一般国道50周年

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2015年5月26日 05:31

今年は「一般国道」という名称ができて50周年になるそうだ。

一般国道とは「高速自動車国道」以外の国道で、1965年4月の道路法改正で使われ始めた。
現在、1号から507号までが指定されている。

興味深いのは、欠番があること。
それは、改正前までは一級国道と二級国道という名称を使用していたことに因む。

一級は1桁か2桁、二級は3桁という割り振りをしていたため、改正前に57号まであった一級は、58~100号までを欠番とし、新設国道には3桁の番号が付されることになったそうだ。

しかしながら、1972年5月に沖縄が日本復帰を果たすと、特例として58号が指定され、現在の欠番は59~100号と、他に統合や変更で無くなったものがある。

車掌長は、鉄道以外の乗り物も好きだが、「道」好きでもある。
江戸時代の街道整備から、現在の国道に至る歴史的背景も興味深い。

また、国道の番号を聞けば、全てではないが、どの辺りの道か想像がつくものが多い。
それは国道に限らず、列車番号や飛行機の便名もそうだ。

今はJRになって列車番号も統一性がなくなり、複雑になったが、子どもの頃は時刻表を眺めながら、列車番号にも興味を持ったものだった。

また、時刻表には航空機の国内線、国際線の頁もあるが、ANAやJALなど各会社の便名の割り振り方にも違いがあって面白かった。

ちなみに、ANA1便はワシントン・ダレス発成田行き。JAL1便はサンフランシスコ発羽田行き。
JR的な感覚であれば、下りが奇数、上りが偶数だが、国際線のアメリカ・カナダ線は自国発が奇数ではないのも興味深い。

これは、便名の一般的な割り振り方として、西・南方面へ向かう便を奇数。東・北へ向かう便を偶数とする航空会社が多いそうだ。

もちろん、航空会社によっては、自国発を奇数。自国着を偶数とする会社もあるので一律ではない。

実際の旅に出られない時期も、時刻表や道路マップを眺めては、それらに付随する各種番号も楽しんでいる車掌長である。

喫茶店

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2015年4月21日 05:27

喫茶店…いい響きだ。

その店ごとに、個性がある。
それは、マスターの淹れるコーヒーへのこだわりや、時間や空間の「間」の魅力がある。

店に入るドアを開けた時の印象…
どの席に座るか選ぶ楽しみ…
注文までに迷うメニューとの出逢い
マスターの人柄やコーヒーを淹れる姿勢
インテリアの意匠やこだわり

などなど、喫茶店の魅力は沢山あるが、その店が客と共に育んだ「時」の面影を偲ぶのも良い。

いま、自分が座った席に、一体どれほどの客が座り、またどんな「時」を過ごしたのか…
窓際であれば、この風景を見て何を想いながら、一杯のコーヒ―を飲んだのか…

心ときめく相手との会話もあれば
別れや深刻な心苦しい話も、あったかもしれない

車掌長は、いわゆるセルフ形式のコーヒーショップやチェーン店は、ほとんど利用しない。
人との待ち合わせ等で、相手の指示で仕方なく入ることはあっても、自分の意志では入らない。

なぜか…
それは「間」を楽しむ魅力が、欠如しているからだと思う。

慌ただしい店員に笑顔で急(せ)かされながら、つい、本意ではなかったものを注文したり…
そもそも、ゆったりした時間を過ごしたくて入ったつもりが、隣席との間隔が著しく狭く、着席するのに脚や臀部(でんぶ)が隣のテーブルに粗相をしたり…

何よりも、店内に客の数が多すぎる…
効率よく稼ぐために、客を詰め過ぎだ。

肝心なコーヒーもマシンが淹れるため、いつ飲んでも誰が操作しても同じ味…
それでいて、そこそこ値段も高い。

しかしながら、銀座ルノアールは例外だ。

このチェーン店は、概ねどこもゆったりしていて、人との打ち合わせや、ちょっと時間を潰すには重宝している。
コーヒーの味は月並みだが、フルサービスの経営姿勢は、根強いファンも多そうだ。

車掌長は学生時代、喫茶王国とも称される中京地区で過ごした。
また、自らも喫茶店で2年半ほど働いた経験があり、そこで喫茶店への愛着が芽生えたと思う。

ほとんど喋らない、愛想のないマスターのいる店もあった。
だが、そのマスターの淹れるコーヒーは、とっても美味しかった。

そこには、一種独特な、客との無言のコミュニケーションが成立していたように思う。

今は東京で、ふと時間ができた際、チェーン店を素通りし、ひっそり佇む店を探すのが楽しみだ。
 

 

