日本は島国

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2017年11月 2日 05:20

 昨日、休暇を取った。

理由は、5年に一度、小型船舶操縦士免状の更新手続きをするためだ。
国から免状更新講習代行を認可された、麹町にある某事務所で簡単な身体検査や講習を受けた。

この免状は、25年前に広島県尾道市で取得した。
動機は、旅行会社勤務時代に公私ともにお世話になった先輩友人と、「ボートで日本を一週しよう!」という軽いノリだった。

船舶免状は船の総トン数によって区分され、車掌長が所有する「小型2級」の場合、岸から5海里(約9㎞)以内の海面において航行が可能だ。

つまり、この5海里以内であれば、日本は島国だからグルっと一周が可能となる。

そんな夢を抱きながら取得した船舶免状だが、実際には免状取得の実技試験で操船したのが最後で、取得以降は自動車で言うペーパードライバー状態であった。

理由は、当時ボートを所有したり係留等の維持費が言うまでもなく高価であり、またレンタルするにしても手続きが煩雑であったり、高額であった。

しかしながら、昨日受講した事務所にあったレンタルボートの宣伝パンフレットを見ると、小型であればレンタカーと同程度で借りられることを知った。

もちろん、いきなりは無謀だが、再度操船講習等を受講し、海洋リゾート地などで数時間レンタルしたりして操船経験を積み、ちょっとずつ航行距離を延ばすのもいいなぁ…などと、50歳を節目に新たなことにチャレンジしてみたくもなった。

とくに最近は、要所要所のマリーナに、「海の駅」というものが整備されているそうだ。
この海の駅を海に沿って伝っていくのもオツだ。

まぁ、まだまだ妄想の範囲なので、日頃色々なご心配をかけている専務車掌には、安心していただきたいことを、念のため申し上げておこう。
 

卵かけご飯の日

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2017年10月30日 05:19

 今日は「卵かけご飯の日」だそうだ。

島根県雲南市が制定した記念日で、2005年10月30日、たまごかけごはん専用醤油「おたまはん」のふるさとである同市でシンポジウムを開催したことに因むという。

雲南市というと、車掌長は中国の雲南省を連想してしまう。
やはり時刻表好きな者としては、三段式スイッチバックのあるJR木次線(きすきせん)沿線の旧町名、木次町や大東町と言われた方が、ピンとくる。

それはさておき、車掌長も卵かけご飯は好物。
とくに、学生時代は学生食堂で大変お世話になった。

大学が夜間だったため、昼間は17時まで働き、夜間1限目は18時15分からの講義であった。
仕事を終え車で10分の下宿に戻って着替え、更に車で20分ほどかけ大学へ。 

すると、大学に着くのは18時近くになった。
そこで、今でいう「ファーストフード」のごとく、白飯(大)・味噌汁・生卵の3品を素早くトレ―に載せ、レジで180円を払った。

