くさや
カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2013年11月23日 06:59
今月は語呂にちなんで、「いい○○」という日が多い。
昨日22日は「いい夫婦」、26日は「いい風呂」、29日は「いい肉」etc…
さすがに車のナンバーでよく見かける「いいパパ」は、カレンダー上には存在しないが…
今日は「勤労感謝の日」と認識している人が圧倒的であろうが、この語呂合わせで言うと、「珍味の日」とのこと。
なるほど「11(いい)23(つまみ)」とは、ちょっと苦しいが、酒好き・肴好きには佳き日と言える。
日本三大地珍味と言えば、「ウニ」、「カラスミ」、「このわた」を指すようだが、どれも高級だったり高値だ。
言い換えれば、価格の高いものが有難く、ゆえになかなか口にできない希少性を生み出し、その値段を「賞味」しているのかもしれない。
また、近年は流通が発達し過ぎて、何でも簡単に送られてくる。
今後は、わざわざそこに行かなければ食べられないものや、買えないものの方が、価値が上がってくるだろう。
車掌長も珍味は大好きだが、特にどれかと聞かれれば「くさや」を挙げる。
伊豆諸島の新島や八丈島の特産品で、さほど全国的に流通されず、嫌いな人は絶対にダメな干物だ。
あの強烈な臭いで、口にする前に拒絶する方も多いと思うが、一度口に含めば誠に美味しい珍味だと思う。
今は真空パックにしたり、焼きほぐしたものが瓶詰にされ、購入後の持ち帰りに、他人に迷惑をかける心配はなくなった。
子どもの頃は、父がお土産でもらったくさやを、たびたび家で普通に焼いて、もの凄い匂いが近所に漏れてご迷惑をかけたと思うが、思い出せばあの焼き立ては美味しかった。
しかしながら、一昔前は道を歩けば家庭でする料理の匂いをかぐことができたが、今は通りすがる人の香料が鼻についてしまう。
「くさや」ほどではないが、美香と悪臭は紙一重だと感じる…
コメント(2件)
希望者挙手さんからのコメント(2013年11月24日 01:07投稿)
こんばんは
今日(昨日ですね・・・笑)は「いいふみ」の日でもありました。
(小学生の頃から切手収集に興味を持ったものですから)
7月(文月)23日の方が「ふみの日」として有名ですが・・・
通信手段が便利になり、手紙など書く機会はめっきり減ってしまいましたね。
ただ私はお礼状など、できるだけ自筆を心掛けています。
日頃パソコンを使い、加齢もあってか、漢字を忘れてしまいそうで、何より字が下手になっているような気がします。
ところで、くさやの干物、私も大好きです!
実家の隣のおばさんが式根島出身で、よくお土産に頂きました。
昔「がきデカ」というマンガの主人公こまわり君が「慣れれば美味しいくさやの干物」と言ってましたね(笑
以前、馴染みのお茶漬け屋さんで「くさやの干物茶漬け」というメニューを見つけ頼んだはよかったが、ランチ客でいっぱいの店内に例の匂いが(私は香りと思うが)立ち込め、顰蹙を買った記憶があります(笑
最近は柔軟剤も香り成分を売りにしてますが、それで気分が悪くなる人もいるという記事を呼んだことがあります。
確かに悪臭よりはマシかも知れないが、香りに関しては「過ぎたるは及ばざるがごとし」ですね。
車掌長さんからのコメント(2013年11月24日 05:24投稿)
希望者挙手 様
毎度ご乗車ありがとうございます
手紙を書く
今や、なかなかできないことですネ。
車掌長はお恥ずかしながら、高校時代に「文通」をしていた時期があります。
旅先で出逢った方でした。
2年ほど続きましたが、甘酸っぱい想い出が蘇ります。
相手に手紙を出し、大体1~2週間ほどで届く返事にワクワクしながら、自宅の木箱の郵便受を覗いたものでした。
今の中学・高校生がLINEなどですぐに返事を出さないといけない脅迫観念や煩わしさに比べれば、とても長閑(のどか)な時代でした。
しかしながら、最近は若い人を中心にアナログな「手帳」が流行っているそうです。
物心ついた時から、携帯電話や電子手帳が世の中に存在した世代にとって、「手書き」が新鮮であったり、温かみがあると感じるそうです。
ところで、「がきデカ」は懐かしいですネ。
当時の大人からは見てはいけない漫画、と言われた記憶がありましたが、よく読んでいました。
意味不明なギャグを連発するノリの先駆けだった感があります。
特に「八丈島のキョン!」は、この漫画でその動物の存在を知りました。
くさやの干物も出てきたのは覚えていませんでしたが、さすが希望者挙手さん、色々ご存知ですネ(笑)
毎度ながら、その守備範囲の広さや思考の柔軟性に楽しませていただいております。
きっと、人生の豊富な経験値や、多様な物事への興味関心をお持ちなのだろう…とお察しします。
