車掌見習のお師匠さま

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2021年12月12日 05:09

昨日、小春日和となった昼下がり、車掌見習のお師匠さまと母上が当車掌区へいらした。

車掌見習が「お師匠さま」と崇める由縁…
ひとつ年上であり、同好の鉄道趣味に長(た)け、撮り鉄の腕も素敵で、憧れの存在のようだ。

車掌見習は師匠の影響を受け、東京メトロにも触手を伸ばして乗りつぶしを始め、最新の車両形式などは、もはや車掌長よりもよく知っている、苦笑。

このたび、そんなお師匠さまと母上をお招きしたのは、見ていただきたいモノがあったから…
それは、ここ一年余りをかけて、ようやくカタチを整えた「時刻表プライベートミュージアム」。

そこは、車掌長が現時点で所有する、日本交通公社(現JTB)時刻表770冊余りを、展示および閲覧できる趣味の空間…

また、時刻表に限らず、懐かしい鉄道グッズや書籍、レコードも展示し、閲覧や視聴も可能であり、旧型客車をイメージしたボックスシートと、Nゲージのジオラマ(運転可)も配置し、鉄道の古き佳き頃の郷愁にも浸りながら、”時間旅行”も楽しめる造りとなっている。

あえて、時計を置いていない空間。
浸り過ぎると、2時間、3時間が瞬く間に過ぎてしまうので、乗り過ごしには要注意。

このたび、当ミュージアム、初のご招待者様となった、お師匠さまと母上にも、お気に召していただければ…幸甚である。

師匠は、カシオペアのフル編成(DD51重連牽引)をご持参され、その計14両におよぶ長大編成の運転を楽しまれていた。

また、車掌見習も同編成(EF510 500番台牽引)計13両を持っており、実際には1編成しかないのでありえない、カシオペアの並走シーンをふたりで楽しんでいたのが微笑ましかった。

ミュージアム見学後は、当車掌区にて子ども・大人に分かれ、母上・専務車掌・車掌長はカクテルタイム…
母上が上戸であることも判明(!?)し、とても楽しいひとときを過ごさせていただいた。

不思議なご縁で再会した師匠と車掌見習だが、お互いに同好の友達として、学校の友達とは違う交流を今後も深めてゆければ…と思った次第である。

この場をお借りして、今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。


※【注】時刻表プライベートミュージアムの一般公開はしておりません。
 

JTB時刻表愛読500号

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2021年11月21日 05:35

今朝、「哲×鉄」時刻表アーカイブに2021年12月号を掲載した。

今号、車掌長にとって愛読500号目となる記念の節目となった。
中学入学(1980年4月)を機に毎月定額の小遣い1000円を貰えるようになり、そのうち500円で日本交通公社時刻表5月号を購入。以来、毎月欠かすことなく購入および愛読してきた時間の積み重ねに、感慨も一入(ひとしお)だ。

この1号1号、1冊1冊は、自分が生きてきた時間の証人でもある…
例えば、そのどれかひとつをランダムに手に取り、ページを開くと、自ずと過去の自分に再会できる時間旅行に旅立つことができる。

良かった時期ばかりでない…
むしろ、そうではなかった時間の方が多かった印象もあるが、それが紛れもない、自分が走り揺られてきた鉄路…

当時12歳だった車掌長も、年が明け間もなく54歳…
自身がそんな年齢になったことに戸惑いを隠せないが、お恥ずかしながら…気持ち的にはジュブナイルなままだ。

まだまだ、やりたいことはあるし、それが日々の暮らしや仕事と向き合う原動力にもなっている。

コロナ禍となって久しいが、これを機会に発想転換、一念発起し、取り組んできたことがある。
それゆえ、当乗務日誌の更新もおざなりになってきたことは否めない。

しかしながら、構想から1年余りをかけて、ようやくカタチらしきものを整えた…

来年、2022年は日本に鉄道が開業して150年の節目となる年。
そんな佳節に合わせ、そのカタチをお披露目できれば幸いだ。

様々なモノや情報がデジタル化され、人と人とのコミュニケーションでさえ、リモートという形態に置き換えられ、もはや、その勢いは止めることができない…

想像したくもないが、愛読している「紙」の時刻表も例外ではないかもしれない…

そんなとき、車掌長の人生の「時間の証人」などと矮小化させず、「時代の生き証人」として、この「紙媒体」である時刻表を、未来の世代への史料として保存してゆきたいと思う。

自分達が生きている「今」を、数十年後の未来を生きている世代が、当時の社会状況を振り返る時、過去の時刻表から見えてくるモノやコトなど、何かのお役に立てたとしたら、時刻表収集家として本望である。

