今のうちに渡っておこう

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2014年5月26日 19:53

先日、新聞で「横断歩道橋」が、全国的に減少しているという記事を目にした。

理由は、まず「老朽化」。
今の日本中に言えることだが、1960~70年代に整備されたインフラが、次々に寿命を迎えつつある。

横断歩道橋も「交通戦争」と言われた1970年代に、安全な歩行ルートとして急増したが、老朽化に加え人口の高齢化で利用そのものが減っているのだという。

そういえば、車掌長がよく通る道路の歩道橋も、最近撤去されたばかりだ…

歩道橋といえば、数年前に愛知県清須市の「西枇杷島歩道橋」を渡ったことが想い出深い。
この歩道橋はその頃、知る人ぞ知る「日本で最初の歩道橋」とされていた。
そんな名橋を、日頃お世話になっている愛知県在住の友人に紹介され渡ったのだ。

今では新しく架け替えられたそうだが、1959年の架橋当時は、近くの小学校の児童が事故に遭い、道路に橋のようなものを…との願いから架けられたとのこと。

そして、設置当初の名称は「学童専用陸橋」だったという。
地域の大人たちが、子ども達を守ろうとした想いが伝わる…

日本は車優先の社会だ。
ヨーロッパを旅した時、信号のない横断歩道に人が立つと、どの車も必ず停まり歩行者に道を譲る光景を当たりまえに何度も見た。

日本では、歩行者が車の通行が途切れるのを待って、道路を横断している。

そうか、だから海外では歩道橋を見た記憶がないのか…

もしかしたら、外国にもどこかにはあるのかもしれないが、車掌長の海外旅行歴や海外居住では見たことが一度もない。
(しかしながら、アジアの某国では、歩行者が車道を命懸けで渡るような光景を目にしたことはある)

何はともあれ、日本では利用者の減った古い歩道橋を架け替えるよりも、撤去した方が安いという方向のようだ。
もちろん、いまだ児童の安全を確保するための歩道橋は保持されるのだろうが、皆さんの近所にある歩道橋も、今のうちに渡っておいた方がよいかもしれない。

もしかしたら、その日頃とは違う高さの目線で見えた風景に、違う世界との出逢いがあるかもしれない…
 

 

ありのままに

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2014年5月 8日 04:46

今春封切られたディズニー映画が大人気とのこと。

中でも、多くの人の心を掴んで離さないのが「ありのままで」という曲らしい。
車掌長も聴いてみたが、なるほど良い歌詞と曲であった。

一方で、その曲名である「ありのままで」生きることが、いかに困難な世の中であるのかも透けて見えた。

そして、だからこそ、その曲や歌詞、主人公の生きざまを通して、日常の束縛や抑圧、他人の目から解放された自分を投影しているのかもしれない。

余談で恐縮だが、車掌長が小学生の頃に「あのねのね」というコンビが歌う「みかんの心ぼし」という曲があった。

その歌詞の中で、今でも車掌長の気に入っている部分がある。

ありのままに生きようとした蟻は…
ありのままに生きようとした蟻は…
(これを何度か繰り返す)

その結末をご存知の方は、車掌長と同年代以上か、このコンビのファンぐらいかもしれない。

しかしながら、その結末こそがダジャレのようだが、哲学的な感に満ちていて大好きだ。

ありのままで生きよう、生きたいとする自分も、既存の自分のままなのかもしれない。

もちろん、「ありのまま」という概念は、その人によって十人十色…
どのような自分が「ありのままの自分」なのか、各人にとって思う節があるだろう。

ただ、本当にありのままに生きている人は、そもそもそのようなことを思わない、気付きもしないのではなかろうか?

車掌長も、そんな生き方を望みながら、できない凡人でいる。
 

 

モルゲンロート

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2014年5月 6日 05:13

GW後半、北信州を訪れた。

目的は「モルゲンロート」を見ること。
モルゲンロートは、ドイツ語で「朝焼け」という意味だが、特に朝日を浴びて山肌が赤く染まる山岳美を指す言葉として知られている。

哲×鉄車掌区では、本格的な登山はできないが、麓からそんな美しさを堪能したいと願い、白馬に宿をとった。
せっかくの機会なので、天候しだいで1泊では見られない場合を想定し連泊とした。

それも、大きな窓のある宿にこだわって探し、意中の宿を手配。
部屋はもちろん、「北アルプス側」を確約されるプランを奮発した。

初日の夜、翌日の天気予報は全国的に「晴れ」とのこと。
日の出の時刻よりも前に目覚ましをセットし、床に就いた。

心が昂(たかぶ)ったせいか、目覚ましは鳴る前に止める結果となった。
カーテンを開け、アルプス上空に目をやると、雲がないことを確認できた。

まだ夜明け前の山々を見ながら、窓辺の椅子に腰かけ、静かに物思いに耽(ふけ)った…

次第に空が白み始め、黒い物影だった山容が、表情を見せ始めた。
だいぶ明るくなりいよいよ日の出という頃合いで、その瞬間を共有しようと専務車掌を起こした。
車掌見習には申し訳ないが、まだ対象年齢には至らぬという判断で、夢の続きを見てもらうことにした。

やがて、山の頂付近から陽が当たりはじめ、モルゲンロートの幕が切って落とされた。
徐々に山肌を染めながら、太陽の光が降りてゆく…
まだ残雪も多く、柔らかなピンク色となった山肌は、お化粧を施したような美しさであった。

陽が昇りきると、快晴の青空の下で残雪が眩しいほどに光り輝いた。
外の空気は凛とした冷たさがあったが、日差しは強く、不思議なパワーを享受する想いであった。

ところで、小学校の音楽の授業で「モルゲンレーテ」という合唱を習ったことを思い出した。
それは、子どもが弾くピアノの練習曲のような、優しい旋律だった。

今も歌われて続けているのかはわからないが、歌詞の意味もわからず歌ったのを覚えている。
♪わこうどのむねに モルゲンレーテ

時代や時は流れても、自然美を愛する心は忘れないでおきたい…
 

 

学歴とは?