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国連「世界トイレの日」
カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2013年11月19日 05:27
今日は国連が定める「世界トイレの日」とのこと。
今年夏の国連総会で、毎年11月19日と決まったそうだ。
なぜこの日かと言えば、2001年にシンガポールに於いて「世界トイレ機構(WTO)」なるものが創設され、同時に「世界トイレサミット」が開かれたことに因(ちな)む。
制定の目的は世界中の衛生対策で、主に飲料水の安全確保と、衛生施設の建設促進とのこと。
世界保健機関(WHO)などが昨年公表したデータによると、世界人口70億のうち、25億人がトイレなどの基本的な衛生環境が未整備な状況下で暮らし、11億人がところ構わず大小の用を足しているようだ。
いまや日本は、トイレ美においては世界一だと内外の評価。
たしかに車掌長もそう思う。
特に公共施設にまで、温かな便座や洗浄器の付いた便器が多いことは、世界を驚かせている。
しかしながら、つい30年ほど前、つまり車掌長が小・中学生の頃は、各家庭も和式が健在であり、駅や列車のトイレに至っては、ちょっと遠慮したくなるような場所ばかりであった。
車掌長と同年代以上の方なら、きっと見たり経験があるだろうが、地方で走っていた客車編成の普通列車やディーゼルカーのトイレは、垂れ流しであった。
つまり、用を足したものが、そのままレールの間や枕木に落下する仕様であり、随分と風通しの良いものであった。
そのため、駅での停車中は「使用しないように」との文言もあった。
しかしながら、古い車両や山間部での走行は揺れも激しく、便器前方の壁にあるバーをしっかり握らないとならなかった。
和式列車便所ならではのその格好は、さながらバイクのライディングポーズにも近い印象だ。
国鉄からJRに変わって良くなったことの1つは、このトイレだと言える。
日頃、誰もが気持ちよく用が足せるよう、いつもキレイに使うことを心掛け、世界一と言われるトイレ美の喜びを享受したいと感じた。
祝・東北楽天イーグルス日本一
カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2013年11月 4日 08:23
今朝7時のNHKニュース、冒頭約8分の時間を割き、東北楽天イーグルスの日本シリーズ優勝を報じた。
昨夜の熱き試合の名場面と、彼らを各地、各場所で勝利を祈り、応援し、見守る東北の人々の姿や歓声に共鳴した。
そして、優勝の歓喜と感動は、これまで復興とは名ばかりと言わざるを得ない行政への苛立ちとは裏腹に、東北の人々に心のこもったその苦労への労いや、勇気、希望を与えてくれたと思う。
そして、これこそが「スポーツの力」だと感じ、オリンピック招致の際に流用された「復興」という違和感は、全く感じられなかった。
車掌長もこの1週間、普段では考えられないほど、テレビの前に釘づけとなった。
これまで楽天のファンではなかったが、リーグ優勝を果たし、巨人との対戦が決まってからは、楽天を応援していた。
第1戦から第7戦まで、勝っては奪われ、負けては取り返す、楽天の粘り強い野球に魅了された。
ジャイアンツファンの方々には大変申し訳ないが、楽天の優勝日本一は掛け値なしに喜ばしい。
それは、「中央」ではなく、「オール東北」の底力の勝利でもある。
プロスポーツを支えるには、人口やインフラ基盤が弱く、気候条件も厳しい仙台という場所に本拠地を構え、盤石な財政力を駆使して選手を掻き集めたチームに勝利した意義は計り知れない。
誰もがホームランバッターやエースのようなチームよりも、1人1人が役割を点から線で繋ぎ、結び合わせ、点を積み上げ死守する野球本来の面白さを、楽天は教えてくれた。
そして、大舞台にあっても過剰に萎縮せず、イキイキとプレーする選手の姿に、抑圧された日々の生活に自分自身を重ね合わせて、スカッとする勇気をもらった人もきっと多かったに違いない。
これは野球版「半沢直樹」だ。
田中投手の大リーグへの移籍話も出ているようだが、個人的にはずっと東北のスターであってほしい。
しかしながら、彼自身の野球人生においては、更なる夢や本能的にチャレンジしたい闘志があるだろうから、それを縛ることは誰にもできないであろう。
なにはともあれ、久々にテレビを「見たい」と思わせてくれた、楽天のプレーに感謝したい。
そして、改めて日本一を心から祝いたい。
コメント(2件)
希望者挙手さんからのコメント(2013年11月 8日 00:47投稿)
こんばんは
野球版「半沢直樹」とは、ナットクです!
