鉄の女
カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2013年4月10日 04:58
タイトルを見て、車掌長なら女子で鉄道好きな「鉄子」を連想するが、そうではない。
先日、英国元首相のマーガレット・サッチャー氏が亡くなった。
彼女はその立ち居振る舞いから「鉄の女」と呼ばれた。
車掌長が小学6年の初夏、東京で初のサミットが開催された。
ちょうど社会科見学で国会議事堂を訪れた際、バスガイドさんがサミットの話をしてくれ、サッチャー氏も近々訪日することも教わった。
今朝、某新聞のコラムにこんな話があった。
彼女の父親の話だ。
サッチャー氏が子どもの頃、何かをしたいと言うと、父はいつもこんな風に返したという。
「他の人がやるからという理由だけで何かをやってはだめだ」
この場で彼女の元首としてこの世に残した功罪には触れないが、車掌長はこの父の考えには共感した。
なぜなら、車掌長自身も子どもの頃からその意識が強かったからだ。
車掌長の場合、もう少し補足すれば、人が持っているものや既にやっていることには興味が湧かないと言える。
また、マスコミやメディアで流される情報も、それが全ての考え方であったり正しいとは思っていない。
むしろ、違う考えもあるのでは…と疑問を抱くことが多い。
つまり、何となく大勢の人が言うからやっているから、「自分もそうだと思うし、やっている」という思考ではない。
ただ、どちらであっても、自分の行いには必ず次のことが伴うもの。
「自由には責任が、権利には義務」がセットされているということだ。
ここを取り違えると、世の中おかしな方向に進んでしまうと懸念する…
尻切れトンボになってしまうが、コラムの一節からそんな想いを抱いた。
コメント(2件)
きんちゃんの嫁・花子さんからのコメント(2013年4月17日 14:24投稿)
車掌長様、ご無沙汰してます。
夫が大学・サークル他色々とお世話になっている、嫁の花子です。
コメントは残してませんが、毎回楽しみに乗車させてもらってます。
「他の人がやるからという理由だけで何かをやってはだめだ」というのは、今現在子育てをしながら改めて痛感してます。
車掌長の言う通り、何となく大勢の人が言うからやっているから・・というので、私の子育て開始当初は、インターネットであらゆる育児情報を探したり、育児雑誌を何冊も読んだりと、その他大勢の他人の意見・行動に振り回されていました。
今となっては笑い話ですが、当時は初めての育児に翻弄され、自分自身を完全に見失っていたように思います。
車掌長のブログを読んで、甘酸っぱい記憶が蘇ってきました。笑
何だかとりとめもないコメントですみません!
またいつか車掌長様ご一家に会えるのを楽しみにしてます♪
奥様にもよろしくお伝えください。
p.s)トップページのパタパタ。凄い面白いデザインですネ。
花子
車掌長さんからのコメント(2013年4月18日 22:58投稿)
きんちゃんの嫁・花子様
この度は「哲×鉄 ブログ本線」ご乗車ありがとうございました。
こちらこそ、いつもきんちゃん&花子さんご夫婦の姫の成長ぶりを拝見しては、子育ての参考にしたり、励みにさせていただき、車掌見習の育成に勤(いそ)しんでいるんですヨ。
この場を借りてお礼申し上げます。
花子さんのコメントを拝見し思うのは、生き方に「正解はない」ということです。
言い換えれば、その時々の状況下で、色々迷いながらも、真剣に向き合って選択したり決断したことならば、どれもが「正解」だと思うのです。
それは、職業しかり、子育てしかり、人生しかり…
もちろん、それがネット検索で得た情報であれ、何冊もの雑誌で読んだことであれ、誰かに聞いたことであれ…どれもが貴重な判断材料であり、存分に活用すべきです。
しかしながら、一番してはいけないと思うことは、仮にその選択が失敗だったと思ったり、感じた時に、「人のせい、何かのせいにする」こと。
ネットに書いてあった通りやったとか、あの人に聞いたとおりしたのに…と、言ったり、思った瞬間に、自己の選択が貶(おとし)められ「不正解」にすり替わるのが最も嘆かわしいことです。
こんなことを綴っていたら、2か月ほど前に面白い新聞の記事があったことを思い出しました。
「優越の錯覚」です。