当時はまだ消費税がなかったので、200円以内、5分以内で食べられるこのメニューは、車掌長の夕飯の定番であった。

現在も、卵かけご飯は急に食べたくなる時があり、休日の家での昼食時は専務車掌や車掌見習が別のものを食べているのに、わざわざ「卵かけご飯」を独り食べることがある。

上述の卵かけご飯専用醤油のような、そんな洒落たものは我が家にないが、ちょっと醤油を多めに垂らしてアツアツご飯と食べるのが至福だったりする。

そんな記念日があったのか…と懐かしくなり、珍しく乗務してみた。
今日は台風一過で好天のようだ。

仕事先のどこかで卵かけご飯を食べてみようかと思う。
 

いつか本選を夢見て

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2017年10月25日 20:16

 先日、某クイズ番組の予選に参加した。

子どもの頃から好きなクイズ番組の1つだが、現存する視聴者が出場可能な番組としては、唯一となってしまった貴重な人気長寿番組、「パネルクイズアタック25」だ。

ふと或る日曜の番組放送終了間際、テロップで流れた"出場者募集"にインスピレーションを感じ、ネット経由で応募。

すると、10日後くらいに葉書で予選の案内が届いた。
あれ?わりと応募者が少ないのかな…と思いきや、某サイトで調べたら、予選参加の倍率はおよそ150倍とのこと。

ちょうど、仕事も休みの土曜日だったので、勇んで参加した。

会場には約80名ほどいた。
さきほどの予選参加倍率を当てはめると、約12,000人が応募し抽選を射止めた人達となる。

最初に担当者からのガイダンスを受けながら、エントリーシートを30分かけて作成。
その後、筆記試験(記述式)が行われた。

出題は30問、制限時間は8分。
1問あたり15秒前後で解答してゆかなければならない。

出題はかなり広範かつ難題であった。
具体的な問題は、まだ予選が行われているので公言できないが、車掌長には苦手な芸能関係や話題も多かった。

手応えのないまま、予選落ち…
予選を通過できたのは10名ほどで、その御方たちは面接へと駒を進めた。

そういえば、予選担当者も筆記試験冒頭に気休めを言ってくれていたのを思い出した。

「皆さん予選に何度も参加して、本選への切符を手にしています。お手元の予選参加記念のボールペンは4色あり、本選のパネルの色に合わせてあります。4色揃えると本選に出れるかもしれません」と…

何はともあれ、50歳目前に憧れのクイズ番組予選に参加でき、とっても良い経験となった。
今度は還暦を迎えるまでに、リベンジして本選出場を果たす夢を見てみよう。

年明けのアニバーサリー・イヤーに向け、色々思い付いたことをチャレンジしているが、ギネスブックへの申請審査は、英国事務局から却下の連絡があった。

現在、あまりにも様々なジャンルからの申請が多く、新たなジャンルでの世界記録申請は受け付けていないとのこと。
つまり、「時刻表収集」というジャンルはなかったようだ。

たった一度きりの人生、何でも「アタックチャンス!」で、ゆこうと思う。

10月2日の想い出

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2017年10月 2日 05:26

 小学5年生の10月2日は想い出深い日だった。

当時、「ごお・さん・とお」と呼ばれた国鉄のダイヤ改正が実施された日。
それは昭和53年10月に因んだ、関係者や鉄道ファンらによる通称だった。

車掌長はその9月末、書店に並んだ日本交通公社10月号の時刻表がわからなかった。
それは、毎月楽しみにしていた表紙の意匠が、180℃変わったからだ。

「哲×鉄」の時刻表アーカイブをご覧いただければ一目瞭然だが、9月号までは国鉄の優等列車が日本の四季を感じる風景と織り交ぜて表紙を飾っていた。

しかしながら、10月号は真っ黒の表紙の中心に、女の子がアメを舐める姿を列車から撮影した構図になっており、主役が列車から人へと代わっていたのだ。

ジャンルは違うが、航空旅行パッケージツアー商品の「ジャルパック」が、「アイル」へと変わった際も、同様の驚きを抱いたものだった。

この10月ダイヤ改正以降、同一名称の特急・急行の列車が日に複数本運転される際に使われる○号という数字が、下りは奇数、上りは偶数となった。

そして、車掌長が好きな「あずさ2号」も、8時ちょうどの新宿発ではなくなった。

また、特急のヘッドマークも新設され、それぞれの列車愛称名にちなんだイラストが、その特急の顔として子ども達の人気を集めたものだった。

一方、急行列車が減り特急列車が増えたことは、当時の単に鉄道好き少年だった車掌長には嬉しいニュースだったが、その陰で国鉄衰退の歯止め策として取られた幾つもの合理化の影響など、幼い自身には未だ知る由もなかった。