就活とは

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2015年4月16日 05:02

昨日は久しぶりに晴れ間が広がった。

この時期、都内や近県の学校を訪れる機会が多い車掌長。
今週は小学校が多く、青空に映える黄色の帽子の眩しさに目を細めた。

4月に入って、梅雨入りしたかと錯覚するほど、雨の多い日が続いた。
新入社員達の真新しいスーツ姿も、コート無しでは寒々しく映りかわいそうであった。

一方、同じスーツ姿でも、就職活動をする学生にとっては、今が大切な時期。
生まれた時から溢れるモノに囲まれ、個性的に育った「はず」の世代なのに、黒一色の没個性的な行動は、車掌長にはとても奇異に映る。

そもそも、これだけの集団が一斉に就職活動をすること自体が日本的だ。
やはり、この方が採用側にしては「効率的」であったり「合理的」なのだろう。

まさに工業生産的な発想であり、その型にはめられた土俵の中で内定を目指すのは、学生にとっては不利益であったり、不都合この上ないと思う。

しかしながら、当の学生自身も「バスに乗り遅れるな」とばかり不安に煽られ、自分のやりたいことや身の丈を見極めきれずに、大手志向や他人の動きに右往左往し、内定を取れず心身ともに疲弊する…

大切な学生時代の約1年もの時間を、こうした活動に充てざるを得ない状況に対し、心からお悔やみしたい。

参考にならないと思うが、車掌長が就職活動を始めたのは、4年生の11月。
もちろん、世の中や周りの友人のほとんどは、卒業後の行先を決めていた。

車掌長は、学生時代にやっておきたいことを最優先し、その1つだった初の海外旅行を実現するため夜勤のバイトをして旅費を捻出し、憧れのスイスへ3週間渡航した。

当時はまだ珍しかった「海外個人自由旅行」という形態で、自分で格安航空券を探し手配し、ホテルは現地で値段を交渉して泊まることをした。

旅行を終え、卒業論文の章立ても見通しがつき、自分が本当にやりたいことを自問自答。
在学した分野とは、全く異なる結果であったが、年も押し迫った12月中旬に内定を頂いた。

その会社は、新卒からの応募が初めてだったようで、とても珍しがられ、「本当にウチのような会社でいいんですか?」…のような質問をされたのを覚えている。

4月となり、いざ入社初日に会社へ出向くと、新卒が車掌長を含めて4名いた。
あれから3名を採用したようで、その会社で初めて「入社研修」というのを実施したそうだ。

初の新卒採用に、ベテランの方々が1週間近く、入れ替わりで懇切丁寧に教えてくれた。
今のように、いきなり即戦力を求められる時代でもなかったし、楽しい日々であった。

話が脱線したが、就活とは、皆と同じ服装やスマホ等の道具で臨む行動に陥ってはモッタイナイ。
むしろ、圧倒的多数の人が目に触れない情報や、自分の目や足で見つけたり、出逢えた会社にこそ「縁」というものがあるのでは…と感じる。

慰めにもならないが、採用試験に落ちることは、自分を「否定された」ことではない。
「縁がなかった」と思った方が、健康的だ。

同じことを繰り返すが、皆が応募するような道は、GWやお盆に高速道路を走るようなもの。
大渋滞に見舞われ、余計な時間を費やしたり、思わぬ事故にも遭遇する確率が格段に高い。

目的地への「行き方」や、人生の「生き方」は、幾通りもあるはずだから、人と同じ道や人が選択した道と比較せずに、歩めば良いと思う。

もちろん、多少のリスクは、いずれの道を選んでも必ずある。
そのリスクを恐れるあまり、安全な道ばかりを模索していると、本当の自分にはなかなか巡り逢えないだろう。

今日も幸いお天気は良さそうだ。
それだけで、清々しい。
 

 