そんな想いを新たにした、愛読500号記念の掲載であった…
 

E4系MAXお別れ乗車と感動の再会

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2021年9月22日 05:22

秋晴れの三連休最終日、車掌見習の誕生祝いに恒例の「鉄博」へ行った。

往路は10月1日を以って定期運行を終了する、E4系MAXのお別れ乗車をした。
東京駅9:28発の列車であったが、自由席ゆえ、念のため30分ほど前に乗車口に並んだ。
列先頭から8人目くらいであり、大半は親子連れであった。

次第に列も延び、ホーム上も人が増え、明らかにMAX目的の賑わい…
清掃終了後、無事に2階席に座れ安堵したが、車内は1階席も含め満席状態であった。

大宮までの25分ほどは、車掌見習もお別れを意識して車内のE4系の特徴をカメラに収めていた。
これで新幹線の2階建て車両は全て引退…
思えば、東海道新幹線100系デビュー時、車掌長もまだ学生だったが、その高い目線から車窓を眺めるのが大好きであった。

鉄道博物館は入館が予約制となり、混雑もなく、ゆったりと見学することができた。
本館から南館を見て、再び本館へ戻ろうとしたとき、高い所から呼びかけてくれる声を耳にした。

声の御主は、エスカレーターから降りてくる親子であったが、そのおふたりに吃驚!
こちらも思わず、驚嘆の声を上げてしまった…

今春、カシオペア乗車の際、車掌見習と仲良くなり、ツアー中も他の子と一緒になって楽しく過ごさせてもらった、ひとつ年上のお兄ちゃんと母上であった。

聞けば、鉄博のイベントでEF64を屋外展示することを知り、訪れたとのこと。
そこからは、子ども同士で鉄話で盛り上がって館内を巡り、大人もそれに付いてゆく流れで行動を共にした。

また、つくづく、その不思議なご縁に改めて驚きと喜びを感じながら、専務車掌も母上も「ママ鉄」同士で近況などを話し交歓を楽しんだ。

双方、元々鉄道趣味は皆無であったが、子どもの「鉄オタ」に付き合わされ、だいぶ鉄分が増えてきたという同じ境遇も、話題に事欠かないようであった。

また、母上はお話を伺う中で飛行機好き、いわゆる「空美さん」であることも判明!
当車掌区所属員は、鉄道以外の乗り物も好きなので、色々お話が広がりそうで楽しみが増えた。

車掌長は、車掌見習が通う学校やクラス以外での交友関係を歓迎する。
しかも、同じ趣味同士であれば、クラスメイトに「テツ」はいないようなので、普段できない同好の話も思う存分できるし、狭いクラスの人間関係が全てではないことも実感できる。

学校での勉強はもちろん大切だが、今後生きてゆく上で「趣味」や「好きなこと」を持ち続けることは、何か困難な境遇があった際、それらが自分を助けてくれることも、経験上知っている。

今後とも、末永くお付き合いできることを願い、鉄博を後にした。
 

コメント(6件)

きのたくさんからのコメント(2021年9月28日 21:09投稿)

はじめまして。アーカイブから飛んできました。
私も正則→90年福祉大2部入学の乗り鉄です。
一応在来線26000Kmは全線踏破しました。
国鉄時代の時刻表を幾らか所有していますので、資料等入り用でしたら、ご連絡下さい。

車掌長さんからのコメント(2021年9月29日 04:32投稿)

きのたく様

このたびは、「哲×鉄」にご乗車いただき、誠にありがとうござました。

アーカイブは各駅(各月号の読みどころ)の工事中ですが、今後もゆっくりながら進めてまいりますので、時折、御覧いただければ幸いです。

国鉄時代の時刻表もご所有とのこと。
大変不躾ではございますが、いつ頃(年代)のものをお持ちでしょうか。

もし、当方に無いものでしたら、お問い合わせさせていただきたく存じます。

それにいたしましても、高校のみならず大学も出身校が同じという御方には、初めて出会い、大変驚きました。

ぜひ、機会がありましたら、お会いいたしたく存じます。

また、在来線の全線踏破も、素晴らしい功績ですね!
いまは廃線になってしまった線区も、相当含まれていることとお察しいたします。

大変貴重な「想い出」だと思います。

末筆ながら、今後ますます、きのたく様の「乗り鉄」のご活躍をご祈念申し上げます。

取り急ぎ、「哲×鉄」ご乗車のお礼まで

きのたくさんからのコメント(2021年9月29日 15:26投稿)

国鉄の時刻表は1985年から87年のものですね。
あとは1970年代の鉄道ピクトアルなどの雑誌もあります。
バラしてある本はありませんが、片面であれば、ご指定の路線をスキャニングして画像でお送りできます。
また、メアドにご住所等連絡いただければ、ご指定の頃のものを1冊お送りさせていただきます。
ただ保存状況はあまりよくありませんので、その点はご了承ください。