私は茨城県と宮城県のハーフ(笑)で、親戚の多くが宮城県民ということもあり、東北楽天ゴールデンイーグルスを応援していました。
まさに東北に元気を与えてくれた勝利でした。
創設9年目の、12球団の中では最も苦労や課題を抱えたチームが、セ・リーグでぶっちぎりの優勝をした近年最強と言われたジャイアンツを劇的に破っての日本一ですから、楽天ファンを超えて多くの人の心を打ったのではないでしょうか。
私が少年時代から応援してきた関西の電鉄系球団は創設78年と、日本で二番目に歴史ある球団であるのに日本一は1回だけ。楽天に追いつかれてしまいました。
それどころか、楽天の若手選手を見ていると、抜かれてしまうかも知れないと感じます。
プロ野球チームを超えた組織の強さについて考えさせられる出来事でもありました。
嶋選手が言っていた「誰かのために闘う人間は強い」というメッセージが思い起こされました。
これは、家庭や学校、会社などいろいろな組織に言えることではないかと・・・
私も久しぶりに熱くなりました!
車掌長さんからのコメント(2013年11月 8日 05:06投稿)
希望者挙手 様
毎度ご乗車ありがとうございます
今朝、燃えないゴミを出しに外へ出て空を見上げましたら、狭い夜空の隙間に幾つか星が綺麗に見えました。
そろそろ秋から冬への変わり目を感じました。
「誰かのために闘う人間は強い」、まさにその通りだと思います。
車掌長も、嶋選手の言葉には共鳴するものがありました。
そして、その言葉には魂が入っていると感じます。
「闘う」という語句は、障害や困難に対して用いられます。
一方、「戦う」は競争のように、相手を負かすことで強さを表しているように感じます。
いま、人々の関心や世の中の傾向は、「戦う」ことに気を取られ過ぎではないかと思うのです。
家庭、学校、会社、どこにいても、子どもから大人まで他者との「戦い」を意識させられ、気持ちを休めたり、他者や弱い者を守るという「場」が奪われています。
その戦っている相手とは、よく観察していると、自分だけが「勝ちたい」「勝ち組に属したい」と願う自分自身のようにも映ります。
そして、皆と同じモノを所有し、声高に紹介や提供される圧倒的にボリュームのある、ごく一部のメディアの情報や価値観を鵜呑みにして、自分もその一員だと安心する姿を目にします。
最近、世間を騒がせたホテル・百貨店業界のメニュー偽装も、そんな風潮がボタンの掛け違いの温床だったかもしれません。
また、そうした路線からハミ出たり、脱落すると、社会的に生きてゆけないような脅迫観念に煽(あお)られているとも、流されているとも言えそうです。
しかしながら、そのような戦いで「得られる」ものと、「失ってしまう」ものは何か…と、一旦立ち止まることは大切です。
一度限りの自分の人生…
色々な生き方や行き方を楽しみたいものです。
ただ、最近は自分のためだけに生きるなら、「一生」は長すぎると感じ始めています…
最初の話に戻りますが、まさに、誰かのために「闘って」こそ、自分自身の存在や生きる喜び、日々の糧を得られるのではないか…と感じる昨今です。
それは、仰々しい最上段に構えた物事ではなく、日々の小さな心掛けとその積み重ねを続けることで良いと思うのです。
そんな歩みを始めてみたいと思います。
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新聞配達
カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2013年10月16日 04:50
今朝4時過ぎ、郵便受けに新聞が入っていた。
普段の日なら通常のことだが、今朝は台風26号が接近中で暴風雨の最中である。
こんな悪天候でも、ビニールに封入されきれいな状態で新聞を読めることに感動した。
毎年10月15日から1週間を「新聞週間」というそうだ。
新聞大会が行われたり、読者向けのキャンペーンもあるようだ。
車掌長が新聞を読むきっかけとなったのは、中学3年の課題だった。
2学期初日から1か月間、新聞のコラム欄を切り取ってノートに貼り、自分自身の意見や感想を書くというものだった。
文中に分からない語句があれば、辞書で調べそれも書き残した。
初めは要領を得ず、とても時間がかかったが、毎日提出して担任がたまに返してくれるコメントが嬉しく、次第にハマってしまったことを記憶している。
結局、10月1日にこの課題を提出できたのは、学年で車掌長1人のみであった。
今振り返れば、のどかな時代だった…
当時の先生も忙しかったに違いないが、子どもと向き合う時間は今よりも確保されていたと思う。
また、いまや新聞も「紙媒体」から「電子化」され始め、魅力のない無機質さを感じる。
毎朝、新聞を取りに行く時のワクワク感や、これを毎朝配達してくれる人への感謝。
日々、そんなことを感じて読んでいるが、今朝は殊更に感謝の念が深まった。
世の中は、「おたがいさま」で動いている。
新聞配達で頑張っている人がいるように、車掌長自身も人知れず誰かの役に立ったり、喜ばれるような仕事や物事を心掛けてゆきたいと感じた台風の朝であった。
コメント(2件)
希望者挙手さんからのコメント(2013年10月16日 23:37投稿)
こんばんは
今朝は朝7時前に家を出て、会社に着いたのが12時でした!