柏戸イス

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2015年3月24日 05:23

先日、久々に「一目惚れ」という感覚を味わった。

そのお相手は椅子。

今月初め、所用で某学校を訪れた際、ロビーに置かれていた椅子だった。
ドッシリとした重厚感と、それとは裏腹に木目の優しさと美しさ、温もりを感じた…

遠くから眺めてもインパクト大。
散々見つめたあげく、ようやく座ってみると、絶妙な包まれ感…

思わず、これが欲しくなり、どこのメーカーなのか気になったら、控え目な銘板が貼られていた。
そこには「天童木工」とあった。

早速、家に帰って天童木工を調べたら、その椅子の名前もわかった。
「柏戸イス」とあった。

その由来は、山形県出身の大横綱「柏戸関」が横綱昇進の際、この椅子を寄贈したとのこと。

価格も横綱級…
とても手が出ない。

この柏戸イスがきっかけで、或る日、天童木工の東京ショールームを訪ねてみた。
場所は浜松町駅から歩いて5分ほどの静かな場所だった。

玄関のこじんまりしたロビーは無人だったが、見学希望の旨を伝えたら、係の人が付き添い館内を案内してくれた。そして、車掌長が某学校で柏戸イスに一目惚れした話をすると、その学校名を言い当てた。

このショールームにも、柏戸イスが鎮座していた。
早速、一礼をするような想いで腰をかけてみた。

先日座った時と同じ、至福な座り心地が蘇った。
係の人は、説明を続けてくださり、素材や工法など1つ1つが手間のかかることばかりであった。

そして、気に入ったのが「どんなにお金を積まれても、作れない場合もあります」との一言。

それは、素材となる木材の乾燥に20年を要するからだという。

また、天童木工さんで販売している机や椅子、棚などは、創業以来そのデザインを変えていないシリーズもあり、そのお宅で二世代、三世代に渡って、修繕しながら使われるものも多いという。

きっと、そのテーブルや椅子には、時の流れが造形した丸みや手触りの温かみがあるのだろう…と羨ましくなった。

車掌長も、20年後の自分へのプレゼントに、柏戸イスを注文したくなったが、仮に支払が20年後でも構わないと言われても、手が出せないだろうな…と、高嶺の花ならぬ「高値の椅子」にため息をついた。

しかしながら、ほんのひととき、心豊かになれる一目惚れした椅子との出逢いに感謝し、味わい深いショールームを後にした。
 

東京駅開業100周年記念Suicaの怪

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2015年2月21日 04:52

先日の新聞で、疑問に思ったことがあった。

それは、東京駅開業100周年記念Suicaの再販売のこと。
ご存知のように、鉄道事業者にとって世紀的な記念イベントに水を差した件である。

当初、1万5千枚限定の記念ICカードだったが、あの騒動で当日の販売を途中で打ち切り、再度期限内に申し込めば誰でも購入できるようになった。

その結果、鉄道事業者側では、10万枚を想定し対応に臨んだが、フタを開けてみれば499.1万枚分の応募があったという。
1人が3枚まで購入できるので、購入者数でいえば226.5万件とのことであった。

実は、車掌長も1枚のみだが応募したうちの1人だ。

この件の記事に関し疑問に思った部分を引用したい。(以下、引用文)

記念スイカは、一枚二千円で、デポジット(預かり金)の五百円を除く千五百円分がチャージされている。送料はJR側で負担するほかチャージ分は利用されて初めて売り上げになるため、記念スイカの販売が伸びても利益は出ないという。

読み終えて、「?」と思った。
会社の経理に詳しくない者が単純に考えてみると、2,000円のICカードを499.1万枚売れば、99億8千2百万円もの収入があるではないか!?…と。

もちろん、この2,000円という代金の内訳には、預り金としてカード発行に関わる原価や事務手数料が含まれているであろうし、今回の件に限っては、購入者への郵送料も負担するとある。

チャージ分の1,500円は、利用されて初めて売上になるというのも、なんとなくイメージできる…

しかしながら、記念ICカードというのは、性質上、実際に使わない人の方が多いように思う。
また、交通系ICカードは全国的にどこでも使えるようになったが、今回は日常的にICカードを利用しない地域にお住まいの方も、かなり購入したのではないか…と察する。

そもそも、首都圏に住んでいると交通ICカードの利用はかなり普及しているが、他の都市圏では首都圏ほどではない、とも耳にする。
それは、特に関西圏では、ICカードの利便性よりも、回数券等の割引率の高さにメリットを感じる人が多いというから面白い。

そうすると、あまり使われないであろうその1,500円分は、一体どこへ行ってしまうのか…
これは素朴に「怪」な事だ。

また、500円分の預かり金や未使用のチャージ分というのも、一定期間の利用がなければ時効のようなものがあり、記念ICカードの性質上、記念に買ったものを払い戻す人は、まず皆無であろう。