昭和53年10月号の時刻表表紙の想い出から、平成3年に「ジャルパック」から「アイル」へと変わったパンフレットデザインの激変も思い出した。

どちらも共通するのは「黒の変化」だった。

降って沸いた衆院選も、緑色が急遽現れた。
しかしながら、その旗印も色合いも、なにやら斑模様になりつつある印象は否めない。

いっそ、裁判官が着衣する法服のように「何色にも染まらない」、黒色を旗印にした政党が出てくるかもしれない。
それは、時代の変わり目を暗示するような…

10月2日の時刻表の想い出から、そんな連想がふと浮かんだ。
 

100円玉と50円玉とともに

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2017年9月19日 20:01

久しぶりに乗務。

この1年、仕事の内容が一変し、なかなか思うように朝の時間を捻出できずにいた。
これから綴る事柄は、本来もっと早く書いておきたい内容であった。

日頃、何気なく使っている100円玉と50円玉だが、どちらも現行硬貨の発行開始は1967年。
つまり、今年でちょうど50年の節目にあたる。

最近は電子マネーの普及で、小銭を使う機会がめっきり減ったという人もあれば、スーパーでご年配の方ががま口を広げて斜めに傾け、レジに表示された金額ピッタリの硬貨を探す光景もまた、昭和の頃から変わらない…

車掌長が子どもの頃は、100円あれば駄菓子屋で結構な買い物が出来た世代。
また、そのたぐいの店の軒先には10円で遊べるゲーム台が置かれ、子どもながらに今でいう「神」のようなスゴ技を持った者が何人かいたものだった。

車掌長はその道においては凡人だったので、台の左右のレバーで弾いた10円玉は、累計で何十いや何百枚となくゴール途中の穴に容赦なく暗闇へと吸い込まれてしまった。

そして、幼心ながらに何の生産性もないギャンブルの一抹の虚しさを感じたものだった。

前置きが長くなったが、そんな想い出深い100円玉や50円玉と同じ50年という時間を歩んできた車掌長世代の生まれ年に因み、今夏、大学時代のサークル同期の仲間と「合同・五十歳を祝う会」を開催した。

開催場所は、我ら同期のサークル元会長T氏が居住する山口県山口市とした。
同期男女6名中、男2名と女3名が参加。他に同期ではないが、先般の熊本地震で被災しその復興に公私ともに尽力した後輩を労う趣旨も加え、大人11名+幼児2名、総勢13名の集いとなった。

みなそれぞれに50歳という、表向きの経年劣化は否めなかった…
だが、人間の中身はそうそう変わるものでもなく、およそ30年前の学生時代へとタイムスリップする当時の話題は、気持ちが若返るような錯覚にも陥った。

祝宴のハイライトは、ケーキに立てた50本のローソクをみんなで消したこと。

つい、こんなフレーズを心の中で呟いた。
♪私の誕生日に50本のローソクを立て
  ひとつひとつがみんな君の人生だねって言って♪

翌日は快晴に恵まれ、地元在住者の山口組によるオプショナルツアーとなった。
会長T氏が毎月満月の日にメールを発信するという、名勝秋吉台の中にある某展望台に案内された。

そこは、カラッとした風がそよぐ、最高の見晴らしを堪能する展望地であった。

いつまでもその雄大な風景を眺め、風に吹かれていたい…そんな別天地であった。

会長T氏が持参したコンロで湯を沸かし、皆に珈琲を淹れてくれた。
彼に珈琲をもてなしてもらうのは、久しぶりだ。

お互いに歳をとったが、その「苦味」の美味しさを引き立てたのは、学生時代には無かった人生の「厚み」そのものだった。

参加したメンバーそれぞれに、きっと想像しがたい日々の積み重ねがあったことだろう…
しかしながら、この再会の機会に昔と変わらぬ笑顔で他愛無い話で盛り上がれるのは、日常生活とはかけ離れた、なんの打算もない人間関係ならではの「心の財産」だと思う。

次回会うのはいつになるか未定だが、きっと今回と同じような話を繰り返すのだろう…
ただ、無邪気だった学生時代のように、屈託のない話題を。

ふと、今日釣銭でもらった100円玉が、昭和42年発行のものだった。
掌(てのひら)に五十年の重みを感じてしまった…
 

コメント(2件)