新聞といえば、今年亡くなった父親が新聞の集荷や配達の仕事をしていたこともあり、私には色々な思い入れがあります。
私の子供たちには、小学生新聞、中学生新聞と読ませてきました。
それも、ただ読ませるだけでなく、読者特派員に登録してました。
長女は中学2年生の時に、母校を紹介した記事が掲載されました。
二女は小学5年生の時に生協の取材をした記事が掲載され、中学3年生となった今年の8月には、三浦雄一郎さんにインタビューした記事が掲載されました。この取材には私も同行させていただき、憧れの三浦雄一郎さんにお会いしました。(私は若い頃、三浦さんに憧れてK2のスキー板を愛用してました・・・笑)
この年末には来年の干支にちなんだ特集を企画しているとのことで、乗馬をする次女に取材依頼がありました。
新聞を通して、子供たちが情報を受け取るだけでなく、発信することも学んでくれればと思います。
そして、何よりも新聞紙に掲載される喜びを通して、デジタルとは違った紙媒体の有機的な伝達力を感じ取ってくれることを願っています。
車掌長さんからのコメント(2013年10月17日 05:10投稿)
希望者挙手 様
毎度ご乗車ありがとうございます。
昨日、台風でも新聞が配達されることに感動した話を記しましたが、同じ未明に伊豆大島では最悪な土砂災害が起き、その被害の甚大さに胸が痛む想いです…
まだ行方不明な方が多数いますので、その方々の生存と救出を願うばかりです。
きっと真夜中の惨事で、寝たまま逃げることもできなかった人が多かったと察します。
惜しくもお亡くなりになった方々へは、この場を借りてご冥福をお祈り申し上げます。
昨日の交通麻痺は本当に大変でした。
車掌長も通常1時間で行けるところが2時間を要し、何か悪いことをした訳でもないのにまさに「倍返し」されてしまいました。
ただ、いつもと違うルートを経験から選択し、実証する楽しさは味わうことができました。
そんな中、多くの人がスマホ片手に右往左往する姿を拝見しました。きっと、大災害の時はもっと混乱するのだろうなと感じました。
スマホを代表とする今日のベンリなものは、通常時は確かに便利ですが、異常時は意外に「?」だと感じます。
特に、電池が切れたなら何の役にも立ちません。
日頃から車掌長は、もし、ここで交通がストップしたらどうするか…と遊び半分でシミュレーションしていますが、そんなことが役に立つものだなと思いました。
ところで、とても素敵なエピソードをありがとうございました。
お亡くなりになったお父様や娘さんたちの新聞にまつわるお話、共感しました。
車掌長も昔、新聞の集荷所で刷られて間もない新聞を触ったことがあります。
季節が冬だったこともありますが、その温もりに感動しました。
また、娘さんたちの読者特派員の経験も素晴らしいことです。
記事を起こすということは、あらゆる感覚を駆使します。
そして、文章を書くということは、自分の考えを整理することです。
希望者挙手さんの仰るとおり、単に情報を受け取るだけでなく、発信すること、つまり自分の考えを表明できる力を養う機会があったことは、一生の財産になると思います。
娘さんご自身の記事が掲載された「新聞紙」はまさに宝物ですネ。
単にデジタル信号が文字に化けて液晶画面に映る虚像ではなく、手にすること、広げることができる「かたちあるもの」ならではの感触が、紙の魅力だと感じます。
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10月10日は「体育の日」
カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2013年10月10日 05:42
今年の体育の日は10月14日。
全くピンと来ない…
車掌長にとって、10月14日は「鉄道の日」だからだ。(これも元々の名称は「鉄道記念日」)
そもそも、体育の日がなぜ10月10日なのかという「大切な意味」を忘れてはならない。