ちなみに日福大では、某うたごえサークルに足かけしていた、学館族でした。

車掌長さんからのコメント(2021年9月30日 04:37投稿)

きのたく様

再度のご乗車、ありがとうございます。
1985~87年と、申されますと、ちょうどきのたく様が正則生になる前後になりますでしょうか…

もしかいたしますと、「鉄研」にもいらしたとか…

某うたごえサークル、お察しがつきます。
「学館」も懐かしい言葉ですネ。

キャンパスも、いまはだいぶ変わったように耳にしますが、あの土地での生活は、何かと人生の糧を得た貴重な時間だったと思います。

また、そんな想い出話もできることを楽しみにしております。

きのたくさんからのコメント(2021年9月30日 06:46投稿)

こんにちは。
87年の分割・民営化時まで、中学生の時のものです。

小学校から一筆書き乗車をはじめ、中学生の時北海道と九州、東北は周遊券のワイド周遊券と冬季割引を駆使して、完全乗車しました。駅で寝袋で寝る生活、当時でいうカニ族ですね。
世代は、ぎりぎり旧客現役世代ですね。常磐線にも上野発仙台行きの旧客列車がまだ残っていました。
思い出は、普通夜行寝台「山陰」に乗れたことですね。12系+10系ハネだったと思います。

高校の時はC顧問のルポ部(旧学習クラブ)とPG顧問のアマチュア無線同好会でした。
毎日のように汐留に通い、日々解体されていく汐留の記録もどこかにあるはずなので、もし出てきたら、ご紹介させていただければと思います。

今後ともよろしくお願いいたします。

車掌長さんからのコメント(2021年10月 2日 05:45投稿)

きのたく様

旧型客車…車掌長もその素晴らしき旅情を求めて、「乗り鉄」していました。

想い出深いのは、門司から福知山まで、当時の最長距離鈍行列車”824”に乗ったことです。

日本全国が国鉄という、ひとつの鉄路で結ばれていた頃は、「一筆書き」切符の旅も楽しかったですネ。

いまや、新たな新幹線が開通するたび、第三セクター化され、もはやそのようなキップの旅の醍醐味は無くなってしまいました。

また、かつての在来線特急が駆け抜けた「本線」も、見る姿もなく、ローカル線化してしまったのは、日本の鉄道の「宝」を失ったような寂しさを覚えます。

これは感傷に浸る意味合いだけでなく、災害時等の非常事態における物資輸送等で、スムーズに有効な路線網を運用できず、支障を来す予感もいたします…

いずれにいたしましても、同じような時代に鉄道旅行の醍醐味を体験した者同士、「鉄話」ができることを楽しみにしております。

こちらこそ、今後ともよろしくお願いいたします。

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30年ぶりにレコードに針を落とす

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2021年6月13日 05:24

昨日、およそ30年ぶりに所有するレコードに針を落とした。

きっかけは、某オークションサイトで、1962年(S37)に朝日ソノラマから発売された、子ども向け実音童話「特急こだまの旅」を手に入れたことだった。

”ソノシート”と呼ばれる、車掌長世代の子供時代には、ありふれた安価な造りのペラペラのレコードが2枚、レコードと同じ大きさの写真入り冊子に綴じ込んであった。

話の内容は、母子が東京から大阪まで、特別急行第二こだま号に乗車する道中の紹介。
東京駅を14:30に出発し、大阪駅に21:00に到着するまでの車中の様子を、コンパクトに紹介している。

レコードを聴きながら、実録の走行音や車内放送、車内販売等の各種案内、運転席や駅ホームの様子とともに、母子の会話で紡ぎながら、当時憧れの”特別急行列車”の旅を想像できる内容であった。

しかしながら、これを手に入れたのはいいが、肝心のレコードプレーヤが無かった…
正確にいえば、有るのだが、壊れていて聴ける状態になかった。

そこで、某家電量販店に出向き、事前にネット等でリサーチし、予算に見合う手頃なものを実物でも確認して購入した。

レコードプレーヤも手に入れ、いよいよあとは聴くだけとなったが、ここで車掌長が高校や大学時代に買ったレコードを先に聴きたくなった。

仕舞いこんでいた数十冊のLPジャケットや、EPジャケットを久々に手にすると、自ずと当時を思い出す時間旅行が始まった。

それらの中から大滝詠一の”ロングバケーション”を選び、ターンテーブルを33回転でゆっくり回るレコード盤の端っこに針を落とそうとするが、久々すぎて指がプルプルしてしまい、落とす位置が一瞬、定まらなかった。

