祝・「JTB小さな時刻表」発刊

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2012年4月18日 21:04

この春、JTB時刻表に画期的な新しい顔が加わった。
「JTB小さな時刻表」だ。
これを世に出したJTBパブリッシングに拍手喝采を送りたい。

今まで時刻表には、情報量の違いによって大型から小型までのサイズがあった。
それぞれに一長一短あるが、今回のニューフェイスは、グラビアページや宿の広告など一部省略されているが、肝心のJRや私鉄、その他の会社線については、大型の情報量をそのままにサイズを小型化した優れものだ。
(文字や数字も縮小されおり、年配の方には見づらいかもしれないが、実用性は十分に確保している。)

車掌長は長年「大型」を愛読しているが、旅行中の相棒としては大きさや重さが気になる時もあった。
それでも、気ままに予定を変更したり、全く違う方面や行先を変えるような旅のスタイルには、全国的な情報量の充実度から「大型」を迷わず持ち歩いた。

旅先へ持ってゆくのは、必要な箇所のみを大型からコピーした人もきっと多かっただろうから、「こんな時刻表がほしかった」という声はかなり多いと思う。

ちなみに、大型はB5判(約950g)に対し、新顔はB6判(約440g)。
この違いは実物を手にした方が、数字以上のインパクトを実感できた。

今のところ位置づけは、今号が4月号臨時増刊であるから、不定期発行とは思うが、青春18切符が発売される夏・冬・春休みにはこの便利さが威力を発揮し、多くの「乗り鉄」が手にしていることだろう。
慌ててJR時刻表も追随するかもしれない。

それにしてもこのB6判というのは、懐かしさが漂うサイズだ。
というのも、1967年10月に大型時刻表が今のB5判になる前は、このB6判だったからだ。
参考までにちょうど目の前にあった1965年4月号を手にしてみると、680頁で370g。
「小さな時刻表」は1072頁で440gだから、紙質の進化も実感できる…

今後も日本を代表する「時刻表のパイオニア」であるJTB時刻表を、影ながら応援し続けてゆきたい。
 

花まつり

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2012年4月 8日 05:49

4月8日、今日はお釈迦様の誕生日だ。
潅仏会(かんぶつえ)や仏生会(ぶっしょうえ)というらしいが、車掌長には「花まつり」の方が馴染み深い。

祖母は生前、この「花まつり」に合わせて隠居の山里から我が家へ来て、近くのお寺へのお参りを欠かさなかった。
子どもの頃、この日が日曜であれば、祖母に手をひかれ共に参拝をしたが、その後買ってもらえる駄菓子や出店の焼きそばの方が当時は嬉しかった。

この日、各寺では花で飾った小堂(花御堂:はなみどう)がつくられ、桶の中に金属製の幼仏像を置き、甘茶が参拝者によってかけられる。
なるほど、仏にお茶を潅(そそ)ぐので「潅仏会」とはわかりやすい。

この「甘茶」という響きは、当時お砂糖の入ったお茶を連想させたが、振舞われたものを口にすると、苦かったような記憶がある。

もう30年以上も前の話だが、毎年、この日になるとそんな想い出がよみがえる…

祖母の名前は「ハナ」というが、まさにお花が大好きで穏やかな人だった。
耳がほとんど聞こえないので、世の中の喧騒や嫌な話題も聴こえず、笑顔の多い人だった。

祖母はお寺や神社、道端のお地蔵様にも手を合わせ、拝みごとや感謝を口にしていた。
車掌長もそんな祖母の姿に影響され、神社仏閣を訪れるのは好きであり、拝むことも大切だと思っている。
また、訪れた際には必ず御朱印をいただき、冊数を重ねる御朱印帳は旅の想い出でもある。

車掌長は、日本の宗教観の土台とも言える、八百万(やおよろず)の神の存在を大切にしたいと考える。
それは、人の姿や人格の有する神ではなく、自然物や自然現象の多くを神格化したものだ。

山や森、海や川、動物や植物、土、巨石、巨木などの自然物…
火や水、雷や風などの自然現象…
これらは古来、人間がコントロールできない、してはならない「神」として畏(おそ)れられ、崇(あが)められてきた。
そして、日常の最も身近な神として、日々の平穏や無病息災を祈ってきた。
(最近では「トイレの神様」もいるようだから、今後は色々なモノも神様になるかもしれない…)