そこで、或る御方にご質問したい。
今回の件、車掌長のような経理の知識のない人間には、全く不可解な出来事だが、100億円近い収入がありながら、「利益は出ない」とした鉄道事業者の弁をご解説願いたい。

できれば、車掌長も含め誰もがわかりやすく頷(うなづ)けるような…

唐突で失礼ながら、ここは1つ、現役の専門学校教師で、普段から学生にわかりやすい授業をしている「戻り鰹」さんに、白羽の矢を立ててみたい。

他の方には、このような不躾な問いかけを指名でお答えいただくようなことは慎むが、ここは仲間内の間柄でご容赦願いたい。

 

コメント(9件)

戻り鰹さんからのコメント(2015年2月21日 14:45投稿)

突然のご指名、恐縮です。経理の知識は5年近く前に止まったままですが、できる限りお答えしたいと思います。

実は私も記念suicaを1枚、申し込んでおります。

さて1枚2000円のうちデポジット(預り金)500円、チャージ分1500円ですから、会計処理(仕訳)上は、

現金2000/預り金500・前受金1500 になるかと。

ここで預り金と前受金は将来、払い戻しがあったりチャージ分が使われたりした時のためのものなので企業からすると「負債」になります。現金(資産)と同額になるのでsuicaを販売した時点では、いわゆる「利益」は出ていません。

suicaが購入者の手に渡り、例えばチャージ分1500円が使われると、

前受金1500/売上1500 の処理がなされ収入となります。

つまりsuicaが使用されない限り、収入(売上)がないので「利益はでない」と言っているのでないでしょうか?

ちなみに記念suicaという性質上、払い戻しはないと仮定すると、どこかの段階で預り金500円は「雑益」として処理するかもしれません。

すみません。このくらいしかできません。
もっと詳しい方にあとはお任せしたいと思います。

今回の記念suica販売は最初から抽選販売であったなら混乱もなく終えられたと思いますが、ここまで大きくマスコミに取り上げられJR的にはメリットがあったのでしょうか?

希望者挙手さんからのコメント(2015年2月22日 02:10投稿)

こんばんは
今回の記念Suicaは申し込まなかった、天邪鬼でございます(笑

戻り鰹先生、簿記の授業が懐かしいですね。
僭越ながら、同じ教壇に立っていた私からも補足を・・・

厳密に言うと、Suicaは販売されるものではないからです。

500円のデポジットを支払い、繰り返し入金して使えるSuicaというIC型プリペイド・カードを借り受けているようなものです。

1,500円の乗車券を販売した場合は(有効期間中に使用されれば)、鉄道事業者に返済義務は生じませんが、1,500円をチャージ(前受け)したSuicaを利用者に渡すということは、サービスも商品も提供していないので、返済義務が伴います。

Suicaの利用期限は前回利用日から10年ですが、利用期限後も返済義務は消えません。

今回、鉄道事業者は100億円近くの現金を集めたにもかかわらず、その大半が返済義務の消える見込みがないため、利益にならないと言っています。

戻り鰹先生の仰るように簿記的にいえば、現金入金があっても、損益計算書の収益に計上できず、貸借対照表の負債に計上することになります。

ちなみに、使われないSuicaのデポジットやチャージ済み未使用額が収益になるとすれば、不正使用時の没収のケースか、Suica制度が廃止され、告知期間を経過してなお返却されない時になるかと思います。

Suica制度が廃止され、記念として返却せずに持ち続けられる時に、ようやく収益計上されることになるのでしょう。

使い捨て防止のためイオカードやオレンジカードのような磁気カードが廃止され、デポジット制で利用しないカードを回収する仕組みであるIC型のSuicaが導入されたのですが、利用される見込みも、回収される見込みも低い記念カードの大量発行という、デポジット制の趣旨に逆行することになってしまった企画の悩ましい所ですね。

しかし、経理的に利益になる、ならないは別として、Suicaが返却されたときに返す現金があればよい訳で、今手元に100億近い入金があるということは事業者として心強いですよね。無利子でお金を借りるようなものですから。(しかもSuicaが返却される可能性が低く、それどころか、返済しなくてよくなるかも知れないわけですし)

話は変わりますが、車掌長の誕生日プレゼントを家宝にしていただけましたこと、大変嬉しく思います。私はモノにも縁を感じるのですが、プレゼントを見つけた時も、千円銀貨に当選した時も、車掌長に渡さなければと運命的なものを感じた次第です。それを持つにふさわしい人の手元にあってこそ、そのモノの価値が生きると思っていますので。

