成人の日

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2020年1月13日 05:43

今日は「成人の日」とのこと…

昭和生まれの車掌長にとっては、成人の日は1月15日との認識が、いまだ抜けきらず、毎年変わるこの日の日付にとても違和感がある。

とは言え、必ず3連休になる現在の「国民の祝日に関する法律」に則った方が、より多くの新成人が故郷でお祝いされたり、懐かしい仲間と交流できることを思えば、理にかなっているとも思える。

ところで、この「成人」についてだが、2022年(令和4)からは、18歳が成人となる。

ちなみに、同年19歳になる人々も、同時に「成人」となるそうだ。
また、従来の20歳成人の人々も、同年同時に「成人」になるようだから、2022年は3年分の「成人」が誕生することになるとのこと。

しかしながら、各自治体で祝される「成人式」は、18歳で行うのか、従来の20歳のタイミングで実施するのかは、各自治体判断に一任のようで、なんか煮え切らない感が否めない。

ただ、上述の法律で「成人の日」の意義は、こう謳われている。
「おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます」と。

話が脱線してしまうが、「成人」と「元服」とは似ているようで非なるものがある。

元服とは、男性と女性では対象年齢が違ったようだが、車掌長は中学2年時、つまり14歳の頃、クラス担任が「元服」について話してくれたことをよく覚えている。

そのとき、昔は君らと同じ歳で「成人」とされ、意識も責任も大人と同じものを自覚させられ、周りも一人前と扱った、という趣旨であった。

さらに脱線するが、「14歳」で思い出したのは、TVアニメ「ベルサイユのばら」の第一話。
マリーアントワネットの輿入れの際、護衛を担当する近衛隊の隊長に国王から任命された際、様々な葛藤の上、軍服に身を包み「女性としての人生と決別し、新たな大人の世界の第一歩を踏み出す」。
このとき、オスカルは14歳であった。

話を元に戻そう。
つまるところ、「成人」とは、法的な必要性は置いといて、本質的には単なる数字としての年齢ではなく、「本人が大人になる自覚」が芽生えた時点を指すのがふさわしいのだと、実感した。

なにはともあれ、現行制度の20歳で成人となる皆様には、祝意を表明したい。

足るを知る

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2020年1月 8日 05:52

先日、急遽風呂場のリモートパネルの電源が入らなくなり、不具合に陥った。

風呂をわかしたり、湯温や湯量調節が風呂場でできる便利なものだったが、その便利さを意識もせず、「あたりまえ」に日常使っていた。

いざ、使えなくなると、途端に「不便さ」を痛感した。
台所にも同じ別のパネルがあり、ここでも風呂で使う湯の諸調整ができるのだが、入浴中に大声を出して専務車掌を呼び、その操作をお願いするのも気が引ける…

したがって、入浴前にあらかじめ使う湯の温度を台所で設定してから、風呂での湯を使うわけだが、車掌見習と一緒に入ると、シャワーの湯温は41~42度が適温のようだが、熱めのシャワーが好きな車掌長は43度はほしいところ…

若干熱めにしたかったり、その逆を適宜操作できず、不便は不便であった。

そんなとき、湯舟に浸かりながら思ったことがある。
「足るを知る」という言葉…

時折、意識的にその言葉を思い出したり、大切にしている心構えのつもりでいたが、最近は失念しかけていたようだ…

無いもの、足りないものを嘆くのではなく、現状有るものや足りていることに、満足や感謝をするように理解しているが、「足りていることがあたりまえ」に思っていたフシは強くなかっただろうか…

それにしても、「足りる」「足らない」という漢字は、なぜ「足」なのだろう?と素朴な疑問も抱く。

「満足」「充足」「過不足」「自給自足」etc

これは、車掌長の持論に過ぎないが、「足」とは歩くための身体機能と捉えれば、何かの目的に向かって「歩く」、言い換えれば努力することのボリュームや熱量に対し、自身の満足度や不足度を感じるのではないか…と、勝手ながら位置づけている。

先人は「千里の道も一歩から」とか、「百里を行く者は九十を半ばとす」とか、車掌長の好きな言葉を残してくれているが、どれも自身の「足」で踏み出さなければ、始まらない。

日常、うんざりするほど煩雑な物事をこなす中で、自身の楽しみや人生の目標に向かって歩くことは、「足るを知る」こととセットにすることで、その長い道のりを無理なく完歩できるのかもしれない…

ちなみに、昨晩、これまた急遽、風呂のリモートパネルが3日ぶりに復旧…

振り回されることも、「足る」を実感する醍醐味に思えた。
 

半生

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2020年1月 4日 09:05

新たな年を迎えた

新年のルーティーンを、ひとつひとつ執り行う。
両親宅で妹夫婦家族、当車掌区の皆が揃い、雑煮を食す。

雑煮は父が作ることになっており、これは車掌長が子どもの頃から変わらない。
餅も普段食べることはないが、この日に食べると「正月」を実感する。
三が日の朝・夕は、両親宅で食事をいただく慣習になっている。