きよすこ(仮名)さんからのコメント(2017年9月23日 19:55投稿)

車掌長様

初乗車、失礼いたします。
転居に伴い、そういえば未だ名無しの、元きよすこ(笑)です。


遅ればせながら「五十歳を祝う会」お疲れ様でした。

この年明け、思いつきでT会長に電話したのが発端でしたか。
今さらながら、車掌長の行動力には頭が下がります。
誰のわがままを聞いたわけでもなく、少なくとも中身は「あなたのままで変わらずに」いる面々と
貴重な、楽しい一時を過ごせました。
本当に、ありがとう。


秋吉台での珈琲の味は、格別でした。

ちょっと調べてみると
江戸時代、日本人で初めて珈琲を飲んだという大田南畝の感想は
「焦げくさくて味ふるに堪えず」
だったようですね。

確かに、元も子もない言い方をすれば苦いだけの飲み物。
それを美味しいと感じる理由は、検索すればいくらでも出てきますが、
あの場所での味わいは、30年近くの時間を経てもなお、
同じ顔ぶれで集まれた幸せに縁るところが大きかったのだと思います。


思えば学生の頃、誰の部屋にもインスタントコーヒーがあって。
あの苦さを、いつ頃から美味しいと思えるようになったのか。
あるいは「大人な自分」と思うための自己催眠だったのか。
経年劣化(笑)した記憶では確かめる術もありませんが、
何にせよこの身近な飲み物が、楽しい思い出を呼び戻すアイテムとしても
大切な存在になりました。


またどこかの青空の下、みんなで最高の一杯を味わえるのを楽しみにしています。
改めて、ありがとう。

ではまた。

車掌長さんからのコメント(2017年9月24日 06:29投稿)

きよすこ様

このたびは、「哲×鉄」へのご乗車まことにありがとうございました。

きよすこさんが仰るとおり、あの別天地で味わった珈琲の美味しさは格別でした。

調べてくださった日本人初の珈琲体験者、大田南畝のエピソードは存じませんでしたが、当時彼が飲んだシーンを想像すると、かくも頷ける感想だったと思います。

本来、「苦味」「酸味」は人間が本能的に拒絶や回避する味覚のようです。

実際、子どもは苦味を毒素、酸味を腐敗と本能的に感知し、口にしたがりません。

しかしながら、食の経験を積んでそれらが安全であることを知るようになると、「美味しさ」や「嗜好品」へ転化してゆきます。

きよすこさんもお書きになっていたように、"あの苦さを、いつ頃から美味しいと思えるようになったのか"…これには、各人の想い出やエピソードがそれぞれにあることでしょう。

受験勉強の際、眠気を覚まそうとブラックコーヒーを飲んでみた…或いは、大人や年上の従兄弟達、ちょっとオマセな友人が、面前で真っ黒なコーヒーを飲む姿を見て、興味を抱いたり、触発されたということもあるでしょう。

いずれにせよ、なにか「大人の階段」として試みたように思います。

そう思うと、学生時代とは様々な「大人の階段」を体験したり、
その階段を図らずも踏み外して失敗や挫折を多く味わった「時間」だったのでしょう…

30年の時を経ていま、そんな時間を共有した仲間だからこそ、あの一杯の珈琲が殊更に美味しかったのだと思います。

いまほど、身の回りやセルフで楽しめる娯楽が少なかった学生時代…
友人らとバイクや車で集まり、出かけて遊び、下宿で呑んで話して音楽を聴いたりするのが、純粋に楽しかった時間…

そして、そのシメとなる夜明けに飲んだコーヒーの味は、きっと生涯忘れない青春の一コマの味覚なのでしょう…

今度は、そんな夜明けの珈琲が楽しめる集いもいいですネ。

末筆ながら、本会への参加とご協力、ありがとうございました。
また次回お逢いできる日を楽しみにしております!

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