックは自転車をそのまま立て掛ける仕様になっており、分解や組み立てをせずに固定できるという。

運行路線は房総方面へ4コースあるそうだが、発着が両国駅というのが素敵だ。
かつて、房総方面へのターミナル機能を有していた頭端式ホームのある駅。

頭端式ホームは私鉄ターミナル駅では、お馴染みの光景だが、ことJRの都市部においては希少な存在だ。

このサイクルトレインを利用するには、通常の乗車券では乗れず、旅行商品として販売される形になるが、このような列車の運行には拍手を送りたい。

とかく、株主の顔色重視、富裕層向けの豪華列車に投資、効率及び都市部優先の事業開発という印象が否めない鉄道会社だが、こうした列車を利用する人々の喜ぶ顔を見れたり、夢を乗せる列車を走らせられるなら、印象も変わってくる。

願わくば、日本を代表する鉄道会社の1つとも言える事業規模だからこそ、都市部でぜひ実現していただきたいささやかな車輛や列車もある。

それはやはり、通勤時間帯における妊婦、高齢者、ベビーカーや車椅子利用者の専用車両を設定していただきたいこと。

女性専用車両が既にあるのだから、これも実現できないものだろうか。

人口減少が始まっているとはいえ、まだまだ都市部の通勤ラッシュは悲惨な状況だ。
そんな過酷な時間帯に列車を利用せざるを得ない、上記のような利用者がいることは、車掌長も日頃通勤時に目にし、案じている。

待機児童問題も同時に抱える都市部において、自宅近くでない保育場所へ送り迎えするため、止む無く通勤時の列車に子連れで乗る親子も沢山いる。

また、妊娠期の辛い時に座席を確保できず、周囲から押し合い、圧(へ)し合い、もみくちゃにされるのは、その人の身になってみれば苦行に尽きると容易に察する。

車掌長は専務車掌の妊娠時にその辛さを理解できたし、何度か席を譲っていただいた恩返しに、今では見かければ席を譲るようになれた。

それは、「席を替わりましょうか?」という発想ではなく、さりげなく「どうぞ」というアイコンタクトで、その席や車両を離れてしまう方法だ。
ほぼ、その譲りたかった人がそのまま座ってくれるが、中にはそれでも遠慮してなのか座っていただけず、意中でない人が座ってしまうオチもあるが…

もちろん、優先席などという、譲り合いの幻想を謳う貧相なスペースもあるが、日本には「マイ・プレジャー」の文化も思想も乏しきゆえ、女性専用車両のように、「制度」として設けなければ解決しないと思う。

話は戻るが、サイクルトレインのような列車は、実は上信電鉄など地方の鉄道会社では既に行っているところもあり、形はもっとシンプルかつ日常の「足」として運用されている。

本来はそんな形が望ましいが、先ずはJRが試みとして運行を開始したことを嬉しく思い、勝手なことを綴ってしまった。

株主の顔色やら、富裕層相手等、不躾なことも書いたが、事業の対象となる圧倒的多くは、その広い事業エリアにおいて日常の通勤・通学・ビジネス・旅行・趣味等で鉄道を利用する、ごく一般的な人々だ。そして、それらの人々の中でも仕事以外であれば、身銭を切って利用する庶民だ。

そうした圧倒的多数の多様な一般利用者の喜ぶ顔や安心して乗れる、時に日常を離れリフレッシュできる旅も楽しめるような、鉄道事業者であってほしいという、願望や期待を込めて綴っていることをご承知いただければ幸いに思う。

一定の形式やテンプレートに当てはまらない利用者は、サービスの対象外という無用な印象を持たずに済むような…、そんなことを難しさも理解した上で望みたい。

末筆ながら、「B.B.BASE」が出発する両国駅までは、どうやって載せる自転車を運ぶのだろう…
そこまで運ぶために、やはり従来の輪行袋に入れて自宅最寄駅から携行するのか、それとも両国駅まで自走してくるのか…

一旦、輪行袋に入れてしまうなら、再度両国駅ホームで組み立てて乗せるよりも、輪行袋のまま乗車するか、そもそもそのトレインを利用せず、通常の列車で運んでしまった方がラクか…

自転車に関しては素人ながら、そんなことにもふと想いを馳せた。
 

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