これは多くの人が「自分は平均よりも優れている」と思う心理学的錯覚を指すそうです。
例えば、知能や技能、望ましい性格etc…これらを平均的な人と比べてもらうと、上述の通り多くの人が自分は平均よりも上だと錯覚するそうです。
これは言い換えると、いかに人間は「己を知らない」とか、「自分を正確に知ることは難しい」ことだと言えます。
また、優越の錯覚は「過信」を招きやすく、過剰な場合は無謀な行動に走ることも知られています。
逆に、自分を現実以上に悲観したり、自信を失うと「抑うつ」となってしまいます。
今の世の中、こちらに属する人々が多いように感じるのが心配です。
ややこしい話になってきましたが、何を言いたいかと言えば、適度な「優越の錯覚」状態である自分をキープできたなら、人生はhappyだなと思ったのです。
それをキープするための手段や材料は、人それぞれですが、それが何であるかを自分で知っておくことが、幾通りもある生き方を楽しめる人であり、他人の言動や評価をイチイチ気にしない人なのかな…とイメージします。
そう考えると、「偏差値」というのもおかしなモノサシですネ。
平均を「50」とし、高い方へ或いは低い方へ、どれほどの位置にあるかによって、一面的な学力や一時点での偏った指標で、志望校や進路がFIXされてしまうとは…
車掌長は高校も大学も、偏差値を気にせず、担任の進路勧奨も参考程度に留め、自分のやりたいことを基準(モノサシ)に進路を決め、人のせいにしなくて済み、良かったと思っています。
末筆ながら、またのご乗車を心からお待ちしております!
今度はぜひ当車掌区へもご家族で遊びに来てください。
3名程度なら宿直も可能です(笑)
(追伸)
トップページの「パタパタ」、褒めていただき大変うれしいです。
これも哲×鉄保線区"たくちゃん"さんの職人気質の賜物です。
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あの日あの時
カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2013年3月12日 05:22
普段、ほとんどテレビを見ない車掌長だが、昨晩はゴールデンタイムと言われる時間帯にテレビを見た。
東日本大震災を扱ったテレビ局はNHKのみ。
民放各社は、普段と何ら変わらない、時間消費型のバラエティ系ばかり…
これが我が国未曾有の震災、人災を経験した日本の実情かと虚しさを感じた。
時間の長さは誰にも平等に1日24時間、1年365日が与えられている。
しかしながら、平等のはずの時間の中で、それを「速い」とか「短い」、或いは「遅い」「長い」と感じる"時間の格差"が存在するのは何故だろう。
身辺の状況や環境が、好調・上昇傾向にある人は前者、そうではない人は後者なのだろうか。
人間の時間に対する感覚は、その満たされ具合や充実度によって速くも遅くもなるのかもしれない。
東日本大震災で被害を受けた方々と、そうでない者たちとの格差。
最近のニュースでは、景気回復の兆しとして株価上昇や円安による好況が伝わってくる。
また、東京オリンピック誘致への強い手応えなどという話もあった。
被災者の方々にとってのこの2年という時間の長さ、重みを想像すると、こうした世の中の一見happyな状況はどう目に映り、どんな感情を抱くのだろうか…
今や東京をはじめ全国の情報や映像が、被災地を含めどこでも見られる。
それをどんな思いで、避難先や仮設住宅で見聞きしているのかと察すると、その逆方向の情報や映像を日本人全員に伝え流すべきだと考える。
つまり、昨日を挟む数日や1週間というスパンで特集を組むのではなく、日々常に、被災地や東北のリアルな状況や生の声を全国へ向けて積極的に発信することだ。
それは、もちろん明るいニュースも必要だが、問題や課題といった暗部を照らし、より多くの人々で解決の糸口を探れる情報の方が優先されるべきだ。
被災地の鉄道復旧は、第3セクター経営の事業者は日々開通に向けて進んでいる。
一方、JR東日本は遅々として進まない。
その理由の1つは黒字経営にあるという。
つまり、復旧費用は国費でなく、自力で捻出しなければならない。
そこで問題になるのが、「株主への説明ができない」という理論だ。
そもそも赤字路線を復旧させて、どれだけの利益性があるのか…ということを言っているのか?