この日は言うまでもなく、1964年に東京オリンピックの開会式があった日だ。
当時の映像を見たり、記録を読むと、その日はパーフェクトな快晴だったことがわかる。
映画「三丁目の夕日'64」でも追体験した、ブルーインパルスが競技場上空で描いた五輪マークも、さぞかし青空に映えたに違いない。
また、この日に向けて世界中からの観客を招き、誇示するために建設を進めた、首都高速や東京モノレール、東海道新幹線の開通や開業が、一大国家イベントに花を添えた。
記念日とは、「その日」だからこそ意味があるのだとつくづく思う。
3連休にするために第二月曜日と定め、日付が毎年変わるのは残念でならない。
また、医療機関や学校等、年間に何日も月曜日が休みになり、その代替調整で迷惑を被る当事者や利用者も多いと察する。
わざわざ祝日の由来を希薄にしてまで、3連休を増産し、それも経済効果のためかと思うと、何でも「カネ勘定」の社会につくづく寂しさを実感する。
本日10月10日は「体育の日」であったことと、その由来を大切にしたいと感じた朝であった。
コメント(2件)
希望者挙手さんからのコメント(2013年10月11日 00:16投稿)
こんばんは
私も第2月曜日や第3月曜日の祝日は、国民の休日でいいんじゃないかと思っていました。
市町村合併で首を傾げたくなるような名前の市がたくさんできた時にも似たような感覚を持ちました。
それは、もう名前の由来など歴史的背景はおかまいなしの、経済優先、妥協の産物といったところでしょうか。
歴史が作り上げた美しい名称や慣習を軽々に投げ出し、近頃の日本は歴史を軽視してるんじゃないかと思えることが散見されますね。
鉄道の日といえば、娘が小さかった頃、阪急電車のイベントに毎年出かけていたことを思い出します。
その時にもらった「梅田」行きの側面方向幕の切り取りは今も大事に持ってます(笑
車掌長さんからのコメント(2013年10月13日 05:14投稿)
希望者挙手 様
毎度ご乗車ありがとうございます
今朝は昨日までの季節外れの暑さから一転、だいぶ肌寒く感じます。不意に風邪などひかぬよう、お互いに気を付けたいものです。
希望者挙手さんの仰る通り、平成の市町村合併も後世への「負の遺産」だったと思います。
地名の歴史的な由来が損なわれたり、距離感や位置感が全くわからなくなったり、難読クイズのような市の名称が、バラエティ番組のように誕生しました。
目先の財政支援をもらうために、合併のデメリットをよく精査せず、性急に事を運んだ自治体も多かったように感じます。
きっと、その合併された中心部に人口が集中したり、行政サービスが偏ったりして、スケールこそ違いますが「プチ東京化」を招く懸念があります。
交通の便が良くなり過ぎるのも、人口流出に拍車をかけると言えます。
高速道路ができれば、医療を受けられる時間が短縮されるというメリットをよく見聞しますが、そもそも、そこまで行かないとそのような医療サービスが受けられないことが問題のように思うのです。
それもやはり「効率性」が見え隠れします。
おそらく昔は各市町村に、一通りの病気は診ることのできる町医者が存在したのに、いまは車で数十キロも走らないと、風邪さえ診てもらえないような状況なのだと察します。
今後、人口がますます減る中で、更に東京一極集中に見られるような人口流出が続けば、新たに合併した市町村もその存在が危ぶまれます。
そうなると、更に広範囲な合併を唱える人が出てくると思いますが、それはもはやイタチごっこの様相です。
効率性ばかりを追求すればするほど、人の心は刹那的に大きなものや便利なもの、安易な物事へ気持ちが移りたがるものです。
話を元に戻せば、地名や市町村名の由来を大切にせず、双方に利害の及ばない命名の産物が、人心の離れるきっかけになるのを心配します。
話が長くなって恐縮ですが、学校の統廃合で母校の名前が変わってしまうのも空しさを感じる今日この頃です。
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