今日、この日本人の「畏れ」という美徳は、随分と軽んじられてきたように思う。
誤った安全認識と過信で、原発事故という未曾有の人災を引き起こし、まだそれにすがろうとするのも人間の愚かさではないだろうか。

人間の英知は素晴らしいが、自然に対する畏敬の念を失ってはならない。
科学や技術で自然と立ち向かうのではなく、自然との共存と感謝の精神こそ、大切にしなければならない。

今年は、例年にない寒さで桜花の下での「花まつり」、しかも日曜日となった。
祖母に連れられたお寺へ足を運び、子どもの頃の記憶へ「時間旅行」を楽しんでみたい。
 

呑んでトレインビューなら

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2012年3月23日 05:49

昨夜、専門学校勤務時代の仲間と旨酒を交わした。
集まった理由は、仙台へ7年間赴任していた戻り鰹さんがこの春から東京に戻ってきたための祝杯だ。

希望者挙手さんが幹事でお店を手配してくれたが、ここがトレイン絶景ポイント!
「呑んでトレインビューならココ!」というお店であった。
場所は有楽町マリオンの待ち合わせに好都合な時計の向かいにあるビルの7階、ウメ子の家だ。

希望者挙手さんは、この店の窓側のボックス席を用意してくれていた。
新幹線、東海道本線、山手・京浜東北線が一望できる。
特筆すべきは、東京駅を出て右へ大きくカーブしながらこちらへ向かってくる、新幹線の長い編成を俯瞰できる奥行きのあるビューだ。
あらためて希望者挙手さんの心遣いに感謝したい。

戻り鰹さんは、違う学科の教え子であり同僚だ。
仙台赴任は、慣れぬ土地での仕事や生活、何よりも未曾有の大震災を経験し苦労も多かったと察する。
横の背も伸びたようだが、人間的に一回り大きくなった印象を受けた。
彼もいまや在職19年目で、最近は鉄道やトラベルに関連した学科で教えているという。

何か仕事で間接的に手助けできることがあれば、希望者挙手さんも車掌長も喜んで助言や手伝いをしたい。
そのときは遠慮なく言ってほしい。

お開きの目安を「サンライズ出雲・瀬戸」を見たらと思っていたが、いつまで経っても現れなかった。
おかしいなと思って、帰りがけに駅に入ったら人身事故で運転を一時止めていたことがわかった。

日本の列車は時計代わりにできるほど正確で世界に誇れるものだが、人身事故で遅延が多いことは誇れることではない。
 

コメント(4件)

戻り鰹さんからのコメント(2012年3月24日 00:23投稿)

初乗車、失礼します。
昨日は楽しい時間をありがとうございました。
久しぶりの東京でなおかつ、あのロケーションの中で呑めるのは感動ものでした!

いろいろな学科を経験してきましたが、まさか自分が鉄道関連の教科を担当することになるとは…。でも鉄道や旅行は実生活にも役立つので良かったと思います。

かつて車掌長さんが教壇に立っていらした時は覚えることが多そうで自分には無理かなと思っていましたが、いざ勉強してみると意外に楽しいものでした。
車掌長さんと一緒に旅をさせて頂いた経験も生かすことができ、新たな発見もあり、一つひとつの物事が今の自分を支えてくれていることを実感しています。

東京のダイヤは本当に正確ですね。そして人が多い。少しでも遅れると混雑具合が尋常ではないです。慣れるまで時間がかかりそうです。

車掌長さんからのコメント(2012年3月24日 05:26投稿)

戻り鰹様

この度は「哲×鉄ブログ本線」初乗車ありがとうございました。
車掌長も戻り鰹さんが鉄道&旅行系の学科担当になるとは思いもしませんでしたが、きっと縁があったのでしょう。
とても嬉しかったです。

あちこち行ったこと、懐かしいですネ。
東北方面の秘湯巡りで「川原毛大湯滝」は、当時まだ訪れる人が少なくてのんびりと豪快な湯浴み(滝行?)が楽しめました。
夏油(げとう)温泉で泊まったのも湯治気分で良かったです。

また、四国の祖谷温泉へ日帰りで行ったり、厳冬の道東を1泊2日で行くような弾丸ツアーもしましたネ。どれも今では体験できないような中味でした。

戻り鰹さんがおっしゃるとおり、旅行は「経験の宝物」です。
終えた時に「形」として残るものではありませんが、心の充足や広めた見聞、出会った人との想い出等、どれもが自分の成長になっていると思います。