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2014年3月30日 05:57

今朝の新聞に滑稽な記事が載っていた。

それは「学歴フィルター」なるものの存在。
最近は個人的な実感はないが、景気が良くなりつつあると言われ、就職にも明るい兆しが見え始めたと言われている。

しかしながら、それは全ての学生に当てはまるわけではないようだ。
それが、上述の「学歴フィルター」にも、一因があるという。

具体的には、大手企業の会社説明会に参加するためにはエントリーが必要だが、その時点で、本人の学歴によってその門戸(もんこ)は開かれたり閉ざされたりするらしい。

また、仮に説明会やセミナーに参加できたとしても、その後の展開には明らかに学歴による差を感じざるを得ない場面が続くことが多いようだ。

冒頭の言葉を繰り返すが、何と「滑稽」であろうか。
これは、一所懸命に就職活動をしている学生本人への、特に一般的に名高くない学歴の学生に目覚めてほしいエールの言葉だ。

車掌長はやや高血圧だが、高学歴の持ち主ではない。
そもそも、何をもって「高学歴」と言わしめるのか、その根拠がよく理解できない。
学歴とは、それを誇示するものではなく、そこでどんな人間に成れたかを示す「人歴」だと考える。

また、日本の学歴などは、成田から一歩「一個人」として国外へ出れば、その人物の本質的な価値を表現するには至らないことを、二十数回の海外旅行や居住で体験したように感じる。

そして、車掌長が痛感したことは、国外に持ち出して自分を示せるペーパーは、日本固有の履歴書などではなく、日本人であることを証明するパスポートのみ、ということだ。

お恥ずかしい話ながら、車掌長は転職を7回経験している。
年齢を重ねるごとに、そのハードルは高くなったものだが、自分自身の価値観には正直であったように思う。

もうだいぶ前になるが、或る大手宿泊予約サイトの中途採用がトントン拍子で進んだことがあった。
おそらく、自己PRとしていた国内500軒以上のホテル・旅館・ペンション、民宿など様々な宿泊施設に泊まった経験が、ある程度評価されていたのだと察する。

しかしながら、車掌長は選考結果が出る前に「お断り」をした。
「申し訳ございませんが、今回はご縁がなかったということで…」と。

最大の理由は、車掌長が描いていた自分の経験を活かす魅力がないと思われた。
フレキシブルな勤務時間や、能力に合った昇給や昇格など、細かな話を沢山していただいたが、その言葉の裏には、膨大なノルマがあると理解できた。

そして何よりも、その幹部らしき採用担当者の言葉や人物に魅力がなかった。
それはつまり、そういう人を配置する会社の考え方や最終的に目標とするビジネスのビジョンに、車掌長の価値観が合わなかったと言える。

したがって、結論的なものになるが、学生時代は自分の好きなこと、信じることを大切にして、世間一般の目や価値観は参考程度に留めて就職活動をすれば、いつかお互いに合致する会社に出逢えるのだと思う。

ある程度の年齢になると、そんな言い分はなかなか通用せず、背に腹は変えられない諸事情もあるからこそ、若い人にはエキサイティングに、広い視野でチェレンジ的に就職活動を楽しんでほしいと願う。

もしかしたら、他人があまり関心を寄せない業種や会社、規模にこそ、本当の佳き巡り逢いがあるのかもしれない。
 

モーニング

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2014年3月16日 21:37

この週末、専務車掌の父上の一周忌があった。

1年前、まだ腕の中でよく眠っていた車掌見習も、いまはチョコチョコと小走りで動き回るようになった。
ご生存であれば、そんな姿を見て目を細められたことであろう…
お亡くなりになって、もう1年が経つ…

しかしながら、一緒に暮らしていた専務車掌の母上や弟さんご家族にとっては、やっとその気持ちの整理がついたというのが実感であることを、弟さんの弔問客へのご挨拶で察した。
人の死、殊に身内の死となれば、最低でもそれだけの時間が必要なのだと…

父上のご冥福をお祈りし、掌を合わせた。

ところで、車掌長は専務車掌の実家を訪れる際、いつも楽しみにしていることがある。
それは「モーニング」だ。

行先は父上ともよく訪れた「アロマ」という喫茶店。
東京を未明に出て、8時半頃に到着。

コーヒーを注文すれば、トーストかサンドイッチにサラダとゆで卵、梅こぶ茶が黙って付いてくる。
値段はコーヒー代のみの370円!

車掌長は中京圏の喫茶店文化が大好きだ。
個人経営の店が、それぞれの常連客を大切にしながら、集客にも工夫を凝らしている。
また、新聞が複数紙置いてあり、自席で幾折りもせずに両腕を広げて読めるのは至福な時…

東京でのコーヒーチェーン店のように、狭い店内にいかにテーブルを多く並べ、チマチマとコーヒーをすするのとは異なる時間の豊かさがある。

また、コーヒーチェーン店では、たとえ毎日のように利用しても、「一見さん」とさほど変わらない他人行儀なマニュアル的やりとりしか交わせないし、気取ったマシンが入れるコーヒーは、何とも味気ない。

何でも有ると思われる東京だが、東京に最も無いものが「人情」なのだと思ってしまう。

そんなことを考えながら、また次回、喫茶店「アロマ」に訪れるのを楽しみにしている車掌長である。
店を出る際、「チケット」と呼ばれるコーヒー回数券を買い求めた。
これは母上へのささやかなプレゼントとして…
 

 

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