戻り鰹先生、温泉デトックスのご提案お待ちしておりますので、よろしくお願いしますね。

車掌長さんからのコメント(2015年2月22日 06:51投稿)

希望者挙手 様
戻り鰹 様

このたびは、車掌長の不躾な質問にご回答いただき、誠にありがとうございました。

お二人のわかりやすく詳しい説明や解説に、今回の記念Suica再販売に関する疑問が、晴れた想いです。

戻り鰹さん、
今回は、突然の指名にも関わらず、ご丁寧な説明をありがとうございました。特に、簿記の仕訳を使われたことは、大変懐かしかったです。

車掌長も教壇に立っていた現役時代、トラベル学科担当にもかかわらず、学生に簿記を教える必要があり、慣れぬ考え方や処理方法に四苦八苦した想い出があります。

そうそう、苦手な簿記で困った時には、戻り鰹さんにも随分と教えていただきましたネ。
あれから20年ほどが経ち、今更で大変恐縮ですが、この場を借りてお礼申し上げます。
その節は、ありがとうございました。

希望者挙手さん、
戻り鰹さんの説明を、さらにわかりやすくご解説や補足をいただき、誠にありがとうございました。

さすが、税理士試験科目を学生に教えていたご経験や、誰にでもわかりやすく様々な知識をサラリと、ご教示してくださるお人柄に、敬服いたします。

きっと、そんなお人柄や人としての厚みが、どの職場に行っても活躍され、かつ人望を集めておられるのだろうと、お察しいたしました。

僭越ながら、お二人の今後益々のご活躍を、心よりお祈り申し上げます。

ところで、今回なぜ、このSuica再販売を話題にしたかと申しますと、次のような背景があったからです。

それは、先の大震災や集中豪雨災害で運休となったローカル線の復興や復旧が、数年間その修復に手を付けられず、放置とも言えかねない状態のままになっていることです。

そして、その時いつも鉄道事業者が口にするのが「財源がない」という決まり文句でした。

例えば、福島県と新潟県を結ぶ只見線の復旧には、約85億円と4年の工期が必要、と鉄道事業者は説明しています。

被災したのはH23年夏ですから、工期だけに着目すれば、被災後すぐ復旧に着手していたなら、今夏には再び列車が走っていたかもしれません。

85億円という金額は、市民感覚ではとても大きな金額です。

しかしながら、日本の鉄道業界を牽引し、世界を代表するような企業規模であれば、捻出できない金額ではないと思うのです。

そんな折、記念Suicaで得た100億円近い収入は、一体どんな使途になるのか、ふと疑問を抱いたのでした。

もちろん、株式会社ですから、株主の顔色を常に窺(うかが)い、経営を成り立たせなくてはならないことは、理屈では理解しています。

しかしながら、公共性の非常に高い鉄道事業者として、そこに居住する人の足を確保するという「使命」や「責任」は、どこに行ってしまったのでしょうか…

圧倒的に多くの利用者がある首都圏や都市圏のみが、過剰な付帯事業サービスや頻繁な設備更新等のハード面でも恩恵を受け、利用者の少ない地域や沿線の住民には、その利益がなかなか還元されない現状を見ると、胸が痛むほどに嘆かわしく思うのです。

三陸地方の山田線、大船渡線、気仙沼線においては、各自治体の復興計画との兼ね合いや費用分担という、難しい課題が山積していると思いますが、そもそも論で言えば、まずは原状復帰が本来の鉄道事業者としての役目であり、鉄道が走ることで人々や街を勇気づける有形無形の力や効果は、復興の勢いを加速させたに違いありません。

そんな、三陸鉄道のような「プライド」は無かったのか…と、個人的には思えます。

しかしながら、今の鉄道事業者にはアワヨクバ廃止に追い込んだり、譲渡して手放したいという思惑も見え隠れしますので、せめて今般のような記念Suicaで思わぬ収入となった金額を、「打ち出の小槌」ではありませんが超法規的に運用できたら…と思った次第です。

また、そうした考え方が可能であれば、宝くじも同様ですが、収益の半分近くは発売した都道府県や指定都市に納められ、しかるべき公共性の高い事業に還元されるように、今回以外の記念切符や記念Suicaという、利用されない特殊な収入も、その使途をローカル線等の維持や修復に限って充てられたなら、それはとっても意義深いと思ったのです。