一方、鉄道は自分自身が「自由」であることを実感させます。
車は好きなように効率良く移動できますが、「運転」という緊張を保ち、渋滞では狭い空間に閉じ込められるという、心も身も「拘束状態」にあります。
ゆえに、移動中の風景もしっかりした記憶として残りません。

また、事故に遭えば被害者になることもあれば、自分が加害者になる可能性も忘れてはなりません。

その点、鉄道は体も心も自由なのです。
しかしながら、運転士を目指す学生にくれぐれも留意してもらいたいのは、多くの乗客の命を預かっていることを忘れてはならないことです。
それがあっての楽しい旅行や、時間が勝負のビジネスの役に立てるのだと思います。

今後、戻り鰹さんが教壇に立って向き合う学生にも、そんな体験を促せるような、共有できるような授業を戻り鰹さんはできるとイメージします。

希望者挙手さんと車掌長はもはや教壇を降りましたが、戻り鰹さんの定年(随分先ですネ)まで応援しますヨ!
また3人で珍道中の旅をしましょう!

それでは次回のご乗車を楽しみにしています。

新学期の準備、忙しいことと思います。
三寒四温の季節、体には気をつけて励んでください。

希望者挙手さんからのコメント(2012年3月24日 14:55投稿)

久しぶりの乗車です。
戻り鰹さんの帰京祝いで久しぶりに集まり、楽しいひと時をありがとうございました。

このメンバーで呑むのならと企画を考えた時、やはりここしかないと思いましたが、喜んでもらえて添乗冥利に尽きるというものです(笑

私は、サービス精神やホスピタリティ・マインドというものを車掌長から学びました。車掌長は何をやるにも、相手だけでなく自らも思い切り楽しむための仕掛け作りが素晴らしく、感動しきりでした。それが今でも公私ともに活かせているのかと思います。

戻り鰹さんは我々を超える講師歴となり、見た目も中身も少し逞しく(図太く?)なってましたね(笑
車掌長ともども応援してまいりますので、これからも教壇でぶっかまし続けてください!

また、三羽烏(さんばがらす)で旅しましょう!

車掌長さんからのコメント(2012年3月25日 06:59投稿)

希望者挙手様

毎度ご乗車ありがとうございます。
身に余るお言葉をいただき恐縮ですが、思いがけずとても嬉しかったです。

希望者挙手さんがおっしゃるとおり、車掌長は人に喜んでもらったり楽しんでもらうことが大好きです。
また、好きな言葉に「My pleasure」(マイプレジャー)があります。
ご存知のようにこの言葉は英語圏で道を尋ねたり、ホテルで何かを頼んで"Thanks"というと戻ってくるもので、ごく普通に人々に浸透しているように感じました。

正しくは"It is my pleasure"と言い、直訳すれば「それは私の喜びです」となりますが、日本語の日常表現にドンピシャな一言がないのが残念です。

日本語にはお礼の言葉に対し「どういたしまして」がありますが、"My pleasure"の方がスマートでカッコイイですし、心情的にも発してみると気持ちが良い言葉です。

やはりサービス業の概念や文化、人々のコミュニケーション意識は、英語圏の方が厚みや人間味があるように感じます。

人間は相手に喜ばれること、人の役に立っていることを自分の幸せにできる生き物だと思います。

ところで車掌長は、希望者挙手さんから「エンターテイナー」でるあることの魅力を感じたものです。

それはいつでも心にゆとりがないとできない振る舞いです。
洒落(シャレ)たジョークや面白い仕草、モノマネetc…
そんな笑いとユーモアを、希望者挙手さんから教わりました。(なかなか同じようにはできませんが)

今後とも楽しいお付き合いのほど、よろしくお願いいたします。

(追伸)
先日の希望者挙手さんの上司のハードな海外出張のアイテナラリー(旅程)は、さすがでしたネ!
ネット検索は2地点間の移動は瞬時にできますが、それ以外はやはりセンスがないと組み立てられません。