こんな話を綴っていると、あの言葉を思い出す。
「会社は株主のモノ」というフレーズ。
株主への利益を還元するために、株式会社は存在するのだと…
それはその通りだ。
だが、会社として世の中に存在する「哲学」はどこにあるのか…
株価が上がり、株主だけがハッピーになればそれで良いことなのか…
一市民が一把程度の株を買って、その配当や特典を享受するのは微笑ましいことだが、その経営を左右するような大株主であれば、もっと社会貢献的な視野や度量をもって、その持ち株に「命を吹き込んで」ほしい。
新たな駅ビルやこれ以上のスピードアップは、少し後回しにしてはいけないのだろうか。
そうしたことよりも、日々の基礎生活の確保を望む同じ日本人のために、生きたお金の使い道をしてほしい。
そんなことを願った大震災3年目。
そして、人それぞれのあの日あの時を忘れないように…
コメント(2件)
たくちゃんさんからのコメント(2013年3月13日 05:15投稿)
未だ仮設住宅に住まわれていたり、避難を余儀なくされている方々がたくさんいます。
復興のためのお金が、被災地とはまったく関係ない地方で「耐震工事」という名目で抜き取られています。
始末に馬鹿みたいな時間がかかる現状を見ても、危なっかしいおもちゃを使い続けようという人がいます。
14時46分、相方と一緒に、かの地に向かって黙祷しました。
ワタクシと友人(外国人)とのプライベートブログに、「日本のことを気遣ってくれてありがとう」と感謝の言葉を伝えました。
みんなが、一人ひとりが、忘れないようにする。
歴史は繰り返します。しかし、繰り返された際にとる行動や対応を、経験として覚えておくことこそが、大切なことだと思います。
本当に「馬鹿」なのは、何回経験しても同じことをすることなんでしょう。
自分には関係ないと勝手に思い込むことなんでしょう。
東日本大震災で被災した方が笑顔になれる日が、少しでも早く来るよう、願ってなりません。
車掌長さんからのコメント(2013年3月13日 22:11投稿)
たくちゃん 様
毎度ご乗車ありがとうございます。
たくちゃんさんのコメントに同感です。
一向に進まない復興に、車掌長も歯痒さを感じます。
確かに「復興」という言葉の解釈や捉え方は、個人から行政まで様々です。
元の状態に戻すことをイメージする人もあれば、全く新しい街を築き上げる絵を描く人もいることでしょう。
全員が納得する選択は到底無理なことですが、双方の意見を十分汲み取った上で、共通の着地点を探し合意することは可能だと思います。
あとは、その自発的な議論を援助し、そこにお金と人的、物的支援を惜しみなく注ぐことが政治だと考えるのです。
少なくとも、いまドサクサに紛れて「防災」や「減災」といった大義名分を振りかざし、着工が始まった大津波に備えてより高い防波堤を沿岸に延々と造ることはピント外れなことでしょう。
風光明媚な海岸美を求めて訪れる観光客は来なくなりますし、自然の猛威を人間が抑えきることはできません。
また、原発も即座に全てを廃炉にすべきだと考えます。
同じ過ちを二度繰り返すことは、いま故郷を失った方々への無念極まる犠牲や教訓を、完全に冒涜(ぼうとく)するものです。
多くの見識ある方々が仰っていることですが、命に勝る経済発展などないのです。
むしろ、日本が脱原発のリーダーとして、世界に向けた情報や取り組みを発信し、その技術や知識こそ誇ってもらいたいものです。
一方、フィンランドでは世界初の「核の最終処分場」の掘削が始まろうとしています。
地下400m以深の場所に使用済核燃料の捨て場を造り、廃棄が完了した際には完全に埋め戻されるとのこと。
そして、目印も標識もなく、掘り返されることもないよう、あたかも「何もなかった」かのように繕うのだそうです。
フクシマが「何もなかった」…などということにはならなにように、多くの人が記憶に残し、人類の愚かな史実として伝え続け、繰り返さないようにしなければならないと思いました。
末筆ながら、長々と綴り大変失礼いたしました。
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時間の無駄
カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2013年3月 5日 04:52
朝礼、会議、業務報告書の作成。
これらは「時間の無駄」と考えられるワースト3とのこと。
シチズンホールディングスは、先般、昨春社会人1年生となった男女を対象に時間に関する意識調査を実施。
先述のワースト3は男性のものだが、女性も3番目がお茶くみに差し替えらえるだけで1、2位は共通不動だ。
車掌長もこの世代に共感。