長くなり、大変恐縮でしたが、改めてお二人にはお礼申し上げます。
ありがとうございました。

末筆ながら、希望者挙手さんのプレゼントのお心遣い胸に染み入りました。

重ねてお礼申し上げます。

希望者挙手さんからのコメント(2015年2月22日 19:56投稿)

こんばんは

車掌長のご質問にそのような背景があったのですね。

私も、首都圏で建設業が活況となる中、母親の故郷である気仙沼の復旧が遅々としている現況に疑問を抱いております。

売上高2兆7,002億円、純利益1,999億円、保有現金1,860億円という超優良大企業である鉄道事業会社にとって、4年で85億円の投資はできない金額ではありませんよね。

今回の記念Suicaで集まった100億円が利益にならないと説明しようが、(言い方は悪いですが)お金に色がついている訳でもなく、その100億円も含めた資産を様々な事業に投資できることに変わりはありません。

2017年春から運行される豪華寝台列車「トランスイート四季島」に50億円の投資はできるのに、只見線の復旧コスト85億円は足踏みしてしまう。

かつての公共企業体が、経済性優先の民間企業と化した際の問題点が垣間見えますね。

車掌長が心配されているように、従前から利益が出ない路線を、震災被害を理由に廃止や縮小に持ち込もうという経済優先の論理が働いているのではないかと、勘ぐりたくもなってしまいますね。

投資家から利益を求められながらも、沿線住民の暮らしを支えなければならない公共的使命も社会から要請されているのですから、露骨な利益追求事業だけでなく、震災からの復旧事業にももっと力を入れて欲しいですね。


車掌長さんからのコメント(2015年2月23日 05:33投稿)

希望者挙手 様

貴重なコメントやご意見、ありがとうございました。
そういえば、希望者挙手さんの母上も気仙沼のご出身でしたね。

仰る通り、首都圏はいま、東京オリンピックに向けた工事が拙速に進み始め、携わる人も資材もダンプも、東京に一極集中している感は否めません。

まさに、東京だけに人が集まり、お金も集まり、日々益々便利になってゆく光景を目にし、日本という国を俯瞰すると、これで良いのかなぁ…と疑問を抱いてしまいます。

「トランスィート四季島」の件、車掌長も共感します。

大人から子どもまで、誰もが公定の運賃・料金を払えば乗れる機会のある寝台列車を廃止する一方、富裕層向けに1編成で僅か30名前後しか乗れない、高額な高級寝台列車の新造には投資し、運行には積極的。

「金持ちしか相手にしない」、なんとわかりやすいコンセプト…

先に西方で運行を開始した同じような豪華列車も、沿線で旗を振る住民や子どもの姿が「おもてなし」となっているようですが、なぜか前近代的な一抹の寂しさを感じてしまいます。

まず自分たちが乗ることのできない豪華列車を、どんな気持ちで見ているのか、或いは、乗客は優越感に満ち溢れた想いも、その高額な対価の「価値」として、そのような「時間」を期待して買っているのか…

その列車は海外からの利用者も見込んでいるようですが、「見栄えの良さ」が好きなアジア圏の人々ならともかく、「心の豊かさ」を重んじたり求める欧米のお客さんも、そのような価値を喜ぶかは、個人的には疑問です。

言い換えれば、相手が気に入るようにふるまうような諂(へつらう)文化よりも、対等の立場で相手を尊重し、自らもそこをプライドとして楽しませる、「プロ」のユーモアやアドリブ、技量、知識、何より「プライスレスなハート」を求めているように感じます。

話を戻しますが、豪華列車の通る沿線の子どもは、「豪華さとは、こういうモノです!」というカタチを大人から見せられ、それに乗れる人こそが「成功者」という、歪んだ価値感を抱かなければ良いな…と、心配してしいます。

そして、「経済的な豊かさ」という、短く薄っぺらいモノサシしか手にできず、現実の生活の中で「敗者」であることを、自覚・他覚させられる…などと想像しては、あまりに悲観的でしょうか。

戦後の経済成長において、日本人は誰もが豊かさを実感できたと言われる時間を、僅かな期間ながら味わい楽しむことができました。
それは「一億総中流」であったり、「大衆文化の熟成」だったと言えます。