昔、国際航空運賃の仕組みや計算方法、約款を勉強し合ったのが懐かしいですネ。

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JTB創立100周年

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2012年3月12日 05:31

今日、JTBは100歳の誕生日を迎えた。
心から祝意を表したい。

1912年3月12日、現JTBの前身となる任意団体「ジャパン・ツーリスト・ビューロー」が誕生。
当時は、日本への外国人観光客受け入れの役割を担ってのスタートだ。

鉄道院が中心となって組織された経緯から、当初は外国人旅行客への鉄道院の委託乗車券の発売や、日本観光の宣伝をしていたとのこと。

一方、日本最古のリゾートホテル「日光金谷ホテル」の開業が、1873年(明治6年)である。
外国人がもたらした「リゾート」の概念は、日本では山岳避暑地からその歴史が始まった。
日光しかり、箱根や軽井沢にも由緒ある外国人用のホテルが建てられ、「和」の心からのもてなしがなされ評価された。

JTB創立の頃は、外国人客が日本の魅力に気付き、賑わいを見せ始めた頃なのかな…と推測すると楽しい。

ところで、百年前の日本は、元号が明治から大正へと時代が変わった節目の年。
東京からワシントンD.C.のポトマック河畔に、桜の樹が贈られたのもこの年だ。
また、豪華客船タイタニック号が氷山に衝突し沈没した年でもある。

時は流れて百年…
世界的にも類を見ない大震災による津波の被害と、原発事故に震撼した日本。
訪日外国人も激減したが、最近は回復傾向にあると聞く。

JTBをはじめ、日本の旅行会社が今日ほど、外国人旅行客の受け入れに奔走すべき時はない。
それはビジネスとしての「売り上げ」という狭義の意味よりも、日本の魅力を世界に発信し、観光業の先頭に立って受け入れる「誇り」を抱くことに期待したい。

旅行業が人と人、地域と地域、国と国とを結ぶ文化的な役割を担い、サービス産業としての確固たる地位を築く好機だと考える。

現在外国人向けの旅行商品は、一部の限られた店舗や部署でしか取り扱われていない。
日本人向けと同様なほど、豊富な取り揃えでどこの店舗でも取り扱いができる日を心待ちにしたい。

百年前の日本人がそうであったように、言葉の壁よりも「心の壁」をなくし、「和」のもてなしで受け入れることが、大切なのだと思う。
 

聖子ちゃん誕生日

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2012年3月10日 06:50

卒業の季節。

学業の区切りを意味するが、継続してきた事柄や嗜好品(しこう)との別れを意識させることにも使われる。
煙草との別れに「卒煙」というのも好例だ。
車掌長はこの季節に卒業と言えば、聖子ちゃんの名曲「卒業」を思い出す。

ところで今日は松田聖子さんの誕生日。
青春時代のアイドルも50歳になるという。

当たり前のことだが、人はみな歳を積む。
一方、いつまでも歳をとらないのは、漫画やアニメの登場人物だ。

ちなみに、サザエさんの「舟さん」は原作では48歳の設定だ。
驚くことに聖子ちゃんよりも若い。
仮に我々同様に歳をとったなら、誕生年(1901年・明治34年)からカウントして、今年111歳!
車掌長の好きな並び数字のメデタイ節目にあたる。

また、天才バカボンのパパは41歳。
車掌長もいつの間にか、パパの歳を抜いてしまった。

更に驚くのは、巨人の星の野球英才パパ「星一徹」、33歳。
いま30代の「育メン」や子持ち男性が、一徹名物「ちゃぶ台返し」などしたら、奥さんや家族はどんなリアクションをするのか興味深い。

この手の話題が大好きで、かなり脱線してしまったが、歳をとるのも「時間旅行」だ。

時刻表愛読30余年。
それぞれの月日に想い出の出来事や歳々の感慨がある。

また、1年365日、毎日が何かの記念日であったり、忘れてはならない日がある。

3月10日は聖子ちゃんの誕生日も祝意を表したいが、東京大空襲があった日である。
67年前の今日、木造家屋と町工場が集まる下町一帯を、一夜で焦土と化した。
世の中がどんなに便利になったり、新しいモノや出来事ばかりに人々の関心が集まっても、過去に起きた惨劇に目を閉じてはならない。

東京スカイツリー開業も間近であるが、あの一帯もどれほどの惨禍(さんか)であったかを忘れさせる様相だ。
確かに、輝かしい世界に誇るタワーは素晴らしい。
だが、そこで何があったかを記憶しておくことも本来は大切なことであり、バランスのとれた文化、社会だと言える。

そして、その対比ができてこそ、スカイツリーの展望台に立った時に、世界的に戦後の「奇跡の復興」と言われた日本の底力を、真に世界に誇れるのだと思う。
 

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