1曲目の「君は天然色」の曲が流れるまで、針が溝を穿る際、たまにプチ…プチという音が聴こえるのも、アナログなレコードの良いところ…

そんな数秒の情緒を感じていたところ、チューニングで始まるイントロが、ピーンと鳴り響いた…
大好きな出だしの緊張感が、30年の時を一気に駆け上げ、学生時代の情景に身を投じられた。

その後も、懐かしさのあまり、幾つかのレコードを聴き続けてしまい、本来聴きたかった「こだまの旅」に辿り着けたのは、だいぶ時間が経ってからとなってしまった、苦笑。

余談だが、東北新幹線の水沢江刺駅の発車メロディは、大滝詠一氏の郷里にちなみ、「君は天然色」を流しているそうだ。

ぜひ、列車の発車を好きな曲とともに、見送ってみたいと思った。

追伸
車掌長の人生のテーマソング「いい日旅立ち」をレコードで聴いていたら、車掌見習がすっかり、この曲を気に入ってしまいました。
レコード自体も物珍しいようで、扱い方やかけ方を教えてしまいました。
 

編成美

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2021年5月 2日 06:43

編成美という言葉が好きだ…

鉄道、殊に列車を眺めていて「美しい」と思うのは、その編成に対して大いにあるように思う。
個性的な外観や先頭車両の顔だちといった、個々の車両も魅力的だが、それらを連ねた「編成」に、列車としての完成された「形」の美しさがあるように感じる…

車掌長が初めて「編成美」を感じたのは、小学5年生を終えた春休み。
当時、東京駅を22:45に出発する、夜行寝台急行「銀河」大阪行きに乗ったときであった。

それは、妹と二人で関西の母の実家へ向かう際、東京駅ホームで母に見送られた時でもあった。
なぜ、妹と二人だけで行くことになったかは不明だが、車掌長は初めて乗る憧れの「銀河」、しかもA寝台に気分が高揚していた。

列車が入線すると、目の前を次々と滑り込むように、ホームの煌々と光る明かりに照らされた20系寝台車の長い編成が、ことのほか綺麗に目に映った。

一方、まだ小学2年生を終えたばかりの妹は、寂しげであった…
この旅に母が同行しないことを悟っていたようであった。

そんな思い出の「銀河」もいまは走っていない…

だが、そんな「銀河」が廃止となった2008年3月、そのときの思い出を、某新聞の読者欄に投稿し、掲載された記事があるので、僭越ながらご紹介したい。

”妹と銀河の旅 今も思い出す”
14日、寝台急行「銀河」の最終便が東京駅を出発した。
私も29年前、小学5年の春休み、三つ年下の妹と関西の母の実家に行くために初めて乗った。
その頃の銀河のB寝台は3段式でベッド幅は52センチ。
一つの寝台で子供2人まで利用できたが、さすがに窮屈なのと、妹ひとりでは寂しがるので、母は広い2段式のA寝台を取ってくれた。
当時も、切符の取りづらい列車で、せっかくのA寝台も上段しか取れなかった。
母が、下段の紳士に「子供2人で大阪まで行くのでよろしくお願いします」と頼んだ。
妹と上段のベッドに上がってみると、枕元に写真立てを横にしたくらいの小窓があった。
これでは、あまり景色がみえないなと思った。
母が列車を降りようとしたとき、下段の紳士が「よかったらこちらを使ってください」。
代わってもらった下段の窓は、数百倍にも感じるほど大きかった。
母は何度もお礼を言いながら降りていった。
発車時間が迫ると、母との別れに不安を感じたのか、妹がしくしくと泣き始めた。
私も妹をなぐさめたが、2人きりの旅の不安と寂しさ、緊張で一晩中眠れなかった。
いま思えば、あの夜が初めての徹夜だった。
大きな窓一面の星空は、まさに銀河であった。

「編成美」を初めて感じた列車の思い出は、かくも、このような旅路であった。

「ブルートレイン」という、青一色の長大編成を、もはやこの目にすることはできないが、思い出の中でいつまでも、その纏(まと)いを連ね率いられた列車の美しさは、いつまでも色褪せることはないだろう。

思うに…
車掌長の人生も、ただいま53両という、一年一年の車両を連ねて運行中。

その一両、一両を率いる「自分」という牽引車は、幾度も変わっているし、各車両も決して揃った綺麗なものでもない…

だいぶ傷んだ箇所、汚れた部分も、幾つもある…

だが、最終的にその編成を振り返ったり、俯瞰できるような場所へ旅立ったとき、他者からはどうあれ、自分自身では「美しい」と思えたら本望だと思う。


 

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