一息ついて、先祖の墓参り。
日頃の感謝と今年一年の無事を祈る。

明けて二日、TVで箱根駅伝のスタートを見て、食後、皆で初詣。
ここ二十数年、東京タワーに近い古刹を詣で、参拝後に猿回しを見る。

4年前から、祝儀を壱千円渡すようになった。
ふとしたきっかけからだが、不思議と御利益を授かっている。

その後、姪っ子の誕生日祝いの昼食を、予約しておいた汐留の某ホテルレストランで行った。
普段、寡黙な父もこの日は紹興酒を沢山呑んで饒舌であった。

ここまでが、毎正月のルーティーンであるが、同じことをしていても、年々両親は確実に歳を取り、ふたりの姪っ子たちや車掌見習も着実に学年を積み上げ、成長を実感する…

妹も50歳を迎える年であるし、車掌長自身も52歳になろうとしているが、最近「半生」という言葉がよく頭を過るようになった。

煮え切らない「はんなま」ではなく、生涯の半分を意味する「はんせい」の方である。

昨夏、44年前に車掌長が温泉好きになった原点の地を訪れたく、兵庫県の城崎(きのさき)を車掌区の慰安旅行で訪れた。

懐かしい風景を目にし、小学2年だった頃の記憶が蘇った…
当時、親代わりに大変お世話になり、大好きだった亡き伯母たちと撮った同じ場所で、写真も撮った。

「人生100年」と言われる時代…
自分自身がそれほど長生きできるかは不明だが、仮に生きられるとすれば、今頃がちょうど人生の半分、折り返しであり、昨年頃から「半生」を振り返りたくなった。

そして、その半生を支えてくれたのは、名脇役の「時刻表」や「鉄道」、「温泉」といった長年愛好している趣味であり、これらと出逢った原点や原風景を振り返りたい衝動に駆られていた。

そんな折、先日某ラジオ番組の取材を受けた。
市井(しせい)の人にスポットを当て、そのエピソードや半生を、パーソナリティが朗読してくださるという…

偶然が重なったとしても、驚きの出来事であった。

なお、放送が確定したわけではないが、放送日等がわかったら、当乗務日誌の「車内放送」でご案内したいと思う。

2020年は、車掌長が中学1年入学時から、毎月の小遣いで時刻表が買えるようになり、愛読を始めた原点から40周年の記念すべき年。

何か大袈裟なことは考えていないが、節目の年として大切に過ごしたいと思う

そんなことを思いつつ、年頭の所感としたい。

夜明け前

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2019年12月31日 06:01

木曽路は全て山の中である…

38年前の今頃、この言葉を実感したく、旧中山道をひとり歩いた。
中学2年だった車掌長は、国語の授業で島崎藤村の「夜明け前」を学習した時分であった。

車掌長は「夜明け前」という状況が好きだ。
子どもの頃から、朝型の生活スタイルだったことも一因であろう。

中学生の頃、この言葉には、物事が始まる、動く直前、結果が出る前など、自分の努力次第によっては、何かを変えられる予感がする意味合いを感じていた。

とくに、高校受験を控えた今頃は、それまでの「自身」からの脱皮を図るような、「未知なる自分」と出逢う出立(しゅったつ)の好機ととらえていた。

そして、勉強や受験は、それを叶える道具と思えるようになり、不思議にも苦手な科目も親しみを覚えるようになった。

「イメージできることは実現できる」、これは今も大切にしている思考だ。
これができるということは、実現に至る「工程」が、自身でわかることと符合している。

その工程の中に、勉強や苦手なものが含まれていることが分かれば、克服も容易だ。

車掌長の友人もいま、高校受験を控え頑張っている。

来年は干支も一番目からスタートする年。
新たな飛躍を目指し、15の春を迎えられるよう、応援している。
 

少し早いXmasプレゼント

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2019年12月16日 05:44

先週末、宅配便の不在票が入っていた。

専務車掌宛だったが、差出人に見覚えが無いと言う…
最近通販で買ったものはないし…とも。

一昨日、再配達依頼をした当該荷物の包装を開けてビックリ!
Nゲージ鉄道模型のスターター・キットが出現した。

専務車掌は、すぐさま「当たったんだ!!」と発した。
事情がわかったのは、先月、某新聞購読紙の懸賞コーナーに応募していたとのこと。

しかも当選者数は3名で、買えば税込で定価2万円弱もするものだった。

聞けば、鉄道好きな親子のために、気の利いたコメントを応募必要事項に加えて、さりげなく書いたとも…
ともあれ、車掌長と車掌見習にとって、少し早い素敵なサプライズXmasプレゼントとなった。

セット内容の車両は、ブルートレイン「あさかぜ」のヘッドマークを冠したEF66電気機関車と、寝台車4両の計5両編成が組めるもの。
これに楕円形のレイアウトが可能なレールセットと、パワーユニット他が付いており、すぐに走行可能なNゲージ入門セットであった。

つい先日、乗務日誌にサンタクロースの話題を綴ったばかりの偶然だが、50歳を過ぎてもなおのこと、その御方の実在を胸に秘めるが、それが叶った出来事であった。

完成させたレイアウトは、食卓の上で収まるほどこじんまりしたものだが、最近遊ばなくなった積み木を出してきて、駅のホームやトンネルをふたりでつくり、何十周も「あさかぜ」を走らせた。

車掌見習が車掌長も昔乗ったことがあるか尋ねるので、何回かある旨返答したら、その時の東京駅発車時刻や途中の停車駅を教えてと言うので、記憶を辿り教えてあげると、車掌見習が「にわか車内放送」を始め、列車を走らせたり、停まらせたりし、思わず目を細めてしまった。

このような、午後の陽だまりが入る部屋でのひとときが、いつまでも車掌見習の想い出の原風景として、記憶に残ってくれたなら嬉しく思う。

専務車掌サンタ、どうもありがとう。

 

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