いまは、長い不況を経て景気が持ち直しつつあると言われますが、一方で貧富の二極化が進み、娯楽の分野に限らず、人間の暮らしに不可欠な衣食住や教育、医療などにおいて、必要な水準を保持できない人々が増えたのも、確かなことです。

また、大都市と地方においても、格差は拡大する一方です。

長くなるのも恐縮ですので、そろそろ終わりにいたしますが、乗りたい鉄道や憧れる列車の旅というのは、自分が手に入れることのできる、或いは少し頑張って背伸びをしたら手が届く「夢」や「希望」を乗せて、自分を運んでくれるものであってもほしい…と思いました。

こんなことを思う車掌長は、先日47歳の誕生日を迎えたばかりですが、まだまだ子どもなのかもしれません。

phoenixさんからのコメント(2016年1月25日 10:56投稿)

初めまして。

この記念Suicaで特損45億という記事が出ていて、デポジットで特損になったのか?と思い調べていました所、こちらのblogにたどり着きました。
http://blog.livedoor.jp/businessmoney/archives/1049649177.html
販売時点では収入にならず、発送費用などが先に計上されるので特損という理解で宜しいのでしょうか。

どうぞよろしくお願いします。

車掌長さんからのコメント(2016年1月26日 04:59投稿)

phoenix 様

この度は「哲×鉄」へのご乗車ありがとうございました。

約1年前のSuicaの話題に触れていただき、懐かしく思い出しました。
phoenixさんは、当該Suicaをお求めになりましたでしょうか?

車掌長は再販売の折に申し込み、手元に届きましたのは昨年秋のことでした。
手にして何の感慨も湧かなかったのが、率直な印象でした。

しかしながら、いまだに手元に届かない方々もいるかもしれませんので、この販売イベントにかかる手間の膨大さも想像を超えてしまいます。

ゆえに、45億もの経費が発生したということでしょうか…

前置きが長くなってしまい、申し訳ございません。
phoenixさんのお問い合わせにつきましては、車掌長に知識がなくてお答えいたしかねます。

つきましては、これをお読みの方々にコメントをいただきたく存じます。

1年前に車掌長が抱いたこのSuicaの疑問について、お二人の方がご回答くださいました。

同じ方々からでも、或いは別の御方でも、どうぞこの件に関しまして、ご回答をいただければ幸いです。

しかしながら、もし、どなたからもコメントがなかった場合は、この件につきましてはご容赦願います。

車掌長もphoenixさんのご質問をきっかけに、改めて東京駅100周年Suicaの疑問が再燃いたしました。

改めてphoenixさんにお礼申し上げます。
ありがとうございました。

ぜひ、またの「哲×鉄」へのご乗車お待ちしております。

希望者挙手さんからのコメント(2016年2月 3日 22:28投稿)

2日連続の乗車となりました(笑)

私も関心がありましたので、JR東日本の平成27年3月期の有価証券報告書を調べてみました。
その結果、東京駅開業100周年記念Suicaによる特別損失が45億円計上されたという事実は確認できませんでした。

おそらく特別損失という言葉が、損益計算書上の特別損失を指しているのではなく、予定外の支出という意味で使われたのではないかと推測されます。

皆さんが仰るように、お詫びの対応や送料負担など、あの騒動がなければ発生しなかった費用が発生し、概算で算出したところ45億円という金額になったということではないでしょうか。

これらの費用・損失は、カードの製造原価や販管費に含まれているものと思われるため、財務諸表で個別には把握できないものと思われます。

つまり「あの騒動がなければ発生しなかったであろう支出が概算で45億円と見積もられた」ことを「45億円の特別損失を出した」という言い方になったのではないかと思われます。

説明になっておりますでしょうか。
ややこしい話ですよね。

車掌長さんからのコメント(2016年2月 4日 04:42投稿)

希望者挙手 様

連夜のご乗車ありがとうございます

色々と調べていただいたようで、ありがとうございました。
大変お手数をおかけいたしました。

車掌長にはお金の処理や流れについて、経理や財務の知識が乏しく、いま一つピンときませんが、あの騒動で45億もの費用がかかったのではないか…ということなのでしょう。

45億円という金額は、その鉄道事業者にとっては、費用として支障のない金額なのかもしれませんが、利用者からすると、その金額で可能な事業を連想してしまいます。

車掌長はやはり、震災や自然災害で絶たれた鉄路の復活に、その金額が充当できたら…と思ってしまいます。

希望者挙手さん、コメントありがとうございました。

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