車掌長は少なからぬ転職経験があるが、会議の多い会社や組織は社員の仕事に対する意識は概ね高くない。
高くないというと語弊があるかもしれない。
言い換えよう、
自発的でない、創造性がない、決断力がない…あたりが妥当だろうか。
朝礼は連絡事項等の確認として、その意義を否定はしない。
しかしながら、管理職の長い訓示めいた話や持ち回りのスピーチ、社歌斉唱、オフィスワークなのに体操となってくると、その意義を肯定するのは難しい。
これらは形式的にやっているものが多く、時間の無駄と言える。
また、業務報告書の作成も車掌長は不要だと考える。
まして、就業時間内に書けないなら論外だ。
それに付随するが、会議の報告書もA4で1枚に収めれば充分であり、その方が内容が端的で良い。
誰が何を言ったかなどを記すのは、後々の「言った、言わない」を明確にする意図があるのかもしれないが、その程度の会議内容ならやめた方が良い。
車掌長が会議が好きだったと言えるのは、小さな旅行会社でのことを思い出す。
社員十数人と小規模だったが、会議は月1回2時間以内と決まっており、会議室等のスペースがないので喫茶店を借りきってコーヒーを自由に飲みながら行った。
気持ちに緊張感や萎縮がないので、思い思いの考えやアイデアを出す雰囲気があった。
管理職や社長も、それを引き出したり、聞いていることの方が多く、最後に結論やとりまとめを行う役に徹していた。
そして、その果実は早ければ翌日から、遅くとも翌週には改善されスピード感があった。
もちろん、会議報告の書面もないし、それを回覧捺印もない。
みんなの頭の中に入っているから不要なのだ。
もし、これを読んでいるいる方で、1週間に2回以上自分が出席する会議があったら、その意義を考えもらいたい。
それだけの時間を費やして、どんな成果があるのかを…
一方、そうした会議をしていることが「自分の仕事」だと認識するならば、それは「大企業病」かもしれない。
目に見えないコスト(人件費)を、節操なく垂れ流しているに過ぎない。
時間は言うまでもなく「有限」だ。
効率を追及する経済社会と言われるが、意外にその辺の認識は薄いように思う。
それは裏を返せば残業が慢性化しているのも一因だろう。
いつまでも社員を拘束できるという意識があるから、逆に生産性が上がらないと考える。
みんなが就業時間内で仕事を終わらせて帰るならば、もっともっと仕事の能率やコストパフォーマンスは上昇すると思うがいかがだろうか?
そして、何よりも仕事とプライベートの時間的な釣り合いが取れることが、次の仕事への意欲を向上させると思う。
「時は金なり」
古い言葉だがその意義はいつの世も不変であり、どの会社や組織にも普遍だ。
コメント(2件)
たくちゃんさんからのコメント(2013年3月 6日 04:22投稿)
僕もその記事を読みました。
「時間の無駄」と自分なりに自信を持って言えるのは、
女性の3位「お茶くみ」ですかねぇ…。
僕が最後に在籍していた会社はとても小さな会社でしてね。
創業したばかりということもあり、
「何事も自分たちで決める」雰囲気に溢れておりましてね。
その会社ではね、やってたんですよ。
「朝礼」「会議」「業務報告書」。
まぁ、原案を出したのは僕と同僚なんですが。
朝礼の段取りは
・挨拶・持ち回りのスピーチ(1分以内厳守)・本日の行動予定
会議の決まりごとは
・開催前48時間以前に各自話し合いたいことを要約して提出
・24時間以前に議題を全員に配布
・議題についての質問は、本人同士で事前に確認
・全ての議題に各人の意見を持参
・会議の時間は30分(長くても1時間)
業務報告書の決まりごとは
・「後で自分が見てその日の行動がわかるようなもの」を書くこと
・提出は特に大きな動きがあったときのみ
っていう風にしてました。
アイデアやその場の意見を戦わすっていうのは
「ブレスト(ブレインストーミング)」と呼んでおりましてね。
不定期開催、開催場所自由(事前申請・飲酒厳禁)、参加自由、費用会社持ち、
というルールになっておりました。
ブレストは4時間以上になったこともあったなぁ…
ただ、それは「無駄な時間」ではなかったわけでしてね。
業務後にやっていたことが多かったですが、
残業代なんて、誰も言わなかったですね。
朝礼の「持ち回りスピーチ」っていうのはですね、
「短時間で自分の言いたいことをきちんとまとめて発表する」ための
訓練だと考えておりましたね。
1分以内で、序破急(起承転結)がしっかりした話をすること。
これは訓練しないとなかなかできないことでしたのでね。
会議は、いわずもがな。
議題の説明なぞ、まったくなし。
いきなり「次に○○について。○○さんの意見を。」
で、始まってましたね。
各人が、きちんと事前準備をしてから、会議に臨む。
迷走しそうになったら、「ブレストでやろうや」と。
1つの議題に10分以上かかったときは、そうしてましたな。
そうそう、そういえばお茶くみもありました(笑)。
ルール:
・お茶を飲みたいと思った人がお茶を入れる
・入れる前に事務所中に聞こえるように「お茶いる人~!」
で、人数分お茶を入れると。
あ、「俺、コーヒーがいいなぁ…」の場合、どうなったかというとですね…
「セルフでどうぞぉ~」、となったわけです(笑)。
今はなくなった会社ですが、
なかなかいい会社ではありました。
車掌長さんからのコメント(2013年3月 6日 06:00投稿)
たくちゃん 様
毎度ご乗車ありがとうございます。
「何事も自分たちで決める」、素晴らしい会社ですネ。
たくちゃんさんをはじめ、社員みなさんのモチベーションの高さをお察ししました。
会社の良さの1つの指標は、決してその規模やブランドではなく、自分自身がやり甲斐を感じ、それを共感できる仲間がいたり、社会に役に立っていることを味わえることだと思います。
ただ、最近は就職難に便乗して個人の「やり甲斐」を過度に強要したり利用する会社が少なくなく、不法に長時間労働を強いるブラック企業もあるので注意が必要です。
また、有名な会社や急成長した会社でも、ルールや義務、「べからず」的な制約が多すぎて、入社1~3年未満で退職する若者が多いのも、深刻な問題です。
たくちゃんさんの会社の話をお聞きして感じましたのは、大切なことは、「与えられた仕組」か「自ら築き上げた仕組」かの違いだと思うのです。
また、会社でスピーチを訓練するというのは、国際的に奇異な現象だと感じます。
本来なら学生時代までに身に付けておくべきことを、学校教育で習得できなかったツケが回っているように思うのです。
いくら知識が高くても、自分の意見や考えを人前で話せないことは、それを活かしきれない意味で、その個人にも社会にも損失です。
それはそうと、たくちゃんさん!
先日、所用の合間に偶然「ピンボール」と久々に再会し、かなり打ち込んでしまいましたヨ。
斜面を下りてくる金属球をフリッパーで打ち返し、あちこち当り散らして得点を重ねる昭和なゲーム機です。
以上、余談でした。
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一服のよろこび
カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2013年1月23日 04:56
今朝、いつもより40分早く自然に目が覚めた。
気が付けば、今日は1月23日。
これは縁起が良いぞ、と4時56分に乗務を開始。
すると、右上をご覧のとおり車掌長の好きな連続数字のできあがり。
…と、このようなことに一服の喜びを感じてしまう、単純な人間だ。
ところで、車掌長の朝は「金の時間」と自分で位置づけている。
この時間が24時間中、唯一「個」になれる時間だ。
楽しみは朝刊を開くこと。
車掌長は新聞を毎日3紙に目を通し、可能であれば日中さらに別の1~2紙を読む。
同じ事件や出来事を各紙がどう考えているかを見比べるのも一興だ。
テレビでも便利なコーナーがあり、各紙1面の記事を見比べて、親切に解説もしてくれるが、それは何も頭の中に残らないことに随分前に気が付いた。
ところで、今朝の某新聞で面白い記事があった。
それは、スマホ通信の渋滞だ。
スマホの通信量は、従来の携帯電話と比較して、平均35倍にもなるという。
また、昨今の急激な普及で、利用周波数帯における通信速度の低下、いわゆる渋滞が発生し、今後それは更に拍車をかけるという。
いくら機種が高速化しても、道路である通信回線が混雑しては、本来なら200㎞/hも出せるスーパーカーに乗りながら、ノロノロ運転を強いられることになる。
これは非常にストレスが溜まると察する。
今後、現在の未利用周波数帯の割り当てをしても、飛躍的な改善には至らないというから、あとはそういうモバイルと人間の付き合い方に委ねるしかない気もする。
車掌長は、スマホは持つ予定もないし、携帯も通話と連絡用のメールができれば充分なユーザーだ。
通信会社にしてみれば、なんの魅力もない客だろう。
いまや娯楽も手のひらで消費できる時代。
暇潰しもスマホや携帯が色々なアプリやゲームを取り揃え、相手をしてくれるようだ。
しかしながら、そこに費やす時間は暇潰しのつもりが、いつの間にかそれらに支配されていることに気付く。
また、ナビもスケジュール管理も便利なようだが、「自ら考える」部分の脳が退化しているのは間違いない。
目的地への行き方のみならず、人生の「生き方」もナビゲートしてもらうと、その行き着く先はどんな場所なのか…
その結論は、遠からずわかることだろう。
車掌見習に教わったこと
カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2013年1月12日 21:11
そんなに泣くほど お腹の減ることがあるのか
そんなに泣くほど 眠いことがあるのか
そんなに泣くほど 怒ることがあるのか
そんなに泣くほど かなしいことがあるのか
そんなに泣くほど さびしいことがあるのか
なんの意図も 作為もない感情を
もう おぼえているはずもない そんなぼくらの遠いむかしの感情を
車掌見習が教えてくれた
そして
こんなに和むほどの 笑顔があるのか… を
コメント(2件)
希望者挙手さんからのコメント(2013年1月14日 00:57投稿)
こんばんは
子供から教えられることって、本当に多いですよね。
私が子育てで悩んだ時に見つけた詩を紹介したいと思います。
マリオン・B・ダーフィーの「父母の祈り」です。
この詩によって、私は大切なことを思い出すことができました。
ただ、マリオン・B・ダーフィーという作者が誰かよくわからないのですが・・・?(謎)
*父母の祈り*
神よ、わが子が自分の道を歩めるように、
わたしが歩みたいと望んだ道を子どもに強いることがないように、
神よ、力を与えてください。
わたしにできなかったことを子どもに強いて、
苦しめることがないように、
神よ、わたしを守ってください。
わが子が歩みゆく遥かかなたを見据えて、
今のわが子の過ちを見守らせてください。
ゆっくりと成長するわが子の姿を、
優しい心で見つめることができますように。
些細ないたずらに微笑みかける時と、
悪しき行いを毅然とたしなめる時、
その二つの時を見分ける英知を与えてください。
わが子の怒り狂うことばや、押し黙る孤独な姿に、
悩み苦しむ子どもの叫びを聴き取ることができますように。
そして、深い淵を越え、子どもに歩み寄り、理解しあう事ができるよう、
わたしに力を与えてください。
できないことに目を留めていらだち、怒りの声を上げるのではなく、
わが子が上手にできたことに目を向けて、喜びのことばで褒めることができるよう、
わたしを導き、力を与えてください。
わたしが心からわが子を大切にすることによって、
子どもも、心から人を大切にすることができますように。
わが子が力強く自分の道を歩めるように、わたしは子どもを送り出したい。
神よ、どうかわたしに、その勇気を与えてください。
車掌長さんからのコメント(2013年1月14日 09:43投稿)
希望者挙手 様
毎度ご乗車ありがとうございます。
そして、素晴らしい詩を教えていただき、ありがとうございました。
全くこの詩のとおりであると、共感しました。
これが誰にでも簡単にできることではないことも、痛感しました。
希望者挙手さんが仰るように、何かの折、自分が迷ったり悩んだときの道標になります。
どんな乗り物にも、目的地へ到着するために人間の技術や判断を支援したり、ミスを軽減させる装置やルールがあります。
しかしながら、人を育てる際に「世の中」という列車に乗ると、自分がいまどこを走っているのか、わからなくなることがあるように思います。
もちろん、世の人々と同じ列車に乗って同じ時代を走っているのですが、その列車自体が自分の求める目的地に向かっているのか、乗り間違えたのではないか…など
同じ列車からの車窓を見る中で、あれ?これ行先が違うんじゃない?…と夫婦にしろ、親子にしろ、どちらかが気付いたり、互いにをそれを共有できれば、どれほど素晴らしいかと思うのです。
話は変わりますが、車掌長が中学の時に出逢い、共感した俳句があります。
「咳をしても 一人」
自由律俳句と言われるものですが、型にとらわれない自由さと、それと表裏一体である「個」というものへの覚悟を感じたものです。
車掌長が小学生の頃から一人旅をしていたのは、好奇心が人一倍強かったこともありますが、両親の仲が良くなかった家を「出たい」という気持ちも強かったのです。
子供の力ではどうしようもない、改善できない生活環境を、自分が変わることに変化の糸口を見出し、自ら旅に出るようになりました。
しかしながら、一人旅をしていて車内や観光地で、家族団欒の光景を目の当たりにすると、寂しくてというか、本来は他のことで満たされるべきはずものがあるのではないか…と涙したり、幼心ながらに感じたものです。
話が長くなりごめんなさい。
これからの人生のB面は、今回教わった詩も大切に胸の内にしまい、いつでもそれを開ける心持ちでいられるようにしたいと思います。
改めて、お礼を申し上げます。
ありがとうございました。
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